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暗闇の中でひとり


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暗闇の中でひとり
記事:佐藤 伊織(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
*この記事はフィクションです。
 
 
「どんなに辛いことがあっても決して目を閉じてはいけないよ」
私の祖父の言葉だ。
祖父は私が小学生の頃に病で亡くなった。齢九十の大往生だった。
戦争を経験した祖父はいつどんな時でも前を向いていて「こんなのあの時の戦に比べれば苦にもならない」というのが口癖だった。祖父の態度は病にかかったと分かった時も同じで、十年も生きていないあの頃の私にはそんな祖父の態度が理解しがたく、苦手意識を持っていた。
 
ふと時計に目を移す。時計の針は時刻七時三十分を示していた。
まずい、遅刻する!
あわてて制服に腕を通して準備をする。前日に準備を終えていた教科書の詰まった鞄を持ち、階段を駆け降りる。廊下の途中ですれ違った母にいつも通りの挨拶をして玄関を飛び出した。
最寄りのバス停まで全力疾走をしてギリギリのところでいつものバスに乗り込む。バスは静かに発車した。バスの振動にバランスを崩しそうになりながら後方の座席に向かう。あとはいつも通りバスに揺られて学校に向かうだけだ。
 
バスが次のバス停に停車した。今日もいつも通り、あいつらが乗ってくる。私はそっとまぶたを閉じた。
まぶたを閉じると真っ暗で無音の世界が広がる。まぶたを閉じている間、私の知っている世界はまぶたを閉じる前の世界のままだ。コントローラーで一時停止ボタンを押したかのように、私の周りの時間は一時的に止まったままになる。ひとたび目を開けてしまえば世界は一時停止などされているはずもなく、むしろ私の知っている世界よりも先のスキップした後の世界になっているのだけれど。
 
そんな私の世界の一時停止はいつもより早く、席のお隣さんによって解除された。
お隣さんは男子高校生だろうか? 同じような年に見えるがここら辺では見たことのない制服を身につけていた。顔を見ると、口をパクパクとさせて何か話しかけてきているようだ。
 
私には音が聞こえない。正確に言うと、聞こえづらい。生まれた頃からそうだったような気もするが、両親によると徐々に聞こえづらくなる病気だったそうで、今の状態になったのはここ二、三年のことらしい。
 
隣の男の子は未だ口をパクパクとさせていた。
「なんで目を閉じてるの?」
唇の動きから言おうとしていることを察する能力は無音の世界を生き抜く上で身につけた処世術だ。
なぜ赤の他人に目を閉じている理由を聞かれなければならないのか、少しムッとしながら再び世界の一時停止ボタンを押した。
 
しかしすぐに肩を叩かれて目を開ける。
「なんで目を閉じてるの?」
お隣さんは飽きもせずに同じことを聞いてくる。一度答えればもう聞いてこなくなるかと考え仕方なく答える。
「目を閉じると嫌なことを見なくてすむから」
意外な答えだったのか、お隣さんは目を丸くしながら私の顔をじっと見てきた。私は前方の騒がしい集団に目線を写して話し続ける。
「あいつら、いつも私のことを小馬鹿にしてるんだ」
きっとこれで満足して、もう構ってくることはないだろう。そう思いまぶたを閉じようとした時だった。
 
「君は目で見ることを放棄しているんだね」
どういう意味で言っているのかは分からないが、何か核心をつかれたような心苦しさを感じた。
「君は自分で見ることを放棄して、嫌なことを呼び込んでいるんだ」
頭に血が昇っていくのが分かる。今しがた会ったばかりの赤の他人に、なぜこんなことを言われなければならないんだろう。私の境遇も、苦労も、何も知らないくせに。
幸せな人間の弱いものいじめ。結局この子もあいつらと同じなんだ。きっと醜い顔をしているに違いない。横目に顔を覗くとどこを見ているか分からない虚な目をしていた。
そういえば祖父も、病の末期にはこんな目をしていたっけ。
 
思い出に浸っていたのも束の間、お隣さんの声で現実に戻される。
「目があれば、前を見ることさえ出来ればどんなことだって出来るのに」
ひとりごとのように小さく呟かれたその言葉は、私でなければ拾うことは出来なかっただろう。耳ではなく、目で聞いているからこそ聞こえた言葉だった。
 
しばらくすると、お隣さんは支度を始めた。どうやら私の目的地よりも十分ほど手前のバス停で降りるようだ。
二、三言交わしただけだったが、不思議と彼に興味が湧いていた。どこの学校の子なのだろうか?
バスが停車する。
彼は席を立つと同時に背中越しに一言ぽつりと残していった。ような気がした。もし本当に言葉を残していたとしても私の耳に声は届かない。
「どんなに辛いことがあっても決して目を閉じてはいけないよ」
どこかで聞いたことのあるフレーズが頭に引っかかり、思わず目を開けて発車したばかりのバスの窓から彼の姿を探す。
彼の姿は見つからなかったが、大切なことを思い出した。
私に音はないが、目の前に広がる景色がある。目があれば、前を向いてさえいれば、きっとなんだって出来る。音がないから何もできないと、最初に私を否定したのは紛れもない自分自身だったのだ。
 
いつもと同じバス停にいつもと同じバスが、いつもと少し違う気持ちを持った私を降ろす。これから何を見ていこうか。いままで目を閉じてきた時間はとても長く、すぐに取り返すことはできないだろう。でももう大切なことはわかっている。大丈夫だ。
きっと祖父も、目を開いて私のことを見ているだろう。
 
 
 
 
***

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2020-11-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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