チーム天狼院

残念ながら「正しい人生マニュアル」なんてものはどこにも存在しなかった。《川代ノート》


離婚するしかないかもしれない、って言ったら、おかあ、なんて言うかな。
そんなことをぼんやり考えながら、家に帰るまでの道をダラダラと歩いていた。5月の福岡の夜だった。
わりと大きめの企業の総合職を辞めて、社長とアルバイトだけの、とても小さな、しかも衰退産業と言われる「書店」事業に取組んでいる超ベンチャー企業に入社して作家を目指すという道を選んだ時点で、ハプニングだらけの人生になるんだろうなという覚悟はしていたものの、さすがに二十四歳でバツイチになる予定はなかった。どうしよう、と帰り道、一人つぶやいた。
けれどもほとんど、自分の中で答えは出ていた。母親には、正直に話すしかない。ただ、実の親に率直にこの決断を言うのは憚られた。だって実の親なのだ。大事に育てた一人娘が離婚すると聞いたら、どんな顔をするだろう。どんなことを言うだろう。反応がどうしても読めなかった。なんて切り出そうか、と頭の中で様々な言葉のパターンがぐるぐると回る。「ちょっと相談がありまして」。いやいや、深刻すぎる。私と母はそういう話し方をするタイプじゃない。「この歳で離婚ってどう思う?」うーん、そういう回りくどい聞き方は違うかな。「別れてもいい?」こういうことって親に許可とるもんなの? いや、わからん。全然わからん。そもそもオーソドックスな離婚のハウツーがわからん。みんなどうしてんの? どんな風にすれば自然? 結婚のいろはを説くメディアは巷にいくらでも流通しているものの、残念ながら「正しい離婚マニュアル」なんてものはどこにも存在しなかった。どうしたらいいんだ。

ふと思った。
なんか、最近こういうことばっか考えてるな。
急に、ぽっかりと心に穴が空いて、そこをシューっと風が通り抜けていくような、嫌な気持ちがした。
正しい結婚とは、正しい離婚とは、正しい仕事とは、正しい生き方とは。正しくて、間違ってない、人生とは。
どうしてこんなに、正しいかどうかっていうことを、気にしてるんだろう。
はあ、とため息をつき、同じフレーズを延々と繰り返しながら、自宅に向かっていた。もう夜だったが、福岡の人たちはまだ眠らない。楽しそうにわいわいと騒ぎながら道を歩く人たちを横目に、部屋への道を歩いた。がさり、というコンビニの袋の音がやけに耳障りだった。

 

人生は思い通りにはいかない


それから東京に戻ってしばらくしたあと、私は本当に離婚して、バツイチになった。
離婚して数ヶ月経ち、冷静になってみて思うのは、なんというのか、人生ってわかんないもんだな、ということだった。
たかだか2、3年前だというのに、大学生の頃に立てたライフプランとあまりに大きく変化している。真逆だと言ってもいいかもしれない。自分が求めていたものは、はたしてこんなものだったのだろうかと、改めて、思う。
「生きる」ということは、本当に予想がつかないことばかりで、子供の頃に思い描いていた「理想の大人」像からは、日々生活をするにつれて、追いつかないどころか、どんどん遠ざかっていくような気さえする。本当はもっと、港区か中目黒かどっかのおしゃれなデザイナーズマンションに住んで、クリスチャン・ルブタンのヒールを履いて外資系の会社に出勤し、趣味は旅とバー巡り、ベランダで育てたハーブを使ったお茶を飲むのが日課、みたいなライフスタイルを送るはずだったのに。
なのに、今の自分ときたらどうだ。趣味など特になく毎日仕事のことばかり考え、服はだいたい上下4パターンのサイクルを適当に回しているだけ、自炊もせず、ファミリーマート・餃子の王将・すしざんまい・マクドナルド・ミニストップのエンドレスループである。髪は乾かす時間がなく湿ったままで出社することすらあり、ハーブティどころか、最後にポットで淹れたお茶を飲んだのがいつだったのかも思い出せない。
そう、人生とは、本当にわからないものである。子供の頃の自分が、高校生の頃の自分が、大学生の頃の自分が、今の自分を見たら、一体、なんて言うのだろうか。いや、まさかと、顔を青くするかもしれないな、と私は思った。
自分で言うのもなんだが、子供の頃、私は本当にお気楽な性格をしていた。一人娘で、私立の学校に入れてもらい、親からの愛情をたっぷり注がれて育った。決して裕福な家庭ではなかったし、親は休みなく毎日働き続けていたけれど、それでも忙しい中で私に並々ならぬ愛情を注いでくれた。私を守り、大切に育ててくれた。
だからこそ、私はいつも自由に生きていくことができた。自分はこれがやりたいと、自由に妄想し、発言する環境があった。親としては、苦労しないように安定した仕事に就き、安定した家庭を持ち、安定した暮らしをして幸せになって欲しいと思っていたようだったが、私は自分の将来のことなど、さして真面目に考えていなかった。常にそのときそのときで、絵描きさんになりたい、漫画家になりたい、小説家になりたいと自由奔放に夢を、未来を語った。
さすがに高校生にもなると、世の中の現実が見えてくるようになったので、夢見がちなことを言うのは控えるようになった。思春期を終え、自分が大人として働く姿が徐々に見えるようになってくるに従い、一緒にいた仲間たちも現実を見始めるようになったからだ。「女優になりたい」「歌手になりたい」と澄んだ瞳で言っていたクラスの中心的なキラキラ女子たちは、いつしか「大きな会社のOLになりたい」「公務員と結婚したい」とよりリアルな「女の幸せ」について語るようになり、「作家になりたい」「アーティストになりたい」と言っていた個性的な子達は、「先生になりたい」「大きな会社に入ってバリバリ働きたい」と真剣な顔をして言った。そんなものだ、と私は思った。そんなものなのだ。私たちの、まして思春期の少女たちの「夢」なんて。周りのみんながアイドルになりたいと言ったら自分もアイドルになりたいし、周りのみんなが商社の一般職の面接を受け出したら、自分も受けないと不安なのだ。大きな夢を本気で叶えたいと思っている人間なんて、いないようなものだ。
私立の女子校に通っていた私たちは、有名な大学に入り、一度入ったら一生安定が約束されている企業に就職し、大学か会社の品の良いコミュニティで出会った優秀な男性と結婚して家庭を持つのが、何よりの幸せだと信じて疑わなかった。もちろん私もそうだった。優秀な学生たちが集まるコミュニティの中で教養あふれる会話をして刺激を受けたり、海外に行って語学力をアップさせ、グローバル人材として社会に貢献したり、同じような高い志を持つ努力家の男性と恋愛結婚したりすることを夢見て、そんな人生が待っていると信じて、大学受験をした。
無事に大学に合格し、高校を卒業する頃、私は将来への希望に満ち溢れていた。お気楽でおめでたい私は、自分が優秀な頭脳を持つ素晴らしい人材であると信じて疑わなかった。親が私に注いでくれていた愛情をそっくりそのまま、社会に求めていた。家族が今まで与えてくれていた居場所が、社会にも存在すると信じて疑わなかった。だから、私はバリバリ朝から晩まで働き、世界中の人と話をし、取引をし、大きな功績を会社にもたらすキャリアウーマンになるのだと思っていた。社会に出れば、苦労もするし血の滲むような努力もしなければならないだろう。けれども、この私ならきっと乗り越えられる。大丈夫。何も成し遂げていないのに、いや、成し遂げていないからこそ、私は自分の実力を無邪気に信じられていたのかもしれない。
まあ、言うまでもないことだが、社会はそれほど甘くない。大学に入り、就活をし、社会に出て働くという一連のステップを通して、私はその事実にやっと気がつきはじめた。あ、これ、もしかして、大人って、お金を稼ぐって、辛いことなのかもしれない。「バリバリ働きまくってお金を稼ぎたい」とあれほど豪語していたはずなのに、「もう嫌」「無理」「働きたくない」の3フレーズを繰り返すようになった。マジで無理。本当に無理。つらすぎ。やだ。辞めたい。ネガティブなワードばかり発散し、追い詰められ、最終的にはもう諦める! ニートになる! ダメ人間になる! とまで考えたところで、「いや、でも働くの辞めたら、何するの? することなくない?」「ここで諦めたら何も手に入らないよね?」「……やっぱり私、働くの好きかも」という着地点にたどり着き、結局は快適なライフスタイルよりも、仕事に全力投球の人生を選んでしまうのだった。

 

「恥ずかしくない人生」とは


そしてそうやってがむしゃらにいきているうちに、気がつけば、私は二十五歳になっていた。
今の自分の状況は、どうだろう。結局望んでいたライフスタイルは一つも手に入らず、その場その場で直感がおもむく方を選んで、気がついたらこんなところまで来てしまっていた。

こんなはずじゃなかった。
こんな風に生きていく予定じゃなかった。もっとキラキラして、もっと女子力高くて、もっと性格良くて、もっと……。なんていうか、こう、親に堂々と見せられるような、そんな人生の、はずだった。
親に安心してもらえるような、親が胸を張って「私の娘は川代紗生だ」と言えるような、そんな……かっこいい、恥ずかしくない、人生。

それを見せられる大人になりたいと思っていた。なるはずだった。それこそが、お金がない中、必死で私を育ててくれた親に対する恩返しだと思った。なのに、どうだ。今の私ときたら、頭の回転も遅けりゃ、行動にうつすのにも時間がかかるし。気も回らないし、どんくさいし、迷惑かけてばっかりだし、誰の役にも立ててないし……おまけに、バツイチで。
もう、何もしなくてもため息が出てくる。どうしたらいいんだろう、これから。周りから見てかっこいい部分なんて、何一つ存在していない。今はやりの「ていねいな暮らし」的なことも何一つできていないし、東京に戻ってきてからというもの、ほとんど池袋から出ていないし、毎日職場と家の往復。本当は銀座や代官山や表参道などのおしゃれパワースポットに遊びに行って、おしゃれエネルギーと女子力を吸収して、キラキラ輝きたいのに。

けれども、そこまで考えて、ふと思う。

でも、私は本当に、そっちの「恥ずかしくない人生」「自慢できる人生」の方を、選べなかったのだろうか。

私が今この道を選んでしまっているのは「仕方なく」で、他に道がないからこっちに来てしまっただけなのだろうか、はたして。

 

よく言われることだけれど、人生は常に選択肢の連続だ。そして、この「川代紗生」という人生における、最終的な決定権は、常に私にあるはずだった。
もしもこの人生が一つの小説であるとするならば、この作品の主人公は私であり、そして同時に、作者も私であるはずだった。私というキャラクターをどのように動かし、どのように活かし、どんな困難に向かわせるのかも、どんな喜びを与えるのかも、どんな楽しみを、怒りを、悲しみを与えるのかも、全部私次第で、どの選択肢を選ぶのかも、私が決めて良いことになっているはずだった。

 

本当に漫画家になりたいのなら、漫画を描き続けて賞に応募する選択肢もあった。
高校生になっても、自分の夢を語り続ける選択肢もあった。
大学に入って、大企業に入る選択肢もあった。OLになる道も、銀行員になる道も、デザイナーになる道も、編集者になる道も、レストランで働く選択肢もあった。
結婚して、そのまま寿退社して、専業主婦として暮らす道もあった。

 

そうだ。
私は、どのタイミングでだって、外資系企業に入ることも、クリスチャン・ルブタンを履くことも、ハーブをベランダで育てることも、表参道や代官山に日常的に行く生活を維持することだって、やろうと思えば、なんだってできたはずだ。
だって、私の親は、私がいつでも、どの道を選んでも良いように、たくさんの選択肢を用意しておいてくれたからだ。
自由であるということは、それだけ選択肢があるということで、私は自分の努力次第で、どこへでも行ける環境が備えられていた。

 

けれども、それでも私は今、ここにいる。

私は、「どんな道でも選べる」という状況の中で、それでもやっぱり、ここを選んだ。天狼院にいることを、書いて生きていくことを選んだ。
「こんな人生がいいな」と思い描いていた、おしゃれでかっこいい、「理想の大人」像に近づく道だって、いつでも選ぶことはできたはずだ。
けれども私は、ここを選んだ。ここにいることを望み、ここで生きて行く覚悟を決めた。

ならば、どうしてこんな風に悩んでいるんだろう? 不安になっているんだろう?
どんな人生なら、私は満足できるんだろう? どんな人生を求めて、今ここで働き、ここで文章を書いているのだろうか。

 

なら、どんな人生なら満足できるんだ?


たとえば、私がグローバルに働く外資系OLになったとしても、コンサルタントになったとしても、広告会社に入ったとしても、主婦になったとしても、私は満足しなかっただろうし、「正しい人生」だとは思わなかっただろう。
どうして私はこんなにもひたすらに、「正しい人生」について、悩んでしまっているのだろうか。
あるいは、「正しい人生マニュアル」なんてものがこの世に存在するのなら、楽だったのかもしれない。
こんな風に生きて、こんなライフスタイルを送り、こんな仕事をして、こんな人と結婚すれば、みんなから「いいね!」と言ってもらえますよと、これくらいなら80点ですよ、とか、これくらいなら100点ですよ、とか、そんなマニュアルがありさえすれば、こんな風に迷うことなんかなかったのかもしれない。

たとえば、私が品の良い女子大に入って、小さなメーカーの受付をやって、そこで出会った、口数は少ないけれども誠実な男性と結婚して、寿退社をして、28歳くらいで子供を産んで、感じの良いお母さんになるような人生を送っていれば、それは「正しい人生」だったのだろうか。

たとえば、バリバリ働く商社の総合職OLになって、ガッツリ毎日営業をして、会社で成績TOPになっていたとしたら、それは「間違ってない」人生だったのだろうか。

いや、きっとそういうことじゃないだろうと思う。

たとえば、私がグローバルに働く外資系OLになったとしても、コンサルタントになったとしても、広告会社に入ったとしても、主婦になったとしても、私は満足しなかっただろうし、「正しい人生」だとは思わなかっただろう。
だいたい、どうして私はこんなにもひたすらに、「正しい人生」について、悩んでしまっているのだろうか。

ツイッターやフェイスブックやインスタグラムなどのSNSを見ていると、ありとあらゆるライフスタイルが溢れている。いつでも、すぐに誰かの人生をのぞき見できる環境が、出来上がっている。今、誰が何をしているのか、誰がどんなことを考えているのか、指先でなぞればすぐに調べることができる。一度話したことがあるだけの相手がいつ高校に入学し、いつアメリカに留学し、いつ結婚し、いつ子供を産み、今はどんなことについて悩んでいて、どこに住んでいて、これからどんな仕事をしようとしているのかが、すぐに、わかる。知ることができる。
今の世の中はきっと、比べられる対象が多すぎるのだと思う。自分よりもあの人のほうがお金ありそう、自分よりもあの人のほうが美人、自分よりもあの人のほうが料理上手、あ、でも、自分のほうがあの人より多趣味だし、仕事も頑張ってるし……。あるいは、私はそんな日々に疲れてきてしまっているのかもしれない。情報が溢れるこの社会で、自分が自分として生きていっても良いのか、自信がなくなってきてしまったのかもしれない。私はこれから、川代紗生として人生を歩んでいっても、大丈夫なのかがわからなくて、不安になってきてしまったのかもしれなかった。

すぐそばを見ると、色々な人の、色々な人生が目の前を通り過ぎていく。みんなそれぞれに、自分だけの色を持って、人生を歩んでいるように見える。私なんかよりも、ずっと個性的で、綺麗な色を持っている。
SNSを見ていると、友人たちや、知り合いの情報が常に入ってきて、それぞれがそれぞれの色を発信していて、羨ましいなと純粋に、思う。情熱的な赤や、深いブルーや、くすんだ緑や、茶色、紫、白、ピンク、ベージュ。その人らしい色を、自分で生み出して、自分で作ることができているように見える。
でも、私は、どうだ。
私は、ちゃんと、「川代紗生」の色を、作ることができているのだろうか。
私は、あっちこっちの色々なパレットから色を盗んでくるにすぎなくて、結局誰かの真似っ子で、コピーにすぎないのではないかと、そう思うことが、よくある。

私は自分の内側から、私だけの色を生み出しているわけじゃなくて、その時その時で、憧れる人の色に少しでも近づけるように一生懸命、何度も何度もパレットに絵の具を重ねているだけで、結局ぐちゃぐちゃの、真っ黒な汚い色になってしまっているんじゃないか、とか。
きれいで純粋な、淀みなく輝く赤になりたいのに、それを真似しても結局、中途半端な朱色や、赤黒い気味の悪い色にしかなっていないんじゃないかとか、そんな風に、不安だった。
自分だけの色を生み出せない私は、ダメなやつなんじゃないかと、この世に生きてる意味なんかないんじゃないかと、そうやって、日々、怖くて不安で仕方がなくて……。

「いやー、そうなっちゃったかぁ」

そこまで考えて、はっとした。離婚するしかないかもしれない、と母に言ったときに言われたことを思い出したからだ。

電話で母に伝えたとき、母は、怒るでもなく、悲しむでもなく、ただ優しい声で、言った。

「どんな人生でも、ありだよ」

一瞬、何を言われているのか、わからなかった。
これから娘が離婚しようとしているときに、この人は、何を言っているんだろうと思った。

「だって、そうじゃん。みんなの人生じゃないじゃん。さきの人生でしょ? さきが選んで、いいんだよ」

不安だった心が、じわじわと、溶けていくのがわかる。
そうだ、あのとき母は、確かにそう言った。

「どんな道を選んだって、いいんだよ。間違ってないんだよ。人間だもん。そりゃ色々あるよ。どんな人生でも、ありなんだよ」

ああ、そうだ。
母は、私が生まれたときから、教えてくれていた。
どんな色だとしても、間違ってないんだと。おかしいなんてことは、ないんだと。
「正解の色」なんてどこにもなくて、今私の色が、あっちこっちのパレットからかき集めたぐちゃぐちゃの色の集合体で、ほとんど真っ黒な汚い色になってしまっていたとしても、それは、間違ってはいないのだと、幼い頃からずっと、教えてくれていたのだ。

「正しい色」というものは、どこにも存在しなくて、私たちは、誰かに「あなたの色、きれいだね!」と言ってもらいたくて、生きているわけではない。
自分が、「この色、好きだなぁ」と言えるようになるために、今こうして一生懸命、日々を生きている。

どの色を選択するかは私次第で、そして私はこれまで生きてきた中でいつでも、自分の本能が「これだ!」と思う方を選んできた。選んだ結果が、今だ。

だから、今この瞬間にできている自分の色が泥水みたいに汚く思えても、それを恥じる必要なんか、ない。

私は、私であるべくしてここにいて、この色を作るべくして作った。誰の真似だとしても、誰に「おかしい」と、「間違っている」と非難されたとしても、この色は私の色だと、胸を張って言っていいのだ。

恥じる必要なんか、ない。

どんなに探したとしても、この世界には「正しい人生」を証明するものはなく、そしてまた、「間違った人生」を証明するものもないのだ。

そうだ。
どんな人生も、ありなのだ。

失敗したって、逃げたって、辛い思いをしたって、死ぬほど勝ちたい相手に負けたって、誰かの真似をしたって、夢を諦めたって、夢を追いかけたって、絵描きさんだって、漫画家だって、小説家だって、書店の店長だって、キラキラOLだって、先生だって、専業主婦だって、他人の真似だって、離婚したって。

どんな人生も、間違ってなんかない。
どんな色も、おかしくなんかない。

だって、残念ながら……いや、幸運にも、この世に「正しい人生マニュアル」なんてものは、存在しないんだから。

 

***

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2017-11-18 | Posted in チーム天狼院, 川代ノート, 記事

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