週刊READING LIFE vol.160

雪景色の思い出《週刊READING LIFE Vol.160 まさか、こんな目にあうとは》

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2022/03/07/公開
記事:伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
深々と降り続く雪。私は車の中から、その景色を眺めていた。
「すごい。どんどん雪が深くなるよ。こんな沢山の雪、すごく久しぶりに見た……」
そう呟くと、隣に座っている彼が「この冬初めてこんなに雪を見た?」と聞く。
「この冬というより、もう数十年ぶりくらい。子供の時に見た以来かも……」
それを聞いた彼は嬉しそうに「じゃあ、もっと満喫しないと」と言い、車の窓を開けた。
 
冷たい空気が入ってくる。湿気を帯びたその空気には、ほんの少し匂いがあるような気がした。なんか、嗅いだことのある匂い。雪の匂いとでもいうものなのだろうか。窓から手を出しながら、手のひらに雪が落ちてくるのを感じる。冷たくて気持ちがいい。
木々に積もる雪、遠くに見える山の中腹も、目の前に広がる民家も雪ですっぽりと覆われていた。ほんの数時間前までいた世界からは想像ができない景色だった。
そして、私は真っ白に積もる雪を見つめながら、子供の時に見た雪の景色を思い出していた。

 

 

 

小学5年生の3学期のある日、クラスで席替えをすることになった。小学生の時の机は木製で、一人一つの机ではなく、横並びに二人が座る形だ。天板の真ん中に薄い溝が引いてあり、そこを境に左右で席をわけている。いつもならその横並びに座る二人は、女子と男子の組み合わせにしていたのに、担任の先生はなぜだかその時、女子同士、男子同士で座ることにすると言い出した。机に番号が振られ、くじ引きで席を決めていく。そして、最後に全員がくじを引いて気がつく。一組だけ、男女のペアになったのである。考えてみれば当たり前のことで、クラスは女子の数も男子の数も奇数だった。
 
あいにく、その男女のペアになった女の子が、自分だけが男子と座らなくてはならなくなったことにがっかりし、目に涙を浮かべ下を向いてしまった。
 
私はその姿を見て直感的に「かわいそう」と呟いたのだ。別に深い意味はなかった。ただ、そう思っただけだった。女子同士で座るという席替えに、私は特に魅力を感じていたわけではなかったし、そんなことはどちらでもよかった。ただ、誰かが嫌な思いをするくらいなら、みんな同じがいいのではないかと思ったのだ。無理してそんな席替えをするのではなく、今まで通りみんな男女のペアで座ればいいと思ったのだ。
 
私の「かわいそう」という言葉は、静まりかえっていた教室の中で、はっきりと先生の耳に届いた。
「じゃあ、お前、代わってやれ」
その言葉に私は驚いた。先生の顔をじっと見る。
「かわいそうだと思うなら、代わってやれ」
もう一度言われる。私は何も答えることなく、黙って自分の荷物を持って、涙を浮かべている子の席まで行き、そして代わった。
言われた通りにしたものの、何も納得していなかった。そもそも、先生が勝手に今回の席替えのルールを決めたのだ。こういうリスクがあることをわかった上で、みんなで望んだことではない。誰かが嫌だと思うことまでして、こんな席替えをする意味があるのだろうか。
 
子供の頃の私は、夕食の時に学校であったことを一から十まで話すような子供だった。その日も、席替えの顛末を夕食の時に話す。状況を説明していると、だんだん先生に対して怒りが込み上げてくる。
「あんな風に泣く子がいるんだから、そんな無理をして女子同士、男子同士で座る必要ないじゃん。私、そう思う。正直いえば、私だけ男の子と座るなんて嫌だ。あんな席替えやめればいいのに。代われと言われて、納得できないよ。学校に行きたくない」
私ははっきりと両親に言った。
 
父は私の話をひとしきり聞くと「学校に行きたくないなら、行かなくていいよ」と言う。その言葉に驚いたものの、このまま大人しく先生の言いなりになるのも自分の中で納得できない。私は、先生への反抗心もあって、次の日から学校を休んでしまったのだ。
 
今思えば、なぜ父は私が学校を休むことを許したのだろう。子供の小さな反抗心を摘んでしまうのではなく、自分の中で消化できるまでそっとしておこうという気持ちもあったのかもしれない。子供の初めての社会に対するささやかな反抗を見守る気持ちでいたのかもしれない。
 
結局、一週間ほど休んだのち、先生から自宅に電話があった。母に電話に出るように促され、受話器を握る。電話口で先生は「なんで学校にこない? そういうのをわがままと言うんだ」と言った。私は黙っていた。何も答えなかった。
私がやっていることはわがままなのだろうか。自分の中でも答えが見つからなかった。
 
そして、次の日も先生から電話があるが、また同じことの繰り返しだった。
「このまま先生の言うことを聞いていても、何も解決しないんだ」漠然とそう思う。この電話の時間も無意味なような気がして、そして私は学校に行くことにした。
 
ところが、事態は思わぬ方向にいく。久しぶりに学校に行き、教室を入る時に挨拶をすると、誰からも返事が返ってこない。席についても誰も話しかけてこない。クラスの中でも特に仲良くしていた友達に話しかけようとしても、話しかけることすらできない。クラスメイトは誰も口を聞いてくれなかった。
 
まさか、こんな目にあうとは……。
私の中では全く想像していなかった状況だった。ずる休みをしていたと捉えられたからだろうか、それとも、休んでいる間に何かが起こったのだろうか。
確かに、学校を長く休めばその理由の憶測が飛び交い、子供同士の感情が揺さぶられてしまったのかもしれない。何がきっかけではじまるかわからない残酷な仕打ちが始まったのだ。
 
もちろん、私が学校に行き出しても席替えをすることはなく、私はただ黙って男の子の隣に一人座っているだけだった。周りの女の子たちは、隣の席の子と楽しそうにおしゃべりをしている。私は、休み時間もお昼を食べている時も隣の男の子とおしゃべりをすることもなく、ただじっと座っていた。
私の小さな反抗心は、思わぬ形でしっぺ返しにあうことになった。クラスメイト全員に無視されることを担任の先生に訴えるわけにもいかない。担任の先生は、私が学校に来るようにはなって欲しかったけれど、何も根本的な解決をしようとしていたわけではなかったのだ。
 
そんな状態が二週間くらい続いたある日、私はまた学校を休みだした。幸い、3学期の残りを全部休んでも大した問題ではないように思えたし、両親は私が誰とも口を聞いてもらえなくなっていることを理解し、そして好きなようにさせてくれた。
そんな時、同居している祖父母が毎年恒例の湯治に行くという。祖父は私に言った。
「雪を見に行くか?」
私はうなずき、そして一週間の湯治に出かけた。両親は何を思ったのか、弟二人も学校と幼稚園を休ませ、湯治に同行させてしまった。
 
本当なら学校に行っていなくてはならない時、私は新潟の温泉旅館にいた。私達は真っ白な雪の中でただひたすら遊んだ。生まれて初めて、自分の背の高さをゆうに超えて積もる雪を見た。毎日降り続く雪。兄弟で雪の上をころげまわり、体が冷えたら温泉に入り、そしてまた雪まみれになって遊ぶ。窓の外、降り続く雪をじっと見ていたこともあった。
 
子供心に、今ある現実からどこか距離をおきたいと思っていたのだ。物理的な距離をとる、その場所から離れることは気持ちを変えてくれる。そして、日常の景色ではない違った景色を見て、心を開放したかったに違いない。私はその時、違う景色を眺めて、非日常の世界で楽しいことだけを考えていた。
そして、私はちゃんと守られているということを実感していた。両親も祖父母も、私をずっと守ってくれている。学校に行くように促すこともなく、私の反抗心の収めかたも私に任せてくれていたのだ。
 
私は湯治から帰ると、その後は一日も休まず学校に行った。先生が、無視されている私のことを見て見ぬふりをして、私を相手にしなくてもかまわなかった。ただ、淡々と学校に行った。
そして季節は流れ、春になると担任の先生も代わりクラス替えもあった。何もなかったかのように、私はまた新しいクラスの中で普通に過ごせるようになった。

 

 

 

「週末、空いてる? ご飯でも食べに行こう」と彼から連絡が入る。まだ始まったばかりの恋に少しドキドキする。
「空いています。待ち合わせ場所と時間を知らせてください」と返事をすると、少し時間が経ってから夕食の時間にしてはかなり早い時間を指定する連絡が入る。
食事をする前にどこかに寄るのだろうか。少しでも早く会えるのであれば、それは嬉しいことに間違いない。私は、中途半端な待ち合わせの時間の理由も聞かず、「会えるのを楽しみにしています」と返信する。
 
待ち合わせの場所に行くと、彼は車で来ていた。促されるまま車に乗り込むと、彼は何も言わずに車を走らせた。
「どこへ行くの?」と聞いてもはっきり答えてくれない。
まあいいか、時間は沢山ある。車の中で楽しい話をしながら一緒にいればいいだけだ。
車は東京を離れ、どんどん山の方へ向かっている。見える景色、遠くの山がだんだん白くなってくるのがわかる。変わっていく高速道路の標識を見ながら、なんとなく最終の行き先がわかってきたようなそんな時、目の前が一気に雪景色に変わった。
 
「わー、雪だ」驚いて声をあげる。
「東京を離れるなら、せっかくだから冬が終わる前に雪を見せないと、って思ったんだよね。雪に驚いてくれてよかった」彼が嬉しそうに言ってくれる。
 
「東京を離れて、いい気分転換になった?」そう聞かれて、小さくうなずく。
以前「東京にずっといると気持ちが休まらないから、たまには東京を離れて全然違う景色がみたい」と彼に話したことを思い出す。
覚えていてくれたんだ。私の心の中は安心した気持ちでいっぱいになった。
 
雪を見ながら思い出したことを、私は彼に話してみた。
学校を休んで湯治に行ったこと。
その頃は学校が楽しくなかったこと。
その時初めて見た沢山の雪の世界はすごく綺麗で、楽しかったこと。
そしてそれ以来、初めて、こんなに綺麗な雪の世界を見たということ。
 
彼は黙って話を聞き「素敵な思い出だね」と一言返してくれた。私はそれで十分、心が満たされていた。
 
そして、私は車を運転する彼の横顔を見た。
こんな風に私を見守り、想ってくれる人がそばにいたら、子供の頃と同じように何があっても乗り越えていけるのかな。
その時、私はとても暖かい気持ちになっていた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

建築設計事務所主宰。住宅、店舗デザイン等、様々な分野の建築設計、空間デザインを手がける。書いてみたい、考えていることをもう少しうまく伝えたい、という単純な欲求から天狼院ライティング・ゼミに参加。何かを書き続けられるのであれば、それはとても幸せなことだと思う日々を過ごしている。

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2022-03-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.160

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