存在の証明
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:大原亜希(ライティング・ゼミ日曜日コース)
小さい頃、12色入りの色鉛筆で絵を描くのが好きだった。
お姫さまや想像の家を描くこともあれば、実家の庭の花や木を描くこともあった。12色だと時々、自分の気に入る色が見つからなくて、そんなときは2色を重ねあわせて好みの色を作ったりしていた。南国の海の青色だったり、夕暮れ時の空色だったり。
自分らしさについて、考えたことも無かった頃の思い出だ。
人はいつから、自分らしさについて考え始めるのだろう。小さい頃はただただ描くことが好きだった。それが自分らしい絵であるかどうかなんて、どうでも良かった。
自分らしさは色鉛筆に似ている。
人は誰でも自分の色を持っている。私は水色という色がとても好きなのだけど、黄色でヒマワリを描く人がいたら、明るい色っていいなあと思い始める。黒で夜の色を描く人がいたら、ああそういうシックな色も素敵、と思い始める。
自分が持っていない色にいつだって心惹かれるのだ。
特に色鉛筆で描かれたものが、美しかったり、人から称賛を浴びていたりすると、今度はこう思う。私が今上手く描けないのは、水色の色鉛筆だからなんじゃないか、と。
自分の持っているものでは足りないと思い始めると、色々と集めたくなる。12色では足りず24色、96色、と自分の手持ちの色を増やそうとする。自分の色を出せないことと、持っている色鉛筆の数は関係ないのに。
水色だけでは足りないと感じているから、他の人が持っていた色を重ねる。そうすると段々、自分の色が分からなくなっていく。時には、自分の色なんて存在しないんじゃないかと疑い始める。
自分らしさを忘れることはあっても、自分らしさが無くなることは無い。上から沢山の色が重なって今は見えなくなっているだけ。丁寧に上の色を取り外していけば、ちゃんとそこに自分の色がある。
私の尊敬する人が言っていた。
「自分らしさとは表現するものではなくて、滲み出るものだ」と。
色鉛筆の外側の色は、内側の芯の色とはわずかに違っていて、本当の色は「描く」という行動を起こさないと分からない。
自分らしさを思い出したかったら、あれこれ考えず、目の前のことを自分の感じるままにやってみる。そこには確かに、自分らしさが表現されるのだと思う。
そして、誰かの持っている色に気を取られないこと。私が黄色をうらやましく思う時、黄色の持ち主は赤色に憧れていて、赤色の持ち主は私の水色に憧れていたりする。それではと、自分の持つ色を水色から黄色に変えても、今度は赤色が欲しくなるだけだ。キリが無い。
誰かの色を重ねる、誰かの意見を取り入れすぎると、本当に自分の色が分からなくなってしまう。その人がそれで上手くいったのは、黄色を持っていたからかもしれない。それは水色を持っている自分には、通用しないかもしれない。本屋に山のように積まれた成功本や自己啓発本を見ればよく分かる。人の数だけ、やり方があるのだ。
色を重ねるのはいいけれど、その取り入れた意見を自分に乗せた時、自分の気に入る色になっているかどうか。それが一番大切なことだと私は思う。
もしその人が世間から称賛されていたとしても、自分が違和感を感じるなら、その色を重ねる必要はないのだ。
世界には人口の数と同じだけの色鉛筆がある。
なんでもかんでも重ねていったら、自分の色が分からなくなるし、何を描きたかったかも分からなくなる。目標を見失うとか、やりたいことが分からない、はここから来てるんじゃないだろうか。
「こうしなければいけない」
「こうしたら成功できる」
「こうしたら評価される」
こういった考えから一度離れて、難しく考えずに絵を描いてみる。
こどもの頃みたいに
「どうしたらキレイかなあ」とか
「どうしたらカッコ良いかなあ」とか
無邪気にやっている時、そこには自然と自分らしさが滲み出るものだ。
人は誰でも自分の色を持っている。それは、他の誰にも描き出せない色だ。その人が生まれつき持っている、その人だけの色。
そして誰かの色が自分の世界をカラフルにしてくれることがあるように、自分の色もまた誰かの世界をカラフルにしている。
だから自分の持っている色で悩んだりしないで、堂々と、水色なら水色でいればいい。「私は水色ですがなにか?」と言えるぐらいでいい。私は水色で生きていく、と決めた瞬間に、その色は一層クリアに見えるようになる。自分にとっても、誰かにとっても。
でも、人だから時々迷ったりすると思う。そしてまた自分にこう問いかけるのだ。
「私の色はいったい何色だろうか?」
この問いはそもそも、「わたし」を認識し始めるもの。
「わたし」という存在を証明するもの。
綺麗な絵を描くことでも、誰かから評価されることでもない。
「わたし」の存在を証明できるのは「わたし」だけだ。
だから、迷っても大丈夫。自分らしさはいつだって、どんなに色が重なったって、生きている限り、ちゃんとそこにあるのだから。
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