週刊READING LIFE vol.184

諦めるのは悪なのか、諦めないのは善なのか《週刊READING LIFE Vol.184 「諦め」の技術》


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/09/05/公開
記事:黒﨑良英(天狼院公認ライター)
 
 
人間は諦めることをあまり善しとしない。
学校では「諦めるな! がんばれ!」と激励され、漫画やアニメの主人公でさえも「諦めなければ夢は叶う!」と、声高に叫ぶ。
 
そのためかどうなのか、人間は知恵と努力とその結晶たる科学技術で、なるべく諦めることをしない方向へ進化してきた。
 
最もわかりやすいのはクレジットカードあたりだろうか。
今、この商品がほしい。しかし今、それを買う持ち合わせがない。
今までならここで「諦め」て、スゴスゴと家路に就くのがオチである。
クレジットカードは、その「諦め」を許さない。
現金がなくてもその商品を買うことができる。店側にとっても(むしろ店側の方が)万々歳である。
 
あるいは、少し視点を変えて、学校の夏休みや冬休みを考えてみる。
子どもにとっては毎回待ち遠しい長期休暇ではあるが、本来は、その時期は暑すぎたり寒すぎたりして、授業が成立しないために設けていた。
つまり、この時期は暑さ寒さで勉強どころではない。ならばここは「諦め」て、家庭で休むなり何なりして、英気を養った後、学校に来て勉強しよう、と、そういうことなのである。
 
だが、暑ければ、寒ければ、エアコンを使えばいい、ということで、課外授業があったり講習会があったり、はたまた部活動があったりと、本末転倒な使われ方をするようになった。
暑かろうが寒かろうが、勉強の機会を「諦めない」ようになった。
 
私は公立の高校で働く身であるが、それが現在のスタンダードで、特に受験生には生ぬるいことを言っていられない、とは言うものの、やはり、少々気の毒に感じてならない。もちろん、私の現役時代とて、そう大差はなかったが、それでも、だ。
 
「諦めるのは簡単だ」というが、こうしてみると、諦めることの方がかえって難しいのではないかと思ってしまう。
科学が、世間が、「諦める」という選択肢をなくしてしまっているようにも思えてくる。
 
確かに、「諦める」ということは、客観的に見て、あまり良いことではない。
夢を諦める、想いを諦める、使っていた物を諦める……それらは、今まで積み上げ、つなげてきたことをバッサリと断ち切ってしまうような行為だ。
 
今年の初め、私もまた、一つの物を諦めた。
自らの臓器である。
 
幼少の頃からの持病である腎臓の病が、ここへ来て悪化してしまったのだ。
今まで薬で何とかごまかしてきたが、それが限界になってしまったようだ。
となると、残された道は一つ。“透析治療”である。
これは血液を洗浄する腎臓の働きを、機械に担わせるという治療法だ。
 
それはすなわち、自分自身の腎臓を諦めるということであった。
 
私は悩んだ。今までずっとともにしてきた、私自身の体の一部である。それに見切りをつけるのか? 本当に? 本当に諦めるのか?
 
私自身、「諦めることを善しとしない」意見に賛成だった。諦めなければ病気は治る。自分の腎臓が再び正常に動き出す。そう、信じていた。
 
だが、現実は非情なものである。
治療を受けなければ、最悪、多臓器不全となって死に至る。
 
医師にそう突きつけられたとき、私は、私の腎臓を諦めた。
それは、私自身を諦めたような思いだった。
今までそれ相応に健康には気を遣い、努力をしてきた。そのつもりだった。
その努力を、今までの自分を、諦めざるをえなかったのである。
 
長年連れ添い、やっかいながらも憎めない、そんな友人をなくしたような感じでもあった。
 
だが、ああ、そうだ。
私は「生きること」を諦めたくなかった。
意地や見栄、そして一時の感傷のために、命を諦めることは、それは、確かに善いことではないと思ったのだ。
もしかしたら、回復する見込みがあったかもしれない。違う治療法もあったかもしれない。
ただ、そのとき、私には、「諦める」という選択肢が、「諦めない」ための最適解だったのだ。
 
何かを諦めるのは、実は、何かもっと大きなことを諦めないための、手段なのではないだろうか。
 
「諦める」ことは、確かに技術革新によって行いづらくなった。それに心情的にも心苦しい。
私とて、あの決断は、苦渋の決断であった。
 
ただ、大局を見たとき、その「諦め」は、何かを「諦めない」ための「諦め」になることもあるはずだ。
最終的な目標のためには、何かを「諦める」必要があるかもしれない。
 
だからという訳ではないが、あまり諦めることを、恐れる必要はないように思う。
 
私たちは、生きる上で、どうしようもない選択を迫られる。
しかし、最終的に、私たちは「生きる」ことを「諦めない」でいる。
 
そのためのいくつかの諦めは、許されてしかるべきなのではないかとも思うのだ。
もし、一つのことを諦めきれず拘泥し、それによって進むことができなくなったなら、それこそ本末転倒である。
 
もっとも、どこを諦めて、どこを諦めないかは、本人のみぞ知るところではあるのだが。
 
ただ、「諦める」のと同様に、「諦めない」ことにも、ペアルティは存在する。
特に「夢を諦めない」ことには、かなりの苦痛を伴う。
 
夢を諦めない人は素晴らしいし、夢に向かって邁進する人を、私は尊敬する。
 
しかし、いつまでも夢を追っている人を、あなたはどう思うだろうか。
 
例えば、ここに大きな夢がある。
プロ野球選手、宇宙飛行士、小説家、などなど……
 
若く希望に溢れた青少年たちが、これらの夢を語る姿は美しい。
ところが、これを中高年が言うとどうなるだろうか。とたんに見苦しくなってしまうであろう。
 
いい歳をして、そんな夢を見て、自分の現状を顧みない。それより地に足をつけた職業につき、しっかりと家庭を支え、歳相応の役割を果たせ、とまあ、そういった感じだろうか。
 
実は、ある種の「諦めない」という行為は、若者の特権でもある。
人は言う。若者は簡単に諦めるな、と。諦めなければ夢は叶う、と。
 
ただし、ある程度で叶わなかったら、「諦め」なさい、と言うのだ。もちろん声には出さないが。
その無言の圧力、無言の指摘こそ、「諦めない」ことへのペナルティである。
歳を経てもなお「諦めない」ことへのペナルティである。
 
だから、こんなペナルティを受けるくらいだったら早々に諦めて、しっかり地に足をつけた生き方をしなさい、と、そんなことを言うつもりはサラサラない。
 
だいたい、「諦めなさい」と言って、あなたは諦めるだろうか。
たいていの場合、「諦められないから困っている」のではないか。
 
だとしたら、そのペナルティは受けてしかるべきものである。
それが夢に到達するためのペナルティであるのなら、甘んじて受けるべきだ。
 
何を諦め、何を諦めないようにするか、それは本人のみぞ知ると言った。
諦めることが難しいのは、やはり技術革新ではない。
心情的なものの方が大なのだ。
自分が今まで積み重ねてきたことを、自分が愛情こめていたものを、そして自分が全力をかけていたものを、それを急に切り離すなんて、難しいに決まっている。
 
だからこそ、それにとらわれないでほしいのだ。
どうしても諦められない。そのことで、もっと大きなものを諦めることにならないでほしい。
 
私は、危うく「命」を諦めるところだったのだから。
あのまま、自分の腎臓に拘泥していたら、それこそ取り返しがつかなくなってしまう。
あなたには、どこを諦め、どこを諦めないか、慎重に考えてもらいたいのだ。
 
「人生、あきらめが、肝心です」
 
とは、スタジオジブリの映画、『ホーホケキョ、となりの山田くん』の中のセリフである。
 
笑いを誘うと同時に、なるほど、と半分くらい同意もしてしまう。
考えてみれば、私たちの人生は選択だらけであり、どれか一つの道を選んだということは、残りの道を諦めたということでもある。
 
譲れないものを譲らないためには、どこかを諦める必要もでてくるだろう。
そこで潔く諦めることができるか、最終的な成功は、そこにかかっていると言っても過言ではない。
 
大丈夫、慣れてくれば簡単なものだ。
何かを諦めたとき、場合によっては大笑いしてしまう。というか、笑うしかなくなってしまうのだ。
「あ、これはダメだ」と諦めたとき、自然と笑ってしまうものである。
 
ただ、その胸の奥には、譲れないもの、「諦めない」ものを持っておかなくてはならない。
これが心の中心にあるからこそ、笑って諦められるのである。
もし、この中心にある「諦めない」ものが侵犯されそうになったら、私は全力で抵抗するだろう。
笑ってなぞいられない。
 
あなたの「諦められない」ものは何だろうか。
それは、本当に諦めてはいけないものなのだろうか。
その上で、あなたがもし、何かに捕らわれて困っていたら、こう考えてみてほしい。
 
「何かを諦めないために、何かを諦めることも、方法の一つである」と。
 
「諦める」ことは必ずしも悪ではない。
あなたがその道を進むために、最終的な目標を叶えるために必要となるならば、その「諦め」は善であるべきだ。
 
あなたの選択が、善い方向に向かうことを、願ってやまない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒﨑良英(天狼院公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。持病の腎臓病と向き合い、人生無理したらいかんと悟る今日この頃。好きな言葉は「大丈夫だ、問題ない」。

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2022-08-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.184

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