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チーム天狼院

【週休0日でも明るく楽しく生きるには】一番尊敬する人は誰か、ときかれたら、真っ先に母と答える《川代ノート》


oyako

一番尊敬する人は誰か、ときかれたら、真っ先に母と答える。

私の母は結構な苦労人である。それは子供の頃のわたしの目からみても明らかだった。
母が家にいないのが当たり前だった。土日、祝日も仕事でいない。当然、「お母さん=働いてる人」、という認識で居た。だから友人から、お母さんが学校から帰ったらケーキ作ってくれてて、とか、家族で週末キャンプに行って、とか、はじめて聞いたときはものすごくびっくりした。母親という生き物は働くものだと思っていたからだ。

母は平日と土日、違う仕事をダブルワークしていた。家に帰っても誰もいないので、小学生の私は、多くの時間を祖母の家で過ごした。その頃自宅から祖母の家まで歩いて5分だったので、よく祖母が面倒を見てくれたし、時間があれば祖母の家で勉強していた。学校が終わるとそのまま祖母の家に帰り、夜に母が迎えに来るまで祖母の家で過ごすか、母が遅くなったときは泊まって行くことも少なくなかった。

祖父母は私のことを実の娘のように可愛がってくれたし、賃貸の狭いアパートよりも、広い二階建ての祖母の家の方が遊ぶには楽しかったけれど、やっぱり母が仕事を終えて迎えに来てくれるとものすごく嬉しかった。 母は平日は肉体労働をし、土日は朝から晩まで接客業をしていて、休む時間なんてこれっぽっちもなかったはずなのに、私の前では疲れた顔を微塵も見せなかった。快活で優しくて面白くて、いつも私を笑わせてくれた。

祖母宅からの帰り道、母と二人でゆっくり自転車をひきながら、今日学校でこんなことあったよとか、百マス計算で一番だったよとか、その日にあったたわいもないことを母に報告するのが毎日の楽しみだった。母はいつも、よかったね、さき頑張ったね、偉いね、と楽しそうに聴いて、褒めてくれた。だからいつもどこにいても、お母さんを喜ばせたい、という気持ちが根本にあって、そのために勉強も習い事も頑張っていたような気がする。

何故母がここまで必死で働いていたかと言えば、私に良い教育を受けさせたいと思っていたからだった。父の仕事がうまくいかなくなって以来、私の家はたしかに裕福ではなかったけれど、私を普通の保育園に通わせ、公立の小学校に入れれば母もそこまで働く必要はなかったのに、私を私立の幼稚園、小学校に入学させ、その学費のために必死で毎日働かなければならなくなったのだ。もちろん幼い私はそんなことちっともわかっていなかったけれど。

だから私は幼稚園から大学まで、公立の教育を受けたことがない。中高一貫の、素晴らしい教育をしてくれる女子校に入ったし、大学も、奨学金は自分で返すという条件つきではあるが、私の意思を優先して、学費が高い学部に入学させてくれたし、アメリカに長期留学も行かせてくれた。
私立の学校にしか行ったことがない、と言うと、誰からもうわあ、すごい金持ちなんだね、と言われるけれど、そんなことはまったくない。自慢じゃないが大学生が一人暮らしするような1DKの狭いアパートに親子三人で暮らしていたこともある。私が私立に行かなければ、もっといい家に住めたかもしれないのに。

母は何よりも私を優先してくれた。貴重な休みはいつも私を遊園地や美術館に連れて行ってくれたし、平日でも時間があればレストランでおいしいものを食べさせてくれた。なので私の記憶には、疲れている母のイメージがほとんどない。いつだって元気で明るくて面白くて優しい、愛情たっぷりの母親が、ぱっと思い浮かぶ。
正直に言って、周りの友人はみんな社長令嬢とか医者の娘とか、金持ちのお嬢様ばかりで、劣等感や疎外感があったこともあって、お金持ちになりたいなあ、と子供ながらに思ったことも結構あった。でも他の金持ちの家の子になりたい、とは一度も思ったことがなかった。ほしいものを全部買ってもらわなくても、他の友達にコンプレックスがあっても、なかなか母と会える時間がなくても、それでも母の愛情があって、母が大好きだったから、我慢できた。

母はよっぽどのことが無い限り、本気では私に怒らなかった。
部屋片付けろ、とかちょっとは手伝いしてよ、くらいならあったけれど、勉強しろ、とは全然言わなかった。母はものすごく褒め上手だったので、さき、ちゃんと勉強頑張ってて偉いね!すごいね!お母さんこんな難しい問題とけない!とか、子供の頃から褒められまくって育った。小言は言われても、よっぽどのことが無い限りはかんかんには怒らなかった。
けれどそれは甘やかされていたわけでも、わがまま放題で許されていたわけでもなく、私は本当に、幼い頃はほとんど「悪いこと」をしなかったのだ。母が私を信頼してくれているのがわかっていたので、悪いことが出来なかったからだ。悪いことすると、お天道様が見てるよ、と言うけれど、私にとっては本当に「おかあさんが見てる」という感覚で、おかあさんを裏切っちゃいけない、傷つけちゃいけない、という幼いながらの倫理観があったのだ。たとえば友達にいたずらした、とか嘘を吐いた、とか、ほんのささいなことでも、「悪いこと」をしたと思ったら、逐一母に報告していた。

中学に入って、遊ぶのが楽しくて勉強をほとんどしなかったせいで、成績表に1がついても、母は怒らなかった。
それまでも、勉強しろとはほとんど言わなかった。成績表を受け取った私は、やばい、いよいよ1がついちゃった・・・と恐怖におびえながら母に成績表を見せた。

しかし意外にも母は、
「あらー、1か。次は頑張りな」とだけ言って終わった。
どこか不機嫌そうだったけれど、そのあと普通に家事をし始めたので、怒られなくてほっとした私は、そのあと地雷を踏んでしまうことになる。

「あのさー、遅刻届け出してなかった分、五日分くらい溜まってるんだけど、書いてくんない?」

私は中二のとき、夜更かししたせいで寝坊して、チャイムに間に合わないということを繰り返す遅刻魔だったのだが、本来翌日に出さなければいけないはずの遅刻届を、母に書いて、とお願いするのが面倒で、結局学期末に先生からまとめて出してください、と通達があったのだ。

もっと何回も遅刻していた友達は、軽く「パパに頼むからいいや~」とか言っていたので、私も大事と思っておらず、軽く母に頼んだのだが。

「遅刻届ためてただア!!?そんっなんだから1なんかとるんだよ!!!!」

ドカーン!

雷が落ちた音がした。

「あんたねえ、五回も遅刻するってだけでもだらしないのに、遅刻したこと私に黙ってた上に、その遅刻届け溜めてたなんてどんだけ失礼なことしてるかわかってんの!?そんなだらしないから1なんかとるんだ!!!もうアッタマきた!!私絶対に書かないからね。自分でなんとかしなさい。あんたの責任だよ!」

その怒り、烈火のごとく。
はじめて見た母が激怒した姿に、震えて涙がとまらなかった。

「ご、ごめんなさい・・・。次からは気を付けるから・・・、もう遅刻しないから・・・」

と言っても時すでに遅く。

「なに言ってんの?いつも次は頑張る次は頑張るって言って毎回だめじゃん。約束守ってないじゃん。信用できないよ」

ぴしゃりと跳ね返され、そのあとは何を言っても口を聞いてくれず。

私自身は正直そこで、何故そんなにも怒られたのか理由が分からなかった。1をとっても怒らないのに、遅刻届を出してないことではものすごく怒る。母に嫌われたくなくて、ひとりでベッドにうずくまりながら考えた。何がいけなかったのか?何が母を傷つけたのか?申し訳なくて、なんとかして母の信頼を取り戻したくて必死だった。

考えて考えて考えて、遅刻すること自体もそうだけれど、本来お願いしなければならないことなのに、平気で遅刻届を書いてくれと言う無神経さ、厚かましさ、礼儀のなさにも腹がたったんだろう、と思った。

しかも私は母の言うとおり、テストで悪い点を取る度に「次はがんばる」、と言って結局毎回赤点、というのを繰り返していた。でも次はがんばろう、と思って母にいつも宣言していたので、それも約束を破っていたことになる。家でも、家事の手伝いしないわ、いつも寝坊して母に何度もおこしてもらうわで、結局遊んでるだけの駄目駄目人間だったのだ。そういう失礼さをもともと懸念していたところに、今回の成績1騒動、遅刻届騒動が連続できたので、もうドカーン!!と母の怒りが爆発してしまったわけである。

とはいえ、遅刻届を書いてもらわないと単位がもらえないし、先生に頼むわけにもいかない。どうにかして母の許しを得るしかなかった。
おそるおそる、まだ怒って顔が引きつっている母のところに行って、

「おかあさん、本当にごめんなさい。これからずっと毎日皿洗いと洗濯物たたみは私がやります」

と宣言した。

あとから聞いた話だが、母はそのとき「どうせまた3日坊主で終わるだろうな」と思って期待していなかったという。

けれど皿洗い、洗濯たたみの習慣は、母の予想に反して、高校になって勉強が忙しくなるまでの3年間近く続いた。もっとも3年やってぱったりとやめたわけではなく、単純に家事をすることを覚えたので、手が空いているときにやる、というように習慣がついたのだった。

皿洗いと洗濯物たたみを一生懸命やっている私を見て、母も許す気になったらしく、遅刻届も書いてくれた。そのあとは病欠以外、遅刻はほぼしなくなった。

母が本気で怒ったのは、それ一回きりだ。

母は自分の世間体なんて、微塵も気にしないのだ。
だから私の成績が悪くても、心配はしても文句は言わなかった。それは私が遊びたいなら思いっきり遊べばいいし、勉強したいならすればいい、全部私の人生だ、と理解してくれていたからだ。勉強が出来ない子の親と思われたくない、とか、子供はエリートに育てる!とか、そういう世間体は一切気にしていなかった。

常に「さきはどうしたいの?」と聞いてくれた。

「さきがしたいことがあるなら、私はそれを全力で応援するだけ。ただし人様に迷惑かけるような失礼なことはするな」。

いつも、どんなときでもそういうスタンスだった。

私が絵がうまくなりたいと言えばお絵かき教室に通わせてくれた。テニス部に入りたいといえば、ラケットも買ってくれた。私が早稲田を目指したいといえば、必要な参考書を買ってくれた。裏で自分は苦労して、必死の思いで平日も土日も朝から晩まで働いて、ローンを返して、おいしいごはんを作ってくれていたのに、私は何も知らずに母の愛に甘えていた。当然のように。

母だけはいつでも私を無条件で受け入れてくれる、という安心感。

大学に入学した当時、入試の点が最下位だった私は、全部英語で行われる授業に追いついていくのが難しく、頭がいい英語ペラペラのクラスメイトたちに見下されているような気がして、劣等感でおしつぶされそうになった。

授業がわからないのが辛くて辛くて、周りの学生との歴然たる差にもやもやして、勉強に集中できなくてだらけてしまう自分に自己嫌悪になった。「もう自分なんて駄目だ、みんなよりも全然できてない。怠け者で努力できない私は駄目人間だ、駄目な子だ。こんな思いするなら早稲田なんかに入らなければよかった」と泣きながら叫んだ。

 

だめでいいんだよ、と私を抱きしめて母は言った。

 

「だめでいいんだよ。さき、駄目駄目でもいいんだよ。おかあさんが、いつもさきのこと褒めすぎちゃうから、プレッシャーになっちゃったね。ごめんね?完璧じゃなくてもいいんだよ、さき。いい子でいなくてもいいんだよ。おかあさん、どんなさきでも大好きだよ。嫌いになったりしないよ」

 

母だけはいつも、私の味方でいてくれる。
何があっても裏切ったりしない。

娘に「こうあってほしい」「理想の娘であってほしい」という押しつけもしない。悪いところも駄目なところも変なところもすべて、ありのままの私を受け入れてくれる。

こんな無償の愛が得られる人間が、この世にどれだけいるだろうか。

「こういう人間になりたい」と思える人物を母親に持てるというのは、なんと誇らしいことだろうか。

母は、苦労しているところをちっとも見せない。私がすぐに言ってしまう、「疲れた」「もうだめだ」「だるい」ともちっとも言わないし、「自分頑張ってます」というアピールもない。

それどころか、「お母さん、本当何も知らなくてだめねえ」とか、
「さきちゃんがものしりで助かる、助けてくれてありがとう」とか、
「職場の○○さんがね、仕事ができて優しくて美人で、本当にすごいのよ」とか、

むしろ「おかあさんももっと頑張らなきゃ」と、傲慢でもなく、見栄も張らず、謙虚だ。人のいいところを素直に認めて、褒められる。いつも周囲への感謝を忘れない。
肉体労働をしていて死にかけたことも何度もあるのに、いつも「ま、大丈夫大丈夫~」と楽観的で、他人を本気で尊敬している。

アクティブで、好奇心旺盛で、粘り強くて。母はもう50を過ぎているが、休みはちゃんと週2日とれるようになったものの、いまだに現役で働き、さらに、「勉強しなおしたいから」と言って、短大に通っている。「もうすぐテストだ~」と苦しむ姿は、私と何も変わらない。

 

家族を養って、子供にちゃんとした教育を受けさせて、子供がやりたいことは全部やらせて、それでいて、自分の人生も全力で楽しむ。

それがどんなに大変なことか、成人して、自分でお金を稼げるようになって、もう少しで社会に出ようとする今、ようやくわかるようになった。

来年には、社会人になって、自分ですべて賄うようになって、自立して。もしかしたら、家も出ることになるかもしれない。
数年後には、結婚して、子供がうまれて、私も母親になるのだろう、きっと。

私は、私の母みたいな母親に、なれるだろうか。
母が私に与えてくれたような、めいいっぱいの愛情を、同じように自分の子供に与えることが出来るだろうか。
この世でいちばん大切な、いちばん尊敬する人物に、辿り着くことはできるだろうか。

たぶん無理だろう。
母と私は違う人間だ。どう頑張っても努力しても、母と同じ人間にはなれない。

けれど違うなりにも、母から受け継いだあったかいものを、世の中に還元できる人間になりたいと思う。

それが私にとっての、母への最高の親孝行だと思うからだ。

 

親は自分では選べない、というが、私は母を選ばずにここにいるのだとすれば、宝くじにあたるよりも運がよかったと言えるだろう。
私は何があっても、何度生まれ変わっても、絶対に母のもとに生まれてきたい。

こうまで思わせてくれる母親を、心から誇りに思う。

おかあさん、いつもありがとう。

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2014-07-29 | Posted in チーム天狼院, 記事

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