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【世にも恐ろしい女子ヒエラルキー②キャリア編】「デキる女」ってなんでみんな前髪立ち上げてるの?《女子とプライド・川代ノート》


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「デキる女」ってなんでみんな前髪立ち上げてるの?《女子とプライド①》

くるんとした前髪の女はキラキラしていてなかなか信用できないけど、前髪を立ち上げている女のことは、もっと信用できないと思う。というか、信用しないことにしている。
なんていうのかな、最近はやりの無造作かき上げヘアっていうの? 中村アンとかミランダ・カーみたいなやつ。おでこが全開になるやつ。わかる? 想像できる? わかんなかったら中村アンで検索してください。
というのも、私は「デキる女」がありとあらゆるタイプのなかで一番苦手なのである。
上昇志向が強く、バリバリ働くキャリアウーマン。みんなをひっぱる姉御肌的な人で、頭がいい。意識が高い。英語しゃべれる。プレゼンがうまい。人を説得するのがうまい。一流を目指してる。そういう人が苦手。つーか怖い。できればあんまり関わりたくないし近づきたくない。なんだろ、なんか話してるとモヤモヤしてくるんだもん。
そりゃ単にお前が仕事できないからだろという声が聞こえてきそうではあるが、まー仕方ないんです。仕事できる人、怖いんですヨ。なんか上からヒールで踏みつけられてつぶされそうなんだもん。そういう趣味がある人からしたらご褒美かもしんないけどさー、私には残念ながら美人なお姉さんに痛めつけられて喜ぶ性癖はないからさー。

とはいえ私もはじめからデキる女を毛嫌いしていたわけではない。もともとはデキる女に憧れていた時代もあった。クリスチャン・ルブタンを履きこなし、カツカツと丸の内の街をさっそうとあるくかっこいい大人の女。そういう姿に憧れたことくらいありますよ、私も。
でもいつからだろう、デキる女を怖いと思うようになってしまったのは。きっかけはおそらく、就活だと思う。

就活というのは怖いイベントで、よっぽどの天才か強運の持ち主でなければそれを乗り越えないと華の社会人にはなれない。私みたいな一般ピープルはちゃんと履歴書を書くことから始めなければならない。もう途中からは誰と戦っているのか、何と戦っているのか、そもそも自分と戦っているのか社会に反抗したいだけなのかよくわからなくなってきて、とにかくなんでもいいからさっさと解放されたいと思って、最後の方は自暴自棄になっていた。大人って何だろうとか働くって何だろうとかたくさん考える時間があったのはよかったけど、もう二度とやりたくない。

ぶっちゃけてしまうと、就活する前、私は自分はデキる女になれる要素があると思っていた。もっと言えば自分は賢くて人間力もあると思っていた。バリバリ仕事して、みんなを引っ張る管理職にでもなって、社会を変えられるんだろうと思っていた。海外に出て、でかい仕事をして、発展途上国の支援とかしちゃったり。もしくは外国人と商談したり。そういう海外への憧れがもともとあったから国際系の学部に入学したというところもあって、私はキャリアウーマンになれる自分を信じて疑わなかった。

しかし、である。いざ就活がはじまると、もう何にもうまくいかないのよ、これが。何かの間違いじゃないかってくらいうまくいかなかった。はっきり実感したのはグループディスカッションだったかな。就活生同士数人でグループを組んで、みんなでいろいろ話して討論して、ひとつの答えを出してプレゼンする、あれである。みんなで発表する人とかタイムキーパーとか決めたりしてね。あれって別にリーダーとか発表者になったからっていい成績になるわけじゃないんでしょ? そんなこと知らなかったから、必死にあれこれしゃべってたらみごとに落ちまくりましたよ。

そういえばグルディスのコツってなんですか、って博報堂のOB訪問した時に聞いたら「つまりね、重要なのはうまくひとつの答えに誘導するってことなんだよ。別に仕切らなくてもいい。課題に対する自分の答えを決めて、その答えにみんなを持っていけるようにうまく調整をするくらいでいいんだよ。簡単だよ」って言われてしまって呆然とした。ナンスカそれ、何かのメタファーっすか? とは言えず、とりあえずふむふむなるほどと納得している風を装っておいた。が、やっぱり上にいける人というのは私が三時間考えても思いつかないことを一瞬で思いつけるような頭がキレッキレの人なんだと知って、不安になったものである。
でも案外、そう思っているのは私くらいだったらしい。みんな驚くほどにぱっとすごいアイデアを思いつく。すぐにみんなの意見をまとめることができる。自信を持って自分の意見を言える。でもわたしはできない。

自分は実は一般的に見てかなり仕事ができない方なんじゃないかと気がついた時の絶望といったらなかった。あたしって頭の回転悪いのね。ていうかみんながすごく早いのね。知らなかった……サヨウナラ「デキる女」の未来。というわけで、私の篠原涼子的大人の女への憧れは崩れ去った。
で、ようやく本題に戻るが、デキる女というのはたいてい前髪を立ち上げている。それこそ篠原涼子のように、かき上げる。片方によせる。アシンメトリーというやつ? 典型的な「デキる女」で前髪がパッツンの人はなかなかいない。どうしてだろう? 不思議だけど、私の苦手な「デキる女」は見事にみんな篠原涼子もしくは中村アン前髪である。

はて、でもどうして「デキる女」というのは立ち上げ前髪なんだろう?

そういうくだらないけど、地味に気になる疑問が浮かんでもやもやしている時、私はたいてい、本屋に行くことにしている。新刊書店の並びを見ると、今みんながどういうことを考えていて、どういう思考が流行っているのかがだいたいわかるから、ヒントが得られやすいのだ。自己啓発書の棚を見れば、みんながどんなことで悩んでいるかがわかる。「悩み」にも流行のようなものがあるのだ。それまで悩んでいなくてもみんなが悩むから自分も悩んどいた方がいいのかなという焦燥感で悩む人もいる。ちなみに今は「ありのままに生きる」ブームらしい。「アナ雪」が流行って、「嫌われる勇気」が爆発的に売れて以来、みんな、いかに自分が認められたいと思わずに生きられるかということに必死だ。ま、私もだけど。

で、今回みたいに女子のことが謎な時、女子の思考を知りたい時、私はだいたいファッション誌を一通り読む。キャンキャンとか美的とかアンアンとか美人百花とかギンザとかアールとかスープとか、ジャンル関係なくぱらぱらと。女子向けファッション誌を見ればだいたい、女の子たちの流行の思考がわかる。女子はどんなことで悩んでいるのか。どんなことを解決したいのか。どんな夢を持っているのか、どんな女になりたいのかということがなんとなく見えてくるのだ。

さてさっそく書店に出かけた時のことである。雑誌コーナーに行くとさすが、ずらりと並ぶ中村アン。旬ですねえ。真っ白な歯でにっこり笑う彼女が眩しい。中村アンが表紙じゃなくても「中村アン風メイク」と題したメイクページがある雑誌も結構ある。ほーう、やっぱり中村アンに憧れる女子は今結構いるのね。ふむ面白いと思いながらぱらぱらと雑誌をめくっていたわけだが、私の目はある言葉にひっかかった。

「色っぽかわいいを目指そう」

ん?

「セクシーButかわいい」

んん?

「ピュアだけどちょっとエロいのが気分なの(ハート)」

んんん!?

な、な、なんだ。
なんだ、このフェロモンの匂いがぷんぷん、どころか、ムスクの香水の匂いが噴き出していそうなページは!?
誌面の女の子たちときたらまるでいかにも「事後です」と言わんばかりの表情ではないか。目の下が赤いし口もグロスでテッカテカだし、しかもなぜか髪も湿っている。うーん、ナニナニ、「濡れ髪でほてり顔メイク」!?
「お風呂上がりを連想させるメイクで彼のハートを刺激しちゃお」いや彼のハートどころか股間をノックアウトする気満々じゃないですか。ふざけんな、風呂上がりでデートなんぞ行けるか! っていうかデートなら普通に髪乾かしてから行け!

ハアハアと鼻息荒く突っ込みを入れたくなった私であったが、よく見るとそういう「フェロモン」や「色気」をテーマにした特集を組んでいる雑誌は、一冊だけではない。かなり多くの雑誌でそういうピンク色のワードが出てきている。あれれ? 五年前までみんなエビちゃんOLかわいい! とか言ってニットのアンサンブル着て喜んでなかったっけ?「ママ受けもバッチリなアプワイザーリッシェのワンピースで勝負☆」とか言ってなかったっけ? みんな私はちっともエロくないピュアピュアな淑女ですよみたいな顔してなかったっけ? いつからこんな「エロ」が全面に押し出される時代になったんだ?

恐ろしくなった私はボーイッシュな服装を好む女子向けの雑誌を読んでみた。すると「彼のを借りてきちゃった風のビッグシャツで妄想をかきたてちゃお」ってオイ! 何? なんなの? 最近の女性誌は男を興奮させないと気が済まないわけ? 軽くめまいがしてきそうだ。

というわけで、要するに中村アンヘアスタイルが流行っているのも、その「エロ」ブームの一環にすぎないようなのだ。前髪をふんわり立ち上げた外国人風ヘアイコール大人っぽくて色っぽい、という寸法らしい。

はあ、なるほどね。

一通りつっこみ終わり、私はようやく自分が「デキる女」が苦手な理由に気がついた。
男を引き寄せるフェロモンの香りよりも、彼女たちが身にまとう甘ったるいムスクの香水よりも何より、彼女たちのプライドの臭いで、むせかえりそうになるからだ。
そして、二年前、おそらくこの世にいるどの女子よりもプライドが高かった頃の自分を、思い出しそうになるからだ。
私はその場でスマホを取り出し、アルバムを遡った。
あったあった、ほら、私がちょうど、留学してた頃の写真。

前髪、めちゃくちゃ立ち上がってんなあ。

 

外国人と仲良くしたからって、自分が高尚な人間になれるわけじゃない《女子とプライド②》

「なんで留学したの?」

そう聞かれても、明確な答えなんて、ないようなものだった。

「自分を変えたかったから」

強いて言うなら、それくらい。
もともと海外への憧れはあって、英語圏に旅行したことすらなかった私には、ぼんやりとしたイメージしかなかった。英語を話せるようになりたい、というのも、世界中のいろいろな人と話してみたいというだけで、正直、どうしてそこまで海外に憧れがあるのかわからなかった。でも何かぼんやりとした、「変わりたい」という感情はあった。具体的にどこをどうこうしたいというプランがあったわけじゃない。けれど、何か、なんだか、自分の心のなかの、絶対に見つけなければならないどこかのピースが欠けているような、そんな感覚があった。そして無邪気に、海外に行けば自分は変われると、そのピースが見つかるのだろうと、思い込んでいた。
私が行った留学先には私と同じ日本人留学生がだいたい二十人。結構多い。でも私たちは留学生同士、それなりに仲良くしていた……というのはあくまでも建前で、実際には、カルチャーショックやホームシックなどの苦しみを一緒に乗り越える仲間同士の絆なんてものはほとんどなかった。いや、他の子はあったと思えるのかもしれないけど、私は数人の仲良かった子を除いて、ほとんどの子はまるで敵のように思えていた。
なぜか。
「お互いにライバル。私の方が英語うまく話せるようになるんだから! 絶対に誰よりも一番ペラペラになって帰ってやる!」
なんていう、さわやかなもんじゃない。はじめのモチベーションは、たしかにそうだったかもしれないけれど、英語に対する純粋だったはずの情熱はやがて、コンプレックスや焦燥感と混じり合って、嫉妬に変わっていった。つまり、誰が一番留学をエンジョイしているかを競い合い、蹴落とし合うバトルになってしまったのだ。

とても小さな大学だった。狭い田舎のキャンパスは全寮制で、卒業する頃にはすべての生徒の顔を覚えられるくらいの人数しかいなかった。その狭い環境に二十人もぶちこまれたらどうなるかなんて、ある程度は想像がつくだろう。現地の外国人の取り合いが起こったのだ。
留学すれば勝手に友達はできる、などという考えがあまりに楽観的すぎたのだと、アメリカについて一週間くらいですぐに気がついた。
このグローバル時代に、留学生なんてたいしてめずらしくもない。だいたい、ろくに英語も話せない日本人が来たところで、うじゃうじゃ群がってチヤホヤするような生徒だって、たかが知れている。早稲田みないに大きな大学だって同じだ。留学生が授業で困っているからってわざわざ話しかけたりなんかしない。あー留学生いるな、くらいにしか思わない。結局留学生が関わるのは国際交流サークルの人間くらいで、たいして外国人に興味がない人間と自然に仲良くなるのは結構難しいのだ。

そういう環境のなかで、日本人にもともと興味を持って話しかけてくれる外国人は少ない。そして彼らも暇じゃないから、二十人もいる日本人全員と平等に仲良くできるわけじゃない。結果的に数少ない親日家の外国人の取り合いになる。
みんなこぞって外国人との写真をフェイスブックにアップした。「I love you guys soooooooo much♡」そんな英語のコメントつきで。たいていの場合、外国人と自分しか写っていない写真ばかり上げていた。その時に他に日本人がたくさんいたとしてもだ。たまたま一瞬撮れたツーショット写真とか、外国人と肩を組んだり抱き合ったりしている写真とか、日本人が自分しかいない写真とか。そういうのを見ると、ひどく焦った。大丈夫かな。自分は遅れているんじゃないか。みんなの方が楽しそう。このまま留学生活続けてて、私、英語喋れるようになるのかな。私だって頑張ってるよ。見て。みんな見て。留学エンジョイしてるよ。外国人の友達いっぱいいるよ。私だって私だって私だって……。

そしてふとした瞬間に、一生懸命張り合うようにしてフェイスブックに写真をアップロードする自分自身に、急激に冷めてしまったのだ。
なんでこんなことに熱くなっているんだろう。真面目に英語の出来不出来の張り合いをしているならまだしも、これじゃあただ、見栄の張り合いをしているだけじゃないか。「外国人の友達がたくさんいる自分」「留学を楽しんでいる自分」の張り合いにすぎないじゃないか。私はいったい何のためにここに来たんだろう? はるばる、アメリカの遠い土地まで来て、頑張って貯めたお金も、親から融資してもらったお金も全部つぎ込んでまで、私はいったい、何をしてるんだろう? 外国人の友達を作ることによって英語をうまくなろうとする向上心は素敵だと思う。でも、いかに「人から見て」この留学生活が有意義に見えるか? いかに「留学行って英語話しててすげー」と言ってもらえるか? そればかりを気にしている、この戦いは、不毛だ。絶対におかしい。私が本当にやりたいことじゃ、ない。そんな張り合いを一生懸命したって、私の欠けたピースは見つからない。

水面下で行われる「どちらが優秀か」を競い合うバトルに心底辟易した私は、人間関係を遮断した。そしてとことん自分について考えることにした。これまでどんな人生を送ってきて、どんなことが好きなのか。これからどうやって生きてきたいのか。どんな人生が好きか。どんな人間が好きか。そして私は自分をこれまで苦しめてきた、一つの感情に気がついた。

承認欲求。

多くの人は、その感情をそう呼ぶ。認められたいと思う感情。褒められたい、すごいと思われたい、必要とされたい、高尚な人間だと思われたい。だから本当の自分よりもよく見せようとしてしまう。
そうか、だからか、と私は思った。承認されたいと思うからみんなフェイスブックに写真をアップするんだ。見栄を張り合って外国人と仲良くしようとするんだ。外国人の友達が多い国際的な人間は、日本では珍しいから。英語が話せるとかっこいいってイメージがあるから。優秀なイメージがあるから。
もうやめよう。張り合うのはやめよう。自由になろう、もっと。ありのままの自分を受け入れよう。嫌いなところがあっても、仕方がない。無理によく見せようとするのもやめよう。いいところを見よう。ポジティブになろう。人と張り合ったりせず、人のいいところを見られるようになろう。

そういう人間になりたい。

それから私は、日本人も外国人も、仲のいい人たち数人としか話さなかった。もちろんパーティーにもほとんど行かなかった。もともと日本にいたってパーティーなんか全然楽しくないと思ってしまうようなタイプなのだ。アメリカに来ているからってつまらないと思うことに時間を費やしたくはない。そのかわり、私は勉強に明け暮れた。英語の勉強もしたが、日本語でも勉強した。本もたくさん読んだ。とにかく知識を吸収する、インプットの時間にしようと思ったのだ。田舎だから、周りに遊ぶ場所なんてほとんどなかった。刺激もなかった。バイトもしなくてよかった。おしゃれもしなくてよかった。忙しさから解放されている場所だった。東京の、休むことなく何かやらなければならない焦燥感に襲われている毎日とは真逆のようだった。

もちろんそんな私を見ていた他の日本人は、いい顔はしなかった。留学来てまでなんで日本語で勉強なんかしてるの、バカじゃないか、と。
「それって、逃げじゃないの」と、一人の子は言った。彼女は頻繁にパーティーに参加し、多くの友達を作ってよく飲んでいた。

「単純に、自分が外国人の友達できないからさ、言い訳してるんじゃないの。勉強とか自分と向き合うとか言ってたけどさ、今、留学している時間は今しかないんだよ。やるべきことから逃げてない? それって」

とても、正論のように聞こえた。彼女の言葉は。

「でも、私は、今、たくさんある、自分のために使える時間を、大切に、したい」

そう言った声は、震えていたかもしれない。彼女の目をまっすぐ見られていなかったかもしれない。彼女の指摘に、胸がどきりとしたのも、事実だった。
でも私はどうしても、まわりの日本人の子たちが当然のように信じている「留学に来ているんだから、外国人と仲良くならないといけない」「外国人とたくさん話して、友達作って、英語話せるようになれるやつが上」みたいな感覚に、違和感を覚えてしまったのだ。

結局私は、少人数の友達と仲良くし、マイペースに勉強をする道を選んだ。アクティブに動く日本人の子たちから白い目で見られるのは苦痛だった。何度も自分が間違っているんじゃないかと思った。自分は時間を無駄にしているのかもしれないと思った。

でも私は自分に言い聞かせた。私が留学に来たのはそもそも、英語がペラペラになりたいからじゃない。
自分を変えたいからだ。
自分をなんとかして、変えたい。
そうして私は、私が見つけたかった、欠けていたピースを、ようやく見つけ出した。
ありのままの自分を、受け入れること。
承認欲求を、なくすこと。
無駄に見栄を張らず、高いプライドを捨て、自分のいいところも、悪いところも、他人のことも、フラットに受け入れられるような私。

アメリカでの九ヶ月は、一瞬で過ぎ去った。

 

留学に行ったら、自分を変えることはできるのか《女子とプライド③》

「で、どうだった? 自分で自分は、変わったと思う?」

留学帰国後の飲み会で、久しぶりに会った友人に、そう聞かれた。

「うん、変わったと思う。すごく。百八十度くらい」

笑顔で私は、答えていた。
以前はやりたいことがわからなくて、ぼんやりした大学生だった私は、有意義に時間を使うようになっていた。
人見知りだったのが嘘のように、帰国後は知らない人だらけのコミュニティにでも顔を出すようになった。大人が参加するような勉強会や、展覧会や、パーティー。いろんなことを知りたかった。見た映画や本はきちんとメモをしていた。哲学や教養の本をたくさん買った。トーイックの勉強をし、時事問題と経営学の検定をとった。就活で役に立つ確証はなかったが、なんだか社会人としてベーシックな知識は頭に入れておくべきだと思ったのだ。騒ぐだけの飲み会にはなるべく参加せず、深い話ができる友人を誘って話す時間を大切にした。
時間を無駄にしたくなかった。自分の成長につながることしかやりたくなかった。

「百八十度ってそれ、ほぼ別人じゃん。真逆じゃん」

はは、と笑いながら友人は言う。

「どこがそんなに変わったと思うの?」

「どこが、って」

変わったと思う。
時間を無駄にしなくなった。
自分の成長につながることしかしなくなった。
将来のことをきちんと考えるようになった。
今まで知らなかった、社会人としての知識を手に入れた。
アクティブになった。
それから、それから、何より。

「ありのままの自分を認められるようになった、かな」

自然体の自分を受け入れられるようになった。今までは自分のだめなところを直視できなかったけれど、それもきちんと受け止めて、無理をしなくなった。自分だけじゃなく、他人のありのままを認められるようにもなった。今までは人の欠点にばかり目がいってしまっていたけれど、人のいいところにも注目できるようになった。人を褒められるようになった。
大きな進歩だ。変化だ。

「へえ、すごいね。たしかにサキ、変わったもんなあ」と、彼女は言った。

胸が高鳴るのを、私は感じた。
他人から見ても、私の変化はわかるのだ。私が成長して帰ったということが、見て取れるのだ。

「だってさ、なんか、全然違うもん」と彼女は続ける。「アメリカで洗練されて、すっごい色っぽくなっちゃってさー。髪も服も、『デキる女』って感じになったよね。雰囲気が違う!」

瞬間。

彼女が軽く笑いながら言ったその瞬間、息が止まるのがわかった。

思考が停止した。

ピースが壊れる、音がした。

ふんわりと立ち上がる、長い前髪と、カールされたロングヘア。
シャツとデニムで、アクセサリーはシンプルに。でも足元はヒールで女らしく。いかにも「アメリカ帰りです」といったファッション。
そして、鼻腔をさす、強い、香水の匂い。

一年ぶりに会う、とってもかわいくて、知的で、人気者の彼女に会う前に、何度もプッシュした、女っぽい香水の、匂いだった。

立ち上げ前髪は嫌い《女子とプライド④》

本屋でスマホを持ったままぼんやりしていた私の思考が、やっと現実の世界に戻ってきた。留学帰国直後の飲み会で撮った写真は、私をタイムスリップさせてくれたみたいだ。
ようやく納得した。
どうりでね、嫌いなわけだよ、無造作かき上げヘアの「デキる女」が。
だってそれは明らかに、自分が目指していた姿、そのものなんだもん。

「自分を変えたい」

そう漠然とした思いを抱えたまま留学して、いろいろな困難にぶつかって、自分の嫌いな部分とも向き合って、本当に変わった、はずだった。
でも根本の根本は、何も変わっていなかった。私は、その辺で見つけた適当なピースを、むりやり穴のなかに押し込めていただけだったんだ。
承認欲求がある自分。
私はいつも人の目を気にしていた。人からどう思われるか、どんな目で見られているか。そういうことばかりいつも気にしてしまって、結局は自分の本当にやりたいことなんて、見えていなかった。

だからそういう現実から逃れたかった。承認欲求に悩まされる自分から解放されて、好きに生きたかった。ありのままに生きたいと思った。
でも結局、ありのままの自分を好きになることなんて、全然できていなかったんだ、私は。
だってそもそも、その「ありのままの自分を認められるようになりたい」という思考こそが、承認欲求に操られている証拠だったからだ。
私がありのままに生きたいと思っていたのは、その方が楽しいからとか、その方が幸せになれるからとかじゃなくて、ただ単純に、「承認欲求がない方が、みんなに好きになってもらえる」と思いこんでいたからだ。

私のまわりの大人や、私が憧れるような人は、みんな人の目を全然気にしていないように見えた。自分の好きなことができれば、他人からどう思われようと、どうでもよさそうに見えた。そしてそういう人たちの方が、「人に認められたい」と思わない彼らの方が、「人に認められたい」と思う自分よりもずっと、多くの人に愛されているように見えた。

だからこそ、私は承認欲求をなくしたかったんだ。

認められたいからこそ、認められなくてもいいと思おうとした。でも口で言っているだけで、心の底から、誰にも認められなくてもいいなんて、到底思えていなかった。無限ループだ。
その思考回路そのものが、承認欲求にコントロールされたものだなんて、全然気がつかないで、自分は承認欲求がなくなっただなんて、無邪気に信じていた。
ははは、バカだなー。すんごい、バカだな。

何が「ありのままの自分を認められるようになった」だよ。本当にそうなら、わざわざ自分らしくもないアメリカっぽいファッションになんかしないっつーの。
結局私は、「私は大きく生まれ変わった」と言いふらしておきながら、まわりからの「変わったね」「大人っぽくなったね」という言葉を求めて、前髪を立ち上げて少しでも色っぽく見えるようにして、今までつけていなかった香水をつけて、必死になって「変化した自分像」を作り上げていたんだ。留学して「デキる女」に成長した私を認めてもらうために。
私はもう一度、その写真を眺める。

ほら、見てよ、この顔。
ひどく得意げな、私の顔。

安直に、かき上げ前髪にしただけで、自分は色っぽくて女として魅力があって、仕事もできる「いい女」になれたんだと、勘違いしていた。ただ本を読んで映画を見て、最近この展覧会行ったんだとか勉強会参加したんだとかあの本出してる誰々さんと話したとか、そういうアクティブな生活を友人に自慢して。高尚な話をしていると、自分は一流になったんじゃないかって思えて。
別にすごいものを見たり、すごい人と会ったからって、自分がすごい人間になったわけでも、仕事がデキる人間になったわけでも、人に影響を与えられる人間になったわけでもないっていうのに。

イライラする。

だから、巷にうろつく、前髪を立ち上げた「デキる女」を見ると、イライラする。苦手だ。
そして、彼女たちが、私がなりえなかった、見た目で装っているだけじゃなくて、本当に仕事もできる、優秀な女だったら、おそらく私は、もっとイライラする。
だから彼女たちを苦手だと言う。嫌いだと言う。なるべく関わりたくないと言う。
本当は仕事ができないくせに、無理やり仕事ができる風に見せている嫌な女だと思いたくて、思いたくて、思いたくて。
だってそうじゃないと、あの頃の自分が、あまりにもバカらしくて、みじめだから。
ああ、私って、なんて、なんて、なんて、なんて……。
なんて、プライドが高いんだろう。

わかってるよ。人に嫌われることを恐れずに生きた方が楽に生きられることも、ありのままの自分を肯定して生きた方がいいってことも。そういう人に憧れるよ。そういう人になりたいよ。

わかってる。
わかってる。
わかってるのに。

いつまでたっても、いくら「嫌われる勇気」を持ちなさいと言われても、いくらエルサが声をはりあげて歌っても。
ありのままの自分を受け入れるなんて、私、どう考えても、できないんだよ。

つづき(【コラム】一センチのほくろ② )は、12月7日夜9時公開!

前回【世にも恐ろしい女子ヒエラルキー②キャリア編】「ステータス」派か「収入」派か「福利厚生」派か?《川代ノート》

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