週刊READING LIFE vol.177

レジスタンス《週刊READING LIFE Vol.177 「文章」でしかできないこと》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/07/11/公開
記事:赤羽かなえ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
※この話はフィクションです
 
雨音が窓に張りついてきた。ベランダに出ると、降り始めの雨の匂いと吹き込んできた水の粒が顔にまとわりつく。立っていると身体が次第に水にぬれ、体が冷えていく。
 
そう、私は人間だもの。こんなふうに雨にあたったら寒くて風邪を引いてしまうのよ。
 
坂上麻衣は作家という職業をまとっているけど、人間なのだ。
作家は作品を作り出す機械ではない。
血が通っていて、風邪だって引くし、喜怒哀楽だって、ある。
 
人気作家ともてはやされたって、いくつも賞を取ったって、原稿を入稿する時は、いつだって緊張する。書籍が店頭に並んだと聞いたら、知り合いのいない遠くの書店まで出かけて、そこら辺にあった本を立ち読みしながら、こっそりと見守ることもある。平積みされている本が減るのを心の中で祈りながら。
 
授業参観をする親ってこんな気分なのかしら? ……子供がいないから分からないけど。根暗だと笑うのならば、笑えばいい。作品はお腹を痛めて生み出した我が子なのだ。
 
私が粘った3時間ほどで平積みが半分ほどになってホッとした。まだ、新刊が出れば店頭の目立つところに置いてもらえるということに安堵している。
 
『寝不足注意! 坂下麻衣新刊!!』
 
POPを作ってくれた店員さんは一気に読んでくれたのだろうか。立ち読みのフリをして持っていた本を買って、あたたかい気持ちで店を出た。
 
電車に乗って買った本を開くと、既に読んだ本だと気づいた。またやってしまった……苦笑しながらバッグにしまう。
 
仕方がないからスマホの画面をつける。寝不足注意と書いてあったPOPが頭の中で揺れていた。その嬉しさでツイッターをのぞいてしまった。
 
まさに、魔が差した。
 
気分が良くて、軽い気持ちで新刊について検索してしまったのだ。エゴサーチというやつ。
 
『坂下麻衣の新刊、読んだ。キュン死~』
『坂下新刊、なんか、ワンパターンじゃね?』
『そろそろネタ切れ?』
『尊い、面白かった~』
 
ハッシュタグに沢山の感想がなだれ込んでくる。吐きそうになりながら見入る。我が子がいじめられているのを目撃してしまったかのような気分だ。
 
『坂下麻衣は、エールシリーズが一番名作。こんな新刊書いている暇があるなら、早く続きを書くべき』
『エール、早く完結してほしい。映画が期待してた割に中途半端だったから、続き読まなかったら成仏できない!』
 
また、『エール』か。
自分の過去の作品が今でも大切にされているのは、とても嬉しい。嬉しいのに、ホヤホヤの新刊を『こんな』呼ばわりされるのは、エグい。
 
他の誰かの作品と比較されるなら、素直に嫉妬できる。自分の過去の作品だと兄弟を比較されているようなもので嫉妬しながら嬉しくて収まりが悪い。
 
『エール』はアニメや実写ドラマにもなって、ドラマの続きも映画化した。その度に、『原作の雰囲気を損なっている』とか『ミスキャストすぎる』とか、ひとつひとつ取り上げられては、評判がひとりで徘徊する。私は、自分が書いた作品がアニメになって動いて声が出たことにも、ドラマになって動いていることにも感動したのに、全て台無しな気分になる。さらに映画館の大スクリーンで見られて感動に震えるくらいだったのに。外野の声が大きすぎて、原作者の私の感動は見事に抹殺された。アニメ版の主人公の声優がメールで、『主人公はこんな声じゃないと言われたんですが、先生はどう思われますか?』と送ってきたときには、誰に対して怒りの声を上げたらいいのか途方に暮れて涙が止まらなかった。
 
『エール』の3巻が出てから、もう5年が経ってしまった。続きの構想はある……いや、あった。けれど、この作品への声の迷走が、続きを書く気を失せさせた。
 
一度、あまりにひどい誹謗中傷をあげていた人に、抗議のメッセージを送ったことがある。あなたのその一言が、どれだけ沢山の人を傷つけるか分かっていますか、と。あなた達みたいな人がいる限り私は続編を書きません、と告げた。抗議した相手は、よもや作者本人からメッセージが届くとは思っていなかったのだろう。ただただ、平謝りした文章は、あさましかった。軽い気持ちだったのだと薄っぺらい返事がきた。でも、その軽い気持ちが蝶のようにインターネットの海を羽ばたいて、世界中に、そして、私を含めたクリエイターたちに届いているということの重さに彼らは気づいていないのだ。ただ、その人には伝わったけれど、全員にそれはできない。直接連絡するのはそれきりやめて、続きを書かない、という無言の抗議をすることにした。
 
書かない、ということは作者ができる、たった一つの抵抗なんだ。いくらSNSでつぶやいても、何かの雑誌に思いを綴ったとしても、全員に私の本音は届けることはできない。文章を書かないことでしかできない復讐を、私は遂行している。

きっと、読者は、私がそんな中二病のような理由で『エール』の続きを書かないでいるということには気づいてくれない。でも、自分達の心無い声が案外、本人に届いているということ、沢山の言葉の刃にクリエイターが傷ついていることを無言のレジスタンスで示したかった。
 
「坂下先生って、本当に面倒くさいですよね」
 
偵察に行った帰りにそのまま出版社に寄った。週末に久しぶりのサイン会をする。その打ち合わせがあった。編集担当の木村にグチると「またやったんですか。懲りないですね」呆れられるのは分かっていたけど、不機嫌にさらに追い打ちをかけられた。目線を外して紙コップのお茶を飲む。
 
「最近は見ていなかったんですよ。やっぱり見なきゃよかった」
 
「言っても仕方がないが、見るなら気にしないでください。見ないなら、ないのと一緒ですから、その方がいい。今回、販売は好調ですよ。重版もかかると思いますから、今度のサイン会は、機嫌を損ねずに応対してくださいね」
 
「サイン会、憂鬱になってきちゃった」
 
「勘弁してくださいよ。もう、しばらくSNS禁止です。それより、次回作の構想をそろそろ聞かせて下さいよ。まだ、エールは……」
 
「エールはまだ書く気にはなりません」
 
かぶせ気味に返事をすると、木村は、苦笑しながら頷いた。どの出版社もエールの続編を喉から手が出るほど欲しがっている。
 
私は、紙コップをぎゅっと握ってつぶした。

 

 

 

サイン会の日は、朝から雨が降っていた。出版社からの迎えの車に乗り込むと、車は、水たまりを跳ねながら、進み始めた。書店のエントランスを通るとき、木村が窓をあけた。シャッターが半開きの店頭に何人か並んでいた。その様子を見て、少しホッとする。
 
「まだ、開店まで1時間以上あるのに、並んでますね。さすが坂下先生だ。ネットでも、久々のサイン会だからと話題になっていましたよ」
 
木村は、つぶやいた。先日うっかり『エール』のことを持ち出したまま、打ち合わせが終わったので、どうにか私のテンションを上げようと必死なのだろう。窓が閉まると、雨がエントランスの景色を塗りつぶした。
 
「私にはSNSを見るなと言っておいて、木村さんは見てもいいんだ」
 
「そりゃ見ますよ。こっちは、仕事ですから。評判を見ておかないと……」
 
「私がまた、機嫌損ねるものね、木村さんとしては困るわよね」
 
木村はバツの悪そうな顔で咳払いをした。
 
11時からのサイン会に長蛇の列ができていた。書店のスタッフがあわただしく整理券を配っている。サインをするスペースの後ろはパーテーションで区切られていて待機できるように椅子が置いてある。仕切られた隙間から会場の熱気を感じると、気持ちは自然と上向いてきた。
 
一番目に並んでいたのは、眼鏡をかけた痩せた青年だった……青年というにはまだ幼いような気がする。ずっと本を読んで顔を上げない。いったい彼は何時から並んでくれたのだろう。
 
書店員の挨拶が済んで、「では、坂上麻衣先生の登場です。大きな拍手でお迎えください」という声にあわせて、書店のスタッフと木村の誘導に従って、前に出る。わっと歓声があがり、スマホがこちらを見つめていた。
 
眼鏡の青年が誘導されて歩いてきた。
 
「こんにちは。握手をしてもらっても、いいですか?」
差し出された手を取るとひんやりとしていた。
 
「並んでいただきましたか? 随分と冷たいけど」
 
並んでいたのは、車窓から見ていたけど、どのくらいから並んでくれたのか興味がわいた。新刊本を開いて、サインを書き込みながら聞く。
 
「ハイ、始発できました。どうしても一番になりたくて。部活も、サボりました」
 
「始発? 学生さんなの?」
 
ゲームの販売でもないのに。驚いた。この雨の中、そんなに早く来てくれたとは。
 
「高1です。先生の本、図書館で借りてから、面白くて全部揃えてます。一番好きなのはコレ」
 
カバンから出て来たのは、また『エール』だった。でも、彼が持っていたその本は、ボロボロになっていた。何度も読み込まれているのが、わかった。
 
「これは読む用です。長い時間並ぶだろうから、もう一回読み返そうと思って3冊とも持ってきたんです。あまりにも読み込みすぎてボロボロだけど、家に保存用もあるから大丈夫。僕にとって大好きな作家さんは神様なんです。沢山の本を書いてくださり、ありがとうございます」
 
ペコリ、と音がしそうな折り目正しい礼をして、彼は去って行った。
 
捨てる神あれば拾う神あり、か。あのボロボロの本を見て、久しぶりに『エール』のことで素直に嬉しい、と思った。すぐに気持ちが上がるわけではないけど、ボロボロに傷ついた『エール』への思いが少しだけ癒えた。
 
私にとって『エール』もまた、私にとって愛しい子だった。自分の大切な『エール』を思い出すときに、独り歩きした評判が芋づる式にくっついてきて、心が折れかけていた。でも、これ以上、負の感情と共に思い出したくなかっただけなんだ。
 
彼のボロボロになった『エール』が、私の心の奥にある、固く閉ざされた『エールの続き』をノックしてくれた気がした。
 
ほんの少しだけ、心の扉がゆれた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
赤羽かなえ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

2022年は“背中を押す人”やっています。人とモノと場所をつなぐストーリーテラーとして、愛が循環する経済の在り方を追究している。2020年8月より天狼院で文章修行を開始。腹の底から湧き上がる黒い想いと泣き方と美味しいご飯の描写にこだわっている。人生のガーターにハマった時にふっと緩むようなエッセイと小説を目指しています。月1で『マンションの1室で簡単にできる! 1時間で仕込む保存食作り』を連載中。天狼院メディアグランプリ47th season総合優勝。

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2022-07-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol.177

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