週刊READING LIFE vol.166

落ちて来たマンションの壁に「お値段以上なんてないのかもしれない」と震えた日《週刊READING LIFE Vol.166 成功と失敗》


2022/04/25/公開
記事:赤羽かなえ(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
家探しは運命的だ、という言葉は本当だな、と思う。
 
結婚してからしばらくの間は、賃貸の物件に住んでいた。
けれど、なんとなくしっくりこなくて、どうせ長く住むなら買おう、と探し始めた。
 
でも、探しても探しても見つからない。
途方に暮れていた時に、何人かの友人から、
 
「家探しって、ある日、運命的な出会いがあって、そういう時ってタイミングが合うととんとん拍子で決まるんだよね」
 
と聞いていた。
 
半信半疑だったけど、1年ほど家探しジプシーしていた時に、その瞬間は訪れた。
インターネットで偶然見ていた広告を辿っていくと、とある新築マンションに行き当たった。
 
住所を見ると、なんと、夫の会社の真隣にある。そう言えば、以前に夫が、会社の隣にマンションが建設中だという話を聞いていた。その時には話半分にやり過ごしてしまったけど、こんなにいい条件はないじゃないか。
 
駅まで徒歩2分、大きな道路沿いに入り口はあるけど、建物自体は少し奥まっているから静か、街中までも自転車で移動できる範囲内でありながら、4LDK。そして、値段がとてもお手頃。
 
まさに理想の物件が目の前のディスプレイから私を見つめていた……けれど、その広告には、私をあざ笑うかのように完売御礼の文字が大きく踊っていた。
 
そりゃそうだ。こんな手頃で、かつ、魅力的な物件、残っているわけないよね。
 
そう思いながらも、なんとなく諦めきれなくて、モデルルームに電話をしてみた。
 
にこやかな女性の応対が、物件名をあげると、ちょっと曇った。申し訳なさそうに、「スミマセン、おっしゃる通り完売しております」という言葉が返ってくる。お礼を言って切ろうとしたときに、相手の受話器の先がにわかにざわついた感じがした。女性が、私を気にかけつつ、あきらかに、背後の声に気を取られていた。
 
「失礼しました、たった今、そちらの物件に空きが出ました! 今、工事中なんですけど見学も可能です、いかがですか?」
 
間髪入れずに、お願いします、と私は言った。
 
運命の出会いだった。運命のマッチングを果たした友人たちが言う通り、確かに、全てが奇跡的なタイミングで整った。あっという間のやり取りで、私達夫婦は、住み家を手に入れることになったのだ。
 
私たちは、順風満帆に引っ越しを終えた。夫にとっては職場が近いし、私は理想通りの間取りと、日あたり、新築の気持ちよさで嬉しい。誰もが満足するような物件に初めての住宅購入で大成功をおさめて意気揚々としていた。
 
遠くから両親を招いて見てもらった時も、「いいマンションだね!」と言われるつもりでワクワクしながら待った。よくこんないい物件見つけたよね、お値段以上だね! そんな両親の言葉を待っていたのに、ゼネコンに勤めていた父の一言は想定外だった。
 
「うーん……安普請だなあ」
 
安普請……って誉め言葉じゃないよね?
予想もしない言葉が、耳の奥でコトンと音を立てて落ちた。そして、もう長い間、私の脳裏に居座っている。

 

 

 

父のその言葉が長い眠りから覚めたのは、とある大事件があったからだ。
 
それまでは、順風満帆な持ち家生活だった。同じマンションに住む人たちは、とても親切で子供達によく声掛けしてくれる方ばかりだった。子供が同世代のお母さん達とは、子育ての預け合いもして、子どもが寝てから近所に飲みに行くくらい。そんな人間関係は、さらに購入満足度を上げてくれた。
 
けれど、突然その日は訪れた。
 
入居して7年くらいたっただろうか。年々水害が身近になり、風が強い日が多くなったな、と気になる年だった。
 
けれども、その日は良く晴れていた。風も強めだったけれど、その数日前に来ていた台風ほどではない。
 
マンションのグループラインが、にわかに忙しくなった。
 
「見た? マンションの壁タイルが落下しているよ」
 
最初のメッセージには、そう書かれていた。私は全く理解ができなかった。壁タイルって何なんだ? 全く理解ができなくて、とりあえずは、エントランスまで降りてみた。
 
エントランスドアのステンドグラス越しに沢山の人影がゆらゆらしていた。マンションの入口に人がたまるなんて異常な事態だ、と肩に力を入れて、扉を開けた。
 
見慣れたマンションの住人たちが皆一様に上を見上げていた。その有り様は滑稽ですらあった。面白いなと思いつつも、次の瞬間には、同じようにポカンと口を開けていた。
 
マンションの壁のコンクリートがむき出しになっていた。異常な違和感だ。その違和感を追いかけてみると、壁タイルという言葉に行きついた。そう、まさかこんな仕掛けだとは思いもしなかったのだ。
 
我が家のマンションは色もデザインも明るいレンガのような外観だった。疑いもなくレンガが積まれていると思っていた。まさか、コンクリートの建物に、レンガっっぽくなるようにタイルを張っていたとは想像もしていなかった。
 
人って予想外の物があると、混乱するのだ。冷静に考えたら、「3匹のこぶた」の話じゃあるまいし、レンガを積み上げて作るマンションなんてあるわけもない、それでも、私は、信じていたものをひどく裏切られたようが気になった。足元に散らばったタイルの破片が
散乱している。たまたま下を通っていないから良かったものの、タイルが落っこちてきて怪我でもしたらシャレにならない。
 
おまけに、タイルが落下した近くの駐車場では、持ち主が慌てて誰かに電話してまくし立てていた。話を聞いて予想する限り、車にそのタイルが落ちてきて、車にキズがついたらしい。
 
父は、内装の建材などを見て、安普請だ、と言ったと思うのだが、外観もそうだったのかもしれない。
 
世の中、「お値段以上」なものは存在しない。企業として、利益を上げ、会社を存続させるるためには、収入が支出を上回らなければならない。だから、お手頃な値段を実現するためには、原材料を安く調達したり、人件費を抑えたりしないといけないのだ。
 
そこから5年くらいの間に、何回か別個所のタイルの落下事件が起こり、マンションの総会では、毎回その話題が出ては、前向きな議論が進まないということが繰り返された。タイルの補修をどうするか、落ちてないけど、落ちる予備軍の浮いているタイルがどのくらいあるのか、施工業者は修理費用を保証できるのか……など、色々な意見が出ても、話はなかなかまとまらない。
 
当事者の住人は、残念ながらマンション経営のプロではない。住人で構成する管理組合の役員も平等に運営するために、一年毎に変わるから効率が悪い。何よりも役員をやっていない年はなるべく厄介事にはまきこまれたくないという気持ちが強い。お金が関わる話だけに議論は難航する。
 
我が家も、管理組合の役員が回ってくるのはまだ先の話だったし、壁タイルが落ちたのは、自分の駐車場の近くではなかったから、他人事でいた。
 
でも、そんな風に思っていたから、バチが当たったのだろうか。
我が家もついに巻き込まれたのだ。
 
ある日曜日の朝に、ドアチャイムがなった。誰よ、こんな朝早くに、とちょっと不機嫌に時計を眺めると、8時半だった。子供達も休日の寝坊を楽しんでいる。
 
インターフォンのモニターを覗くと、3階に住む方だった。
 
「朝早くごめんね、タイルが車の近くに落ちているから、確認した方がいいよ」
 
一気に目が覚めた。心の中で、不機嫌だったことを詫びつつ、慌てて着替えて下に降りた。
確かに、壁タイルは散乱していた。
 
ただ、我が家の車は無傷だった。
 
とにかく、ただただ奇跡だった。車の横5センチほどまで、散乱した破片が散らばっていたのだ。
 
「とにかく、よく車の傷を見た方がいいよ。あとで、保険が降りるかもしれないから、傷があったらちゃんと写真撮るんだよ」
 
声をかけてくれた方はほうきとちりとりを持っていた。休日で管理人が不在だから掃除もしてくれようとしていた。
 
証拠写真をとったら片付けるからと待っていてくれる。
 
車が事故などにあった場合には、写真を撮っておかないと保険金が下りるための証拠がなくなってしまう。いろんな角度から写真を撮って、掃除を少し手伝った。
 
「でも、よかったわね、こんな近くにまで破片が来ているのに車が無傷で……でも、あれじゃあ、もう、この駐車場はしばらく使えないわね」
 
私たちは新しくコンクリートがむき出しになった壁を見上げた。はがれた壁の周りのタイルが、あきらかに浮いているのが見えた。紙からシールがはがれるようにタイルが落ちてきそうで、ゾッとした。

 

 

 

さすがに色んな個所のタイルがはがれ、マンションの売買にも印象が悪いし、何よりも住人や近所の人に迷惑をかけるような事態になるとまずい、ということで、全体的に調査しながら直すということが決まった。
 
しかし、ここで、新しい問題が起こった。壁だけを修繕する場合、道路の幅の都合で、高所作業車が入ることができず、足場を組まないとタイルを直せない、と言うのだ。マンションの設計上の問題、と言わざるを得なかった。
 
結局、壁の問題に関しては、何年か先に行われる予定だった大規模修繕工事を前倒しにして、足場を組んで作業をする家庭で補修していくことになった。黒い幕に覆われ、工事音が耳につく日々だけど、数か月後には、安心して住めるマンションに変わるだろう。でも、費用は、管理費から捻出されるので、私達が負担していくことになるから、結局、「安普請」のツケは、私達が支払うことになる。
 
住宅は、私達購入者が全て納得した上で契約したということになる。家やマンションはそう何度も買い替える物でもないし、そのマンションが抱える問題なんて、結局、住んでみないと分からない。こんなに大きな問題ではなくても、大なり小なり別の気になるところもあった。それに、どんなに申し分ない条件だったとしても、周りの住人との相性だって関わって来るから、住居の問題はある程度の時間が経ってから良し悪しが分かるものなのかもしれない。
 
ただ、今回のマンションの購入、成功か失敗か、と問われると、私は良かったと思っている。結局は、置かれた環境でいかに楽しく暮らせるかどうか、ということは、自分次第なのだ。どんなに好条件がそろっていても文句を言う人は言うし、楽しく暮らせる人は楽しく暮らしている。どちらになりたいかと言ったら、私は楽しく暮らしていきたい。
 
どんなに頑張ったって、家を購入するならば、それは、「お値段以上にお得」ということはない。でも、壁タイルさえ落ちて来なければ、このマンションで楽しく生活を充実させていくことで自分の家や生活に付加価値をたくさんつけて「お値段以上」と満足することは、できるはずだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
赤羽かなえ(READING LIFE編集部公認ライター)

自称広島市で二番目に忙しい主婦。人とモノと場所をつなぐストーリーテラーとして、自分らしい経済の在り方を模索し続けている。2020年8月より天狼院で文章修行を開始し、エッセイ、フィクションに挑戦中。腹の底から湧き上がる黒い想いと泣き方と美味しいご飯の描写をとことん追求したい。月1で『マンションの1室で簡単にできる! 1時間で仕込む保存食作り』を連載中。

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2022-04-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.166

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