週刊READING LIFE vol.168

人間よ 気高く 慈悲深く 善良であれ《週刊READING LIFE Vol.168 座右の銘》


2022/05/09/公開
記事:九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「人間よ 気高く 慈悲深く
善良であれ
ただこれだけが
私たちの知っているすべての存在と
人間とを区別するものだから」
 
小学校のとき、『アンネの童話集』(アンネ・フランク著 木島和子訳)の本のなかで、
このゲーテの詩と出会った。深く心に響いた。
 
学校で、ユダヤ人の勉強をしたときだと思う。アンネの日記という本のことを知り、読みたくなった。ただ、純粋に自分と同じ世代の女の子が本心で何を考えているのかが知りたかった。担任の先生が、ユダヤ人がどんなふうだったかの写真など記録はあるけれど、あなたたちにはどうしても見せられない、と仰った。傷ましすぎて、まだ何も知らない小学生の心を傷つけることへの配慮だったのだろう。
 
私は書店で、子ども向けの『アンネの童話集』を見つけて、楽しく読んだ。アンネは、ドイツ占領下のオランダで、ナチスから逃れるため家族で身を隠すことを余儀なくされた。一歩も外に出られなくても、幾編かの童話を書いた。姉のマルゴットのノートに、このゲーテの詩が書きのこされていたという。アンネ一家は、隠れてから2年後に見つかって、強制収容所に送られて、アンネもマルゴットも強制収容所で亡くなった。
 
 
 
私の育った家庭は、今から思えば信心深く、毎朝夕仏壇を拝み、朝にはご飯をお供えし、
神棚に手を合わせる。父方の祖父は、父が十代で亡くなったので私は会ったことがないけれど、小学校のころ祖母と一緒に仏間で寝起きしていると、私は祖父の運転する車に乗っている夢を見たりして、親近感を感じていた。
 
小学校のころ、よく両親が立木さんへお参りに連れて行ってくれた。立木さんとは、立木山のことで滋賀県大津市にあるお寺で、観音さまがまつられていた。山の上のお寺まで、瀬田川沿いの道から階段を約800段も上がらないといけない。
立木観音は、空海(弘法大師)が建てたと言われている。弘法大師が琵琶湖から唯一流れ出でる瀬田川のほとりに立ち寄ったときに、瀬田川の対岸の山に光り輝く霊木を見つけた。川の流れが急で、近づくことができないでいると、白鹿があらわれ、大師を背に乗せ霊木まで導いてくれた。白鹿はたちまち観世音菩薩に姿を変えた。
この奇跡に感服した弘法大師は根のある立木のままの霊木に、人々の厄難厄病を救い給えと心願をこめて、大師の背丈にあわせて聖観世音菩薩を彫刻し、本尊としてこのお寺を建てたという。このとき、弘法大師が厄年の42歳であったとされ、広く厄除けの観音像として信仰されている。
 
この800段ほどの階段が、急な石段できつい。小学生の足で10分少しだったと思うが、母はいつも最後に汗だくになりながら、なんとか登りきるという感じだった。京都からも近いわけでもなく、くねくねの宇治川ラインの山道を、車に酔いかけながら到着する。宇治川ラインというのは、京都府宇治市から滋賀県大津市へ通じる峠道で、連続カーブが続く。着いたら着いたで、800段の階段が待っている。
大晦日の夜にも何度も参拝に行ったことがある。ある年の暮れ、父と私だけで夜中に出発した。確か、中学受験の年だったと思う。行くか?と言われて、行くと即答した。深夜の宇治川ラインは真っ暗で、空には、カシオペアや北斗七星が美しく輝いていたのをよく覚えている。いつもお昼間に通る道を夜中に通るのは、こわくもあり、神秘的でもあった。父が一緒だったから、心強かった。大晦日の深夜にこんな山奥に人がいるのかと思うが、行くと人は数珠つなぎに登っていて、持参した懐中電灯で足元を照らしながら、一段一段合格を祈願して上った。厄除けの鐘があって、神聖、清浄を意味するとされ、その梵鐘をついて煩悩や厄を祓う。帰りはホッとして、ウトウトしながら、車に乗せてもらっていた。
 
 
立木さんにお参りした回数は数知れず、なんであんなに立木さんによくお参りしたのかと大人になってから親に尋ねてみたら、厄年は毎月お参りしていたからなあと言った。驚いた。父や母が厄年の年は、月参りをしていたのだ。家から近くもない800段の山の上の観音さまに毎月お参りしていた両親に脱帽した。
 
そんな家庭で育ったからか、人間は、気高く、慈悲深く、善良であるべきなのだと思っていた。いや、崇高なものや、尊いもの、よいものへの憧れが強かった。自分はと言えば、気が強くて、意地悪で、強欲だ。そんな自分が嫌で、やさしく、思いやりがあって、いい人間になろうとした。優等生で、誰からも好かれる人になろうとすればするほど、苦しい。自信がない。自分の本性を知っているからだ。自分の中の、醜くて、汚い、欲にまみれた自分勝手な自分が顔を出さないように、蓋をしてなきものにしようとしてきた。
 
怒りがあっても決して出さず、悲しいことは平気なふりをして、情けないことは隠して、恥ずかしいことは取り繕い、ふにゃふにゃした人間になっていた。周りに気を遣って、正しいと思う道を進めば進むほど、本当に腹を割って話せる人はいなくなった気がする。そして、大切にされなくなった。
 
 
一生懸命しているつもりなのに、酷い扱いを受ける。自分が悪いのかと、自分を責める。自分のどこを直せばうまくいくのか。
 
 
アンネ・フランクも何も悪いことをしていない。13歳の少女が理不尽に不自由な隠れ家生活を強いられてもなお、人間の真の自由を求めて生きた。
 
 
この世は、努力したからといって必ずしも報われる世界ではない。納得のいかないことがほとんどだ。いいことをしたからといって、いいことが起こるとも限らない。でも、人間だからこそ、気高く、慈悲深く、善良でいたいと思っていた。それと同時に、人間だからこそ、傲慢で、ずる賢く、醜い部分が必ずある。そんな見たくない自分を克服するには、どうすればいいのかと思っていた。克服しようとすればするほど、繰り返し、そんなダメな自分が出てくる。
 
 
怒りを出さないように、抑えつけてためこんでいたら、目の前に怒り狂う人が現れる。自分が怒れないのを、外の世界で自分を映す鏡のように相手が自分の代わりに怒っている。怒らないように怒らないようにすればするほど、相手はわけもなく怒ってくる。何に火がつくかわからない。
 
 
自分の怒りや妬み、嫌だという感情などのネガティブな部分をなくそう、克服しようとすれば苦しむ。意識すればするほど、意識したものがクローズアップされるからだ。自分の中の嫌な自分は消えない。克服もできない。その自分も自分だ。
 
一枚の紙は、表と裏があって存在していて、表裏一体であるように、人には長所と短所とあって一人の人間だ。その片方だけ消すということはできない。
 
できるのは、両方あるということを受け入れる。すべての自分をゆるす。そして、すこしでもいい自分を意識して選択していく。
 
その、選択していくときに、
 
「人間よ 気高く 慈悲深く 善良であれ」
と思う。
人間には、意志があるから。
自由に、よりよい自分を選んで、生きていきたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

同志社大学卒。陰陽五行や易経、老荘思想への探求を深めながら、この世の真理を知りたいという思いで、日々好奇心を満たすために過ごす。READING LIFE 編集部ライターズ俱楽部で、心の花を咲かせるために日々のおもいを文章に綴っている。

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2022-05-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.168

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