実は私は「通訳泣かせ」だった《週刊READING LIFE Vol.181 オノマトペ》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2022/08/15/公開
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)
工場を点検していると、床に水たまりがあるのを見つけた。
「また水漏れだ」
私は水たまりの上にある配管を見上げた。配管のつなぎ目の所からしずくが落ちてきた。ボタッ、ポタッと落ちてくる。
「事務所に戻ったら、担当者に連絡しよう」
私は近くの柱に書かれている番号をメモして事務所へ戻った。
事務所には、幸いなことに通訳も担当者も席にいた。私は通訳に声をかけ、一緒に担当者の席へ行った。
「チェンさん、さっき工場の1階で水漏れを見つけたよ。場所はE10柱の付近。漏れている量は少なくて、ポタッポタッという感じだけど、業者を手配して早めに直してもらってくれる?」
私が話し終わると、通訳は中国語に訳し始めた。「1階」とか「E10」など、所々聞き取れる中国語がある。とその時、「パーダパーダ」という言葉が聞こえてきた。
「パーダパーダ? ひょっとしてポタポタのことかな?」
気になって後から辞書で調べると、確かに「水等がしたたり落ちる音、ぽたぽた、ぼたぼた」と書かれていた。
私は中国で通訳を介して仕事をするとき、いつも気を付けていることがあった。それは、通訳しやすい日本語で話すことだ。ひとつの文はできるだけ短くする。主語と述語をはっきりさせる。結論を先に言う。誰よりも分かりやすい日本語で話しているつもりだった。でも実は、私は通訳泣かせだったことにその時は気づいていなかった。
工場の設備点検の仕事は「五感」が頼りだ。圧力計や温度計といった計器だけでは発見できない異常を、どれだけ感度良く見つけられるかが勝負だ。早期に発見すれば大事に至らずにすむ。だから、見た目の異常はもちろん、いつもと違う音がしないか、異常に熱くなっていないか、焦げたようなにおいがしていないかどうか、感覚を研ぎ澄ませて点検する。モーターから「キュルキュル」という音がしていれば、「潤滑油が不足しているかな?」と推測ができる。排気のダクトから「シューッ」、「ビューッ」といった風切り音が聞こえてきたら、どこかに穴があいているか隙間ができているとあたりがつく。業者に修理手配をする時も、「キュルキュル音がする」などと伝えたら、たいてい相手も理解してくれる。
皆さんも、例えば家電製品や車の調子が何だか変だぞと思う時、「何だか最近冷蔵庫がキュッキュッっていうんですよね」とか、「走行中にタイヤのあたりからカラカラカラっていう音がします」などと伝えたことがあるのではないでしょうか? 「変な音がする」と言うより断然相手に伝わりやすい。水漏れだって「ポタッポタッ」と「ポタポタ」と「ボタボタ」で、漏れ具合の違いが伝わる。「ボタボタ漏れている」と言われたら、「結構漏れてるな、早く対応しなきゃ」と思う。
その感覚で私は中国に行った。中国で建設した工場は、突貫工事の影響もあって、小さなトラブルが頻発した。ある日私は、排気ダクトから「ピューッ」と音がしているのを見つけた。音を頼りにたどっていくと、ダクトとダクトを繫ぐボルトがきちんと締められていないところがあった。
事務所に戻って通訳を伴い、担当者のところへ行く。
「排気ダクトからピューって音がしてるよ」と言うと、通訳が中国語に訳す。通訳は私の「ピュー」の音を真似しようとしたが、上手く発音できなかった。
「もう一度、さっきの音出してみて」と私に言ってきた。
「さっきの音って、ビューって言う音?」
「そうそう」
私が「ビューッ」と言うと、通訳はすかさず中国人担当者に「こういう音」と付け加えた。
「それで、言いたいことは?」と通訳は更に私に聞いてくる。
「えっ? あぁつまり、ダクトに隙間があって空気を吸い込んでるの。ボルトがちゃんと締まってないからだと思う。余計な空気を吸うと、エネルギーのムダになるから、業者に連絡して対応してもらって」
「分かりました。伝えます」
通訳はそう言うと、中国人担当者に私の言葉を訳して伝えてくれた。
「こういう時、直接中国語で伝えられたらな」と、つい思ってしまう。
多分、「ビューって音がしてるよ」と言うだけで相手に伝わるのに。設備管理の業務経験がない通訳を介すと、まず通訳にこちらの意図を理解してもらわなければならない。そのために、沢山の言葉を補って説明しなければならないのだ。
それから数日後、生産部門との会議で私が「配管の中を水がチョロチョロ流れている」と発言した時、生産部門の通訳から「チョロチョロって何ですか?」と聞き返された。
改めて「チョロチョロ」を聞き返されると言葉に詰まる。
「ほんの少しだけずっと流れ続けているっていう感じかな」
私が答えると、通訳は分かったようなそうでないような顔をした。そして、会議の参加者に向かって「水が流れっぱなしです」と中国語で訳した。
「いやいや、そこまで大げさじゃないんだけど」
私はちょっと焦って、つたない中国語で「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけね」と付け加えた。
私は、自分がオノマトペを多用しているという意識はなかった。でも、こういうことが立て続けに起こると、さすがに何とかしなければと思う。改めて振り返ると、中国人の担当者は、何か異常を報告してくる時も、オノマトペを使うことはなかった。たいていは、簡単な状況説明に動画を添付して報告してきた。確かに言葉だけで説明されるより、分かりやすかった。
中国生活も数年経ち、自分自身も少し中国語を話せるようになった。中国語の勉強を続けていくと、中国語のオノマトペを覚える機会も出てきた。中国語では「象声詞」といい、音を表す「擬音語」である。
例えば中国語で犬の鳴き声は「ワンワン」、ネコは「ミァオ」とか「ミーミー」だ。英語を習い始めた頃、犬の鳴き声は「バウワウ」と知り、「どうしたらそう聞こえるのか?」と思ったけれど、中国語は日本語と同じ「ワンワン」だと知ると、親近感が湧く。アヒルの「ガーガー」も、何かが揺れる「カタカタ」や「ガタガタ」も、ドアをたたく「ドンドン」も似たような発音だ。
「へぇ、やっぱり同じアジア人だからかな。音も同じように聞こえるものなんだ」
と一瞬思う。
ところがだ。「どうしたって、そんな風には聞こえないよ」というのも多数存在するのだ。例えば、風の「ビュービュ-」は「ソウソウ」と発音する。いやいや、「ソウソウ」なんてそよ風の雰囲気じゃないかと思う。「ピュー」も「ソウ」だ。私が排気ダクトから「ピューッ」と音がしているのを中国人に伝えた時、通訳は訳さずに私に「もう一度その音を出して」と言ったけれど、もし「ソウ」と訳されていたら、「そんなのどかな音じゃないよ!」と私は反論したくなったに違いない。他にもそういう例を挙げたらキリがない。いびきの「グーグー」は「フルフル」だ。「フルフル」なんて美しげな音色ではないかと思う。とてもいびきとは思えない。
けれど、それはあくまでも「言語の違い」なだけである。「フルフル」と字で書けば美しそうに聞こえるけれど、実際の中国語の「hu」の発音は日本語の「フ」の音とは全然違う。痰が絡んで「カーッ、ペッ」とやる時の「カーッ」のような、喉の奥から息を出すような感じなのだ。ちょっと大げさにやると、喉が鳴る。自分で発音してみると、「あぁ、確かにいびきに聞こえる」と思う。
しかしこれは、息の出し方や口の形、舌の位置が正確でないと、なかなか思うような音が出ない。おまけに、中国語には存在しない日本語のオノマトペも沢山ある。それに何と言っても、それぞれのオノマトペに対して自分が持っているイメージと中国語にした時の言葉から連想されるイメージが一致しない。通訳に頼らず、できるだけ自分で中国語を使って伝えていこうと思っていた私は、オノマトペを使わずに伝えていこうと考えた。
中国人担当者がしているように、動画を撮ってくるというのもひとつの手だ。水漏れなら、「ポタッポタッ」ではなく、「5秒に1滴くらい」と伝えれば、より具体的である。それに、そもそも私が中国人担当者に伝えたいのは、「ピュー」とか「ポタポタ」みたいな状況ではない。伝えたいのは「直す手配をしてほしい」ということだ。そう考えたら、自分の話す日本語も少しシンプルになった。どんな音がしていると異常なのかを新人に教えるなら、現場に連れて行って、一緒に音を聞いてもらえばよい。
中国生活も6年を過ぎる頃、私は自分が直接中国語で話す時だけでなく、通訳を介して中国人と話をする時も、オノマトペを使わずに話すようになっていた。
ある日、私は朝から何となく背中のあたりにピリピリするような感覚を感じていた。服が肌にこすれてヒリっとするような感じに似ていた。翌日、ふと鏡を見ると右の肩から背中にかけてブツブツと赤いものができていた。湿疹のようにもあせものようにも見える。でも痒みはない。あせもができるほど汗をかいた記憶もない。よく見ると、小さな水ぶくれのようになっている。右側だけにできているのも気になった。
「ひょっとして帯状疱疹?」
ネットで検索すると、症状が似ている。
「病院へ行かなきゃ」
私はこういう時のために日本語で医療サポートを受けられるサービスに入っていたので、早速電話をし、病院を手配してもらった。
先方から告げられた病院に行くと、医療通訳が待ってくれていた。
「多分帯状疱疹だと思うんです」
私は通訳を介して、医師に症状を訴えた。
医師は私の肩にある発疹を見て、「確かにそのようだ」というようなことを話した。
「先生が、痛みはあるかと聞いています」
通訳が私に聞いてくる。
「うーん、ちょっとだけ」
通訳がそのまま訳す。
「どんな痛みですか?」
通訳がまた聞いてくる。
「どんな? えっと、何かチクチクするというか、ピリピリするというか……」
「チクチク? あの、針か何かで刺された時みたいな感じ?」
「まぁ、そんな感じです」
「先生がいつからそうなったか聞いてます」
「昨日です。昨日何となく背中のあたりが、ピリピリしてました」
「昨日ですね」
通訳はそう確認すると、「昨日です」とだけ医師に回答していた。
ひょっとして、「ピリピリ」が通じなかったのかしら? 私はしばらく封印していたオノマトペを無意識に使っていたことに気がついた。でも、どう伝えたものか見当がつかない。電気刺激を与えて腹筋を鍛えたり肩凝りを改善する商品があるでしょう? あれを装着した時に感じるようなピリピリ感に似ているのだけれど、相手がそれを使ってピリピリした経験が無ければ伝わらない。
オノマトペに頼らずに表現するとしたら、どう表現したらいいのだろう?
日本にいる時にはそんなことを考えもしなかったけれど、オノマトペが簡単には通じない国へ行き、「自分と相手との間に共通の前提がないと伝わらない」ということを思い知った。
もっと言えば、「ワンワン」も「グーグー」もただの「思い込み」だと気づかされた。「グーグ-」だと思っているからそう聞こえるだけで、本当の音を聞こうとしていなかっただけなんじゃないか。
今、外ではセミがやかましく鳴いている。なんの固定観念も持たずに音に集中して聞いてみる。シュワシュワでもなくジリジリでもない音が聞こえてくる。自分だったらどう表現するだろう? そして中国人だったらどう表現するのだろう? ふとそんなことを考えてみた。
□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)
愛知県出身。
国内及び海外電機メーカーで20年以上、技術者として勤務した後、2020年からフリーランスとして、活動中。会社を辞めたあと、自分は何をしたいのか? そんな自分探しの中、2019年8月開講のライティング・ゼミ日曜コースに参加。2019年12月からはライターズ倶楽部に参加。現在WEB READING LIFEで「環境カウンセラーと行く! ものづくりの歴史と現場を訪ねる旅」を連載中。天狼院メディアグランプリ42nd Season、44th Season総合優勝。
書くことを通じて、自分の思い描く未来へ一歩を踏み出す人へ背中を見せ、新世界をつくる存在になることを目指している。
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