人生とは思いがけないことの連続 《週刊READING LIFE Vol.160 まさか、こんな目にあうとは》
2022/03/07/公開
記事:九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「まさか私がこんなことをするとは、という人生思いもよらないことばかりだった」
渡辺和子先生が、そう仰った。
驚いた。渡辺和子先生のような立派な方は、まっすぐに思いのままに生きてこられたのだろうと思っていた。全然違っていた。
渡辺和子先生は、キリスト教カトリック修道女で、学校法人ノートルダム清心学園理事長を務めた方だ。お父様は、陸軍中将の渡辺錠太郎で、9歳のときに、二・二六事件に遭遇。目の前で父が銃殺されるのを目の当たりにされている。
渡辺和子先生のことは、当時受けていたマナーレッスンの先生から聞いて知った。その先生が渡辺和子先生のことをとても尊敬されていて、交流もある先生だった。どんな方だろうと思って、私は渡辺和子先生の本を読み始めた。『「ひと」として大切なこと』から読んだと思う。これは大学で行った「人格論」の講義を1冊にまとめたものだが、すばらしかった。心に響く言葉がちりばめられていて、夢中になって、たくさん線を引いた。多くの本を出版されていて、どれも読みやすくて、深く、心にしみわたった。
この先生にお逢いしたいと思い、仕事のご依頼のお手紙を出すと、快諾のご返信をいただいた。それが、2006年のことだった。
渡辺和子先生は、浄土真宗の家に生まれ育ち、信心深く過ごしていたという。なので、まさか自分がクリスチャンになるとは、という生まれ育ちだったのに、クリスチャンになった。
軍人の娘として、お母様からは、「強くあれ」「努力しなさい」「我慢しなさい」「1番になりなさい」と育てられ、負けず嫌いで傲慢で、試験は毎回100点を取り、人より優れていないと生きている価値はないと思っていたという。そんな姿を友人から鬼のようだと指摘され、「お水をかけていただいたら、新しい自分に変われるかもしれない」と思い、母親の反対を押し切って、終戦前に18歳でキリスト教の洗礼を受けた。でも、洗礼を受けても変われなかった。お母様に冷たく接したとき、「あなたは、それでもクリスチャン?」と言われた言葉が、どんな言葉よりも深く胸に突き刺さったという。
戦争が終わって、お母様がアドバイスをしてくれた。「あなたは国語科を出たけれど、これからの時代は英語が必要になるのでは」そこで、聖心女子大学の英語科に入り直された。同級生よりいくつか年上であるにもかかわらず、英語をうまく話すことができない。日本語を話せないシスターとも会話しなければならないので、一生懸命英語を勉強された。すこし前には敵国の言葉だった英語を、こんなに学ぶことになろうとはつゆほども思っていなかった。
戦後の厳しい経済状況にあったので、上智大学にアルバイトの仕事を求め、神父様に新しい学部でアルバイトをさせていただけることになった。そのまま大学を卒業しても働いてほしいとのことで、あらためて上智大に就職し仕事を続けた。気づけば29歳。修道院に入るには30歳までという年齢制限があった。そこで神父様に相談したところ、そろそろ修道院に入ったらどうかと言われ、ナミュール・ノートルダム修道女会に入会した。直後、アメリカのボストン郊外の修練院で1年間修行することになり、その後、教育学で学位を取得するように命じられ、今まで学んだことがない分野でしかも英語で学ばなければならず、たいへん苦しいなか励み、3年で博士号を取得し、35歳で帰国されたという。
ようやく日本に帰ったのもつかの間、岡山への派遣を命じられた。ノートルダム清心女子大学の教授に就任することになった。東京育ち、神戸より西に行ったことさえなかったのが、縁もゆかりもない岡山で教授職を務めることになった。さらには、翌年学長が急逝、3代目の学長就任が命じられた。まだ36歳で、これまでの学長の半分にも満たない年齢で、しかもノートルダム清心女子大学初の日本人学長だった。ノートルダム清心女子大学の卒業生でもないし、岡山が地元でもない。大学ではトップでも、修道院では一番下の立場で、風当たりは極めて強かった。こんなに苦労しているにもかかわらず、挨拶してくれない、理解してくれない、ねぎらってくれないと、不平不満をためこんでいたという。上智大の神父様にその思いを伝えると、「あなた自身が変わらなければ、どこへ行っても何をしても変わらない」と言われた。境遇は選ぶことはできないけれど、生き方を選ぶことはできる。どのような心持ちで生きていくのか。時間のつかい方は、そのまま命の使い方であり、いま、現在という時間をいかに精一杯生きるのか。
そうやって学長職をこなしているとき、50歳からうつ病になったという。まさか自分がうつ病になるとは思いもよらなかったけれど、なってしまった。「なぜ私はうつ病になったか」と考えると過ぎたことを反省するばかりなので、「なぜ」ではなく「何のために」と言い換えることを心がけていたという。「何のためになったか」ととらえれば、自分に起きたことにどんな意味があり、これからどう生きていけばいいのかと、前を向くことができる。
68歳のときには、膠原病を発症、治療薬の副作用で3度圧迫骨折をして、身長が14cmも縮む。背が高くてすらっとしていたのが、まさか身長が14cmも縮むことがあろうとはもちろん予想すらしていなかった。本当に、思いがけないことの連続でしかなかったという。
「神が植えたところで咲きなさい。咲くということは、諦めることではなく、周りの人たちを幸せにすることです」ある神父様からいただいた言葉に、救われたという。その場所でどうすれば自分らしく咲くことができるのかを考える。人生でどんなことが起こっても、ものごとの見方を変えて、自分で幸せになるように切り替えていく。
渡辺和子先生は、そんなお話をしてくださった。終始、柔和なお顔で、ほほえみを浮かべながら、とてもやさしいお声で語りかけてくださった。まさかこんな目にあうとは、というようなことばかりで、私は意外だった。才気あふれる優秀な修道女として、期待され、学長職を任され、存分に才能を発揮してこられたのだと思っていた。こうなりたいと思ってしてきたのではなく、人に勧められたり与えられたことをこなしてきたら、こうなったとでもいえるような、思いがけないことの積み重ねだったという。
先生は、年老いたお母様を一人おいて、修道院に入ったという。やむにやまれぬ思いだったと思う。オードリー・ヘップバーンの映画「尼僧物語」を思い出した。主人公のヘップバーン演じるガブリエルは、尼僧になる決意をして家を出た。戒律厳しい修道女としての生活と、病院での仕事との葛藤が描かれていて、治療中であっても、祈りの時間になれば祈りをしなければならない。目の前の人なのか神への信仰なのか、たびたび考えさせられる。
私は、浄土真宗の中学校に入ったので、中学校から仏教を学ぶ授業があった。お釈迦さまは、王子様で奥さんも子どももいて何不自由ない暮らしをしていたのに、お城の東西南北の4つの門から郊外に出かけ、それぞれの門の外で、老人、病人、死者、修行者に出会い、人生の苦しみを目の当たりにして、出家を決意した。私は、奥さんと子どもを捨てていいの? とずっと疑問だった。この世の常識的に考えれば、それは好ましいことではない。そこには一切触れず、ただ、お釈迦様がたどったとされる生涯を学んだ。
そのとき誰かを悲しませることがあっても、それよりも大きなことのために、選択することがあるのだということがわかるようになった。お釈迦さまは、そのとき奥さんや子どもを悲しませたかもしれないけれど、お釈迦さまが悟りをひらいて皆に説いてくださったことは、こうして2500年経った今も、こうして私が学んでいる。
渡辺和子先生のお母様も、ずっと一緒に暮らしたかったかもしれないし、娘に結婚してもらいたかったかもしれないけれど、より大きな幸せを多くの人に与えられる人生を過ごされたことを、きっとあの世で誇りに思っていらっしゃると思う。先生のお言葉は、2016年に亡くなられてからも決して色あせることなく、人々の心を癒してくださっている。
そして、私も、まさか京都以外の土地に住むことになるとは思ってもみなかったけれど、
何のためにと切り替えて、どうすれば私を咲かせることができるのか、周りの人を幸せにすることができるのかを考えて、与えられた命を生きていきたい。
□ライターズプロフィール
九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
同志社大学卒。陰陽五行や易経、老荘思想への探求を深めながら、この世の真理を知りたいという思いで、日々好奇心を満たすために過ごす。READING LIFE 編集部ライターズ俱楽部で、心の花を咲かせるために日々のおもいを文章に綴っている。
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