ようこそ、辛く苦しい“癒し”の世界へ《週刊READING LIFE Vol.204 癒される空間》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2023/2/14/公開
記事:石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
開演前の音楽が流れる。
音の高鳴りと競うように、会場の明かりは落ち始める。その音が最高潮になった時、会場は暗闇に包まれる。演劇用語で“暗転”(あんてん)という、公演のスタートや場面転換の恒例のスタイルだ。
舞台を中心に俳優として活動をしている。お察しの通り、皆さんが僕の名前を見てもピンとこないということは、僕は有名でも売れている俳優でもない。しかし売れてはいないなりに、長年舞台に立ってきて、思うことがある。
まず、舞台はとても疲れる。
何を当たり前のことを、とおっしゃるかもしれない。
そもそも普通の人はあんなに大きくはっきりとは喋らない。それだけでも一般の社会人とは少し違った筋肉が必要だ。さらには、あんなに大勢の前に身を晒す、ということは想像以上に体力を使う。最初は、まっすぐ立つのも足が震えてしまったり、歩くのもおぼつかなかったりするものだ。どの業界でもそうだと思うが、そこに必要なのは、やっぱり訓練と慣れだ。
そしてさらに、想像してみてほしい。照明はとても暑い。
客席1000席以上の大きいホールなら、天井も高く空調も効いている場合が多いので、比較的快適であるが、小さい劇場はそうはいかない。客席100〜200くらいの小劇場では、客席と舞台はとても密である。ひどい時は大きい照明機材が頭上15センチくらいのところに設置されていたこともある。L E D照明も主流になってはきたものの、多くの照明機材は未だ白熱電球を使っているので、とにかく暑い。まぁその熱気を共有できるのが小劇場の魅力ではあるんだけど。それにしても衣装を着て、緊張しながら、泣いたり笑ったりしなければならない。冷静に考えてみると、異常なことをしていると思う。
しかし舞台俳優という人間たちは、そんな環境をこの上ない喜びとして捉えてしまう。
まさに異常者集団と言っていい。
普通“癒し”と聞くと、安らぎとか休息という言葉とセットで語られることが多い。
確かに僕もサウナに行ったら“ととのう”し、マッサージに行ったら変な声が出てしまう。猫カフェに行けば、誰にも見せたことがないような、にやけた表情になってしまうだろう。
でも考えてみたい。“癒し”とはイコール“安らぎ”なのだろうか。
僕も含めて多くの人が、社会の中でなんとか日常生活を送っている。
コロナ禍でリモートでの勤務が定着している人もいるだろうが、多くの日本人はまだ満員電車に揺られている。あの人権をガッツリ無視した寿司詰め状態は、本当に体力を消耗するものだ。そういう過酷な状況に身を置いている多くの日本人が、“癒し”と聞いてゆったりとしたソファで寝転ぶことや、暖かい布団にふんわりと包まれることを想像するのは、ある意味必然なのかもしれない。ギチギチの日常で失われたナニカを、そうやって補充しているのだ。
そうなのだ。“癒し”とは、ナニカを補充するということなのだ。
そしてそれは、単なる安らぎや休息と言ってしまうのは早計だと思うのだ。
例えば僕の友人のNさんは、かなり重度のジャニオタである。
平日は毎日毎日通勤電車に揺られ、朝からみっちりフルタイムでO Lをしている。可能であれば残業もする。推しを追いかけるには、お金が必要だからだ。
推しがツアーで日本中を廻るとなると、その忙しさはピークに達する。
時には、金曜日の夜にギリギリまで残業をして、その足で深夜バスに乗り地方へ遠征に行くこともあるらしい。推しを想えば、睡眠不足や重い荷物など、全く気にならないという。
このNさんの“癒し”は、その推しだ。
だが客観的な事実を眺めてみると、肉体は相当過酷なスケジュールで動いている。ジャニオタではない僕からみると、推しがNさんにもたらしているのは“癒し”ではなく、よりハードな生活だ。
しかし、である。Nさんはこの推しから明らかにナニカを補充しているのである。
推しが出演しているドラマを見ることを考えれば、煩雑なデスクワークなど造作もない。敢えてしている残業も、推しのグッズを買うためだ。Nさんは自発的に、(僕から見れば)苦行とも言える日常を喜んでやっている。こちらももはや異常者である。
だが、それはなぜか。
Nさんにとっては、それらが全て「推し」という“癒し”に繋がっているからだ。
「そんな生活していて、大変じゃないの?」
こう聞いた僕にNさんは、ゆっくりと首を横に振りながら、こう答えた。
「全く辛くないよ。むしろ、楽しいよ」
過酷な日常生活でいろんなものを搾り取られた社会人にはない、ギラついた目でNさんは微笑んでいた。
“癒し”とは、ナニカを補充することだ。
そう考えると、僕ら舞台俳優は何を補充しているのだろう。
考えてみてほしい。長文のセリフを覚え、言い間違えは許されない。頭上から燦々と降り注ぐ高熱の照明の下で、身を晒している。観劇してくださっている全ての人に楽しんでもらえるように、僕らは本気で泣き、怒り、笑う。俳優の本気を観客も感じ取り、会場の熱は高まっていく。優れたストーリーや演出、その他スタッフワークがその全てを支えている。
“もう一回”の無い、舞台演劇はかかるプレッシャーも半端なものではない。ひどい時は、ご飯も喉を通らなくなる。
ではなぜ、そんなに辛いことをすすんでやっているのか。
まさに、その“辛さ”こそが“癒し”に繋がっていることを、一度でも舞台に立ったことのある人間は知っているのである。
昨年の6月から名作演劇ゼミという講座を担当している。
読書好きでもなかなか読む機会がない演劇界の名作たち。その歴史的背景や、俳優がどんなことを考えて演じているのかを知ることで、名作を身近に楽しんでもらおうという講座である。今はウィリアム・シェイクスピア作品を中心に取り上げていて、今期は喜劇『十二夜』だ。
講座の最終回には、発表会をする。
短いシーンだが、その戯曲の中で選りすぐりのワンシーンを参加者の方に演じてもらう。セリフも当然覚えてもらって、簡単な演出や演技指導もしていく。普段は演技を仕事にしていない方ばかりだが、回を追うごとに白熱していき、もうほとんどプロ顔負けの熱を持って取り組んでいただいている。
発表会が終わり、参加者の方に話を聞くと、決まって同じようなことを言っていただける。
「大変だったけど、楽しかった。クセになりそう」
そうなのだ。長いセリフをぶつぶつ言いながら覚えるのも、膝が震えるほど緊張しながら演じるのも、この“クセ”のためなのだ。
僕ら舞台俳優だけでなく、こうやって一度でも本気で舞台を作って演じる経験をしたものは、この“クセ”が中毒となり、どんなに大変だと分かっていても舞台に立ちたいと思ってしまうのである。
つまり辛い準備をした先に得たナニカ=達成感や爽快感が、僕らにとってかけがえのない“癒し”なのである。
だから僕を含めて多くの俳優は、たいして儲からないのに舞台に立つことをやめないのである。その苦しく辛い時間が、最高の癒しに繋がっていることを、体がもう覚えている。
最後の発表会が終わり、名作演劇ゼミ参加者の皆さんが、緊張と不安から解放された顔を見ながら、僕は毎回、心の中でこう呟いている。
「ようこそ、演劇の世界へ」
□ライターズプロフィール
石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
1989年生まれ、横浜生まれ横浜育ち。明治大学文学部演劇学専攻、同大学院修士課程修了。
俳優として活動する傍ら、演出・ワークショップなどを行う。
人間同士のドラマ、心の葛藤などを“書く”ことで表現することに興味を持ち、ライティングを始める。2021年10月よりライターズ倶楽部へ参加。
劇団 綿座代表。天狼院書店「名作演劇ゼミ」講師。
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