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週刊READING LIFE vol.198

やっと、ポジティブな落とし所を見付けることが出来た《週刊READING LIFE Vol.198 希望と絶望》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/12/19/公開
記事:山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)
 
 
毎年この時期ともなると、決まって、芝居が打たれたり話題に為ったりする史実がある。
赤穂藩の残党が、主君・浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の無念を、本所松坂町(現在の墨田区両国3丁目)に在った邸内で、吉良上野介(きらこうずけのすけ)を討ち取ることによって晴らした仇討事件だ。
一般的には『忠臣蔵』として知られている、『赤穂事件』だ。大概の日本人は、知っていると思われる。
 
何故これ程迄に、『忠臣蔵』が日本中で有名なのか。
それは、毎年必ず舞台や映画、もしくはテレビドラマで上演されるからだ。しかも内容が、“主君の無念”“我慢する家来”“執念の仇討”といった、いかにも日本人好みの内容だからだろう。
 
但しこれは、マジョリティである一般論だ。
何事にも、少数意見(マイノリティ)が存在する。
定番人気の『忠臣蔵』でも同じだ。
 
 
私は、生まれも育ちも東京の下町だ。俗にいう‘川向う’、皇居(江戸城)から大川(隅田川)を越えた江東区(こうとう区)だ。
信じられない話だが東京の川向うでは、『忠臣蔵』を話題にしない地域がある。更にその地域では『赤穂事件』を、『忠臣蔵』と表現せず別の呼び方をする。『吉良祭』と呼ぶのだ。
そこには、歴史を遡らなければならない深い訳が在る。
 
現在、東京都墨田区には‘両国’という地名がある。しかし、江戸時代には‘両国’なる地名は無かった。今の‘両国’といわれる一帯は、『本所○○町』と表記され呼ばれていた。
そう、江戸時代には‘両国’という通称は有っても、明記された正式の地名は無かったのだ。例えば、当時の大川(隅田川)に掛かる“両国橋”は現在とほぼ同じ場所に掛かっていた。
この‘両国’の通称だが、耳にすることは多いが由来を御存知無い方も多いことだろう。
 
昔の江戸の街は、世界で初めて100万(人口)都市といわれる大きな街だった。
それは、川向うの本所地域やその先も江戸の一部だった。
その証拠に、当時は農地が多かった現在の江戸川区小松川で作られ始めたのが、今でもスーパーでよく見掛ける小松菜だ。江戸の食糧不足と庶民の栄養の偏りに、危惧を感じた八代将軍・徳川吉宗が、江戸での生産を奨励したことに始まる。
川向うも、江戸のテリトリーであった証拠だ。
 
ところが、江戸時代の国境は、大川(当時の荒川、現在の隅田川)だった。
大川以西は、武蔵の国。川向うは下総の国だった。国境を厳密に考えるのは、石高で統治する大名を、幕府が決めていたからだ。
要するに、江戸時代の江戸の街は、武蔵と下総の両国に跨っていたのだ。
そこで、‘両国’という通称が生まれたのだ。
これは、昭和の時代、川向うの下町っ子は普通に小学校で教えられたものだった。
 
 
『何で??』
これは余談だが、20年前の2012年、一部の下町っ子の頭上に一斉に“?”が立った。
何故なら、その年竣工した『東京スカイツリー』の高さを知ったからだ。スカイツリーの高さは634m。問題はその理由だった。
報道では、
『武蔵の国なので‘634’mにした』
とのことだった。
ところがだ、スカイツリーが建つ墨田区業平・押上一帯は、先に述べた通り下総の国なのだ。そこは、隅田川の東岸に位置するからだ。
なので、子供の頃からの教えを覚えていた下町っ子は、一斉に声無き異議を申し立てたのだ。
実際、私の地元の知り合いで、東京スカイツリーへ行った者は居ない位だ。
 
 
大川の東側、下総の国の江戸住民は、江戸っ子の気質と気概は有ったものの、若干の劣等感も持ち合わせていた。
何故なら、大川西岸の武蔵の国から虐げられていると感じていたからだ。
代表的例が、銀座が江戸城近くに在ることだ。
江戸にはオリンピックのメダルではないが、金座・銀座・銅座という金属を精錬し硬貨を製造する場所が在った。
金座は、現在の日本銀行が在る場所だ。銀座は、誰もが知る現在の場所だ。
そして銅座は、現在の亀戸天神の近くに在った。現在では、石碑が建っている。
これは、銅が金や銀に比べて毒性を多く含んでいたからだ。銅の毒性は、明治時代の『足尾鉱毒事件』でも御解かり頂けるだろう。
「そんな毒性が強い銅は、川向うで作らせておけ」
と、言わんばかりだと我々は感じたものだった。
そんな虐げられ、都市計画も儘ならなかった川向うを、整備しようと乗り出して下さった殿様が、吉良上野介公だった。
川向うの本所松坂町に居を構えると、下町一帯(現在の墨田区・江東区・江戸川区周辺)を町人が住みやすい環境にしようと動いて下さったのだ。
当然、都市計画という行政行為には多大な予算を必要とする。そこで吉良様は、持ち前の政治力で資金を集め下町の貧しい庶民の為に使って下さったのだ。
但し、その資金集めのことを、現代では‘賄賂’として忌み嫌ってはいるが。
 
そう、我々下町っ子にとって吉良上野介公は、一般的に思われている、意地悪で偏稚気で腹黒い年寄りではない。
庶民の為に、幕府に掛け合い、無理を通して街を整備して下さった大恩人なのだ。
 
なので今でも、両国一体では毎年12月14日に為ると、『赤穂事件』を『忠臣蔵』等ではなく、『吉良祭』として上野介公を祀る行事にしている。
なので今でも、下町では『赤穂事件』のことを、中央政治を牛耳る長老に虐げられた主君の仇を取った『忠臣蔵』とは言わない。
なので今でも、江戸の世情を知らない田舎大名を、丁寧に指導しようとした吉良様が、浅野の短気が原因で、その残党に惨殺された忌まわしい日としているのだ。
 
 
毎年12月14日が近付くと、吉良上野介公の無念を悼むのだ。
 
 
流行り病が一段落した今年11月下旬、私は久し振りに舞台の観賞に出掛けた。
天狼院のライター仲間で、プロの役者でもある石綿大夢(いしわたひろむ)氏が出演するからだ。
天狼院でも演技指導を為さっている石綿氏のこと、どんな芝居をされるのか楽しみだった。
但し、懸念も有った。それは、掛けられた演目が『忠臣蔵』だったからだ。
仲間意識が強い私は、石綿氏の舞台を観賞することに躊躇いは無かった。ところが、下町っ子の私は、
「果たして素直に『忠臣蔵』を観られるだろうか」
と、心配した。
その心配は、“絶望”に替わろうとした。
 
劇場、といっても住宅街の一角に在る小さな劇場だった。入り口には石綿氏の奥方(スタッフとして舞台を支えていらっしゃる)が御居でに為り、木戸銭(入場料)は支払うとチケットと共に襷状の物を渡された。
白い襷には、何やら黒い字が書いてあり、
「客席に着きましたら、これを首から掛けて下さい」
と、奥方は申し出られた。
私の“絶望”は絶頂に達した。
何しろ一目瞭然だったからだ。
その襷は、『忠臣蔵』の中で赤穂の残党が、吉良様の屋敷に押し入った際に着用した揃いの襷を模したものだからだ。
しかも、客席でそれを着けろということは、観客も赤穂の残党として『忠臣蔵』に参加せよとの御達しと思われたからだ。
私はうつむきながら、開幕を待った。
 
 
石綿氏が演じたのは、『忠臣蔵』の主人公である大石内蔵助(くらのすけ)だった。
但し、今回の『忠臣蔵』は、通常と違っていた。案内によると、二人芝居なのだ。
石綿氏の大石と、先輩(石綿氏の)俳優が演じる吉良様他しか登場人物が出てこなかった。
しかも石綿氏の大石は、定番の『忠臣蔵』に登場する大石とは違い、仇討の決定すら躊躇う、実に人間臭い大石として描かれていたのだった。
幕府の押しつけと、部下の突き上げに挟まれ、思い悩むこれまでに観たことが無い大石だった。
そこには、英雄視されがちな大石内蔵助ではなく、城代家老としての重責に圧し潰されそうになる中間管理職が居た。
石綿大夢氏は、台本に書かれた珍しい大石を、格別なリテラシーとプロの解釈で見事に演じられた。
芝居の終盤、私は思わず、
「御見事!」
と、声を掛けそうになった。
 
 
芝居が終わり、舞台が暗転した暗闇の中で、私はふとした思いを感じていた。
それは、
『もしかして、大石内蔵助をヒーロー視したがっているのは、我々下町っ子ではないか』
と、いうものだ。
更に、
『必要以上に、大石内蔵助を始めとする赤穂の四十七士に反目したがるのは、下町っ子の劣等感の現れ』
ではないかと。

何故なら、地元に尽くして下さった吉良の殿様が、名も無き意志も弱い者に殺されたのでは浮かばれないと感じているからだろう。
むしろ、意志の固い英雄に討たれたのなら、納得がゆくと本能的に自らの考えを防御しようと感じているからだろうと。
そしてそのほうが、自分の気持ちを収め易いと感じているからだろうと。
 
そのことに気付いた私は、木戸銭を払った際の“絶望”が、仄かな“希望”に換わった気がした。
 
 
舞台の閉幕後、内蔵助の衣装のまま挨拶に来て下さった石綿氏に、私は思わず、
「恐れ入りました」
と、一言で芝居の感想を伝えた。
感想を通り越して、感謝したい気持ちで一杯だったからだ。
 
 
冬季に近い風が吹いていたが、何とも気分の良い帰路だった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)


〈著者プロフィール〉
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeasonChampion

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2022-12-14 | Posted in 週刊READING LIFE vol.198

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