週刊READING LIFE vol.193

大人になったから、とことん「寂しい」を楽しんでみた〜ソロキャンプが教えてくれた「寂しさ」との向き合い方〜《週刊READING LIFE Vol.193 夜の街並み》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/11/14/公開
記事:すじこ
 
 
突然だが、あなたは「寂しい」と感じたことはあるだろうか。
きっと、「ない」と答える人は少ないだろう。
仮に「ない」と答える人がいたとしても、思い込んでいるだけで、潜在的に「寂しさ」を
感じている人は多いのではないか。
 
それは、誰もが寝に静まり返った真夜中だったり。
それは、忙しい仕事をやり切りヘロヘロになった帰宅中の電車の中だったり。
それは、夕ご飯で使った食器を洗っている時だったり。
 
時間、体調、タイミング。その他複数の要素のなかで1つでも何かのバランスが崩れた時、
ふと「寂しい」と誰もが、感じてしまうものだ。
その「寂しい」と感じる周期や、「寂しい」と感じる感度は人それぞれではあるが、多かれ少なかれ、その気持ちを感じるセンサーは皆等しく持っている。
特に厄介なのは、そのセンサーの感度が夜になると異様に感度が高くなるということだ。
 
昼間は仕事や家事など、大体の人間は活動的になるため、「寂しい」と感じる隙も余裕もないため、その「寂しい」という感情は自制ができる。
それに対して夜は、昼間より活動的ではない人が多いため夜が「寂しい」と感じる人が多いのではなかろうか。
 
今までの大人というのはその「寂しさ」を埋めるために、夜の街で仲間とお酒を嗜んだり、クラブで踊ったりして、どうにか「寂しい」という感情をコントロールしていた気がする。
私もその一人で、夜は仲間とお酒を飲んだり、カラオケに行ったりと活動的だった気がする。
夜に活動的だった理由の一つには、昼間は仕事をしているため「夜しか遊べない」というのもあった。しかし、今考えてみれば「夜一人でいるのが寂しかったから」という理由の方が大きかったのかもしれない。そう思うようのなったのはある事件をきっかけに夜の外出ができなくなってからだ。
 
その事件とは言わずもがな、コロナウイルスである。
2年前、コロナウイルスは今よりも人命に危機を及ぼすもの、医療崩壊に直結するものという認識が高く、世間は外出自粛ムードの渦中にあった。中でも夜の街は外出自粛ムードの被害を一番受けていた。昼間の行動は仕事や買い物など生活に関わる行動が比較的多いため、そこまで外出自粛を強く求める風潮ではなかったが、夜の街に繰り出すというのはまさに「不要不急」そのもと思われる傾向があり、夜の街に繰り出す人や、営業を続ける店に対しての世間の風当たりは冷たかった。結果、夜の街から大人が消え、営業休止に追い込まれたお店は数知れない。
私も見事にその世間の風にのまれ、めっきりと夜の外出がなくなり、やることがない夜、一人で過ごす夜がまた一日また一日と増えていった。
そんな夜を何日も何ヶ月も続けていると、ヤツの感度が敏感になってしまうのはもはや自然の流れである。そんな時節柄でも、昼間は仕事で人に会ったり、休日も昼であれば友人と会うなどコミニュケーションを誰とも取れなかったということはなかった。
 
しかし夜になると「寂しさ」は何食わぬ顔でやってきた。そこで私は初めて「夜しか時間がないから夜に遊ぶ」のではなく、「夜が寂しいから夜に遊ぶ」ことを選んでいたと気づいたのだ。
それと同時に「寂しい」という感情は大人になっても消えないものなのだなとも思った。
今までは他人といないと「寂しい」と思うのは子供だけが持つ感情で大人になるにつれその感情が消えていくのだと思っていた。しかし、その感情は消えることはない。
ただ、大人というのはその感情を紛らす手法がいくつもある。
その一つが「夜の街で遊ぶ」というものだったが、その手法を半ば強引に取られてしまった私はもうとっくに克服したと思われた「寂しい」という感情と向き合うことになった。
つまり私は大人になっても「寂しい」から卒業できていなかったのだ。
 
大人になっても「寂しさ」からは卒業できない。
しかし現実は残酷なもので、大人になればなるほど「寂しさ」と向き合う時間が増えていく。
友人は彼女や家族など、大切なものを得ていき、だんだんと一緒に過ごす時間が少なくなる。
若い時は「寂しい」を満たす仲間がすぐそばにいてくれたが互いのライフステージや生きている環境が違えば、その仲間もすぐ隣に来てくれることは難しいだろう。
 
それは恋人、家族がいるひとも例外ではない。
恋人がいたとしても、結局のところ、「ひと」と「ひと」の営みだ。
恋人にだって仕事や、趣味の時間、体調の変動だってある。
家族になったとしても、妻、夫、子供、その全てに家族とは違う世界がある。
日がな一日そばにいれるわけではない。
つまり、大人になればなるほど、ふいな「寂しさ」に対応できなくなる場合が多いのだ。
そう考えたら大人は子供よりも「寂しさ」というものを抱えているのかもしれない。
 
今となってはコロナウイルスの感染者が下火になって夜の街も以前と変わらない活気を取り戻しつつあるがまたいつ感染が拡大するかもわからない。
以前のようにすべて「寂しさ」を夜の街に紛らすことはできないと思っていた頃私はあるアニメから「寂しさ」と向き合う方法について教えてもらった。
そのアニメとは「ゆるキャン△」だ。
 
ゆるキャン△ 作・あfろ
 
静岡から山梨に越してきた女子高校生名務原なでしこは、山奥でソロキャンプを楽しんでいたの女子高校生、志摩リンと出会ったことをきっかけにキャンプに興味を持つことになる。
高校では、サークルの仲間とキャンプにでかけるようになるなど、仲間と一緒にキャンプへどんどん夢中になっていく。一方同じ高校の同級生であったリンは、なでしこからサークルの加入を勧められるがグループキャンプに苦手意識を持つリンはその誘いを断る。
しかし、徐々になでしこに心を開くようになったリンは、グループキャンプへの抵抗感がなくなっていき、次第にグループキャンプにも参加していくようになる。
 
「ソロキャンプ」のよさを余すことなく描いたこのアニメは、大人数で集まれないご時世も相まって空前の「ソロキャンプブーム」を巻き起こした。
ひとりでキャンプを味わう人たちが大勢キャンプ場に訪れたり、ソロ専用のキャンプ場ができるなど、いままで主流だったファミリーキャンプやグループキャンプとはまたちがうキャンプの楽しみ方が生まれた。
 
もしかしたらこの記事を読んでいただいてる方の中にもソロキャンプを始めた方も多いかもしれない。それだけ一時期のキャンプブームは凄まじいものがあった。
そして何を隠そう私もコロナ渦にソロキャンプをはじめた一人である。
 
「ゆるキャン△」を見てソロキャンプというものに魅了された私はコロナ渦でもコロナが落ち着いた今でもキャンプに行くぐらい没頭してしまった。
徒歩キャンパーということもあり、自宅がある東京周辺のキャンプ場に行くことが多く、東京のキャンプ場、山梨のキャンプ場、神奈川のキャンプ場に一人で赴きキャンプを楽しんでいる。
 
特に、山梨のキャンプ場はキャンプを始めるきっかけとなった「ゆるキャン△」の舞台にもなった場所ということでテンションが上がった。
また、標高も高いキャンプ場であったことから空気が澄んでいて、遠くには東京が一望できた。
 
行ったのが連休明けであったこともありキャンプ場は、にぎわあっている様子はないものの
夫婦でキャンプを楽しむ方たちや、私と同じようなソロキャンプを楽しむ方たちは多かった。
そしてワイワイキャンプを楽しむような方たちもいなかったため、落ち着いたキャンプを楽しむことができた。コンディションは最高だ。
私も、テントを設置や、焚き火の薪割、夕飯の支度を行ったり、椅子にもたれたり、テントの中で昼寝をしたりと本当に自由気ままな時間を送っていた。
友人とキャンプにきたらここまで自由にまったりすることはできない。
まさに自由だ。自分を解放している気がした。
そして、あっという間に夜が訪れ、各テントにはランタンが灯り、焚き火のパチパチという音がかすかに聞こえ始める。
私もランタンを灯しと昼間に割った薪に火を点ける。だが、ランタンの灯りも焚き火が灯す範囲もそこまで広範囲というわけではないため、辺りは真っ暗だ。
一寸先は闇ということばがあんなに適した場面はない。ランタンで手元を照らさないと歩くことも難しいほどの闇の中で一人キャンプをする。まさに孤独の境地だ。
しかし、なぜだろう。寂しくはないのだ。不思議なものである。
 
東京の灯りが溢れた夜の街を歩いても、不意な「寂しさ」を感じていたのに。
東京の音が賑やかな夜の街を歩いても、不意な「寂しさ」を感じていたのに。
灯りがないこの街の方が、音のないこの街の方が、「寂しさ」を感じないのだ。
この差はなんなんだろう、と思っていた時、ふとある言葉を思い出した。
 
「ソロキャンは寂しさを楽しむもの」
この言葉は「ゆるキャン△」の志摩リンが放った言葉だ。
ソロキャンプというのは寂しいという気持ちも一つの要素でその気持ちさえも楽しむことができる。
つまり、ソロキャンプは寂しいという気持ちを埋めるのではなく、あえて寂しい気持ちととことん向き合うことで「寂しい」が「楽しい」に変換することができるアクティビティなのだ。
自分ととことん向き合い、寂しいという気持ちととことん向き合う。
目まぐるしい社会を生きる大人にとってはそんな日も必要なのかもしれない。
 
今日も街に夜がやってくる。
街は暗闇に包まれないようにと灯りがまた一つ、また一つと灯り、街が静寂にならないようにとどこからともなく賑やかしい音が流れる。
そんな夜の街にまた一人また一人と寂しさを抱えた大人が今宵も集い、あちらこちらで宴がはじまる。もちろん、宴も寂しさを紛らすための手段の一つだ。
仲間と酒を飲み交わすことで寂しいと感じる気持ちから距離を置けるのなら問題はない。
しかし、仲間と酒を飲み交わすだけでは寂しさが紛れない夜もあるかもしれない。
その時はいっそのこと、とことん寂しさと向き合ってみるのもいいかもしれない。
 
「ソロキャンは寂しさを楽しむもの」
そう、「寂しさ」はとことん向き合うことで「楽しむ」ことができるのだ。
 
大人になったから「寂しさ」を楽しんでみる。
あなたも一度「寂しさ」を楽しみに灯りも音もない街へ訪れてみてはいかがだろうか?
「寂しさ」を「楽しさ」に変えられる人はもう寂しい夜なんて怖くない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
すじこ

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2022-11-09 | Posted in 週刊READING LIFE vol.193

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