週刊READING LIFE vol.193

夕餉の香りはDNAに刻み込まれているのか《週刊READING LIFE Vol.193 夜の街並み》


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/11/14/公開
記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「あっ、中華の香りか……」
 
ふと鼻をつく、中華料理独特の香り。
中華料理は大好きなのに、なぜかその日はとてつもなく切なく感じたのだった。
 
1993年2月、私は同じ会社の後輩である男性と結婚し、6月には夫の赴任先である台湾へと渡った。
元々、海外赴任に憧れ、希望していたのは私の方だった。
商社に勤めていたことや、当時、バブル期ということもあって、旅行も含めて海外に触れることがとても多かった
そんな中、海外赴任、海外での生活にまでも憧れるようになっていた
そして、その思いはいとも簡単に叶い、結婚してすぐ台湾での生活が新婚生活のスタートとなった。
 
海外赴任が決まってからわかったのだが、その頃、海外旅行のガイドブックはたくさん出版されていたが、いざ、現地で生活をするとなると、その情報はなかなか得ることが出来なかった。
会社を辞めるまで、貿易部門で働いていた私は、周りにいる海外出張や赴任経験のある上司や仲間から、台湾での生活ぶりを聞くことしかわからなかったのだ。
どちらかというと、憧れの方が勝って、細かいことまで考えていなかった海外赴任だった。
 
ただ、私の中での勝手なイメージは、庭付きの一戸建てに住んで、ゆとりのある間取りでの生活。
近くの街並みは公園のような美しい風景。
空気は美味しくて、周りの人たちとも楽しい交流がたくさんあって。
週末などは、ホームパーティーを開いて、お互いの家を行き来し合う仲間も出来て。
日々の生活なのに、まるで映画のシーンのような想像を膨らませていたのだ。
 
ところが、その「日常生活」の様子すら、台湾での日々は想像が出来なかったのだ。
一体、台湾ってどんなところなんだろう。
少ない情報をもとに、まずは日々の生活に必要を思われるモノを用意して、期待と不安を共に胸に抱いて、台湾に渡った。
まず、海外での生活には言葉が必須だ。
なので、私自身も渡台前に数か月間、北京語を習いに行った。
最低限度の言葉だけれども、少しでも安心感を増やすために、出来る準備はしていったのだ。
 
ところが、いざ現地で生活をしてみると、北京語の教室で習ったような教本にあるような会話はほとんどすることがなかった。
言葉は生き物。
教材が作られた時代から何年も過ぎていたので、ずいぶんと表現方法も違っていたのだ。
結婚して台湾へ渡ったのは、ちょうど30歳の誕生日を迎える前だった。
30歳というと、勤めていた会社では後輩が出来、仕事を教えることもあった。
自分で考え、決断するという行動が身についている年齢だ。
そんなところから、海外での生活が始まると、一気に子どものような存在へと変わってしまったのだ。
言葉が通じないので、銀行や郵便局の用事をはじめ、黙って支払いまでが出来るスーパーマーケット以外での買い物はとても不自由だった。
今思うと、それも慣れてゆけばだんだんできたことだろう。
言葉も、現地でもっと勉強だって出来たはずだ。
ところが、会社で仕事しかしたことのなかった私は、変なプライドが身についてしまっていて、出来ないことばかりを数え、日々落ち込んでいたのだ。
 
あんなにも憧れていた海外での生活だったのに。
自分が希望して、夫に手を挙げてもらって決まった海外赴任だったのに。
そんな経緯もあって、私は弱音を吐くこともなく、葛藤を一人抱え込み、日々悶々と暮らしていた。
自分が育った街のように、自転車に乗って買い物に行けたり、徒歩10分くらいでたいていの用事が済まされるような街ではなかった。
スーパーマーケットでの食料品の買い物でも、大きな荷物を抱え、とぼとぼと自宅までの道を一人歩いて帰っていた。
当時の台湾、私が住んでいた街にはまだ野良犬もウロウロしていた。
そんな風景を見かけると、さらに寂しい気持ちが募っていった。
 
そんなある時、周りの家から夕飯の支度をしている気配がしてきた。
中華鍋で料理をする台湾では、鉄の鍋に鉄のお玉が激しく当たる独特の音が周りの家々からよく聞えてくるのだ。
家に一人いても憂鬱なので、街中をブラブラしてからスーパーマーケットでの買い物をしていると、すっかりと日が傾いてしまっていたのだ。
 
「ああ、もう夕飯の時間なんだ」
 
そう思った瞬間、私の鼻をかすめたのは、ごま油にニンニクを入れて熱を加えた、あの中華料理独特の香ばしい匂いだった。
普段、中華料理は大好きで、自分でも作るし、屋台やレストランでもいくらでも食べていた。
どちらかというと好物でもあったのだが、その日、比較的大きな音を立てて回る換気扇の向こうから漂ってくる、その家の夕餉の香りに私は悲しくなっていった。
 
台湾は、昔、日本が統治していた時代があって、その頃に立てられた家屋がまだ残っている地域多い。
いわゆる、瓦屋根の平屋の建物だ。
それを見ていると、まるで日本にいるような錯覚に陥ることもあった。
 
「日本だったら、今頃は鰹節のだしのほのかな香りとお醤油の優しい匂いが漂ってくるんだろうな」
 
見える街並みは、日本のようなのに、夕餉の香りはそうではないという事実。
そう思った時、私は初めて台湾でホームシックというものを経験した。
香りの中に、今は手が届かない懐かしさを感じ、憧れから選んだ生活が思うように行かないことに切なさでいっぱいだったのだ。
自ら望んだことだったので、当時の私は弱音を吐くことすらできなかった。
 
少し向こうに見える、小高い山に沈むのは、オレンジ色の大きな太陽だった。
一日を終え、台湾の街にも夜をもたらせてくれた。
その太陽の色や形は日本で見たそれと同じだった。
オレンジ色からやがて紫色に変わり、その後は漆黒の夜へと移っていった。
その濡れたような黒い夜がさらに切なさを増していった。
 
目に入る住宅街の風景は、日本とさほど変わらないのに、香りの記憶だけがよみがえってくれないことに、とてつもない寂しさが湧いてきたのだ。
あんなにも望んで、期待を膨らませてやってきた台湾での生活。
それなのに、こんなにも切ない気持ちになるなんて。
 
1990年の初めに、台湾での生活を送っていた私は、非日常のような楽しい海外生活も経験しつつ、どこかで自分が思うように行動出来ないことや、日本との違いにストレスを感じていたのだ。
そんな台湾での生活は、1年半という短い期間で終わり、日本へと帰国することとなった。
 
その後、台湾へは旅行や仕事で何度も行くこととなった。
ここ30年ほどで、台湾の街はずいぶんと変わっていった。
赴任中、台湾の首都の台北では、地下鉄の工事をしていて、そこかしこで交通規制があった。
バスや車の渋滞が常で、工事の砂埃も立ち、台北の街は騒然としていたイメージだったが、今ではどこへ行くのも地下鉄で時間通りスムーズに行けるようになった。
2004年には、世界一の超高層建築物、台北101も完成した。
さらには、15年前には台湾新幹線も開通した。
日本の新幹線の車体が台湾の北と南を縦走している。
 
台湾への旅行をしたある夕暮れ時のこと。
ショッピングモールやビル街から一歩入ると、住宅街がありそこを通っているとその家々から漂ってくる夕餉の香りがそこにあった。
 
その時、私は台湾で生活していた時のことが鮮明によみがえってきたのだ。
今度はどんなふうに感じるだろうか。
また切ない思いがよみがえってくるのだろうか。
その時、私はふと「ああお腹が空いた、何か食べに行かなくちゃ」
そう思ったのだ。
あのごま油とニンニクの香ばしい匂いは、その日の夕刻の私の食欲を呼び覚ましてくれた。
 
夕餉の香りは、何を受け入れ、何を拒否するのかは、こちらの心のテンションや環境によって常に変化するものなのだろう。
そして、寂しい、辛いといった記憶は、ふとしたことで心地良さやワクワクするものへと入れ替えて行けるものなのかもしれない。
台湾で生活していた頃、寂しさも相まって、夕餉の香りは和食という思い込みもあって、さらに寂しさを呼び込んでいたのかもしれない。
中華料理は好きなのだから、その香りを楽しみ、受け入れる余裕だけが当時の私にはなかったのだろう。
 
日本人だから、夕餉の香りは鰹節と醤油の香りだけを好むというものでもなく、その時々の背景によって、受け取り方は変わるのだな。
日本での食事も、和食だけにとどまらず、洋食や中華と多様化している。
おふくろの味は、何も肉じゃがだけではないはずだ。
パン作りが得意なお母さんだったら、その子どものおふくろの味はパンかもしれない。
そんなことを思うと、私の気持ちもずいぶんとほぐれていったのだ。
 
そして、少しずつオレンジ色の濃さが増し、やがて沈んでゆこうとしている太陽は、いつもと違う土地であったとしても、それを美しいと思い、感動して見ている私がそこにいた。
きっと、目にする光景、何を美しいと感じるかという気持ちの方は、DNAに刻み込まれているのだろう。
 
そんなことを考えていると、また久しぶりに台湾へ行きたくなったな。
人々の活気が肌に伝わってくる台湾。
街中の家々、屋台やレストランから漂う中華料理の香り。
あの、ごま油とニンニクの効いた美味しい中華料理を、早く食べたいものだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。

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2022-11-09 | Posted in 週刊READING LIFE vol.193

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