週刊READING LIFE vol.192

茶室に行ったら〝沼〟だった《週刊READING LIFE Vol.192 大人って、楽しい!》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/11/07/公開
記事:添田咲子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「いつもこうなるんだ……!」
約束の時間の10時に合わせて、9時には家を出ようと思っていた。目的地までは車で35分とナビであったから、初めての場所だし道に迷うかもしれない、余裕を持って9時に出ようと思ったのだ。
しかし、だ。既に時計の針は9時20分を回っている。
子どもを送り出した後、回しておいた洗濯物を干し、朝食の食器を片付けて、明日には回収されるモップを欲張って使っておきたかったから掃除をした。昨晩売れたメルカリの発送を家から徒歩30秒にあるドラッグストア前の宅配ロッカーに出して、ついでに夫に頼まれた買い物もしてしまおうと思っていた。いや、それよりも先にメイクも一応しないと、と洗面台に立つ。大したことはしない身だしなみでもなぜか私は自分が想定しているよりもいつも時間がかかる。あーー、時間がない! メルカリは後回しだ。とりあえず買い物だけ済ませ、財布とスマホと車のキーをカバンに突っ込む。そうだ、持ち物は白い靴下だけと言われていた。危ない危ない。玄関まで行ってマスクを忘れて部屋に戻り、やっと家を出たのがその時間だった。
 
車に乗り込み、ナビをセット。到着予定時刻9時49分。何とかなりそうか。
時間との付き合い方がうまくない。早起きしたら、早起きした分だけのんびりするから結局ぎりぎりになり何なら遅刻の危機にもなるタイプ。そんな私が慌ただしく目指そうとしている目的地は、まさかのお茶室。茶道教室の体験に申し込んだのだった。バタバタの日常を抜け出し、心静かな茶道の世界に浸ろうとしている私。あまりの落差に、どんだけ伸び代大きいの、とハンドルを握りながら笑えてきた。未知の世界に足を踏み入れるわくわく感で心が躍る。
 
茶道と言えば、身なりを整え、静寂の中でひとつひとつの動作に細部まで心を配り、ゆったりと五感を使ってその瞬間を味わう大人の嗜みだ。以前に何気なく観た映画『日日是好日』(にちにちこれこうじつ・2018年 大森立嗣 監督作品)で茶道の世界を垣間見て、興味を持っていた。映画は、親に薦められて茶道教室に通い始めた主人公の女子大生が、お茶の世界に触れるうちにその魅力に気付き、惹かれていく様子を主人公の内面の変化とともに描いたものだ。一杯のお茶を点てる一連の動作ひとつひとつに細かな決まりがある。最初はその決まりに合わせて行う一挙手一投足が不自由でならず、機械的に体を操るようで苦労をする。しかし回を重ねるうちに動作のひとつひとつが自分の身に付き自然な動きができるようになると、動作に心が入り自分自身との一体感を感じられるようになる。雨の日は雨音を聴きながら、風の日は風がふすまを揺らすのを。季節によって変わる木々の彩りや、暑さ寒さを肌で感じる。五感をフルに使ってその時を生きていることを味わうひととき。そんな豊かな世界観が茶道の時間にあることを教えてもらった。

 

 

 

カーナビに目をやると、高速道路に故障車ありの表示。動きが鈍くなった車列と到着予想時刻を度々見比べる。
「あぁ、急いでる時に事故なんて」正直な話、まずそう思った。誰も好きでトラブっているわけではないのに。
やがて故障車が路肩に止まっているのが見えてきた。のろのろ運転の車にどんどん追い抜かされながら、故障車の運転手は頭を抱えてどこかへ電話をかけていた。そうか彼も、何か彼の目的を果たすためにどこかへ向かっていたはずなのだ。きっと守りたい時間もあっただろう。そう思うと、他人事とは思えず少し心が痛んだ。あの彼は、ひとつボタンを掛け違えたら私だったかもしれないのだ。

 

 

 

目的地周辺で迷いながらも、予約した10時の10分前になんとか到着した。
閑静な住宅街の中、よく手入れされたお庭に囲まれたお宅だ。石畳を歩き、一呼吸してから木の格子戸を引いて和風門をくぐる。
ぽつん、と水音が響いた。ふと見ると、石の水盤に竹筒から水滴が落ちている。ゆっくり、またひとつ、ぽつん、と。一瞬で、時の流れが変わったのを感じた。一気に静寂の世界に入ったような、静かな興奮を覚えた。
チャイムを鳴らすとすぐに「はい! どうぞ」と男性の声。玄関を開けると、お香の凛とした香りとともに、朗らかな笑顔の先生が迎えてくださった。お歳は70代というところか、上品なお着物姿だ。「迷わず来れましたか?」気さくに声かけ下さり、先生然とした偉ぶる感じが全くしない。第一印象で、一気に安心感と信頼感を感じさせる雰囲気を持っていらっしゃる。
茶道のマナーとして、白い靴下に履き替えるそうで、ここで靴下を履き替え、扇子を持たせていただいた。
 
「まずは、せっかくですから、茶室をお見せしましょう」
 
飛び石を渡り、離れの茶室にご案内いただく。
 
「〝にじり口〟と言いまして、茶室はこの小さな入り口から入ります」
 
忍者屋敷の隠し扉のような小さな入り口から、頭をかがめるようにして入る。中に入ると、広さ4畳の整った空間があった。また一段と、別世界に入り込んだ特別感に期待が高まる。
 
「これは、茶室は外の世界とは全く別の空間に入ることを感じるための仕掛けです。川端康成の『雪国』に、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という一節がありますね、小さい入り口から中に入ると、一気に視界が開けて世界が広がるように感じるものです。それと、昔の貴族は長い帽子を被っているでしょう、ああいったものや武士の刀は茶室には外して入りましょうということです。茶室に入ったら、上も下もない。誰もが同じひとりの人間としてお茶を楽しむという考え方なんです」
 
知らなかった。元々、茶道は武家から生まれた文化だそうだ。明日の命もわからないストレスフルな日々の中、この茶室の中だけは身分の縛りからも解き放たれて自分に還る、癒しのひと時だったのだそうだ。荒々しい戦に出向く武士たちが、茶室の中で心静かに季節を感じ、お茶を点てるまでの時間をどのような気持ちで過ごしていたのかと想像すると興味深いものがある。
 
4畳の広さの茶室には、計算され尽くしたように掛け軸や生け花、茶釜などが整然と、無駄なく配置され、しかしそのひとつひとつが存在感を放っているのを感じる。
 
「茶道には日本文化のあらゆるものが関わってきます。書、花、焼き物、お茶を入れる棗(なつめ)の蒔絵、着物、歴史、建築など、この茶室にあるものひとつひとつから興味の世界が広がっていきます。工芸品に興味を持てば、産地を訪れてみたくなりますしね。そして、茶道は禅ともつながります。日常で起こる煩わしいこと、迷い、悩み、あらゆる雑念を、お茶を点てるひと時は全て忘れ、その瞬間だけに心を置く。無になるんです。そうすると、〝私〟と〝あなた〟や〝外の世界〟との境目が存在しなくなる。〝私〟と世界は融けあってひとつになるんです。哲学でもありますね。」
 
なんと、茶道の世界は哲学にも通じていた。〝私〟と〝あなた〟を別のものとして捉えるから、相手に対して嫉妬したり、苛立ったり、腹を立てたりする。〝私〟は〝あなた〟であり、〝あなた〟は〝私〟であると捉えられたら、〝あなた〟の喜び悲しみも〝私〟のそれである。あの時渋滞に苛立った私の心も、あの彼の心を感じることができるとざわつきが収まったことを思った。
これはやばい、コンテンツの海が押し寄せる世界だ、と思った。
あらゆる文化、それが生まれるに至った歴史、哲学がここに集約されている。茶道の世界に入ったら、一生芋づる式に興味の世界が広がっていくことが容易にイメージできた。
 
「茶道には引退がありません。スポーツの世界なら体力のピークは若いうちに過ぎてしまいますが、茶道の面白さは積み重ねた時間と知識に比例して増していきます。細く長くでいいんです、関わっていくことでライフワークになっていく。面白い世界だと思いますよ」
 
もっと知ってみたい、純粋な興味が湧いてくる。〝沼〟に足を踏み入れたわくわく感で心が躍る。

 

 

 

明るい日差しの差し込む縁側のある畳の間に移動する。
秋晴れの良き日。開け放たれた縁側から、少し色づいた庭の木々が暖かな日差しを受けて輝くのをいつまででもぼんやり観ていられるなと思う。とても気持ちがいい。
今日の日差しと同じくらい穏やかで温かい口調の先生から、初めてのお稽古をつけていただく。ふすまの開け方、扇子の置く位置、左右どちらの足で入るか、畳の縁をどちらでまたぐか。お菓子を頂くにも、手元に取るための箸を持つ手順、懐紙の取り出し方、折り方、などなど全て、右手・左手・右足・左足、どちらをどの位置に、どの順番で、が決まっている。
言われた通りにひとつひとつの動きをするので、自分の意思と体の動きとがまるで一致せず、ロボットを操り人形しているように不自然な動きになる。〝我〟を一旦捨て、言われた通りに素直に体を動かす。今、目の前の動作に集中することしかできず不思議と雑念が取り払われるような気になった。
 
「このすべて決まった動作が自分のものになると、とても所作として美しいものになるんですよ。そこまでいくともうそれは自分のものですから、お茶を点てる時に限らず、あらゆる場面での所作の美しさとして表れます。美しさが身についてしまうということです。」
 
季節の移ろいを五感で感じながら、目にも嬉しい美しいお菓子を頂き、お茶を味わい、自分の心と体に向き合う時間。時計を見ることも忘れ、ただただ目の前を通り過ぎる今の瞬間を感じることに夢中になっていた。時間を忘れ、自分の枠を広げる、まさにこんな豊かな体験を求めていたのだ。ここは今の私に必要な場所であり時間だと確信し、ここに来ることを選んだ自分に花マルをあげたいと思った。

 

 

 

茶道のことは、映画を観て以来ずっと気になってはいた。素敵な世界があるものだなあと知ってはいたが、自分が習いに行こうとまでは思わなかった。なぜって、やはり〝茶道〟など敷居の高い遠い世界の話で、まして仕事をして子どもとの生活があって、となっては単純な興味関心だけで習い事に時間とお金を使う発想には至らなかった。それをすることが何か仕事のプラスになるのか? どんなメリットが? 具体的なものが挙げられるわけではないことに対して、やってみるかどうかという選択肢にも私の中では上がってこなかった。しかし、そんな思考にも最近変化が現れてきた。

 

 

 

〝自分がやりたいことやらないで、本当にいいの?〟

 

 

 

40歳。人生80年としたら人生折り返しだ。とにかく目の前のことをこなすことに必死だった20代。子どもを産み、自分のことだけ考えて居られなくなった30代前半。多くの人がそうだと思うが、私にとっても出産・子育ては大きな変化をもたらしたできごとだった。「子どもが……」「子どもが……」とあらゆる場面で気付けば主語が子どもになっていった。子どもに手がかかっているうちはその忙しさに夢中でいられる。けど、それが手を離れた時に〝わたし〟は何かに夢中で生きて居られるだろうか、と不安になった。子育て中は、子どもに頼られているようで、実は自分の存在意義を子どもに頼られることに頼っているのではないかと思ったのだ。自分の人生、充実させるのは自分しかいない。自分は何が好きで、何にエネルギーを注げるのか。他人に委ねがちになっていた軸を、自分に戻していかないといけない。そんなことに気付き始めた30代後半。自分の人生を生きようという気持ちを強く持つようになった。
 
〝やりたいこと〟は何歳からでも始められる。大人になり、知識が増え、興味を持つ世界が広がった今こそ選べるものがある。その世界に飛び込んでみる為には、「やってみたい」「知りたい」「見てみたい」という純粋な自分の欲求を認めてあげる必要がある。しかし不思議なもので、やりたいことがある自分と、そのやりたいことを許可しない自分が同時に存在している。大抵、自分が許可をしていないことには無意識だ。その代わりに「家族が……」「世間が……」と自分以外の何かがそれを許してくれないかのように言い訳をしている。が、しかし本当に許可していないのは十中八九、他でもない自分自身だ。「この歳になって今さら」とか「それやって何になるの」とか「自分の為だけにやるなんていけない」というブロックを持っていないだろうか。そのブロックから解放されたら、広がる世界がそこにある。大人こそ、〝沼〟にハマってみませんか。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
添田咲子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

新潟県出身。中央大学文学部教育学科卒。会社員。1児の母。

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2022-11-02 | Posted in 週刊READING LIFE vol.192

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