「どうせ、僕なんか」と「勝てる気しかしない」の差は紙一重/逆転の方程式《天狼院通信》
(記事:三浦崇典/天狼院書店店主)
連日、オリンピックを観ていて、ふと、思ったところがあった。
コロナが完全に終息して、ここに観客が満員に入っていたとしたら、もっと日本人選手に有利だったろうな、と。
でも、まてよ、と続けて思った。
なぜ、野球でもサッカーでも何でも、いわゆるホームだと強くて、アウエーだと弱いのだろうか。
審判のジャッジに多少影響したとしても、能力値がホームだと増大するわけがない。
決定的な要因ではない。
いや、ホームとか、アウエーとか、大きなくくりではなくてもいい。
たとえば、卓球の水谷・伊藤のペアは、試合で絶体絶命のところから連続ポイントを取って、大逆転で先にコマを進めた。
でも、逆を考えれば、絶体絶命になったときには、連続失点をしていて、相手側からすれば、連続ポイントを取っていたはずなのだ。その短い数分間という時間に、体を構成する分子の構造が変化するとも到底思えないーー
と、すればだ、単に気持ちの問題なんじゃないかと思う。
というか、スポーツは気持ちでするものじゃないかとも思う。
つまり、前日、練習場で最強だった人が、本番試合当日、最強なわけではない。
たとえば、ポテンシャル100の能力を持った人が、実際に発揮する結果が60の場合もあるだろうし、
その場合、ポテンシャル75の能力を持った人が、実際に75の結果を出せば、ポテンシャル100の人に勝てることになる。
その境は、いったい、なんだろうか?
そして、それは、実は仕事についても同じことが言えるのではないだろうか?
振り返ってみると、僕はまぶたが一重で、爪が横爪だったので、そのほんの些細な理由で、自分が劣性の生き物だと思いこんできた。東京に出ると、それがさらに顕著になって、東北弁を薄ら笑いで指摘されるたびに、どうせ征夷大将軍に攻められるほうの地方出身だからと、勝手に劣等感を覚え、生まれながらの東京人や浜っ子という種族には、到底敵うはずがないと決めてかかっていた。
賽を振れば、裏目が出るのは自分の方だと、どこか確信を持っていた。
それなので、実際に裏目にでると、安心して、「どうせ、僕なんか」と思うのだった。
うまくいくはずがない、と。
起業当初、この「どうせ、僕なんか」が大きく売上に反映されたような気がしてならない。
様々な戦略を練り、”当然のように”うまくいかない。そうすると、どこか、安心するのだ。僕なんかがうまくいくはずがない、と。ネガティブ思考と言えば、たしかにそうなのだろうけれども、この状態はそれよりも根が深い。思考と言うより、信念レベルでそうなのだ。
先日、久々に実に面倒な事態に直面して、打開策がまるで見えなかった。これまでか、と思った。そして、「どうせ、僕なんか」そもそも、うまくいくはずがなかったんだ、ここまで来たら、上等じゃないか、と昔の自分が頭をもたげた。
ーーところが、結果から言えば、その翌日は、反転して、「勝てる気しかしない」と思っていた。これをやり遂げるのは、世界で自分しかいない、とすら思うようになっていた。
たった、24時間の反転劇の間には、いったい、何があったのか?
単純なことだった。たとえではなく、実際に、夜も一睡もせずに、もっと具体的に言えば、ベッドには入って明かりはすっかり消したにも関わらず、一睡もせずに、解決策を考え続けたのだ。そして、夜が明ける頃に、光明を見出した。これならば勝てるのではないかという道筋が見えた。そして、その日、実際に圧勝したのだ。
その日の夜には、「勝てる気しかしない」状態になっていた。
何を言いたいのか?
おそらく、前日に誰が「あなたは大丈夫だから、すばらしいから、自信を持って」と言ったとしても、反転劇は決して起きなかっただろう。反転劇を起こしたのは、自分自身だ。
自分の努力と成果に対して、自分が自分を認めたときに、はじめて、「どうせ、僕なんか」と「勝てる気しかしない」の反転撃が起きるのではないか。
ソフトボールの決勝で負け越していたアメリカチームの外野手が、日本選手のホームラン性の当たりをミラクルキャッチするーーそのとき、アメリカチームは、大いに盛り上がった。本来、これが私たちの力であり、勝つべきなのだ、という空気が球場中、あるいは、テレビを通して世界中に漲った。もちろん、日本側ベンチは逆に呑まれそうになっていた。呑まれても、決しておかしくはなかった。しかし、空気はその手前で止まった。様々な想いが、流れがアメリカに行くのを封じたのかもしれない。
卓球において、連続でポイントを失い、絶体絶命の状況に追い込まれた水谷・伊藤ペアは、絶体絶命の状況に食らいつき、点数を着実に返していく過程で、我々には見えない機微的な些細な手応えの中から、勝てる手応えと、自分たちが勝つべきなのだと想う、反転劇が起きていたのではないか。逆に、相手のドイツ選手は、反転劇の空気に呑まれ、信じられないような逆転劇を許してしまった。
間違いなく、言えることは、ソフトボールのアメリカチームも、日本チームも卓球の水谷・伊藤ペアも、これまでの蓄積と実績があったから、反転劇をできた、あるいは、できると信じられるステージまで局面を高められた。
つまり、やはり、「どうせ、僕なんか」と「勝てる気しかしない」の境界を越えさせるのは、絶え間ない努力と、それに基づく自信しかいない。そこに、他人の励ましや褒めなどは、決定的な要因にはならないということだ。励ましや褒めがリアルでちょっとホイミ程度に効くのは、そもそも、自分が確かにそうだと信じる根拠がある場合に限る。
たしかに、人間はありのままで素晴らしい。生きているだけで素晴らしい。
ただし、誰がなんと言おうとも、自分自身は、そう信じられないものだ。表層、信じたように見せかけて、深層までは浸透しないものだ。
自分が自分を素晴らしいと思えるのは、自分が自分に勝ったときのみだ。
少なくとも、僕はそう考える。
オリンピックとは、そういった、反転劇の究極のせめぎ合いだから、至極面白いのかもしれないと思った。
■プロフィール
三浦崇典(Takanori Miura)
1977年宮城県生まれ。株式会社東京プライズエージェンシー代表取締役。天狼院書店店主。小説家・ライター・編集者。雑誌「READING LIFE」編集長。劇団天狼院主宰。2016年4月より大正大学表現学部非常勤講師。2017年11月、『殺し屋のマーケティング』、2021年3月、『1シート・マーケティング』(ポプラ社)を出版。ソニー・イメージング・プロサポート会員。プロカメラマン。秘めフォト専任フォトグラファー。
NHK「おはよう日本」「あさイチ」、テレビ朝日「モーニングバード」、BS11「ウィークリーニュースONZE」、ラジオ文化放送「くにまるジャパン」、テレビ東京「モヤモヤさまぁ〜ず2」、フジテレビ「有吉くんの正直さんぽ」、J-WAVE、NHKラジオ、日経新聞、日経MJ、朝日新聞、読売新聞、東京新聞、雑誌『BRUTUS』、雑誌『週刊文春』、雑誌『AERA』、雑誌『日経デザイン』、雑誌『致知』、日経雑誌『商業界』、雑誌『THE21』、雑誌『散歩の達人』など掲載多数。2016年6月には雑誌『AERA』の「現代の肖像」に登場。雑誌『週刊ダイヤモンド』『日経ビジネス』にて書評コーナーを連載。
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