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メディアグランプリ

殺害現場から立ち去るしかなかった私


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:佐々木啓(ライティング・ゼミ木曜コース)

「だめだ、早くここを離れないと……」
私は犯行現場を後にした。まだ犯人がそこにいるのに、しかも犯行の一部始終を目撃したのに、である。責めないでもらいたい。私はただの一市民。血の海と化した殺害現場を前に、急いで立ち去る以外に何ができるというのだ……。
 
 
 

犯行30分前――。
 

大塚のランチタイムは激戦区。うまくて安くて大盛りでなければ生き残れない。私がいつも通っている職場近くのうどん屋さんもそんな店のひとつだ。
 

店の前に立つ。入口脇のガラス張りのブースでは、職人さんが手打ちの太麺を仕上げていた。分厚い麺切り包丁がリズムよくうどんを生み出していく。道行く人に対してこれ以上ないコマーシャルだ。
 

暖簾をくぐると威勢のいい「いらっしゃい」の声。右手にカウンター席、左手にテーブル席が並び、奥のキッチンからはうどんをゆで上げる大釜の湯気がもうもうと立っている。一人客である私はいつものようにカウンター席に案内され、いつものように注文する。迷うことはない。なぜなら、
 

「あれ? メニューはこれしかないの?」
「ここはこだわりの店だからね、肉汁うどん一種類だけ。うどんの具も豚肉、ざく切りした深谷ネギ、油揚げだけなんだぜ」
 

お気に入りの店に友人を初めて連れてきたのだろう。すこし誇らしげな若者の声が背後のテーブル席から聞こえてくる。そのとおり。シンプルな具材と単品勝負のストイックさ。それがこの店の自信を表している。
 

自分の店を自慢しているかのような若者の雰囲気をほほえましく感じ、私は彼らの会話に耳を傾けた。
「あと同じ値段で並盛、中盛、大盛が選べるから。中盛にしとけよ。並じゃ物足りないと思うぜ」
そうだね。若い君たちは中盛でいいんじゃないかな。大食らいの私が中盛で大満足。今日もそれを頼んだわけだし。……ほら来た。
 

「はい肉汁うどん中盛おまち」
醤油ベースの甘じょっぱい出汁の表面が、豚肉の脂でキラキラと光っている。そこにひたって出汁を沁み込ませた深谷ネギ、油揚げのいい色! うどんはつけ麺方式。つまり出汁と麺が別々になっているので、冷水で締めた手打ち麺のコシを最後まで楽しむことができるという寸法だ。
 

「いただきます」
うどんを濃い味付けの出汁につけ、香りと一緒に一気にすする。……うまい。うまさのど真ん中。続けて豚肉、ネギを口の中に放り込むと私の全身を食の喜びが駆け巡った。
 

そんなときだった。あの男が店に入ってきたのは。
 

私の隣のカウンター席(空席がそこしかなかったからだ)に案内されたその男は、年のころ50代。恰幅のいい、というか小太りの体をスーツに包んでいる。きょろきょろとせわしなく動く目がメニューを行き来すると、男はこう注文した。「並盛で」。
 

意外。喰いそうな体格なのに。
理由はない。ただなんだか気になる男だ。
 

手打ちの太麺はゆで上がるのに時間がかかる。私はうどんを食べ終わり、そば湯にあたる「釜湯」で出汁を割ろうかという頃、男の前に肉汁うどん並盛がやってきた。すると私の耳に男のかすかなつぶやきが飛び込んできた。
 

「中盛でもよかったか……」
 

初めての客、つまり一見さんだったのか。まずは並盛で様子を見ようとしたら予想より少なかった、と。私は何かが腑に落ちた気がしてほっとした。そして男から意識を離そうと……したその隙を突いたかのように男は行動に出た。
 

七味唐辛子だ。うどんにかけ始める。
 

サッ
サッサッ
サッサッサッサッサッサッサッ
 

多くね!? 初めて食べるうどん、しかも出汁を一口も味見してないうどんに!
 

うどん好きの私の理解を超えるショッキングなシーン。男の七味はなおも続き、止まった時には出汁の表面をまんべんなく覆っていた。血の海と化した出汁に浮かぶ豚肉、深谷ネギ、油揚げ。男はすかさずうどんを投入し、何事もなかったかのようにすすり始めた。
 

味見する前からうどんの旨みを殺す容赦のなさ。犯罪の証拠を隠滅する手際のよさ。
間違いない。この男、プロだ。
こうやっていままで多くのうどんを、そばを、ラーメンを、それどころかどんぶりもの全般の持ち味を葬ってきたに違いない。
 

「だめだ、早くここを離れないと……」
大好きなうどんがめちゃめちゃにされる光景に堪えられなくなった私は、犯行現場から急いで立ち去るしかなかった。誰にも気づかれず行われたこのうどん殺し。証拠はすでに男の腹の中だ。立ち去る以外に何ができるというのだ……。
 
 
 
あれから一年が経った。
ドラマの刑事は「犯人は犯行現場に戻ってくる」というが、二度とあの男に会うことはなかった。ほどなくしてうどん屋さんが店をたたんでしまったからだ。あれほど繁盛していたのになぜ? あの男が疫病神だったとしか思えない。
 

あの男は都会の闇にまぎれ、今日も人知れずうどんを、そばを、ラーメンを、作り手が意図したうまさを味わうことなく闇から闇に葬っているのだろうか。うまいもの好きの私には許せないことだった。
 

もし、もしも、あのプロの「うまいもの殺し屋」に出会うことがあったなら、今度こそ私は言ってやるつもりだ。
「体に悪いですよ」と。

***

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2018-10-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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