週刊READING LIFE vol.163

ハーベイウォールバンガーに酔いたい夜《週刊READING LIFE Vol.163 忘れられないあの人》


2022/03/28/公開
記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「ハーベイウォールバンガー、お願いします」
 
時々、ふとこのお酒を頼みたくなる。
ウォッカベースの少々キツめのお酒だ。
 
珍しくバーに行って、そのお店のカウンターの向こう側、お酒のボトルが並んでいる棚の中に、ガリアーノという細長い瓶に入ったリキュールを見つけた時にはちょっと嬉しくもなる。
バーで一人でお酒を飲む機会があるとき、ちょっぴり酔っ払っていて、懐かしい思い出に浸りたくなる時、決まって頼んでしまう。
 
このお酒を教えてくれた人が言うには、諸説あるらしいが、ハーベイと言う人があまりにもこのお酒が美味しくて、でもかなりキツイこのお酒を飲んで、酔っ払って壁にバンバンと頭を打ち付けたということから「ハーベイウォールバンガー」という名前がついたと。
 
そう、35年前、私が短大時代の友人Rちゃんと訪れたシンガポール。
初めてのシンガポール旅行は、しょっぱなからアクシデントに出くわした。
到着したチャンギ国際空港、イミグレーションを通って、入国した時、さっきまであったパスポートがなくなっていたのだ。
ツアーの添乗員さんたちのおかげで、結局は手元に戻ってきたのだが、スリリングな体験とともに始まった旅行だった。
 
他のツアー客より、遅れて到着したホテルは、クラシックで由緒あるホテル。
友人のRちゃんと、会社の帰りに待ち合わせて、たくさんの旅行のパンフレットの中から、二人で気に入って決めたホテルだった。
想像通り、歴史と趣のある落ち着いたホテルは一目見て気に入った。
夕食後、まだ夜遅くまでにぎわう街に繰り出して、ゆっくりとブランド品やお化粧品のお買い物をしたり。
その後には、ホテルのバーでお酒を飲んだり。
毎日、会社の仕事に追われていた時代、友人との久しぶりの旅行は、話も尽きず、見るもの、聴くもの、食べるもの、全てが新鮮で、心と体を癒してくれるような時間だった。
 
到着した次の日、私たちは市内を見て周るオプショナルツアーに参加した。
そのオプショナルツアーは、夕食を食べる場所として、ニュートンサーカスと呼ばれるシーフードの屋台村、フードコートが解散場所となっていた。
そこで、友人と二人オプショナルツアーでの楽しかった話をしながら、珍しくも美味しいシーフード料理に舌鼓を打った。
シンガポールは亜熱帯の暑い国。
湿度も高く、ビールがすこぶる美味しかった。
 
そんなお酒も楽しみながら、ワイワイとしゃべっている私たちに、隣のテーブルにいた男性2人が声をかけて来た。
聞けば、日本からの駐在員の人たちだった。
大手商社のシンガポール支店に駐在しているKさんという方で、なんと、日本のお家は私の住んでいる街にあった。
そんなことからも、すぐに私たち4人は意気投合して、その後一緒にお茶を飲みに行くことになった。
あるホテルの最上階にあるカフェで、珍しくアイリッシュコーヒーを頂いた。
ほんのりと苦いコーヒーによく効いたお酒。
海外旅行中ということもあって、気分はさらにハイになっていった。
そこからさらに、当時流行っていたディスコへと遊びに行き、ホテルに戻ったのは日付を超えていた。
旅行中だからこそのスケジュール。
 
でも、若かったこともあるかもしれないが、全く疲れることなくさらに翌日は次のオプショナルツアーに出かけるべくホテルの廊下を歩いていた時のこと。
関西出身の私たちは、「次、どこ行く?」「その後は、どないする?」と、関西弁でしゃべっていると、廊下ですれ違った男性が声をかけてきた。
 
「関西の方ですか?」
 
その男性は、私たちが宿泊していたホテルのあるレストランの支配人のYさんだった。
その日のオプショナルツアーが終わったら、是非レストランにいらしてくださいと言われ、マレーシアのジョホールバルを巡るツアーへと向かった。
 
夕方、約束通りレストランを訪れると、なんと、前日、ニュートンサーカスで知り合った商社マンのKさんがそのカウンターにいたのだ。
こんな偶然があるのかと驚いたのだが、KさんとYさんは、大学の先輩後輩の関係にあるそうで、そのお2人に全く別のところで知り合い、こうして再会することとなったのだ。
 
「では、このあとは僕が引き受けます」
 
そう言って、レストラン支配人のYさんは、翌日、私とRちゃんをシンガポール動物園などの観光に連れて行ってくれた。
口数が多い方ではないYさんだったが、誠実で落ち着いたところがとても印象的だった。
シンガポールという初めての異国の地を巡る私とRちゃんに、シンガポールの素敵な所をたくさん見せてあげようとしてくれる優しさがとても嬉しかった。
観光をして、食事をして、その後、あるホテルのバーへと連れて行ってくれた。
そこで、Yさんが頼んだのが「ハーベイウォールバンガー」というお酒だった。
勧められるままに私も飲んでみると、一口目の口当たりの良さに、グイグイ飲んでしまうとクラッとしてしまいそうな、そんな強いお酒だった。
でも、オレンジジュースの爽やかな味わいとウオッカの強さが絶妙な相性で、私は好きなテイストだった。
もういい加減、たくさんのお酒でほろ酔い気分の私たちだったが、最後は私たちのホテルの部屋で夜通しトランプをすることとなった。
その夜が、シンガポールでの最後の夜となった。
 
はしゃぐわけでもなく、多くをしゃべることもないYさんだったが、一緒に過ごす時間はなんとも言えず温かく、帰国して会えなくなるのは寂しいね、そんなふうに思えるようになっていた。
 
そして、私たちは帰国して、またいつもの会社勤めが始まった。
帰国後、Yさんからは時々国際電話がかかってきて、少しばかりおしゃべりをしたりするようになった。
さらには、シンガポールでのお仕事の様子がわかる写真が送られてきたり。
今のようにSNSがなかった時代、誰かとの交流も時間の流れがとてもゆっくりだったように思う。
その分、その人のことを考える時間がたっぷりあったし、想像力を働かせるワクワクした気持ちもたくさん味わえたように思い出す。
不思議な感覚、なんとも言えない距離感のある関係。
お互い、イヤじゃないからこそ、そうして続けていたのだけれど、お互い、何をどう始めようともしなかったのだ。
 
それからしばらくして、日本に一時帰国するYさんと会うことになった。
関西にご実家があるYさんとの待ち合わせは、その頃見頃を迎える桜の美しい街だった。
簡単に待ち合わせ場所を決めて、ある喫茶店で会ったのだが、日本で会うその人はなんとなく違っていた。
それは、何が悪いでもなく、なんとなく違っていたのだ。
よく言う、スキー場のゲレンデで出会ったときは素敵だったけど、街で会うと普通だったというあれに近いように思う。
しゃべった時間も短かったし、国際電話ではそう深い話も出来ていなかった。
よく考えたら、シンガポールで出会って過ごしたわずかな時間しか共通の話題はなく、一緒に歩きながらも弾むような会話は生まれてこなかったのだ。
 
二人で待ち合わせをして、それからだんだん時間が経つにつれて、気を遣っている自分に気づき、すこしずつ疲れて行った。
あんなにもシンガポールでは楽しかったのに。
あんなにもシンガポールではウキウキしていたのに。
それは、もしかしたら異国の地、非日常の時間が創りだした一種のマジックのようなものだったのかもしれない。
その時、その場所でだけ味わわせてくれる魔法のようなものだったのかもしれない
そんなことを考えていると、やがて夕方の時間が迫って来て、平日だったこともあって帰宅する人が多くなるからこの辺でと、私は大阪の街に着いたときにYさんに言ったのだ。
 
それっきり、そこで別れたのが最後、お互いの連絡はプツリと途絶えた。
後で思うのは、人が多くなって疲れるだろうという私の気遣いは、相手にとっては二人でいる所を、人に見られたくないと言っているように受け取られたのかもしれない。
何にしろ、それくらいしか意思の疎通が出来ていなかったということが、私たちの関係をすでに物語っている。
 
今思い返しても、あの時の、あの関係、経験は一体なんだったのだろう。
一緒に過ごしていると、居心地がよく楽しい時間を共有出来た。
でも、嫌いでもないが好きでもない。
特別、ときめくこともなかったが、一緒にしゃべっていて苦痛でもない。
遠い異国の地、東洋と西洋の文化が入り混ざった南国でのひと時。
非日常の時間が与えてくれた、遠い昔のほろ苦い思い出だ。
でも、今でもあの時の旅行、友人のRちゃんと過ごした時間、たくさんの人との出会いはとても楽しかった。
不思議な出会いの連続で、まるで小説のお話のような流れの中にいて、夢のような時間でもあったけれど。
ハーベイウォールバンガー
今でもこのお酒を頼みたくなる時、私はあのシンガポールの暑い夜を思い出す。
短大の時の友人Rちゃんと、シンガポールの国で楽しい経験をし、身も心も癒されてとても有意義な時間を過ごした。
そして、偶然に知り合って、お互いの時間を共有することが出来たYさんとのことも、今では温かい思い出の一つとなっている。
Yさん、今でもお元気だろうか。
日本に戻られたのか、それとも海外で過ごしているのだろうか。
そんなことを思い出しているうちに、ハーベイウォールバンガー、このお酒の酔いにまたやられてしまうのだけれど。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。

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2022-03-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.163

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