週刊READING LIFE vol.204

人生最後の登山で見た景色《週刊READING LIFE Vol.204 癒される空間》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/2/13/公開
記事:赤羽かなえ(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
ふと気づくと、時計の針が7時55分を指していた。
 
しまった、確実に遅刻する。
 
慌てて家を飛び出し、車のエンジンをかける。
土曜日だから渋滞はないだろうけど、集合時間にギリギリ間に合うかな……。
いつも以上に赤信号にひっかかるので、握っていたハンドルに力がこもった。
 
なんであんなに時間が経っていたんだろう。
行きたくない気持ちの方が強くてなんだかんだとグズグズしていたせいだな。
 
着慣れない化繊のアンダーウエアが妙にひんやりして居心地が悪かった。
 
集合時間ギリギリセーフで待ち合わせの保育園に着く。
今日は、保育園の年長保護者と先生で子ども達が登山する山の下見をしに行く。
娘の通う保育園では、年に何回か登山が行事に組み込まれている。2月の登山は1年間の集大成で、600m近い山を3つ縦走するという。これから、その三山登山を子供達が歩きやすいように下見しながら、保護者も同じルートを体験する日なのだ。
 
実は数日前から憂鬱だった。私はもともとアウトドア派ではない。「あなたは、海派? 山派?」って聞かれたら「街派です」って言いたいくらいなのだ。最近私の周りではお山部というのが発足していて、SNSに笑顔の登山ショットが上がって来る。ある友達は、普段仕事でものすごく忙しいにもかかわらず、休みはほとんど山を登っているんじゃないか、というくらい沢山写真を載せていて、すごいなあと思っていた。色々なことに首をつっこみたい私だけど、登山だけはノーセンキューだ。その頂上の景色だけは見てみたいけれど、そこに至るまでに登らなきゃいけないし、頂上に行ったからには下って帰ってこなければいけないし、よくやるなあって思っていた。
 
だから、強制的に登山しなければいけないというだけで完全に及び腰だった。
 
車を降りると、雲が空を覆っていて、冷たい風が吹きつけてきた。小走りに園舎の中に入り、先生たちに挨拶をする。
 
「おはようございます、寒いですねー」
 
口からはネガティブワードしか出てこない。先生たちは苦笑いしながら、「がんばりましょう」と励ましてくれた。出かける前に、登山を甘く見ないようにと重々注意を受ける。いざという時に鳴らす笛も渡され、くれぐれも一人にならないように念を押された。
 
私も山の怖さは多少なりとも分かっているつもりだった。昔、富士山に2年連続登ったことがあって、その時に大変な目にあった。1年目の時に天気も良く、ビギナーズラックで意外とすんなりと登れてしまったせいで、2年目に油断していたのかもしれない。その年は、登っている途中にいきなり天候が悪くなり、山頂付近でものすごい雹を浴びてあっという間に具合が悪くなった。軽い高山病のような状態になりながら、命からがら下山して、山の怖さを思い知ったのだった。だから、今回も自分が出来る限りの装備や持ち物を準備した。
 
それでも、三山を縦走するなんて初めての体験だ。ちゃんと登れるか不安だったので、登山用のストックを貸してもらい、登山口まで送ってもらっていざ出発!
 
登り始めから試練が待ち受けていた。標高600mくらいとはいえ、なかなかの急こう配だ。ストックがなかったらなかなか前に進めない。しかも道は大量の落ち葉といのししが通った跡があってひどく歩きづらい。寒さを気にして着ていたスキーウエアだったけど、登っているうちに暑くなって、あっという間にお荷物になった。いつもなら着ない化繊は汗をすぐに放出してくれるけど、その下に着ていた綿のタンクトップは汗を吸い込んでじっとりと気持ち悪い。化繊のウエアを着た方がいいよというアドバイスになるほどと思いながら進んでいく。
 
最初のうちは、談笑しながら登る余裕もあったけれど、途中から息が切れて黙々と足元を見つめながら一歩一歩進んでいく。
 
「あーーー、もう、私、これが人生最後の登山だわ!」
 
休憩に入った時に肩で息をしながら叫ぶと、一緒に登っているメンバーに笑われた。でも、私は本気でそう思っていた。なんで、こんな朝早くから登山してるの。
 
「ここをね、年長さんたちは、元気よく時々遊びながらどんどん登っていくんですよ」
 
ベテランの先生が笑いながら毎年の様子を教えてくれる。小柄な5歳の我が子を思い浮かべた。あの子が2週間後には、この山を颯爽と登っていくのかと思うと、普段から保育園で身体を動かしている積み重ねのすごさを実感する。私なんか、家で寒い寒いと言いながらコタツでぬくぬくと一日過ごしているもんなあ。そりゃあちょっと登っただけで、息切れするわ。カッコ悪いなあと反省しながら、ノロノロと立ち上がり再び登り始める。
 
まあ、人生最後の登山なんだから、景色も楽しもうじゃないか。
 
少しずつ登っていくと、段々と景色もよくなってくる。時々雲が切れて太陽が出てくる。おひさまの力は偉大で、あたたかい光がほっと身体を緩ませてくれる。足元にはまだ大量の落ち葉が残っているけれど、木々の枝を見ていると、もう少しずつ芽が出ているのもわかった。
 
折しも今日は2月4日立春で、側溝にはまだ雪が残っていて冬を感じたけれど、もうすぐそこに春が来ているのを実感できてうれしくなる。
 
最初の1時間ほどは、かなりの急こう配で辟易したけど、しばらくすると緩やかなアップダウンが続き、歩きやすくなった。その頃には少し元気になって、登山メンバーと世間話をしながら歩く余裕も出てくる。
 
枯れ葉を踏みしめるカサカサとした音、木の皮の匂い、木陰の湿った空気や時折聞こえる鳥の声。視界が開けると、広島市内の島や海が一望できる――時々出てくる大岩に登って景色を堪能しているうちに、少しずつ愚痴も減ってきた。
 
ようやく、展望台について少し長めの休憩に入った時にすっかり気持ちが良くなっていた。景色の清々しいこと! その展望広場は、車でも来られるようになっていて、軽装で景色を楽しみに来ている人達もいた。けれど、五感を研ぎ澄ませながら自分の身体を使って登ってきた私達の気持ちよさはその人達にはきっとわからないだろうな……あれだけ山に登るのを嫌がっていたのにも関わらず、にわか登山家になった気分で悦に入りながら眼下に広がる景色を眺めるのであった。
 
が、しかし。登ったからにはこれから降りて行かなければいけないのだ。再び、私の愚痴の虫が頭をもたげてくる。最初のような急こう配はなかったけれど、緩やかなアップダウンを歩き始めると、膝に違和感を感じた。
 
以前から、山の斜面のくだりが苦手で、すぐ膝が痛くなる。膝をかばいながら降りていると、落ち葉に足を取られて転ぶ。自分の非力さに呆れるけど、もういくら泣き言を言っても、自力で下らないと戻れないことも分かっているから、黙って進む。そんな風に進んでいるうちに、先頭を歩いていた先生が不意に「こっちに来てみて」と言った。
 
木々を抜けて目の前を見ると異様な光景が広がっていた。
そこは、山の上の方から下の方まで木々もほとんどなく、山肌が露出している。
木々があちらこちらになぎ倒されている。
まるで、ブルドーザーで一気に山を掘り返したかのようだった。
 
「これね、2018年の西日本の豪雨災害の時に土砂崩れしたところなんです」
 
確かに今回、山を登りながら遠くを見ると、ところどころに山肌が見えているところがあった。4年ほど前に起きた土砂災害を生々しく思い出す。私の住んでいた地域はさほど被害がなかったけれど、身近に被災した人達が沢山いた。
 
雨で、森があったところが崩れて流れて行ったんだ……その自然の力をまざまざと見せつけられた。
 
そのむき出しになった地面をうろついていると、目の前にひざ丈くらいの木が生えていることに気づいた。ひざ丈くらいの木はそこだけではない。そこらここら、あちこちに生えていた。
 
ああ、森って、生きてるんだなあ。
 
木が種を落として芽吹く。4年の歳月をかけて少しずつ再生しているのが分かった。元の木々の高さになるには、きっと何十年もかかるだろうけど、粛々と生命は育まれ、大きくなっていく。
 
流されたら、芽吹けばいい。色々なことがあるけれど、私も種を撒いて少しずつ育てていけばいいんだ。日々の生活で無力だなとか、こんなことやって何になるのかなと思うことは沢山あるけれど、年月が経てばきっと何かが育つはず。
 
その場所にずっと佇みながら、自分の心を癒してもらったような気がした。
私の背中には、あたたかい太陽の光が燦燦と降り注いでいた。
 
人生最後の登山は色々な景色を見せてくれた。
 
戻って保育園の玄関で疲れ切って座り込みながら、人生最後の登山の素晴らしさを思い返していた。苦しかったけれど、その景色に癒されて、満足な一日になった。
 
いつかまた、人生最後を返上してどこかの山に出かけるかもしれない。
あんな景色に出会えるなら登山も悪くないな。
そんなことを考えながら、ゆっくり帰路についた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
赤羽かなえ(READING LIFE編集部公認ライター)

人とモノと場所をつなぐストーリーテラーとして、愛が循環する経済の在り方を追究している。2020年8月より天狼院で文章修行を開始。腹の底から湧き上がる黒い想いと泣き方と美味しいご飯の描写にこだわっている。人生のガーターにハマった時にふっと緩むようなエッセイと小説を目指しています。月1で『マンションの1室で簡単にできる! 1時間で仕込む保存食作り』を連載中。天狼院メディアグランプリ47th season 、50th seasonおよび51st season総合優勝。

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2023-02-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.204

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