週刊READING LIFE vol.166

もしあなたが心の不調におちいったらどうしますか?《週刊READING LIFE Vol.166 成功と失敗》


2022/04/25/公開
記事:izumi(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「うそ……」
まさかこんなことがおこるなんて思わなかった。
ピンチだ、いや大ピンチだ。
これからどうしていけばいいのだろう。
大変な未来しか想像できない。
会社の席に座りながら、深くため息をついた。
 
後輩が会社に出勤してこなくなった。
他のフロアから異動してきて、まだ2か月だ。
わたしたちは、3人1チームで事務員として働いている。
異動してきた理由は、3人のうち1人が会社を退職するからだ。
2か月前、退職者から引継ぎ業務がはじまっていた。
 
異動してきた時に、後輩からあいさつされた。
「いろいろとご迷惑をおかけするかと思いますが、よろしくお願いします」
一生懸命で純粋な様子で大丈夫だろうか? と感じていた。
わたしたちが仕事をする相手は、一癖も、二癖もある手ごわい営業ばかりだからだ。
理不尽な言動をされて、営業とけんかしたこともある。
ある程度の経験値があるから、けんかも出来るし、違うことは違うと言える。
だが、移動してきた後輩は、すぐに意見は言えない。
ちょっとずつ慣れてもらおうと思っていた。
 
初めての異動で、緊張している様子だった。
望んできたのではなく、会社の辞令が出て仕方がなかったのだろう。
この先、やっていけるのだろうかという思いが、不安そうな顔の表情からうかがえた。
まさか会社に来なくなるなんて、想像ができなかった。
 
来なくなる2日前、事件は起きた。
その日は引継ぎをした同僚が、退職する日だった。
最終日のため、各部署へのあいさつまわりで、離席していることが多かった。
それでも、時間の許す限り、後任の後輩へ仕事を教えていた。
 
電話で問い合わせをしているような会話が、聞こえてきた。
何かを問い合わせているのかな。
問い合わせた先が違っていて、次は誰に聞くか探している。
何か問題があるようには見えなかった。
横で退職する同僚が、丁寧に指導してくれていたから、安心していた。
 
後輩は電話の相手とのやり取りがつらくなり、泣いてしまっていたのだ。
明らかに泣き顔の後輩を見て、どうしたんだろうと思った。
「泣いちゃったんやんね」
他のメンバーがフォローした。
「何があったの? どうしたの?」
問い合わせた先の人に、分からないと冷たく言われた。
数人に問い合わせたが、また冷たい返答をされた。
結果、1番はじめに問い合わせた人が、答えを出すべき内容だったとわかった。
 
ちょっとした行き違いの出来事かもしれない。
わたしなら、心の中で相手に何か悪いことが起こりますようにと祈り、他の人に愚痴を言うだろう。
このフロアで経験が浅い後輩には、ショックな出来事だったようだ。
不安で仕方がない日々の中、精一杯仕事を覚えようと努力をした。
でも、たらい回しにされた。
相手の態度が親切ではなく、こんな所で仕事をやっていけないと思ったのだろう。
経緯を説明する後輩と、励ますわたしたち。
 
他の男性社員も気づきだした。
「これからは、不安だと思うこと、なんでも私たちに話してほしい。1人で抱え込まないでいい。とにかく話してみて」
彼女はうなずくだけだった。
「次また理不尽なことがあったら、上司から苦情を入れてもらう。自分が悪いなんて思わなくていい」
男性社員も、フォローを入れてくれる。
「ここは変わっている人がい多いから、あまり気にしない方がいい」
「鈍感力も必要ですよねー」
その場の空気がほんわかして、笑いもおこった。
わたしたちは味方なんだよ、助けるからねという気持ちを伝えたかった。
鈍感力がつきすぎて、異動とは何もかもが不安で仕方がないのだと、察してあげられなかったと反省した。
 
後輩は次の日、腫れたまぶたで出勤してきた。
慣れない仕事や、周りの環境が変わってしまうので大変だよな。
わたしにも経験はあるわ。
励ましの気持ちは、彼女の心に届いていると思っていた。
そのうち仕事に慣れるだろうし大丈夫。
だけど、実際には励ましは、届いていなかった。
 
朝、体調が悪いので欠勤すると、電話がかかってきた。
仕事の引継ぎをする、電話口の後輩が言った。
「本当にすみません」
けっして噓ではない、こころの奥底から絞り出した言葉に聞こえた。
「うん、大丈夫。ゆっくりしてね」
とっさに気の利いた言葉をかけられず答えた。
 
 
次の日も、後輩は出勤しなかった。
わたしと同僚の2人は集められ、上司から報告を受けた。
「彼女は当分出勤はできません」
「え? 当分というのは、いつまでですか?」
「未定です」
「……」
あーついにきてしまった。
復帰時期は当分先なので、未定なのだ。
その後、2か月先まで休職するのだと分かった。
急すぎて、事務員の中で手伝いにこれる人は確保できない。
事務とは全く関係のない、定年退職された後、再雇用された男性2人がお手伝いにきてくれた。
 
わたしと同僚は、ショックを受けて、気持ちの整理ができなかった。
「わたしたちは、どうしたらよかったのかな。何が間違えていたのだろうか」
大丈夫かという声掛けはしていたし、プレッシャーをかけてはいけないと配慮していた。
特に注意をした記憶もなく、自由に仕事をしてもらっていた。
退職する同僚からも、引継ぎはどれ位の進捗で、どの程度仕事を任せられるかという報告も受けていた。
 
何も問題がないように見えた。
問題がないと思っていたのはまわりだけで、本人の心はギブアップ寸前だったのだろう。
いろいろな無理がたたって、事件が引き金になり、心が壊れてしまった。
フォローがたりずに申し訳ないと思う気持ちと、どうすればよかったのかという答えはでなかった。
そもそも異動が無理だったのではないかという意見も出た。
事前に相談を受けていた人はいないのかと声をかけても、だれも聞いていない。
誰も予想が出来なかったのだ。
 
せめて、本当に無理なんですと言ってくれていたら、対処方法は考えられたかもしれない。
そう思った時、自分の過去の思い出がよみがえった。
「わたしも、同じだった。誰にも言えなかった」
わたしは、1か月程会社を休職した経験がある。
記憶が曖昧なのだが、15年ほど前の話だ。
病院に通い薬を処方され、誰にも相談をせずにいた。
モヤモヤした気持ちを、ずっと心に蓄積させていた。
壊れている心さえも気づかなかった。
どうしたらいいのかさえ分からない。
会社を休職するという発想はなく、薬を飲みながら生活する。
本当の苦しみを声に出すと、苦しみが増すような気がして、誰にも話せなかったのだ。
幸いにもまわりが異変に気づいて、休職を進めてくれた。
 
ストレスで暴飲暴食して、運動もしなくなった。
今よりも体重が8キロ増えたおかげで、会社の制服がパツパツだ。
丸い顔がさらに丸くなり、アンパンマンみたいだった。
何にもやる気がおきなくて、休みの日は一日中寝ていた。
しかし、休職したおかげで、無気力で不健康な生活から脱出できた。
元に戻るタイミングを、与えてもらった。
休まなかったら、今頃どうなっていたかと思うとぞっとする。
 
これを読んで、本当にこんな内容で元に戻るのかと思うかもしれない。
わたしの場合は、規則正しく生活するのを心がけた。
スポーツクラブでマンツーマントレーニングをしたおかげで、食事指導もしてもらい、運動もできた。
はじめは増えた体重を元に戻したい一心だったが、心も元に戻っていった。
3食バランスよく食べる。
水分をなるべく取り、体の老廃物を出す。
お菓子や余計なものは食べない。
運動する。
基本に戻ると、体調と気持ちは、徐々に回復していった。
 
3か月ほどスポーツクラブに通うと、気持ちも前向きになれた。
痩せると、トレーニングウェアも新調したくなり、楽しみが出来たのには感動した。
時間が解決していったようにも感じる。
亀の歩みのように、ゆっくり、ゆっくりとよくなった。
 
誰にも心が壊れているとは言えなかった。
後輩の彼女も一緒なのだ。
言える位なら、こんなことになっていない。
休職した側、休職される側、両方を経験してわかる。
休んだ人の仕事は、会社がなんとかする。
休職された側は、少しの間仕事量が増えて、大変な思いをするかもしれない。
だが、休職した人の心に比べれば大丈夫だ。
 
この文章を、後輩が見ることはないだろう。
でも言わずにはいられない。
休職経験者のわたしが言うのだから、安心してほしい。
いまは、自分を責めることしかできないだろう。
これからどうなるのだろうか。
復帰できたとしても、まわりの目が気になる。
いままで通り働けるのかという不安もあるはずだ。
なぜか涙ばかり出て、わけがわからないだろう。
今は失敗したと思える休職でも、勇気ある撤退は失敗ではない。
途中で休む道を選んだあなたはえらい。
この先数年たてば、わたしのようにあの時は、なんだったけなーと思える位、笑い話になるのだから。
つらい記憶さえ、曖昧になる位に忘れる。
 
生きようと必死なんだよね。
ただ、どうすればいい方向にいくのか分からない。
誰にも相談できなくて、余計に苦しんでいるのかもしれない。
どうか自分の気持ちを、否定しないでほしい。
今は、心の中はぐちゃぐちゃで、情けなくて嫌になるだろう。
今の気持ちは、少しずつタイムカプセルに入れてほしい。
数年先に、休職というタイムカプセルを掘り起こす時がくる。
あの時は本当に大変だったといえるはずだ。
「いやー病んでましたわ」と笑える位になれる。
人に言いたくなければ、過去の話はしなくていい。
大丈夫、ゆっくりいこう。
 
途中で仕事を抜けて迷惑をかけたから、早く戻るべきだと思わないでいい。
わたしたちは、あなたが幸せな方向に進んでほしいと願っている。
向き不向きは、誰にでもある。
仕事は年配のおじさんと、がんばっているので心配しないでほしい。
これを乗り越えられたら、経験値が爆発的にあがり、なにもこわくないはずだ。
だって、事務員でない人と一緒に繁忙期を乗り越える経験なんて、めったにできない。
みんなに自慢できる経験だ。
人生のなかで失敗だとおもう出来事は、長い目で見たら成功である。
いまはタイムカプセルに、いろいろな思いを詰め込む時だ。
そっと開ける時が来るまで待とう。
どうか、自分がつらくない幸せな道を選んでほしい。
どんな道を選んでも、成功なのだから。
 
 
 
 

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2022-04-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.166

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