週刊READING LIFE vol.176

冬があるから春が輝く《週刊READING LIFE Vol.176 人間万事塞翁が馬》


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2022/07/04/公開
記事:九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
人生八方塞がりのときが必ずある。
何をやってもうまくいかない。どうしたらいいのかもわからない。そこから抜け出そうとして、がんばってもがんばってもさらによくないことが起きたりする。
なんで私がこんな目に合わなきゃいけないのか。
こんなに努力しているのにどうして報われないのか。
人生には、ひたすら耐えるだけの時期がある。
 
易経の先生が、こう仰った。
そんなときは、そこで耐えるしかないのだと。でも、必ず終わりがある。春がこない冬がないように、朝がこない夜がないように、必ず夜明けがやってくる。
 
この困難のときを、易経では「坎為水(かんいすい)」と言う。水が2つ重なった形をあらわしていて、水が意味することは、方角で言えば北で、季節で言えば冬で、1日で言えば夜だ。冬の夜は長くて寒くて暗い。極寒の外は危険で出られないので、家にこもって学ぶので、智をあらわしている。八卦では、水は、土が欠けると書いて、「坎(かん)」と呼ぶ。土が欠ける、つまり土が削れると、谷ができて、水が溜まる。その水を深くひたすら掘り下げていくのが、この水を象徴する「坎(かん)」のイメージだ。このときの水は、大洪水を思い浮かべるといいかもしれない。死ぬかもしれないほど、こわくて恐ろしくて危険だ。命の危険にさらされるほどの脅威を感じさせる。それが、2つも重なっているのだから、64種類ある易の卦のなかで、辛酸をなめる最も困難なときをあらわしている。
 
そんなときは、どうすればいいのか? ぜひ教えてもらいたい。
それが、「耐えるしかない」という。
え? そんな……。
易は、解決方法を教えてくれるんじゃないの?
なんで教えてくれないのか?
その経験をすることでしか、習得できないことがあるからだという。
だからこそ、そこを逃げないで深めなさいと。水は、決していきつく先、海にいくことを諦めない。必ずいつか海にいく。いつか必ずゴールにたどりつくから、今は耐えなさい。
 
納得いかないような気がした。困難なことから逃れるために、うまくいく解決方法を知るために、古代からの帝王学と言われる易経を学んでいるのに、突き放された気がした。読む意味ないんじゃないの? と思った。
 
 
生きていたら辛いことはたくさんある。どんなに幸せそうに生きている人にも、困難な時期を乗り越えてきている。そんなときがなかった人なんて見たことがない。誰にでもある。
 
 
まだ私も10代だった。妹が妊娠した。もちろん結婚していない。高校生だった。妹は卒業まであとわずかだったけれど、退学を余儀なくされた。古風な家庭だったからなおさらのこと一大事だった。父は思い悩んだ。自分を責めたかもしれない。全く教育熱心でない父が、高校さえ卒業してくれればいいということすらできなくなったのだから。兄と私は呼びだされて、これでお前たちにお見合いの話はなくなったと思えと言った。今どきお見合いで結婚するとも思っていなかったけれど、両親はお見合いだったので、ちゃんとした家庭というものからはずれたのだと言いたかったのだろう。世間体を気にする京都の田舎で、そんなことがあってはいけないことが起きたのだ。あの日のことを忘れない。朝起きて食卓にいくと、父が目を腫らしていた。何事かと思った。今まで生きてきて、そんな父を見たことがなかった。こっそりと母が事態を教えてくれた。これから妹をどうするのか。生まれてくる子をどうするのか。父の頭の中でぐるぐる考えていたのだろう。一睡もできなかったという。
 
物事には順序というものが大切なのだと思わされた。だって、結婚して子どもを産めば、これほど喜ばしいことはない。父からしてみれば、最初の孫だ。かわいいに違いない。それが、結婚していないばかりに、こんなに苦しみ、この世の終わりのような顔をしている。
 
私はそんな父を見ていられなかった。父の苦悩をやわらげるにはどうしたらいいのか。面と向かって何も言えなかった。私は父に手紙を書いた。何を書いたかは覚えていない。ただ父の苦しみが少しでも軽くなるようにと思って、手紙を書いて、父の枕元に置いたことを覚えている。
 
父のつらさが伝染したのか、私もどこかおかしかったのかもしれない。大学の授業にいつものように行くと、友だちに「あれ、瘦せた?」と言われた。いやいや、今朝父の様子がおかしかっただけで、そして大事件があったのを母に知らされただけで、そのほかは何も変わらずすこしも痩せていなかったと思う。友だちは私の様子の変化を敏感に察知した。私は恥ずかしくて妹のことを言えなかったけれど、友だちの察知力がすごいなと感心した。
 
父は妹のことを恥さらしだと考えていたと思う。こんな恥を皆に知られたくない。でも、せまい京都のなかで、ご近所、親族、知人友人に知られるのは時間の問題だ。
 
身重の妹もそんな扱いをされて動揺したのか、体調が悪くなり入院した。その方がよかったのだと思う。それから、祖母の家に預かってもらうことになった。
 
結局、すぐに妹は結婚したけれど、未婚で妊娠するという事件は、私の家庭にとってこれ以上ないほど悪いことだった。私が知らないところで、きっと父はそのことのためにいろんなことをしたと思う。
 
世間体を気にする父は、自分にとって何を大事にすべきかととても考えさせられたと思う。自分が最も守るべきものは世間体なのか。娘なのか。こんなことでもなければ、世間を気にして生きるという当たり前のくらしを見直すことなんてなかったと思う。周りにとらわれず、自分が喜ぶ人生を生きるということが大切なことに気づいたのかもしれない。それから数年後に、父は自分のしたいことをさせてくれと言って、会社をつくった。
 
 
易経の「坎為水(かんいすい)」の後に続くのが、火の象徴が2つ重なる「離為火(りいか)」という卦だ。水は低いところへ下へ下へと流れていくのに対して、火は上へ上へと立ちのぼっていく。まるで正反対の方向だ。でも、水は火の熱で温められることによって、水蒸気という気体となって、天へ昇華していく。水が天に向かって昇華されるために火がある。ひたすら耐え忍んだときに学んだ智は、火によって昇華される。火は光をあてて明らかにするという意味がある。暗くて冷たくて閉じこもっていたものを、明るく照らしてあたためて外へ明るみにする。火は木などの燃えるものについて、上へ上へとあがっていくけれど、燃えるものにつかなければ、火は存在できない。オリンピックの火のように、何か燃えるものに火を伝えていかなければ、継承されていかない。だから、火は伝達をあらわしている。
 
つらくて深くて冷たい暗黒の時期を経験しなければ、天に高くのぼっていけない。なぜなら、それが燃える糧となるのだから。
 
 
 
月日は流れて、その子もすくすくと育ち、高校を卒業する年ごろとなった。父と同様に妹も、自分の子どもに高校さえ卒業してくれればいいというぐらいに思っていただろう。その子は、大学進学を望んだ。受験勉強に励んだけれど、大学受験に失敗した。私の父は、私に浪人を許さなかったので、妹が子どもに浪人することを許したのがすごいなと思った。子どもの思いを尊重している。1年浪人して、その子は志望大学を変えた。一気に上げた。
そして、まさかの大阪大学合格を勝ち取った。それは、私たち家族にとって、とんでもなくすごいことだった。親族で最も高学歴の存在だからだ。父を苦悩させたあの子が、まさか阪大生になるとは、誰が予想しただろうか。それを聞いて、私の夫が、なぜか泣いた。え?なんであなたが泣くわけ? と思ったけれど、号泣していた。その子が阪大に合格したことは、人の心を動かす力があった。一番に喜んだであろう父は、半年前に亡くなっていた。
 
人間万事塞翁が馬。皆があの世で父が喜んでいることを思った。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

同志社大学卒。陰陽五行や易経、老荘思想への探求を深めながら、この世の真理を知りたいという思いで、日々好奇心を満たすために過ごす。READING LIFE 編集部ライターズ俱楽部で、心の花を咲かせるために日々のおもいを文章に綴っている。

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2022-06-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.176

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