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週刊READING LIFE vol.180

止まった時間も決して無駄じゃない《週刊READING LIFE Vol.180 変わること・変わらないこと》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/08/08/公開
記事:北見綾乃(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「息子さん、昨日から登校されていませんが、何かありましたか?」
 
職場で受けた電話の向こうから聞こえた声は確かにそういった。私の頭は一瞬で凍り付いた。相手は高校二年の長男が通う高校の担任教師。
 
小学5年生以来ずっと無遅刻無欠席を貫いてきた息子。彼は前日もこの日も、いつもと変わらず家を出ていた。学校に行っていない? どういうこと?
 
「朝は普段通りに家を出たのですが……。帰宅しましたら本人に確認いたします。いろいろとご迷惑をおかけして申し訳ございません。ご連絡ありがとうございました。」
 
私はかろうじてそれだけ答えて、電話を切った。
 
息子は一年前、以前から行きたいと言っていた都立高校に合格し、入りたいと言っていた部活に入った。つい少し前5月の連休中にも、「この学校に入れて本当によかったよね」という言葉を夫と交わしたばかり。その日、部活動を励んでいる様子を垣間見る機会があったが、仲間にかこまれ、イキイキと楽しそうにふるまっていたのを目撃していたのだ。
 
職場から帰宅すると、息子はそこにいた。ひとまず無事だったという事実に少しだけ安堵した。
 
「昨日から、学校に行ってないんだって……?」
 
「ああ……。」
 
聞くとどうやら最初からサボるつもりではなかったという。途中駅で混雑した上り電車に乗り換えようとした瞬間、「乗りたくない」という衝動にかられ、反動で思わず学校とは逆方向の下り電車に飛び乗ってしまったのだそうだ。
 
「そのまま、千葉まで行って、途中で帰れなくなると困ると思って、戻ってきた」
 
翌日もその乗換駅までは行ったが、電車には乗らず、そのまま帰宅したという。
 
「なんで……? 学校で何かあったの?」
 
「べつに……。」
 
普段から寡黙な長男は、この日も多くを語らなかった。
 
どうしても学校に行きたくないなら、行かなくてもいい。そう思ったが、2、3日後には高校で定期テストがあるタイミングだった。
定期テストを受けられなかったら進級にも響くのではないか、それが心配だった。
 
担任の先生にそのことを伺うと、大丈夫だ、という。
 
「まだ期末テストもありますし、普段の授業、提出物や小テストの結果なども考慮されます」
 
それであれば……と1週間ほど休ませることに。
その間、彼と静かに話す時間を作った。何があったのか。なぜ急に学校へ行けなくなったのか。少しでも背景を知りたかった。残念ながら、状況についてはほとんど何も話さなかったが、ひとことだけ、こうつぶやいた。
 
「学校、やめたい」
 
私にはさまざまな葛藤の末、勇気をふりしぼって放った言葉、というように感じられた。衝撃だった。そこまで何かに追い詰められていたのかと。
 
ただ、高校は卒業できるならした方がいい。その方が人生の選択肢が増える。そういう考えから、たまには休んでもいいから、まずは通える範囲で通おう、ということにした。いや、してしまった。
そして、彼はまた学校に復帰する。

 

 

 

日常が戻り、一時的な不登校騒ぎも忘れかけた秋の頃。彼はまた、学校に行けなくなった。
 
朝、起きてこない。頭が痛い、めまいがするなどの身体症状を訴えた。
しばらく休んでも一向に回復は見られない。病院に行くとつきつけられたのは「起立調節性障害、抑うつ症状」という診断書。
 
二学期にあった修学旅行。本人も怖いけれど行きたいといい、思い出作りにとなんとか頑張って参加したのだが、最後の気力を使い果たしてしまったといった様子。帰宅後、その頑張った反動なのか表情も消えた。
限界だったのだ。無理をさせてしまったのだろう。半分腹をくくり、期限も決めず、思う存分に休ませることにした。
 
そして結局、春まで学校には戻れず、進級のための既定の出席日数を確保できなかった。留年も可能だが、本人の希望でもある退学という道を選んだ。医師の指導により、しばらくほとんど何もせずぼーっと一日を過ごす時期が続く。親としてできることは、とにかく見守ること。今はそれだけだということだった。処方された薬を服用しつつ、「時期が来ればまた何かやろうという気持ちになる」その言葉を信じて待つだけの日々が続く。

 

 

 

この頃から、夫にも異変が出た。まず自分の過干渉が息子の将来を台無しにしてしまったと毎夜毎夜、自分を責めて苦しんでいた。もちろん夫だけの責任であるはずはない。しかし、その点に関しては他者の意見に耳を貸さなかった。夜中に叫んで起きる、衝動的に物に当たるなど精神的に不安的になってきた。
 
もともと夫は先の見えない状況が非常に苦手だ。平常時には、先回りしてあれこれリスクを考えてくれる彼は非常に頼もしい。しかし、このような状況でこの性質が彼を追い詰めていたのだ。高校中退となってしまったということで、息子の将来をとことん悲観してしまい、希望が持てなかったのだろう。
 
それだけではない。彼は、
「人に迷惑をかけない」
「苦しくてもやらなければいけないことは、歯を食いしばってもやる」
そういう信念・価値観をベースに持っている。
 
それゆえ、これまで行きたくない会社にも自分を鞭打って何十年も通ってきた。
「『行きたくなければ辞めればいい』というが、周りに大きな迷惑をかけるし、辞めた後人生詰むのは明らかで、そんな選択肢は選べない。そんな選択肢は俺にとっては最初から存在しないのも同じ」
そう訴える。嫌々でもずっと必死で食らいついてきたのだ。
 
そんな彼の目前で、頑張ることに限界を迎えた息子が何もせずに過ごす姿は、彼のこれまでの人生で長く続けてきた“我慢”を支えていた根幹を揺るがす脅威だったのかもしれない。
 
「医者は何もするなというが、このままだったらどうするのだ。もし30歳、40歳とこのままで、回復しなかったら、人生の責任をとってくれるのか? とれるはずがない。俺たちは本当に何もしなくて大丈夫なのか?」
病気なのだから仕方がない、見守るしかないということはいったん頭で理解しても、心では納得できない。私に疑問や不安や怒りをぶつけてきた。長く口論が絶えなかった。信じて見守るしかない、と覚悟を決めていた私も、揺らぎそうになる。
 
苦しい状況にいる我が子に対して「何もせず見守る」というのは想像するよりつらいものだ。何とかしたいという気持ちばかりが空回り。自分の無力さも感じるし、本当にこれでいいのかという疑問とも常に戦うこととなる。
 
物理で習った力学の法則が頭に浮かぶ。一度動いたものは何もしなくても動ける。しかし、一度止まったものを動かすのは大きな力をかける必要がある。長男は一度完全に止まってしまったような状態だ。ここから動くのは大きな力が必要だというのは想像に難くない。その最初の一歩はどんな風にスタートできるのか。全く想像がつかない。背中を押す必要があるのではないか? しかし、押すタイミングを間違えれば、さらなるダメージを負わせてしまう。どうしたらいいのか。
 
やはり本人の力を、信じる。信じた上で彼に生じる興味の種を尊重する。それがすべてだった。
 
 
2年間。
 
彼が完全にサナギの中でじっとしていた時間だ。その間、彼の時間は完全に止まっているように見えた。終わりの見えない、しかし、自分たちは直接何かできるわけではない歯がゆい時間。
 
それでも、実際には彼の中で前向きな気持ちが少しずつではあったが、確実に育っていたのだ。外からは止まっているようにしか見えない時間も、完全に止まっていたわけではなかった。
 
ある日、彼はPCに無料のアプリを入れて、絵を描き始めた。
朝から晩まで熱心に描き続けている。そして、いつしか“やりたい”と“できるかもしれない”が彼の中で重なったのだろう。こう打ち明けられた。
 
「絵を勉強したい」
 
なんでもいい。「○〇したい」という言葉を私はどれだけ待っただろう。彼の一度カラカラになってしまった心にやっと燃料がたまり、火がついたのだ。一度火がつきさえすれば、後はなんとかなる。そう思っていた。
次の1年間で高卒認定試験資格を取り、専門学校に通うことになった。
 
サナギから抜け出した彼の時間はまた、社会的にも動き始めた。

 

 

 

現在、専門学校に通い始めてもう1年半になるが、今のところ1日も休まず出席しているようだ。課題が大変だとボヤきながらもなんとかこなし、友達ともよく交流しながら忙しそうに学生生活を満喫している。
その中で、インディーズバンドのCDジャケットにイラストを提供したり、企業の情報誌のロゴデザインが採用されたり、彼なりの実績をひとつひとつ積み上げている姿は頼もしくもある。
 
「キャラクターデザインの課題がやっと終わったんだけど、明日のプレゼン準備がまだ終わってないんだよ~。今日は何時に寝られるかなぁ。」
 
聞いてもいないのに、あれこれ話しかけてくる。今までにないことだ。口数も増えた。
 
この夏休みは学校の友人や高校時代の部活の仲間との会合、バイトに課題に、大変だという顔はどこかうれしそうだ。
 
 
変わったね。
夫とそう話している。
そういう夫も変わった。今度は就職活動が心配だと気をもんでいるが、これまでの鎖でガチガチに自分を縛っていた価値観は少し緩んだように思う。
それだけ、ここ数年の我が家の変化は劇的だった。
 
長男にとってもつらい時期だったとも思うが、「止まった時間は決して無駄じゃなかった」と、後からしみじみそう振り返れるようにすればいい。そういうように、生きていってほしい。少なくともレールに乗って流されるのではなく、本当にやりたいことを見つめられた貴重な時間だったはずだ。
 
一方私は今、繭の中に閉じこもっていた彼を、ずっと信じ続けられてよかった、と心から思っている。これからも何があっても子供達の生き抜く力を信じていく。それは一生変わらないでありたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
北見綾乃(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京都在住。外資系企業のプレイングマネージャーとして心と体を消耗しながら働く傍ら、2022年2月から天狼院での文章修行を始める。
心がじんわり温かくなり、“ちょっと一歩踏み出してみようかな”……そんなきっかけになってもらえるような文章を目指す。ランニングが趣味。

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2022-08-03 | Posted in 週刊READING LIFE vol.180

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