ある夏の一期一会《週刊READING LIFE Vol.168 座右の銘》
2022/05/09/公開
記事:飯田裕子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
世界には今、79億人ぐらいいるらしい。日本に限ると1億2千万人ぐらい。その中の誰かと同じ県に住んだり、同じ職場に勤めたりする確率って、一体どれぐらいなんだろう? もっとゆるく、同じ電車で隣同士になる確率は? そんなことを考えると、名前も知らない、もう二度と会わない相手だったとしても、そこで袖すり合ったのは、ものすごい奇跡なのだと思ったりする。そして、もしその相手と会話をすることがあったとしたら、きっとそれは、かけがいのない機会なのだろう。「一期一会」の。
私がこの言葉に会ったのは、確か中学生の時。国語の教科書の読み物でだ。誰のどんな評論だったかは忘れてしまったが、「一度しかないかも知れないその時間、一度しかないかも知れないその出会いを、一つ一つ大切にしていこう」という、その心意気が、とても印象に残った。中学生の世界は、社会で働く大人たちの世界よりもずっと狭い。学校の友達と先生、習い事、親や兄弟、といった感じ。その時は、一生懸命に考えても、出会いが一度きりで、その出会いに心を尽くす、という状況が、いまいち実感として湧いては来なかったが、それからずい分経った今は、世の中には、二度と会わないが印象に残る出会いがたくさんあるのだ、ということが理解できる。特に、旅先で会った人や、そういった人に受けた恩は忘れられない。
10年ほど前だが、夫婦同伴の仕事のお供で、フランスのリヨンに行った。パリならいざ知らず、TGV(フランスの新幹線)で、パリから2時間以上かかるリヨンに行ける機会は滅多にない。一生に一度のことだと思って、心して出かけた。フランスで3番目に人口が多いというその町は、意外にもこじんまりとした風情で、フランスの国土の広さに改めて驚いた。
それはそうと、昼間に会議が行われている最中、暇であった私は、普通列車に乗って、一人でリヨン郊外の「ペルージュ」という村に行ってみることにした。その村は、15世紀からほぼそのままの形で残されているそうで、だいたい30分ぐらい電車に乗り、駅から20分山を上がっていけば到着できるとガイドブックに書いてあった。15世紀と言えば、大航海時代で、コロンブスがアメリカ大陸を発見したか、という時代、日本ならまだ室町時代だ。それに、調べてみると、ジャンヌ・ダルクが15世紀の人ということだから、まだ中世騎士の時代、あの鉄の甲冑の時代からずっとそのままの景観をとどめている町のようだった。考えてみると、途方もない昔……。甲冑を付けて馬に乗って槍を持った人が行ったり来たりしたかも知れない所は、どんなところだろう? 想像をかき立てられていた。
行きは非常に順調だった。駅の近くのビジターセンターで道を聞き、2通りの行き方があると聞いた。行きと帰りを違うルートにすることに決め、行きは、きちんと生活道路に沿って行く道を選んだ。
村は、本当に古かった。城門もあり、道は狭く、基本、小石やレンガを積み上げて作られたような建物に大きな木の扉が付いているという外観は、本当に中世そのままの感じだった。きっとその昔は、敵が攻めてきたら、城門を閉めて対抗したのだろう。少し小高い山の全体が城壁に囲まれた集落になっている感じなので、そんなに大きな村ではなく、一巡りするのに、そんなに時間はかからなかったと思う。ただ、驚くべきは、この古い村には、まだきちんと人が生活しているということだった。「その昔から住んでいる人の子孫なのかな?」などと、またも想像を巡らした。
歩いている人もまばら、観光客もまばらだった。名物のお菓子を食べて、教会に入って、広場にあったお土産屋を見た後は、そんなにすることもない。そのまま帰ろうかと思っていた時、ふと上を見上げると、古い建物の2階の窓から身を乗り出して外を見ているおじさんを発見した。「住んでいる人かな?」ちょっと見上げている期間が長かったので、おじさんと目が合ってしまった。おじさんは、ニコニコして、手を振ってくれた。お土産屋以外の村人? を見たのが初めてだったこともあり、私も思わず手を振り返した。そうしたら、続いて「上がってこいよ」という手振りが続いた。見ると、1階の戸が開いていた。そこにあった貼り紙で、個展が開かれているらしいことは、何となく分かった。
へえ! 他に人もいないけど、ちょっと上がってみようかな。建物の中がどんなになっているかも見られるしね。好奇心で、中へ入ってみた。
中は、意外にも今風で、しかも、村の道がみな狭いことからは想像出来ないほど広かった。何に使われていた建物だったのかは、聞いてもよく分からなかったが、おそらくかつては、部屋全体に椅子と机が置かれ、居酒屋のように使われていたのではないか、という空間ではあった。おじさんは、英語を話した。
「僕の絵を見て行ってよ。この町は、あまり人が通りがからないから、上を見上げて気がついてくれる人を待っていたんだよ」私は、まさに、飛んで火にいる夏の虫だったわけだ。でもまあ、見上げてて良かった。
大柄のおじさんの絵は、なんともメルヘンチックな現代絵画だった。10点ほど展示されていた。作者が目の前にいたので、この絵のこの部分が好きだとか、色がいいとか、ちょっと感想を述べた。それに、建物の中の感じや、2階から見た景色も堪能した。中世のお嬢さんも、こうやって通りを見下ろしたのかな、なんて思った。すると、そうこうしているうちに、
「ねえ。これ、なんて書いてあるか分かるかい? 僕がいない時に書いていってくれたんだけど、英語でもフランス語でもないし、読めないんだよ」
おじさんの手には、感想ノートがあり、そこには中国語が書かれていた。おじさんが、アジア系の私を手招きした理由には、これもあったわけだ。私は、おじさんからは、完全に中国人に見えていた。感想ノートに何が書いてあるのか分からなくて、読んでほしかったのだ。
「これは中国語だから、あまりよく分からないけれど、漢字の意味を見る限り、気に入った、って書いてあるみたいですよ。どこから訪ねてきたかも、書いてあるみたいです」
おじさんは、最後まで私を中国人だと思っていたようだけれど、始終ニコニコしていて、このちょっとした出会いを喜んでくれているようだった。
しばらくいたあと、「ありがとう!」と言って、ニコニコして、手を振って別れた。もう、おじさんの名前も思い出せないけど、私も、片言でもおじさんと話が出来て、また建物の中も見られて、楽しかった!
帰り道は……道に迷ってしまった! 個展に時間を費やしすぎて、電車の時間に間に合わないと焦ったのもいけなかった。帰りに選んだ方の道は、舗装されていない農道で、歩いているうちに、うっかり別の幹線道路へ入り込んでしまったようだった。ひっきりなしに通るバスや車を避けて、幹線道路わきの草むらを命からがらに歩いて、気が付いたら、結局また村に戻ってきてしまった。どこがいけなかった? ここはどこ?
停まっていた観光バスのおじさんに、これまた片言のフランス語で聞いて地図を見せたが、肩をすくめられて終わりになった。通じなかったか! それともビジターセンターでもらった地図が、北も書いていない簡略地図だったから、見ても分からないのか? でも、もう電車にも間に合わない。次に電車が来るのは1時間半後だ。あーあ。
汗だくになりながら右往左往している私は、いくつかあるペルージュの城門の1つの前にはいたのだが、そのどれの前にいるのかは分からなかった。そうなると、どちらに向かって歩いたらいいかも見当が付かない。さっきのおじさんがいたところは? それかお土産屋さんは? 文字通りしばらく行ったり来たりしたあと、途方にくれてしまった。
その時だった! 第2村人らしき人を発見した。
ああ! よくぞ通ってくださいましたっ! さっきから、バスの運転手さん以外、誰も見かけていなかった。これを逃したら、どんなことになるか。とにかく英語が通じますように!
「ここはどこですか?」(私、地図を見せる)
(それを見たあと、怪訝な顔をして)「え? あなたはどこへ行きたいのですか?」
(そりゃそうだ)「私は駅へ行きたいんです!」
(地図を見下ろして少し迷ってから)「ああ、僕も今から駅へ行くので、良かったら一緒に行きますか?」
明らかに観光客のいでたちで簡易な地図を持ち、焦った顔をしている私を見た彼は、英語を話してくれた。彼も最初は、道を教えようとしてくれたようだったが、やはり地図が簡易過ぎて、よく分からなかったらしい。上記の申し出になったわけだ。藁にもすがりたい私は「お願いします」と叫んでいた。
とはいえ、ついていくと、道なき道を行く。他に誰もいないし、助けを呼んだとしても聞こえる感じでもない。声をかけておいてなんだけれども、彼は信用できるかな。まあでも、他にしようもない……。
「ほら、みてごらん。いい眺めでしょう!」
くっついて歩いて森みたいな所を抜け、しばらくすると、開けた場所に出た。そこは城壁のすぐ外を通る農道で、見ると下が一望できた。焦りまくっていた私に、きちんと眺めを堪能する余裕はなくなってはいたが、彼が、一目見て観光客と分かる私に、とっておきの景色を見せようとしてくれているのは、よく分かった。それに、後で思うに、これが、私が通りたいと思っていた本来の帰り道に似たものだったらしいことも分かった。ああ、いい人だ。良かった!
聞くと、彼は、これからアメリカへ留学しようと考えている、リヨン大学の3年生だった。どうりで、英語を話してくれたわけだ。強いフランス語訛りがあるわけでもなく、聞き取りやすくて助かった。彼の家は、本当にペルージュ村にあって、住んでいるということだった。
「古い村に住むのは、大変ではないですか?」
「いいえ。不便もないことはないけれど、こじんまりしているし、僕は気に入っていますよ」
どう歩いたのか、最後までよく分からなかったが、いつの間にか、朝に駅から渡った道路まで戻ってきて、ほどなくして駅へ着いた。
駅へ行った後は、彼もリヨンへ行くというので、行き先も一緒で、何となく、一緒に行くことになった。電車まではまだ時間があり、プラットフォームにのんびりと座り、いろいろなことを話した。私は、ギリギリに駅へ着こうと予定を立てていたけれど、電車が定刻に来るかどうかも分からないのだから、これぐらい早めに出ないといけないのだろうな、とも学んだ。
彼は、私のことは、最後まで韓国人だと思っていた。日本人だとは言ったけど。話題に上がるのは、韓国のサッカー選手のことばかりだったので、もしかしたら、日本と韓国を混同していたのかも知れない。とにかく、すごく韓国のサッカー選手を褒めてくれた。
TGVの線路からは見えない普通列車の支線の方では、普通に畑の真ん中に原子力発電所が建っているということも分かり、そのことについても聞いたが「まわりのとうもろこしは、みんな輸出用だよ」と言っていた。そうか、フランス人は食べないのか。なんて。
もしかすると、途中からは迷惑に思っていたのかも知れないのだが、彼は、アメリカへ行ったらやってみたいことや、将来の夢も語ってくれた。お互い片言の英語で、ちょうどいい英語の勉強にはなったのかも知れない。
リヨンに無事に着いて、駅まで到達するための救世主を務めてくれたことにお礼を言い、また楽しい旅の友になってくれたことを感謝して別れた。彼は、次はおばあさんの家までバスに乗るのだと言って、手を振りながら、人込みの中へ消えていった。彼の留学の無事を祈って、見えなくなるまで見送った。
私は、ペルージュ村の絵描きのおじさんにとっては、「よくぞ通ってくれました!」という存在だった。でも私は、思いがけず話も出来て、絵も見られて、建物の中も見られて、楽しかった。逆に、リヨンまでの帰り道に会った青年は、私にとって「よくぞ通ってくれました!」という存在だった。彼にとっては、私は、留学前に英語を試す絶好の相手にはなっただろうし(私が片言なのは申し訳なかったけど)、ペルージュ村にいい印象を持って帰ってくれる旅人を一人増やすのに貢献できた、といったところだっただろうか。
彼らとはもう二度と会うことはないのだろうし、もう、どこの誰とも分からない。
だけど、もしこの2人に出会わなかったら、私の一人旅は、確実に、もっと別のものになっていただろう。夜になるまで彷徨っていたかも知れないし……。もちろん、村の、中世そのままといった雰囲気も堪能したけれど、より強く覚えているのは、人と話しながら見た景色や場面の方だ。続き絵というよりは、ショットがたくさん記憶されているという感じだ。そこに、その時思ったことが、ちょこっとずつ書き込まれている感じ。私にとっては、心の中の私だけの写真集だ。
スマホやGPS時代になった今でも、文字通りに一期一会の出会いは存在する。この言葉は、もともと「毎日を大切に生きよ」という戒めの言葉なのだろうけれど、この言葉を抱いて、旅先での名も知らぬ人との袖のすれ合いを楽しむのもいいものだ。危ない目にはあわないようにしながらも、いろいろな出会いを大切にしていきたい。ほら、新幹線で隣り合わせた女性とも……。
□ライターズプロフィール
飯田裕子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
2021年11月に、散歩をきっかけに天狼院を知り、ライティング・ライブを受講。その後、文章が上手になりたいというモチベーションだけを頼りに、目下勉強中。普段は教師。
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