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チーム天狼院

世界にたった1%の「本物の」カリスマ性《川代ノート》


脳のおくが、ぶるっ、と震える音がした。
動きたいのに体が動かない。
ステージの前の方に進んで行って、大きく手を伸ばして、そのリズムに体を思いきりのせたいのに、その場に立ち尽くしたまま、足が全然動かない。
どうしてだろう。わからない。
気がつけば、目の奥にじんわりと涙がたまっていた。

鼻の奥が、ツン、とするのがわかった。

ウクレレ

昨夜、友人の音楽大会に行ってきた。

彼とはつい最近授業を通じて仲良くなった。明るくてほがらかで、自信に満ち溢れていて、でも不思議と嫌味は一切感じない。さわやかだけれど確実な自信を持っている人。それが最初の印象だった。
いつもたくさんの人に囲まれている人。輪の中心にいる人。

彼には人を惹きつける何かがあった。まわりの人は磁石みたいに彼に引き寄せられていって、彼の周りにいれば何か面白いことが起こるんじゃないか、そんな期待を周囲に抱かせられる才能があった。それは生まれつきなのか、努力をもってして手に入れたものなのかは予想がつかないけれど、とにかく不思議な力が彼の周りには溢れていた。

正直に言ってしまえば、彼を最初に見た時、苦手だ、と瞬時に思った。

彼はあまりにも眩しすぎた。私に持っていないものを全部持っているような気がした。

人望。人を巻き込んで、全部プラスに変えてしまう力。リーダーシップ。社交性。

そして、カリスマ性。

なにより、彼は自分の夢をはっきりと口にできる強さを持っていた。そしてその夢を叶えることを信じてやまなかった。彼にとっては夢を叶えることは、人生において当然の決定事項であるような気がした。

 

彼のやりたいことはウクレレだった。

演奏を見た瞬間、彼がウクレレで世界の仕組みをなにかしら変えようと本気で思っているのがわかった。
正直、最初にウクレレ、ときいたときはハワイのイメージしか浮かんで来なかった。 のんびりリゾート地で、赤や黄色のフラワーレイを首にぶら下げてウクレレをひく、褐色肌の美女たち。そんな勝手なステレオタイプ。

どうしてギターじゃないんだろう、と思った。ウクレレなんてギターが小さくなったものだろう、と。 けれど彼は言った。

 

ギタリストにさ、「なんでピアノ弾かないの?」って聞かないでしょ。 ウクレレ奏者に「ギター弾かないの?」とか「三味線やらないの?」って堂々と聞けるのかが不思議でならない。 ウクレレは楽器だから。他の楽器となんら変わりないのに、未だに偏見にぶち当たる。僕はウクレレが弾きたいんだよ。

 

ウクレレのことなんてなにも知らなかった。あんなにも人を魅了して、誰もがついていきたくなるようなカリスマ性を持っている彼が、そこまで没頭してしまう楽器。それはなんなんだろうと思っていた。この目で見て、その理由を知りたかった。だから、知りあいもいなかったけれど、ひとりでその音楽大会にのりこんだ。

演奏がはじまった、瞬間。

ロックンロール、なんだろうか、これは。いや、それだけじゃない。 なんていう音楽なんだろう。

ぶっちゃけてしまえば、音楽のことはよくわからない。私は仮にも音楽サークルに入っていたくせに、ロックとかパンクとかユーロビートとかロキノン系とか、どんな音楽がどんなジャンル分けをされるのか、全然詳しくなかった。音楽は直感的な「好き」か「嫌い」かでしか分類できなかった。 でも彼の、彼らの音楽は、なにかしら、そういうジャンル分けすらも越えようとしていることが、それこそ直感的にわかった。

ウクレレの音とヒューマンビートボックス。今まできいてきたどの楽器とも違う音。今まできいてきたどの声とも違う声。
三味線みたいな、ギターみたいな、シンセサイザーみたいな、とてもウクレレとは思えないような、幅広い音色。そして、まるで人間の口から出ているとは思えない、ボイスパーカッション。Perfumeにとっての中田ヤスタカみたいに、どこか後ろにDJが隠れていないのが不思議でならなかった。

間違いなく、彼らは今この瞬間、その音楽を、たったふたりで創り上げている。

 

脳のおくが、震えた。
その場から動くことができない。
大きく手をふり、リズムを刻み、身を任せてしまいたいのに、それが出来ない。
ただ、目が離せなかった。

 

「本物」を見たのはこれで二度目だ、とふと思った。

私が憧れてやまない、けれど決して追いつくことができない存在。
「本物」だと、何故わかるのか。

簡単だ。

涙が出たからだ。

 

天狼院店主、三浦崇典。

その人と会ったときも、私は何故か涙が出そうになった。 天狼院に始めて来て、その面白さに魅せられて、天狼院に通うようになって。
最初の頃、三浦さんと話したとき、彼の夢を語る、キラキラした瞳を見たとき、涙が出そうになったのだ。
彼は、冗談でもなく、恥ずかしげもなく、会ってたった数回の、ただの就活生の私に、こう言った。

「大丈夫、僕が世界を変えるから」。

それは、まるではじめから決められた、必然事項であるかのように。
彼は出版業界に、いや、世界中に、何か革命を起こそうとしているのだ。天狼院書店という媒体を使って。 天狼院は従来の書店ではない。まして、ただのブックカフェでもない。確実に、何か新しい可能性を孕んだ、本屋とかカフェとか出版社とか、そういうジャンルをすべて超越した、新しい空間を、彼は創ろうとしている。それが、直感的にわかった。そして、きっと彼なら達成できるだろうということも。三浦さんの最終的な目標は、スタッフの誰も知らない。彼の頭の中にしかないんだろうけど。

どうして涙が出たんだろう。
三浦さんが眩しすぎたからかもしれない。自分では到底かなわない、どう足掻いても届くことの出来ない存在だとわかったからかもしれない。理由はよくわからないけれど、彼の「夢」が、その夢にかけるあまりに無垢な純粋さが、私を感動させたのは間違いなかった。

 

「本物」に、どうすればなれるのか。
ウクレレの彼、そして、三浦さん。

彼らには間違いなく、共通点がある。 彼らは自分が好きなものに、誇りを持っている。そして、確固たる夢を持っている。そしてその夢を、自分が実現できる、と本気で信じている。 どんなに高い壁が目の前にあらわれても、今この段階でこれを乗り越えるくらい、当たり前の必達事項だと思っている。

ウクレレの彼は言った。 「今日の予選大会は通過しますんで、次の決勝は9月ですから、また来てくださいね」
三浦さんは言った。 「8月末までに、30万PV達成するよ。そしたら、もっと面白いことになるよ」

それははたから見れば、無謀に思えるだろう。けれど彼らは、こんなところで、これくらいの課題が達成できないようでは、自分の叶えたい夢は到底実現出来ない、と当たり前のように信じ込んでいる。
彼らがそんな風に熱く、無謀な夢を語るとき、バカみたいだと言う人もいるだろう。自分に酔っちゃって、イタいやつだと言う人もいるだろう。ひがむ人も妬む人も、悪口を言う人も。

けれど多くの人は、彼らに希望を抱いている。このつまらない世の中のどこかを変えてくれることを。くだらない偏見や固定観念をぶち壊してくれることを。

人は、「本物」の夢に触れたとき、涙が出そうになるのだ、きっと。

スポーツ選手が金メダルを取った瞬間。
ダンサーが自己最高の演技をした瞬間。
写真家が、奇跡みたいに美しい夕日を切り取った瞬間。
ウクレレと人間の限界に挑戦しているのを見た瞬間。
本気で世界を変えようとしている人間に会った瞬間。

彼らの強烈な熱と夢を目の前で差し出されたとき、人は決して抵抗することができない。とてつもなく惹きつけられて、離れられなくなってしまう。
あまりに眩しすぎて、羨ましすぎて、逃げ出したくなってしまうような、私みたいな人間もいるだろうけど。

 

自分が好きなものに、誇りを持つこと。
自分の目標を、きっぱりと公言できること。
ただ自己実現のために情熱を燃やし、探究心を絶やさぬこと。
そして、まわりから見られた自分を、気にしないこと。

ほとんどの人間が振り回されてしまう、「承認欲求」に悩まされることは、彼らには無いのだろう。

有名企業に入って、みんなからすごいって思われたい。
社内の誰よりも業績をあげて、出来る男だと思われたい。
誰よりも私が一番かわいいって思われたい。

承認欲求を乗り越えられる人間は、世界に1%しかいない、なんてうわさを、聞いたことがあるけれど。そんな邪心を、彼らは一切持たない、まるで生まれたばかりの子供みたいに、本当に無垢な人間なのだ。

私は純粋にすごいと思えば、そのまま彼らのことを褒める。尊敬する気持ちも隠さない。
ウクレレの彼には「本当に素敵な演奏だね」、三浦さんには「よくそんなに面白いことが思いつきますね」、と伝える。

けれど、彼らは別に照れるでも、調子にのるでもなく、素直に「うん」とか「ありがとう」とか言う。

きっと嬉しいには違いないのだろうが、「人から認められた」ことで欲求が満たされるわけではないのだろう。ウクレレの彼にとっては、「人を感動させるような素敵な演奏」をするのは自分に課したすでに決められた事柄であって、自分を認められるだけの努力をしてきているから、他人から認められたことで今さら彼の欲求が満たされることはない。私が彼を褒めたときには、すでに彼はもっと先を見つめている。

三浦さんにしてもそうだ。彼にとっては面白いことをやっているのは当たり前だし、当然のごとくそれを実現するために努力してきている。しかもまるで「努力している」とも自覚していない。自分がやりたいから、やりたいことのために、ただひたすら前に進んでいるだけだ。

人見知りで、話すのが下手くそで、怠け者な私には、あまりに眩しすぎて、彼らを直視することが、とてもできない。
何故なら、羨ましくて、憧れて、仕方ないからだ。

人気者になりたい。
輪の中心に入りたい。
頼られたい。
憧れられたい。
みんながついてきてくれる、リーダーになりたい。

でも、こんな邪心だらけの、承認欲求だらけの自分と対面するのも、嫌で。
彼らといると、そういう自分を直視せざるを得なくなる。
ウクレレの彼も、三浦さんも、ただひたむきに自分の夢を追いかけているだけで、「憧れられたい」なんて、微塵も思っていないだろうに。
それが頭ではわかっているのに、心ではどうしても、みんなから好かれたいと思ってしまう自分が本当に嫌い。

 

だけど。

そうメソメソしているうちは、何も変わらないのかもしれない、と彼の演奏を見て思った。
若者にとっては、夢を語るのが難しい時代だ。「ゆとり世代」「さとり世代」と呼ばれ、もはや、野心も持たず、冷めた目で世の中を見て、ただ「それなりに」幸せになれればいいや、なんて。
平均よりちょっと上の、75点くらいの人生なら満足かな、みたいな感じ。

でも、100点満点を目指して、何が悪いのか。
「世界を変えてやる」と、「誰よりも面白いことをしてやる」と、でかい口をたたくことの、何が悪いのか。

私にだって夢がある。何か面白いことをしてやりたいという思いもある。みんなをびっくりさせちゃうようなことを書きたいという思いもある。

いくら「青臭い」だの「イタい」だの「現実見ろ」だの言われようがなんだろうが、夢を語ろうじゃないか。そして夢のために、一生懸命努力しようじゃないか。別に何を言われたって構わない。自分が本当にやりたいことを、追いかけてみよう。

そう思わせる力が、たしかに彼にはあった。じん、と私の魂をゆさぶる。

それが、「本物」になるということなのだ、きっと。

 

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2014-08-09 | Posted in チーム天狼院, 記事

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