メディアグランプリ

父の三回忌に寄せて


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:安光伸江(スピードライティング特講)
 
「父の日ギフトはゆめシティで」
 
近所のショッピングセンターでは今日も父の日の宣伝をしている。これを聞くと、2年前のあの頃を思い出して、ちく。と胸が痛くなる。
 
父が亡くなったのは、一昨年の5月29日のことだった。
 
その前日の土曜日、父は上機嫌だった。長く勤めていた会社のOB会で昼からお酒を飲めるらしい。私は聞いてなかったのだが「おい、バスカード貸せ」と言われて初めて出かけるのを知った。
 
父ははげているのを気にしていたのだが、死ぬ前は少し髪が伸びていた。出かける前に白い帽子をかぶり「どうか、かぶっていった方がええかの、脱いでいくかの」と笑いながら私に相談してきた。「そんなんどうでもええやん、早ういっといで!」と適当にあしらった。今から思えば、もっと相手をしてあげればよかった。後で見たら、洋間のピアノの上に帽子が置いてあった。
 
父が出かけるとき、私はほぼ寝たきりの母の部屋にいて、母と話をしていた。「いってくるど」。玄関で父の声がした。「これが最後やったらちょっといややな」と一瞬変な考えがよぎった。
 
本当にそれが最後になるとは思いもしなかった。
 
土曜日は1km以上離れた店まで父が買い出しに行くのが通例だった。この日は飲みに行くということでそれは中止。私がかわりに朝ご飯の鮭を買ってくることになっていた。「じぃちゃん(父のこと)帰るの遅いなぁ」と思いながら買い出しに行き、鮭を袋に入れてぶらさげて、門のところまで帰ってきた時にケータイが鳴った。
 
「安光伸江さんのケータイですか。お父さんが階段で転んで頭を打って、いま××病院に……」
 
県内の遠くから兄が帰ってきて、叔父夫婦も病院に行ってくれた。私はわけがわからず病院にも行かずに泣いていた。夜遅く兄が家に来て、2階の父の部屋で保険証を探し、なんやかやと大騒ぎになった。でも私はまだ父が死ぬなんて思ってなくて、父が2階で寝られなくなったら誰がどこに寝るん、どうやって暮らすん、とバカなことを考えていた。
 
その頃父はもう意識を失って、いつまで生きられるかわからない状態だったらしい。兄はそれを知っていたが、私は父が病院にいる姿を見ていないので、頭を打ったなら頭に「気」を送ったらよくなるんじゃないだろうか、などと考えていた。
 
兄は母に「葬儀。葬儀どうする」とか言っていた。葬儀? 死ぬ? なんで? 頭打っただけやろ? 帰ってくるんやないん。
 
次の日は父の妹弟たちが病院に集まったらしい。私も行けばよかったけど、母のそばにいた。怖かった。その日は笑点の司会が春風亭昇太に変わった日で、「あはは」と力なく笑いながら初回の放送を見た。
 
父とはよくけんかをしていたし、「はよ死ね」なんて悪態をつくこともあったけど、いざ頭を打ったとなると「早く死んでほしい」とは全然思わなかった。「よくなれ、よくなれ」と一生懸命「気」を送っているつもりだった。
 
でもその頃父は意識がなく
 
兄は翌日の勤務があるので自分の家に帰り、私も寝た。
 
朝早く、電話が鳴った。深夜に亡くなり、もう遺体は葬儀場に運ばれているということだった。寝たきりの母の面倒を見ている私に、たとえ生きのびてもまともに暮らせるわけもない父の世話は、無理だ。「早う死んじゃらんといけん」という父の想いが伝わってきたような気がした。
 
父は、私のために、私に迷惑をかけないために、私につらい思いをさせないために、すぐに死んだのではないか
 
そんな気持ちが、ずっと残っている。
 
それからは大変だった。私はうつ病で人前に長時間出ていたくないから葬儀に出ないと言い出すし、母も寝たきりだから行かないと言うし、兄は仕事の関係で県内を何往復もするし、すったもんだの大騒ぎだった。それでも兄や親戚のサポートのおかげで、母は枕経に行ったし、私は湯灌の儀・納棺の儀に行った。父は髪を洗ってもらうのが気持ちよさそうだった。お通夜は母に晩ご飯を食べさせないといけないので欠席した。
 
そして告別式と火葬場には母も私も行くことができた。黒い服を着て、車椅子で小さくなっていた母。具合が悪い母の方が先に死ぬと誰もが思っていたのに、元気だった父が急に亡くなったので、さみしいなんてもんじゃないと言っていたっけ。
 
父の骨を拾うとき、がっしりした骨格に驚いた。年齢を考えると、こんなに脚の骨がしっかりしてるなんてびっくりだ。みんなで骨を拾い、家に遺骨を連れて帰って、洋間を少し片付けてそこに遺骨を置いた。
 
「いってくるど」
 
あの声が最後になった。
 
「いってくるど」といってでかけていって、帰ってこなかった、って感じ。
 
それからゆめシティに行くたびに「父の日ギフトはゆめシティで」なんて宣伝をしている。お父さんいないんだよ。お父さん死んじゃったんだよ。父の日、できないんだよ。
 
父とは生前よく喧嘩をしたけど、それは大抵、父がちょっと変なことをして私がキレる、というものだった。「大きな声をするな!」と父がさらにキレる。その繰り返しだった。
 
でも、父が亡くなってからは、遺影と穏やかに話をすることが多くなった。父は死んでからは変なことをしないから、私もキレない。私が何か食べていると「うまいか?」という声が聞こえる。食べることしか楽しみがなかった父、酒が好きだった父。夕食後2階で寝に帰る足音がさみしそうだった父。
 
いろんなことを思い出すけれども
 
お酒の大好きな父が、最後に楽しいお酒を飲んで、その記憶だけを持って亡くなったんだから、それでよかったのかな、と思ったりもする。
 
近所の川沿いに桜並木がある。このへんの町内会長さんたちが植えたものだが、たまたま父がうちの町内の自治会長だったので、父が植えた桜もある。
私にとってはその木が父のシンボルで、いつも見守っていてくれる気がする。
今年の初めに亡くなった母のシンボルは鳥だ。桜の木にとまって鳴く姿も愛らしい。
 
お父さんありがとう。
天国でお母さんと仲良くしてね。
 
私は私で、がんばって生きていくからね。
 
 
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2018-06-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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