週刊READING LIFE vol.177

「文章」とは「究極の伝言ゲーム」だ《週刊READING LIFE Vol.177 「文章」でしかできないこと》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/07/11/公開
記事:飯田裕子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「文章」が、文字を使って何かを書き綴る(俳句、短歌、詩を含む)タイプの表現方法だとしたら、世の中には、「文章」だけではなくて、いろいろな表現方法がある。マンガ、映画、アニメーション、写真、絵画(油絵、水彩画、線画など)、歌(曲と歌詞との組み合わせ+誰が歌うか+歌う人の歌い方+アレンジ)、作曲、演奏(何を使うか+アレンジ)、などなど。全部列挙出来たかどうか分からないぐらい、いろいろある。では、「文章」でしかできないこと、とは何だろう? ちょっと考えてみよう。

 

 

 

例えばだ。私は、コンピュータの前に座ったまま、変わったことに挑戦することが出来る。
 
「私は、今、段違い平行棒に挑戦しようとしている。体育館では、他の競技も行われていて、観客や仲間の声援が飛び交う。ああ、まずい。集中しなければ! 今までの私の頑張りは、この瞬間の集中にかかっている。
 
目の前には低い所と高い所にバーが2本ずつある。ロイター版(バネが入った飛び上がる時の補助具)で補助をしてもらって、まず上のバーに飛びつく。そして、ロイター版で飛び上がった勢いを利用して、足を勢いよくバーの上の方へ持ち上げる。身体の長さを約半分にしたら、今度は、振り子のように勢いよく背中側に身体を振りながら、腕をちょっとだけ曲げて、バーに腰を寄せていき、身体半分が棒の上へ出た体制にする。そのままの勢いで前回りすると見せかけて、身体が前へ行く勢いを利用して、上へ伸び上がり、バーの上へ逆立ち状態となり、足を開脚する。そうすると勢いがいったん少し収まるので、バーの上で完全に逆立ちをする。今度は、身体ごと倒れるその遠心力を勢いとして利用するが、エビぞりになって前を見て、そのまま足を地面と平行に前へ思いきり突き出しながら身体を半分に曲げ、足先をバーにひっかけ気味にして、両腕を支柱に思いっきり回って、回った力で再び足を伸び上げて1回転……。遠心力を上手に利用するのがカギだ。」
 
そんなわけはない! 私は、運動は苦手な方だ。駆け足ならそんなに遅くはないが、器械体操なぞやったことはない。
 
でも、「文章」でだったら、出来ないことはないかも知れない。うまく説明出来れば、書いたもん勝ちで、文章の世界では、やったことになるかも知れない。常識や現実世界では、およそあり得ないことだって、上手に書ければだが、その文章の中では「現実」に出来るのだ。

 

 

 

じゃあ、似たような情景は、似たような感じで描かれたりするのかと思いきや、著者によって、それぞれに異なってくるのが、また不思議だ。
 
例えば、小説には、よく、いろいろな描写が出てくる。川へ落ちて濁流へ流されていく描写や、崖をすごい勢いで下り降りる描写。それに、家出をするのに、どんなふうに2階から1階へ屋根を伝って降りたか、などが描写されたりする。顔の険しい表情が差し挟まれたり、急峻な崖の描写が転がる石ころで表現されたり、星空を見上げるシーンが描かれたりする。主人公の心情までもが、その中で表現されたりもする。ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字、英語など、使える文字にはある程度限りがあるのに、そのようにある程度決まった言語様式を駆使しながらも、一つとして同じになることがないのだ。そこには、ただただ、著者が頭の中で作り上げた世界が広がっている。小説の場面に、どのように臨場感を持たせるか、また、描かれた世界へ、どれだけ読者を引き込めるかは、その人の腕次第になってくるが、それがうまく出来たら、すごいことだ! ある意味、その著者の小宇宙の完成だ。
 
そのように、「文章」の場合は、ある世界を、ほぼ自分一人だけで構築できるところが、魅力の一つかな、と思う。もちろん、自分が知らない世界を描いたりする場合は、取材が必要だったりするだろうし、先人が調べた歴史書などで時代考証をしたりしながら書くことになるのだろうから、その意味では、完全に一人だけで文章が完成できるわけではない。それに、売れっ子になれば、出版社の人が校正してくれ、アドバイスをくれ、間違いを正してくれることもあるのだろうから、それを考えたら、やっぱり一人では仕上げていないのかも知れない。しかし、頭の中の世界を、紙と鉛筆、あるいはコンピュータのワープロソフトさえあれば、他の人に伝わる方法で再現できるところがあると思うのだ。
 
マンガもそうかも知れないが、マンガの場合は、売れっ子になると、絵を仕上げるのに、助手の手を借りることが多くなってくる。それに、絵と物語の両方の要素があるので、物語の部分で『ゴルゴ13』の作者のように、人の手を大きく借りているケースも出てくる。映画は、監督などの頭の中のものが絵コンテとなった後は、それこそ大勢の力を借りて、映像化していくから、きっと、頭の中のものの完全な再現というよりは、手助けしてくれた人のアイディアも取り入れながら、また、ある種の偶然(天気や俳優同士の化学反応など)の力を借りながら、総合芸術に仕上がっていくのだろうと思う。その点を考えると、文章は、一人で出来る要素が、他よりも多いような気がする。

 

 

 

また、「文章」は、出来上がった後に、読者によって付け加えられるであろう解釈が多様であるところにも、魅力がある気がする。
 
読者は、描写を読んで、内容を、一生懸命、自分の頭の中で映像として再現する。だが、そこには、読者各々の解釈が入り込んでいくのだ。きっと、同じ描写を読んでいても、一人として同じ映像を思い浮かべている人はいないだろう。同じ本の感想を述べていても、そして、その感想が似ていたとしても、それぞれの人の頭に浮かんでいる風景は違うものであろう。
 
翻訳本になると、著者と読者の間には、もう一人、訳者の視点が入り込む。訳し方は、本当にいろいろあるので、それだけでも作品の印象は大きく変わる。ノーベル賞などが取れるかどうかにも影響するという話があるぐらいだ。だから、翻訳本の場合は、「〇〇さん翻訳のAさんの本」というように読む必要があるが、でも、読者が想像できる余地がとても多いのは、一緒だ。
 
マンガにも、読者の想像の余地は、ありはする。2次元を3次元に置き変える途中で、色が付いたり、登場人物の顔やしぐさが、現実世界の知人の誰かに似てきたりする現象が、それぞれの人の頭の中では起きている可能性がある。しかし、姿形が目に見えるように描かれている以上、「文章」ほどの、すごく大きな変化の余地はないのだろうと思う。
 
映画などもそうだ。映画は、吹替で見るか俳優本人の音声を聞いて字幕を読むか、では印象は変わってくるものの、監督などの頭の中の世界は、映像としては、いったん完成してしまっているので、そこに付け加えられるのは、物語の解釈や、全体としての教訓、それに、「総合芸術としての映像作品」への批評などであろう。
 
それぞれの読者が、その「文章」を超えて、付け加えられる物事は大きい。読者が「文章」を読んだ時に頭の中に思い浮かべる風景も多様だから、本について感想を言い合うのも、刺激があって楽しい。それぞれの読者が、心象風景をうまく語ることが出来れば、ではあるが、また新たな発展の余地がある気がする。もしかしたら、ある小説をうまく表現できているとそれぞれが考える写真を撮ってきて比較しあったら、とても違いがあって、またいろいろ考えられたりして、楽しいのではなかろうか。

 

 

 

こんなことを考えてみると、「文章」でしかできないこと、あるいは、「文章」だとしやすいことは、以下の2点になるように思う。
 
・著者の裁量の部分が大きい。著者は、あまり人の手を介さずに、自分の頭の中の世界を、紙と鉛筆だけでもって、構築していくことが出来る。
・読者の裁量の部分も大きい。読者は、行間を読み、自分なりに、自分の頭の中に、著者が描こうとした世界を構築し直そうとする。その過程で、著者の頭の中のものともまた違う、別の大きな変化が、他の表現方法よりも起こりやすいので、それを話し合うのも楽しくなる。
 
書いた文章は、産み落とされた瞬間から、一人歩きをする。それは、著者にとってもそうであろう。書いてホヤホヤの間は、本人にも書いた意識があるかも知れないが、出版などされて自分の手から離れていくと、次第に、自分にも読者の一人的な側面が出てくる。かなり経つと、読者の側からツッコミを入れたくなることも増えていく。著者だって、書いた後、成長・変化していくのだから、だんだんと同じ視点では、物事を見られなくなったりもするからなのだろう。著者だって、きっと、昔に書いたものを見て、昔はこんなこと考えてたんだっけな、となつかしく思い出したりすることも増えたりするんだろう。

 

 

 

となると、「文章」とは、時空も超えた「究極の伝言ゲーム遊び」であると言えるだろう。「究極の」が付いているところがミソだ。著者は、まず、うまく頭の中のことを伝える努力はするが、どの後、どんな化学変化が起こっていくかは未知数。そんな楽しいゲームに参加できるのなら、もうちょっと、「文章」を書く勉強もしてみようかな、なんて思った。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
飯田裕子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

2021年11月に、散歩をきっかけに天狼院を知り、ライティング・ライブを受講。その後、文章が上手になりたいというモチベーションだけを頼りに、目下勉強中。普段は教師。

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2022-07-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol.177

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