週刊READING LIFE vol.160

地方の愛に包まれて道を作ってみませんか。《週刊READING LIFE Vol.160 まさか、こんな目にあうとは》


2022/03/07/公開
記事:いむはた(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
ぼくがこれから書こうとすることは、あまり一般的ではないかもしれません。ただ、それでも、ぼくは、ぼくとぼくの家族に起こった出来事について、できるだけ正直に、包み隠すことなく、ありのままの事実を書いてみようと思います。もちろん、それは、ぼくにとって、この大きな発見を記録に残すという意味もあります。ただ、同時に、ぼくのちょっと変わった経験が、きっと誰かの役に立つに違いない。コロナ禍で在宅ワーク化が進んだ今、都会での生活をリセットし、地方への移住を希望する人たちは、今後もきっと増えていく。今まで普通でなかったことが、ニューノーマルなんて言われ始めている。そんな中、今は普通ではないかもしれないぼくの経験も、当たり前のようになっていくかもしれない。そして、その際に多くの人がぶつかるだろう壁、それをのり越えるのに、なにかの参考になるのでは、そう考えたからなのです。
 
話は今から7年ほどさかのぼります。ぼくは東京にいました。地方の会計事務所から、外資系の金融機関に転職して5年ほど。地元でつき合っていた彼女とも結婚し、ちょうど二人目の娘が生まれたばかりの頃でした。当時のぼくたちは、世間から見て、それなりにいい暮らしをしていたのだと思います。妻が仕事を持っていたこともあり、収入的には比較的、余裕がありました。不満など何一つない、周囲からは、そんな生活を送っているように見えていたのかもしれません。
 
ただ、ぼくの心は曇っていました。季節は初夏、木々の新緑がまぶしい中、ぼくは沈んだ心で街を歩いていました。もし、仕事を辞めて地元に帰ったら、ぼくの人生、ぼくたち家族の生活は、どうなってしまうんだろうか、頭はそのことでいっぱいでした。東京での生活はもう限界、いっそのこと思いきって仕事を辞め、地元に戻ってなにもかも仕切りなおしたほうがいいのでは、心は揺れ続けていました。
 
実際、ぼくは混乱していました。生まれたばかりの二人目の娘は体が弱く、入院と退院を繰り返していました。医者には、脳と心臓に障害があるのかもと言われ、妻と交代で仕事を休み、娘を検査に連れて行っていました。そして、いざ入院となれば、一週間を超える付き添いが、何度もありました。病院と職場の往復のような毎日に終わりはくるのだろうか。下の子にばかり、手も時間もかけていて、上の娘を十分に構ってあげられないけれど、まだ三歳の彼女の心は大丈夫なのだろうか。そんな不安を抱えていました。
 
重なるように、ぼくの仕事もうまくいかなくなっていました。競合他社から引き抜かれてきた上司、それから彼の連れてきた部下たち。ぼくは、彼らとうまく折り合いをつけることができないでいました。それまで順調だったぼくのキャリアが陰り始めていました。加えて、知らない間に巻き込まれた組織内の権力争い。会社に行けば、口にするのも、耳にするのも、誰かの陰口と愚痴ばかり。頭の中も、そして、心の中もぐちゃぐちゃでした。
 
まさか、こんな目に合うとは、ぼくは、もうわからなくなっていました。自分はいったい何を求めていたのでしょうか。そして、追い込まれていました。これから、なにを目指して生きていけばよいのか、どこに向かって進んでいけばいいのか、先が見えなくなっていました。
 
思えば、それまでの人生は、単純なものでした。高みを目指していればよかったのですから。仕事、給料、恋愛、結婚、そして家庭、すべての面で、目指すべきものは、はっきりとしていて、それに向かって、努力して、手に入れて、また、努力して、手に入れて、それを繰り返しているだけでよかったのです。そして実際のところ、ぼくは、うまくやれているはずでした。地方から都会へ転職し、そこでの生活を確立させ、成功への道を歩いていると信じていました。その道が、突然、消えてしまったのです。いや、消えてはいなかったのかもしれません。ただ、先に続く道が、あまりにも険しくて、あまりにも急で、ぼくには道とは思えなかったのかもしれません。突き付けられたのは、敗北感という大きな壁でした。
 
仕事、家庭、子育てと、やらないといけないことは山ほどあります。でも、これからの人生、ぼくはこの役割を、敗者として果たしていくのでしょうか。でも、敗者の道というものが、どんなものなのか、ぼくにはわかりません。だれか、ぼくに教えてくれる人はいないのでしょうか。
 
もちろん、頭ではわかっているつもりでした。人生とは、そもそも、勝ちと負けで語るようなものではないと。でも、感情がついていきませんでした。実際に、自分の目の前が大きな壁でふさがれたとき、ぼくは、絶望して、そして、わからなくなってしまったのです。勝ちでもなく、負けでもない、それでも、壁を乗り越えて、その先に続く道を歩き続ける、そんな生き方はあるのでしょうか。
 
数か月後、ぼくは家族と共に地元に戻りました。と言えば、聞こえはいいのですが、子供の面倒を任せられて、金銭的にも負担が少ない、そんな実家に転がり込んだ、東京の生活から逃げ帰ったというのが実際のところでした。
 
当然ですが、問題はなにも解決していません。ぼくは相変わらず敗北感を引きずったまま、仕事のない日々を過ごしていました。仕事を見つける気すらありませんでした。することと言えば、公園で子供と遊ぶこと、日常品の買い物に出かけること、それから、たまに友人に会うことくらい。時間を持て余すと、地元の観光地に出かけたり、子供の時に行って以来、その存在すら忘れていた遊園地に行ったり。毎日が淡々と過ぎていきました。東京でのあわただしい生活が嘘のようでした。
 
もちろん下の娘の病院通いは続いていました。ただ、ぼくも妻も、次第に焦っても仕方ないと考えるようになっていきました。いつかきっと治るはず、そう信じて、妻は病院、ぼくは上の娘の幼稚園の送り迎えと、淡々とこなしていきました。
 
本当に何事もない静かな生活が半年ほど続きました。そして、そんな毎日が続いていると、ぼくは、なにか不思議な、どこか足元が定まらないような、ふわふわとした感覚を持ち始めていました。
 
高校を卒業し、東京の大学へ進学しました。その後は留学をして、日本へ戻って来てからは、地元の会計事務所に就職し、また東京に転職してと、とにかく、これまでのぼくの人生、ずっと動き続けてきたんだな、そう思ったのです。こんなにゆっくりとした時間を過ごすのは初めてのこと、改めて自分が歩んできた道を振り返った時、つくづく感じたのは、結局のところ、ぼくは決められた、誰かが敷いた道を歩んできただけなんだ、ということでした。
 
もちろん楽だったわけではありません。何かを勝ち取るための努力をしてきました。うまくいって喜んだこともあれば、失敗の悔しさに涙を流したこともありました。そして、その悔しさをバネに立ち上がってきました。それは大学の入試だってそうです。本当に一生懸命、勉強をしました。仕事だってそうです。海外出張で、自信を持っていた英語がまったく通じず、それでも、なんとか自分の持っているもので、勝負をしてきました。そして、自分は自分で道を切り開いてきたんだと自信を持っていました。
 
ただ、こうして、目の前に現れた大きな壁に打ち負かされ、まるで何もかも失ったかのように、道から外れた静かな毎日を過ごしていると、自分で切り開いたと信じた道も、大きな意味では決まりきった道だったのではないか。結局、自分ではない、ほかの誰かが決めたものを、まるで自分にとって大切なものと、やみくもに高みを目指していただけだったのではないか。そして、結果としての、うまくいった、いかなかった、が転がっていただけ、そんな風に思えたのです。なんだか、肩の荷が下りたような、気持ちが軽くなったような気がしました。
 
これが負けるという意味なのでしょうか。敗北を受け入れるということなのでしょうか。人生、こんなはずじゃなかった、などと落ち込んだぼくが若かっただけ、知らなかっただけ。そもそも、人生という道のりには、勝ちも負けもあるのが当然で、ぼくは、やっと敗者としての道のスタートラインに立っただけ。今までの勝者の道とは違うかもしれないけれど、それだって、誰もが知っている、初めから決まっている道を歩むだけ、そういうことなのでしょうか。
 
なにかが間違っている気がしました。
 
実際、ぼくが感じていたのは、心の軽さではあったけれど、人生なんてこんなものといった、あきらめとか、むなしさからくる悟りのようなものではありませんでした。力が抜け、気が楽になったのは事実です。でも、もっとなんというのか、身体的なものです。そうそれは、幼いころ、近所にあった裏山に、初めて冒険に出かけたときのような、小学校の頃、初めてサッカーの試合に出してもらった時のような、自分がどこまでやれるのか、不安と期待が入り混じった、あのふわふわと落ち着かない感覚でした。何もかも失って、身も心も軽くなって、もう一度、走り出すことだってできるような、そんな力強ささえ感じさせるような、と思った時のことでした。ふと、わかった気がしたのです。本当の人生って、きっとこういうことなんだ、そんな風に思えたのです。
 
それは、つまりこういうことでした。
 
人生というものは、やはり、何もないところから始めるものなんじゃないでしょうか。当たり前と言えば当たり前の話かもしれません。誰だって、生まれたときは、何も持っていないわけですから。
 
でも、その後の人生、そのまま、何もなしで生きられるかといったら、それは、なかなか難しいわけです。というのも、ゼロスタートというものが、かなり厳しいというのは、誰もが分かっているからです。長い人生を生きれば生きるほど、道を自分の力だけで切り開いていく辛さは身に染みていくわけです。だからせめて、自分以外の人にはと、周りがあれやこれやとおぜん立てをしてしまう。誰もかれもが、知らないうちに、結果として、誰かが整えた道を歩くことになってしまう。
 
それは悪気があってのことではありません。むしろ、優しさからと言ってもいい。でも、たちが悪いことに、その整備された道には、それなりの目標が用意されていて、それなりの困難さがあって、それなりの一生懸命がないと歩き続くことができない。そして、うまくいけばいったで、わかりやすい報酬が準備されていて、失敗したら、それはそれで、人生訓というのか、悟りとでもいうのか、そんな、ちょっと高尚な言葉が待っている。だから、ぼくらは錯覚してしまうわけです。これが、本当に自分が進むべき道なのだと。手に入れば幸せになり、手に入らなければ、それもまた人生だと。
 
でもね、そういうことではないのです。何もかも捨てて、地元に帰って来て、何もない毎日を過ごす中で、何もないところから始まるのが人生なのでは、そんな気がしたんです。日々、静かに過ごす中で、落ち着いた気持ちで、家族と向き合い、そして、今までの自分と向き合う中で、ぼくは、やっと本当のスタートラインに立てた、そんな気がしたのです。
 
もちろん、その先に何が待っているかなど、わかるはずもありません。でも、そうやって未知の世界に踏み出していくとき、はじめて道ができていく。そう、道というものは、初めから決まっているものではないのです。未知の世界に踏み出した、その足跡が道になっていく、そんな風に思えたのです。
 
そして、その後、実際にぼくは、新しい一歩を踏み出すことができました。いろいろな知人のつてを頼りに仕事を見つけることができました。今までやってきたことの延長のようなものではあったけれど、以前とは違う新鮮な気持ちで臨めたのは、やらされている感がなくなったというのか、自分で道を開いていこうという気持ちのおかげだと思っています。そして、そんな親の気持ちが伝わったのかどうかはわかりませんが、今では下の娘はすっかり元気。あんなに病院通いをしていたのが嘘のようです。
 
敗北感に打ちのめされて、地元に戻ってきたときには、まさかこんなことになるなんて、全く想像もつきませんでした。なにもかも捨ててしまったときには、こんな幸せな毎日がやってくるとは思いもよりませんでした。でも、捨てたからこそ、道を外れたからこそ、今まで知らなかったような未知の世界に踏み出せた、そのことに間違いはないと思っています。
 
ぼくのような経験は、誰にもおすすめできるものではないのかもしれません。田舎に帰るということが唯一の答えだというつもりなど、全くありません。でも、時には、強制的にでも、何もかも捨て去って、人生をリセットする、そんなことを考えてみてもいいのではないでしょうか。その時にしか、見えないものがきっとあるはず、ぼくはそんな風に信じているのです。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
いむはた(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

静岡県出身の48才
大手監査法人で、上場企業の監査からベンチャー企業のサポートまで幅広く経験。その後、より国際的な経験をもとめ外資系金融機関に転職。証券、銀行両部門の経理部長を務める。
約20年にわたる経理・会計分野での経験を生かし、現在はフリーランスの会計コンサルタント。目指すテーマは「より自由に働いて より顧客に寄り添って」

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2022-03-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.160

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