13日の金曜日「最強のリベラルアーツ棚」を作ろうと思ったけれども、柳瀬さんを囲んで様々な人が入り乱れたスーパーLIVEこそが最強の「教養」の場だとわかった。《イベント公式まとめ》
天狼院書店店主の三浦でございます。
13日の金曜日、こんなイベントが天狼院でございました。
これからは「教養」の時代だ!出版界のスーパーブレイン柳瀬博一さんと一緒にLIVE形式で「最強のリベラルアーツ棚」を創ろう!
イベント立ち上げからほとんど1日で満席となり、結果的に当日は30名様以上の方にお越しいただきました。
「皆様、『教養』ってなんだと思いますか?」
その問いかけから始まった柳瀬さんのLIVEは、様々な分野に飛び火しました。結果的に3時間半にも及ぶノントップLIVEとなりました。(実は、皆様がお帰りになったあと、第二部があって、それは25:00まで続いたのですが笑)
飛び入りでお越しになった、漫画家のいしかわじゅんさんや日経新聞の編集委員大西さん、ダイヤモンド社の編集者寺田庸二さんや立教大学で教えている佐藤先生、JAXAで研究している方、物理や数学のシリーズを手がけている編集者堀部さんなど、様々なカラーの方が集い、柳瀬さんの話を聞きながら、それに補足したり、反対意見が出たりと、その場に居合わせた人たちで創りあげる、予定調和なしの予測不能のLIVEとなり、結果的にその「場」で描かれたのはまるで曼荼羅のように壮大な画となりました。
これぞ、LIVEの醍醐味。
実は、主催者として、僕はイベントの途中に方向転換の機会を見計らっておりました。
今回のイベントの主題が、「最強のリベラルアーツ棚」を作る、ということだったからです。
けれども、「教養」とはなんだろう?というシンプルな問いかけのもとに、次々と展開される《柳瀬論》は、単に棚を作るよりもはるかにおもしろい。
柳瀬さんの話を聞きながら、それに聞き入るお客様を見ながら、僕はふと思ったのです。
「最強のリベラルアーツ棚」を作るとは、どういうことなのか。
それは、ある種のイニシアティブを握ろうとする書店としてのエゴに過ぎないのではないのか。
そこにお客様はいるのか。
本当に、お客様が求めることは何なのか。
そして、こう結論づけました。
本当の「教養」とは何かとみんなで考えているこの場こそが最強の「教養」を得られる場なのではないか、と。
もちろん、これから天狼院では「最強のリベラルアーツ棚」を構築して行きます。
けれども、方法論を変えることにしました。
みんなで、この分野ではこの本を読むといいよとリストアップするよりも、
先日のようなLIVEで予測不能で出てきた『本』を、拾いながら、徐々に棚を進化させて行くほうがいい。
つまり、これから幾度となく「最強のリベラルアーツ棚」を作ろうというLIVEを開催し、その予測不能のLIVEで突発的に出てきた『本』をピックアップしていき、幾つかのLIVEを経ることによって、「棚」を研磨していくというかたちをとった方が一番いいのではないかと思ったのです。
昨日は、世界に衝撃を与えたリチャード・ドーキンス博士の名著『利己的な遺伝子』から、ダンバー数の『友達の数は何人?』、『ウェブはグループで進化する』の流れが示されました。
つまり、「人間を含むありとあらゆる生き物は遺伝子を運ぶ乗り物に過ぎない」という『利己的な遺伝子』の有名な論旨から端を発し、けれども、時に生物は、親鳥が身を挺して外敵の攻撃から雛鳥を守るといったような、「利他的な」動きを見せるのはなぜかという論旨に発展する。
それは、「利他的」に振る舞った方が、自分を含む「遺伝子グループ」が生存する可能性が高くなるからです。しかし、人間は「仲間」と認識する数には限界があって、それがダンバー数であるという流れに至ります。
原始の村は「150人〜160人」ほどであって、それ以上になると分裂が始まる。
一番小さなユニットは「4〜5人」でこれは「家族・班」の単位に近い。
次のユニットは「10〜15人」でこれは「スポーツのメンバーの人数・狩りの人数」の単位に近い。
次は「30〜40人」でこれは「クラス・小さな会社」の単位に近い。
そして、次が「150〜160人」でこれは「学年・原始の村」の単位に近い。
これが、フィジカルに仲間として人間の脳が認識できる限界なのだと柳瀬さんはそれらの著書を踏まえて言います。
そう考えると、なぜ、共産主義的なシステムがうまくいかなかったのかがわかるように思えます。
つまりは、みんなが平等に稼げて幸せになるためには、みんなを仲間として認識する必要がありますが、そもそも、人間の脳には限界があった、それを踏まえるならば、共産主義は理想論に過ぎなかったということがわかると思います。
それが「わかる」ということが「教養」だと。
また、『バブルの歴史』(日経BP社)という本を引き合いに出して、柳瀬さんはこんな論を展開します。
昔、オランダではチューリップ・バブルというものがあり、最終的にチューリップの球根が家と同じくらいの価値になるという、実に不可思議な状況が生まれた。
日本でも、江戸時代にはあずきバブルがあった。
そして、1980年代末、日本では六本木の16平米くらいのマンションが3000万円くらいで取引されるという異常な事態が起きた。何が異常かと言えば、16平米くらいのマンションはほとんど使いようがなくて、そもそもそれは投資目的でできた物件だった。実際に、それで稼いでいたサラリーマンもいたが、まもなく、バブルが崩壊する。
「過去に人類はいくどもバブルを経験しているのに、そして「教養人」がたくさんいたはずなのに、どうして、人はバブルに踊らせられたのか?」
その僕の疑問に応えてくれたのは、日経新聞の編集委員であり、『会社が消えた日』の著者でもある大西康之さんでした。
「たとえば、朝のラッシュの時間帯、新宿駅ホームで人の流れに逆流することは難しいですよね。流されるしかない状況というのがあると思うんです」
戦争に突き進む高揚も、おそらく、そういったどうしようもない「流れ」を生むのだろうと思います。
「教養」を持つ人が、その流れの中にいかんともしがたくなる。
はたして、教養とは何か。
自ら発したその問いかけに対して、柳瀬さんは様々な定義を与えてくれました。
知識が溜まっているだけの状態は教養ではなく、具体的にアウトプットする場が必要だ。
恩師の金時計的な知の停滞を招くのは教養ではなく、本物の教養は「更新」が必要だ。
まさに、その日のその場は、「教養」を磨き、「更新」するためにもいい場だったにちがいありません。
こうして、振り返ってみましたが、ここに書いたことは昨日の会で出た話の、ほんの一部に過ぎません。本当にこの場を体験しなければ、この高揚感に満ちた知的体験の場を理解できないだろうと思います。
できれば、これから月に2回位のペースで、「天狼院リベラルアーツ・ラボ」として、開催して行きたいと思いますので、ぜひ、参加くださいませ。
また、実は、今回のイベントは天狼院が威信をかけて準備している次世代型リーディングイベント「THE READ」のテストを兼ねておりました。今回、このイベントをやってみて、やはり、「THE READ」は面白いことになると確信致しました。
「THE READ」の第一回目のタイトル作品は、ご存じ『1坪の奇跡』(ダイヤモンド社)でございます。6月25日夜を予定しております。
まもなく、イベントを立ち上げますので、お早めにお申込みください。
「THE READ」でも、ここでしか体験できない、予定調和なし、予測不能の知的体験ができるだろうと思います。
乞うご期待でございます。