天狼院通信
2014-05-10
なぜ人は温泉でコーヒー牛乳を飲みたくなるのか?《コーヒー牛乳のマーケティング》
天狼院書店店主の三浦でございます。
先日、TSUTAYA福岡天神店(TSUTAYA BOOKSTORE TENJIN)のリニューアル・オープンに際し、福岡に行っておりました。オープン前日に、突貫工事で売場を組み上げたのですが、これが中々いい感じに仕上がったのでございます。
佐久間さんや今須さんをはじめCCC九州カンパニー、およびTSUTAYA福岡天神店の皆様と一緒に、他の書店さんに天狼院の棚を作るという非常に貴重な体験をさせて頂きました。
それでできたのが、この売場でございます。
前日までに、うちのデザイナー、サトエリと一緒にデザインを組み上げ、データだけをもって現地で組み立ててみるという荒ワザ!
そう、組み上がってみないとわからないパターンで作ったのですが、思った以上にしっくりハマったのでした。福岡の皆様、福岡に行く機会がある皆様はぜひ見に行ってくださいね!
で、ちょっと安心した三浦。
いや、安心したといっても、一週間後に一冊分の原稿の締め切りが迫っている中ではございましたが、一仕事終えてさすがにほっとしたのでございます。
いつものホテルに行くと、フロントで温泉無料券が差し出される。
「え? 何ですか、これ?」
福岡天神と言えば、九州のど真ん中、東京でいえば銀座みたいなところでございます。
そこに温泉? スーパー銭湯じゃなくて?
「はい、ここから歩いて3分のところに温泉があって、そこを無料で利用できるんですよ。タオルだけ部屋から持って行ってくださいね」
何というタイミング。
かゆいところに手が届くというか、これだから福岡がますます好きになる。
しかも、僕は格安航空券を使ってきているので、それほどお金もかかっていない。
なにせ、羽田空港と福岡空港の往復航空券とそのホテルの宿泊券がついて、27,000円ポッキリ、本気の格安。しかも、航空会社もLCCではなくて、全・日・空でございます! ANAでございます! ホテルでは朝食までついてます。しかも、結構本気モードで朝食もうまい。
それに温泉がつくとは!
福岡すごい! いや、これに関していえば福岡がすごいわけではないとは思いますが、福岡に一目惚れして、告白して、メロメロになってしまっている僕としてはちょっとしたことがすべてプラス評価になってしまうのでございます。
で、実際に温泉に行ってみる。
うん、広い。
夜に行ったので、比較的若者たちが多い。
もちろん、様々なお風呂に入ってみる。
熱い風呂、電気風呂、ジャグジーバス、サウナ、露天風呂、壺風呂。
ぼかあ、壺風呂に入って、夜空を見上げて見たんです、露天だったので。
それは幸せだなあと思いますよ。
思えば遠くに来たものだと思いますよ。
で、一人用の壺風呂でまるで茹で上がったタコのように脚と手を垂らしてぼんやり周りを眺めていると、裸、なんですね、みんな当然のように。
老いも若きも、裸です、温泉ですから。
しかし、それにしても、多いのです、裸が。
そのとき、ふと思ったのでございます。
「あ、『進撃の巨人』のコンセプトって、温泉で思いついたに違いない」
どうでもいいことですが、なんか人気漫画家のインスピレーションソースを見つけてしまった喜びがあって、でもそれは線香花火みたいに儚く消えて、もう入ってきたり出て行ったりする裸が、もはや進撃の巨人にしか見えなくなって、あ、僕も巨人かと思ったらちょっと怖くなって、それでちょうどいい加減にのぼせて来たので、僕は温泉から上がったのでございました。
身体を拭き、前のおっさんにならって、ヘルスメーターに乗る。
うん、こんなもんだろう。
太すぎると感じる域は超えず、かと言って、決して太くはなく。
それで扇風機の前でテレビをぼうっと観ていると、視線の端にやつが入り込む。そう、いつも絶妙な位置にやつがいる。
コーヒー牛乳の自動販売機でございます。
僕は、ため息をつきます。
またいやがった。性懲りもなく、いやがった。
別に、ポップや看板で大きく「ここにありますよ」と宣伝しているわけでもなく、至極当然のようにそこに佇んでいる「もちろん、ありますよ」と。
この絶妙な位置に、しかも絶妙な加減であるのが、逆に心憎くなる。
そして、僕はまた今日もコーヒー牛乳を飲むのだ。
別に、脅されたわけではありません。
民法に「温泉に入った場合、コーヒー牛乳を飲まなければならない。但し、牛乳アレルギーの者はその限りではない」という条文があるわけでもありません。
しかし、どうしても、コーヒー牛乳を飲みたくなる。
いや、正確にいえば、今、この場所で、この瞬間にコーヒー牛乳を飲まなければ損のような気がしてくる。
取り返しのつかない後悔をしてしまうのではないかと、何かが、得体のしれない何かが、圧力となって迫ってくるのです。
お金を入れて、ボタンを押した瞬間に、負けたような気になります。それでも飲むとなんだか安心するのです。美味しいと感じるよりも、むしろ、ホッとするのです。
この瞬間に飲めてコーヒー牛乳を飲めてよかったと。
しかし、この感覚とはなんなのだろうかと、僕はホテルに帰る途中、湯上がりの頭で考えます。
すると、ははあんと、コーヒー牛乳を飲ませる何かの正体が見えて来たんですね。
普通、温泉とは「非日常」での出来事に分類されるのだと思います。引退して毎日温泉に通っているおじいちゃんやおばあちゃん、リハビリで湯治に通っている人以外の、特に若い世代の多くにとっては温泉は「日常」とは離れた場所にあるものでしょう。
箱根に行くのだって、山手線じゃなくてロマンスカーでしょう。それって「非日常」ですよね。
つまりは、「いつでもあることではない」。
加えて、コーヒー牛乳について、考えてみましょう。
毎日、瓶のコーヒー牛乳を飲む人って稀ではないでしょうか。普通は飲んでも牛乳。牛乳が弱い人はコーヒーやカフェオレなんかをスタバとかで飲むというのは、「日常」のことでしょう。あんまり、会社のランチに瓶のコーヒー牛乳を持ってくる人って見かけないと思うのです。
つまり、これも普通に手に入る物ではあるが意外と「いつも飲んでいる物ではない」。
そして、これに強烈な先入観がスパイスとしてかけられます。
「温泉といえば、卓球でしょう! 温泉上がりには、コーヒー牛乳でしょう!」
これはですね、日本人の気質について考えてみないと紐解けない話のような気がするんですね。長らく、ムラ社会でDNAを生きながらえさせてきた日本人は、他者と協調することが絶対正義になってしまっているんですね。半ば宗教の戒律のように、「常識」を守らなければならないということが、潜在意識のレベルまで徹底的に染み付いているんですね。
ライトな常識として一般に流布していることは、一種のサブリミナルのような効果でもって、我々日本人の行動を決定しているんですね。
まさに、「温泉でコーヒー牛乳を飲む」というのは、ライトな常識であって、サブリミナル的に我々の潜在意識レベルまで染み込んでいるのです。
おさらいしてみましょう。
温泉は「いつでもあることではない」、つまり「非日常」です。
コーヒー牛乳は普通に手に入る物ではあるが意外と「いつも飲んでいる物ではない」、つまりこれも「非日常」です。
さらに、我々日本人は「ライトな常識」に弱い。
つまり、いささか強引に方程式を組み立てるとこういうことになるかもしれません。
(「非日常」×「非日常」)+ライトな常識=温泉のコーヒー牛乳
かくして、我々は、この方程式が裏で作用しているのも知らずに、今日も温泉でコーヒー牛乳を飲んでしまうのでございます。
なーんてな。
なぞと、福岡の夜に思ったのでございました。