週刊READING LIFE vol.164

「面白きこともなき世を面白く」と豪語した男・高杉晋作の人生は本当に面白かったのか?《週刊READING LIFE Vol.164 「面白い」と「つまらない」の差はどこにある?》


2022/04/06/公開
記事:篠田 龍太朗(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
明智光秀の「敵は本能寺にあり!」のように、歴史上に名を遺した偉人たちの名台詞は数知れない。
 
そんな数多の名台詞の中で、私がもっとも好きな台詞の一つがこの、高杉晋作が放った「面白きこともなき世を面白く」である。
 
晋作は幕末の時代に、様々な偉業を成し遂げて26歳でこの世を去った早熟の天才だと言われている。そして彼は臨終の間際、さっきの名台詞を吐いたという。格好いい。格好よすぎる。
 
だが、一方でこんなことも思うのだ。
「言うのは簡単だけど、あんたの人生、ホントに面白かったのかい?」と。
 
こんな意地悪で天邪鬼な自分もいる。
だから今日は、高杉晋作がそんな名台詞を吐けるくらい納得のいく人生を送ってきたのか、ちょっと検証してみようと思う。

 

 

 

先述のとおり、晋作は26歳でこの世を去っている。非常に短い人生であった。その中で晋作の人生を勝手に分けてみると、以下のようになる。
 
①松下村塾門下生期
②遊学・修行期
③上海視察期
④覚醒期
 
まずはこの①~④の各期における、晋作さんの活躍をみていこう。
 
①松下村塾門下生期
高杉晋作は現在の山口県、長州藩の上級武士の息子として生まれた。晋作は藩の教育機関・明倫館に入学するが、彼の才能の前には授業が退屈すぎたらしい。やがて落第を繰り返すようになった彼は、10代後半になると吉田松陰が主宰する私塾・松下村塾に入門することとなる。
 
晋作の非凡さをすぐに見抜いた松陰は、塾の秀才・久坂玄瑞と晋作を競わせることにした。ムラッ気の多い彼の性格を逆手にとり、松陰はひたすら玄瑞を褒めた。逆に晋作には徹底的に厳しく接した。
 
これに発奮した晋作は猛勉強を重ね、ついに塾内で玄瑞と双璧をなすほどの秀才として才能を開花させた。
 
②遊学・修行期
ところが吉田松陰の言動が過激すぎて、松陰は幕府に目をつけられることになる。とうとう松陰が幕府の官僚を暗殺しようとしていた計画が露見し、囚人となってしまうのである。
 
悲しいかな、松陰の教え子たちも日に日に過激さを増す師匠の思想についていけなくなり、みな松陰のもとを去っていった。そして晋作に「師匠の面倒を見てやってくれ」と言い残し、みんな彼のところから逃げ出してしまったのだ。
 
晋作は悩んだ。自分だって、あまりに過激な師匠の発言にはついていけない。
 
だが、晋作はほかの藩士とすこし違う面があった。一人ぼっちの師匠のことを、「かわいそうだ」と思ったのである。一度は師匠と袂を分かった晋作だったが、師匠への恩を思い出し、ただひとり彼に尽くすことを決意したのだ。
 
晋作はひたすら、江戸の牢に繋がれている松陰のところに通った。松陰と会話を続けるなかで、彼の長州を良くしていきたいという意志が育まれていく。
 
ところが、さらなる悲劇が起きた。井伊直弼が幕府の実権を握ると、幕府の抵抗勢力の粛清を始めたのだ。「安政の大獄」である。そしてこの中で、吉田松陰は斬首されてしまう。
晋作は師の意志を継ぐべく、適当な理由をつくって諸国を渡り歩き、高名な学者たちと意見交換し知見を広げはじめた。
 
③上海視察期
 
すると、晋作に大きなチャンスがやってきた。
江戸幕府が上海へ視察にいくことになり、その随行人として晋作が選ばれたのである。
 
当時の上海は、乱れに乱れていた。
清国末期の乱れに乗じて、イギリスがアヘン戦争を仕掛けて圧勝したのだ。「眠れぬ獅子」と恐れられた清国は、機械化・近代化を進める西欧諸国の科学技術の前に為す術もなく敗れた。「大国・清国でさえも、イギリスの前では獅子どころか”眠ったままのネコ”」に過ぎなかったのである。
 
そんな状況をとらえ、清国にはフランス・ドイツ・アメリカなど西欧列強が次々と押し寄せた。上海においてもはや中国人は人扱いされず、西洋人だけが我が物顔で街を闊歩していた。
 
晋作が上海で目にしたのは、まさにそんな状況であった。
 
——このままでは、日本も必ずこうなる。
 
晋作は強烈な危機感を抱き帰国した。
 
だが、帰国の途上、晋作は血を吐いた。労咳、現代でいうところの「結核」を発病したのである。当時、結核は不治の病であった。
 
のこされた命の短さを自覚した晋作は、無茶苦茶なことをやってもいいから国を変えようと決意した。
 
日本に戻った晋作は、急速に二つのことをやらなければならないと決意した。その一つは海軍の強化、もう一つは「民衆のエネルギーの活用」である。
 
まず前者については、西洋諸国は蒸気機関で動く強力な軍艦を持っていた。日本にはこれがない。清国も海軍が弱いのであっという間にイギリスにやられた。晋作は愛する長州のためには、海軍力の強化が不可欠だと身をもって知った。
 
そこでどうしたか?
 
なんと、藩の誰にも相談せずに、オランダから軍艦を買う契約をまとめてきたのである。
 
もちろん、当時の軍艦は日本の一自治体がおいそれと買えるような金額ではない。文字通り目玉が飛び出るような金額である。
 
結果、長州藩で軍艦を買う計画は水泡に帰した。
だがこの議論を経て、藩内で海軍の重要性が議論されるようになっていく。
 
さらに晋作は、清国でもう一つの興味深いものを見ていた。
それは、「清国政府や欧米列強に立ち向かう民衆の姿」である。
 
欧米諸国に踏みにじられ、みじめな思いをしている民衆には強烈な不満がたまっている。そして彼らが一致団結し、「太平天国の乱」を起こした。
 
一見すると普通のできごとのように思われるが、当時の日本には江戸幕府がつくった強烈な階級制度があった。要するに百姓は一生百姓、商売人は一生商売人で、武士になることはもちろん、刃物をとって武士に立ち向かうことなど絶対に許されないのである。
 
だからこそ、「大きなものと全力で戦う清国の民衆の姿」を見て、晋作は衝撃を受けた。武士でなくても本気で戦うことができることを知った。
 
そして晋作は、長州藩で武士以外の希望者が入れる軍隊、「奇兵隊(きへいたい)」を創出したのである。
 
④覚醒期
晋作が奇兵隊を起こしたあと、長州では次々にとんでもない事件が起こった。
まず、外国と戦うことを決意した長州藩が外国船へ砲撃をしかけたところ、とんでもない返り討ちを浴びてコテンパンにやられたのである。
 
そして晋作が外国との講和交渉に与えられることになった。
 
晋作は相手国から突き付けられた条件を見て、ほぼ「飲むしかないだろう」と思った。だが二つ、飲めない条項があった。
 
まずは法外な賠償金の請求である。これについては、「外国と戦えと命令してきたのは江戸幕府なんだから賠償金は幕府に請求してくれ」という無茶な論理で、長州の賠償金支払回避に成功した。
 
そしてもう一つ、諸外国は「彦島」という小さな島の租借(貸し出し)を要求してきた。そしてこのときの判断が、本当に幕末の日本を滅亡から救ったかもしれない。
 
国際感覚のない人が交渉にあたっていたら、きっと「小さな島の一つくらい別に問題ないだろう」と思ったことだろう。
だが晋作は清国の惨状を自分の目で見て感じていた——「彦島を貸し出したら、彦島はイギリスにやりたい放題やられている植民地の香港のようになり、そこを足がかりに一気に日本中へ勢力を伸ばしてしまうだろう」と。
 
そこで晋作は外国に対して無茶な理屈を延々唱え続けた。相手が折れるまでお茶を濁し続けた。そしてついに相手は折れた。こうして彦島の租借はなくなり、日本国土の安全は保たれた。
 
講和交渉を乗り切った長州と晋作に、今度は新しいピンチが迫っていた。
なんと長州が京都での権力争いに敗れ、「朝廷の敵」として江戸幕府に討伐軍を起こされることになったのだ!
 
「日本オールスター軍」対「山口軍」。普通に考えたら絶対に勝てるわけがない。幕府軍、15万人。
みんな絶望していた。
 
ところが晋作は奇兵隊の一部をかき集めて、わずか「84人」で挙兵する。
 
そして晋作は幕府の強力な西洋式軍艦さえ奪い取ればなんとかなると判断し、本当に幕府の軍艦を奪って戦況を逆転させてしまったのだ!
 
「山口軍」にまさかの敗北を喫した幕府の権威は完全に失墜し、すぐそこまで明治維新が迫ってくることになる。そして晋作も病が悪化し、間もなくこの世を去ってしまう——。

 

 

 

さて、こうして彼の人生を4つのステージに分けて、振り返ってみた。
結論から言えば、晋作の人生は端からみてもとてつもなく無茶で破天荒で、でも充実感ある「面白い人生だった」といっても何ら過言はないであろう。むしろこの人より面白い人生を過ごしているという方は、とっくに大物政治家かオリンピックの金メダリストにでもなっていることだろう。
 
さて、この晋作の名台詞「面白きこともなき世も面白く」というフレーズには、実は続きがある。それは晋作が世話になった尼さんが詠んだ、「住みなすものは心なりけり」という下の句である。すなわち、「面白い世にできるかどうか、それはアンタの気持ちひとつだよ」みたいなところであろうか。
 
私はいま、天狼院書店の「ライターズ俱楽部」という講座で毎週5千字の記事を書いている。その中でよく講師の方から言われるのは、「とにかくメンタルブロック(恥ずかしさとか迷いとか心の障壁)を取っ払って、フルスイングする気持ちで文章を書くこと」ということである。
 
晋作の人生は、あらゆるメンタルブロックを取っ払って、愛する師や長州、そして祖国のために死力を尽くして行動した。「住みなすものは心なりけり」を地でいった人物だといってもいいだろう。
 
高杉晋作の名台詞「面白きこともなき世を面白く」は単なる格好つけの台詞ではなく、「心のハードルをぶっ壊して自分のやりたいことに全力で取り組む」という心構えで完成する台詞であった。
 
やりたいことが見つかったら、それを全力でやりきる。きっとそれをやり続けた果てに、「面白き世」は見えてくるのかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
篠田 龍太朗(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

鳥取の山中で生まれ育ち、関東での学生生活を経て安住の地・名古屋にたどり着いた人。幼少期から好きな「文章を書くこと」を突き詰めてやってみたくて、天狼院へ。ライティング・ゼミ平日コースを修了し、2021年10月からライターズ俱楽部に加入。
旅とグルメと温泉とサウナが好き。自分が面白いと思えることだけに囲まれて生きていきたい。

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2022-04-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol.164

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