週刊READING LIFE vol.168

流産した時の正しい悲しみ方がわからなかった《週刊READING LIFE Vol.168 座右の銘》


2022/05/09/公開
記事:赤羽かなえ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
わかってしまった。
 
モニターに映っていた、胎児の異変が。
妙に静かだった。
 
これを母親のカン、というなら、無駄に鋭い自分のカンを恨みたかった。
「残念だけど、心拍が動いていないね」
 
「なんか、そんな気が、しました」
 
もう14年前からお世話になっている産婦人科の先生が静かに言う。
妊婦にあふれ、華やかな産婦人科の空気の中で、ごく少数の何人かに告げなければいけない時に、先生はどんな気持ちになるんだろう。そして、その気持ちをどうやって立て直すんだろう。
 
告げられた方は、どんな気持ちで妊婦がたくさんいる待合室に帰るのだろう。
 
女性にとって、妊娠を経験するチャンスなんてそうそう多くない。多くても4回か、5回か。既に3人子供がいるので、順調に育って、順調に生まれるなんて、当たり前のことだと、思っていたんだ。
 
当たり前が実は奇跡だなんて、こういうことでもないと分からないんだな。
 
「この時期の流産は、子供の方に原因があることだから、自分のことを責めないようにね」
 
「まあ、こればっかりは仕方ないですよ、もういい年だし、すでに子供3人いますからね」
 
努めて明るい声を出した。優しい先生の眉尻が一段とさがり、ハの字になった。強がりを言っていると思われただろうか。私は先生からそっと目線を外した。先生から、その後についての説明があった。
 
流産をしたときの選択肢は2つ。1つは、病院で子宮にあるものを全て出してもらう方法、そして、もう1つは、自然に出てくるまで待つ方法。
 
私は、後者を選んだ。毎日働いているわけではないし、高齢出産の予定だったからゆったりしたスケジュールを組んでいた。せっかくだから、なるべく自然な終わりを迎えたかった。
 
病院に向かった時とは打って変わって重い足取りで、車に乗り込んだ。
 
悲しくもないのに涙がこぼれるのが、不思議だった。

 

 

 

先生から心拍が止まっている、という事実を伝えられた時の心の動きは、自分でも予想外のものだった。悲しい、とかショック、とか目に見えてわかりやすいものだったらよかったのだけど、ただ、淡々と事実が滑り込んできてそれを受け入れたという感じだ。
 
ただ、流産を伝えた時に周りの人達がハッと飲み込む息遣いと表情に戸惑うようになった。自分が伝えられる立場だったら、同じように何と言っていいのやらわからない。勝手に先回りして相手が悲しんでいると予測して慰めるのが最適解だと思うだろう。
 
けれど、当の私ときたら、その慰めの深さと自分のショックの浅さのギャップに、罪悪感が生まれるということに気づいた。流産したからには盛大に悲しいはずなのに、悲しむべきなのに、私の感情は壊れているのだろうか。
 
「さすがに4人目だったし、年齢も年齢だし、仕方ないかとは思うんだよね」
 
そう言っても、「まだ、悲しみにストップかけてるのかもね?」とか「泣けたらすっきりすると思うんだけど」とか言われる。
 
私のどこかに悲しみがあるのかと必死になって探すのだけれど、どんなに探しても悲しさがみつからないことが苦しかった。
 
出産をするつもりでいた昨日と出産の予定がなくなった今日で圧倒的に違うのは、物理的に時間が空いてしまった、ということ。事前に色々な子育てに必要なものをそろえておかないといけない、とか、生まれてから1か月くらいは、ほぼ家で過ごすことになる時間のことは今までの経験から予測ができた。既に3人育てている経験から、見積もっていた色んな事が、根こそぎ不要になってしまった。そのぽっかり空いてしまった部分に隙間風が吹いているようで虚しい。それでも、悲しいという感情とはリンクしていなかった。
 
胎児が自然に出てくるのを待つまでの間は、拍子抜けするくらい何もなかった。体調も悪くない、でも、いつ何が起こるかわからないという状況で一日を過ごすのは、ジェットコースターの頂上にノロノロと上り詰めていくような時間だ。いつ来るか分からない喪失に確実に近づいていく。
 
産婦人科の先生は自然に出てくるとはどういう状況なのかというのは教えてくれなかった。どこで迎えるのか? どうしたらいいのか? その後は? わからないから、ネットで調べてみると、普通の出産のように出てくる直前には多少出血し、それなりに陣痛もあって、後産は1時間ほど生理よりも多いくらいの出血があるようだ。それを読んで漠然とした不安からは一歩脱してイメージはできた。
 
けれど、それは他の人の経験談であって、実際の自分の経験ではない。私のXデーは想像以上にハードなものだった。後産の出血が6時間も止まらなかった。ネットの体験談では1時間くらいって言っていたのに! こんなの3人の出産の時にもなくて、止まらない出血に恐怖を感じて、夫に救急車を呼んでもらった。
 
妊娠は病気ではない、とわれてきたけれど、まぎれもなく、死と隣り合っているんだな。
 
医療技術の発達でリスクが減ったと言っても、命は、簡単に死に向かって舵を切る。昔の人達は、私と違って、医療的な処置を選べなかったし、ましてや大量に出血してあっという間に体力が奪われても、なすすべがなかったかもしれない。
 
我が家の3人の子供達が当たり前のように育っているのと同時に、私の命がここにあるのだって奇跡なのだと実感した。
 
静まり返った処置室で、点滴の液体が落ちていくのと、天井をぼんやりと眺めながら、血を失って身体はひどく冷え切っていた。血がめぐらなくてひどく寒いけど、私は生きていられる、どうにか生きている。

 

 

 

「うわ、顔色悪いけど、大丈夫?」
 
1週間後どうにか動けるようになった私は、保育園の園行事に出席していた。こぢんまりとした園だから、最近、急に送り迎えが夫になって、違和感があった上に、久々に出て来た私が、誰の目に見ても弱っていたらきっと気にもなっただろう。沢山の人に心配の声をかけられて曖昧に返事をした。
 
最初は誤魔化すつもりだったけど、娘の同級生のママ達にだけはもしかすると迷惑をかけるかもしれないと思って、流産したことを伝えた。
 
そうしたら、何人かから、できることがあったら遠慮なく言ってね、という申し出と共に「私もそうだったんだよ」という連絡がきて逆に驚いた。
 
流産って、そんなにたくさんの人が体験しているものなの?
 
数人かに一人は「実は……」と打ち明けてくれる。心身ともにつらいよね、と声をかけてもらいながら、女性って実は結構過酷な状況で生きているんだな、ということを知る。
 
子育て世代の中にいるということは、安心でもあり、絶望でもある。色々な情報交換ができて助かることもある。でも、待望していた妊娠で流産したら、周りの子どもが生まれましたという報告や、無邪気な赤ちゃんの姿に心底喜んであげられない自分の心の内を責めるだろう。
 
流産の処置で身体に負担がかかりながらも、すぐに仕事に向かわなければいけない状況の人もいるかもしれない。少なくとも私は、あの状態ですぐに仕事に復帰するのは絶対に無理だ。
 
でも、みんな、そんなことを口にも顔にも出さずに何事もなかったように生きている。
悲しくても、苦しくても、泣きたくても。大丈夫じゃないのに、大丈夫なフリをして精一杯の笑みを浮かべて生きている。
 
私は流産して、正しい悲しみ方は結局わからなかったし、こうやって、自分の状況をオープンにすることで誰かに心配されたり、不快な思いを与えたり、自分の経験と絡めてつらい思いをしたりする方がいるかもしれない。それでも、私はこの思いを書くことで、少しでも気持ちが軽くなる人がいたらいいなと思っている。
 
正しい悲しみ方がわからなくても、自分のことを責めても、つらい思いに蓋をしていても、どれも間違いじゃない。
 
命がお腹に宿ったこと、宿らなかったこと、命が生まれてきたこと、失ったことで私達は、沢山の感情を味わう。気持ちのよい感情だけではない沢山の思いが生まれては、消えたり、消えずに残ったりもする。
 
それでも、私達は、「命があっての物種」なのだ。
 
生きて、色々な人とも出会い、喜怒哀楽を沢山味わうのが人生の醍醐味なんだ。
 
だから、生まれなかった子供のことを思い、沢山の感情と向き合いながら、その子がいない未来に進む。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
赤羽かなえ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

自称広島市で二番目に忙しい主婦。人とモノと場所をつなぐストーリーテラーとして、自分らしい経済の在り方を模索し続けている。2020年8月より天狼院で文章修行を開始し、エッセイ、フィクションに挑戦中。腹の底から湧き上がる黒い想いと泣き方と美味しいご飯の描写をとことん追求したい。月1で『マンションの1室で簡単にできる! 1時間で仕込む保存食作り』を連載中。

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2022-05-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.168

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