母の本音が私に教えてくれたこと
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記事:井村ゆうこ(ライティング・ゼミ平日コース)
「お願いだから、この家から出ていって」
高校3年になったばかりの4月、それまで見たこともないような、怖い顔をした母が、口を開いた。
突然のことに、声を出すこともできない私から、目をそらさずに、母は続けた。
「大学に行きなさい。でも、私立はだめ。国公立だけ。浪人も無理だから」
私が中学1年のとき、父が死んだ。夏山での滑落死という、突然の最期だった。
父が死ぬ一年前に建て替えられた家には、母と2歳上の姉、祖父母と私の5人が残された。一夜にして一家の大黒柱となった母。長男の突然の死を嘆き悲しむ祖母。変わらぬ寡黙さを押し通す、元軍人の祖父。それまで大人4人が、それぞれ車のタイヤとなり、何とかバランスを保っていた家は、父がいなくなったことで、大きくバランスを崩し、ぐらついた。
父が生きていたときから、祖母と長男の嫁という立場の母は、うまくいっていなかった。感情の起伏が激しく、プライドが人一倍高い祖母は、気に入らないことがあると、徹底的に母を攻撃した。言い返せない母と、争いごとを嫌う父。耐えるのはいつも、母と父の方だった。
祖父はそんな3人をいつも黙って見ていた。家と畑を往復する毎日を送り、家ではほとんどしゃべらない。祖父がいる居間に入るたびに、私は緊張した。
姉と私は、祖母と祖父が恐かった。
姉と私は、この家での生活が息苦しかった。
姉と私は、大学進学がこの家から脱出する、唯一のチャンスだと信じていた。
姉は現役合格がかなわず、母に頼み込んで、浪人することになった。
姉と私が通った高校は、卒業生の99パーセントが大学受験をする進学校だったが、就職の道を選ぶ生徒もごく少数だが、存在した。姉を大学に進学させるため、極限まで働き、これ以上ないくらい節約している母の姿を見て、私は自分が、大学進学をしない、残り1パーセントになるであろうことを悟った。
自分はきっと、この家から脱出できない。勉強したって意味がない。
私はアルバイトを始め、友達と遅くまで遊ぶようになり、勉強をしなくなった。
早く生まれたというだけで、ひとりだけ自由を手に入れようとしている、姉を恨んだ。
姉は1年の浪人生活ののち、無事県外の国立大学に合格し、小さなアパートで独り暮らしを始めた。
引越しの手伝いからの帰り道、母とふたりだけの車内で、くちびるをかんで涙が流れるのを我慢した。
「なんでお父さんは、勝手に死んじゃったの。なんでお姉ちゃんだけ、大学に行けるの。なんでお母さんは籍を抜いて、あの家を出ないの」
口を一旦開いたら、理不尽な苛立ちを、ぶちまけてしまいそうで、黙っているしかなかった。
「大学に行きなさい。でも、私立はだめ。国公立だけ。浪人も無理だから」
閉ざされてしまったと思っていた、自由への扉は、まだかろうじて開いていた。母が体を張って、すきまを開けてくれていたのだ。
「でも、本当にいいの? 大丈夫なの、お金? 大丈夫なの、お母さんひとりで、この家に残って?」
にわかには信じられない私は、母に質問をぶつけた。
「奨学金もあるし、お金のことは、心配しなくても大丈夫。あんたは勉強のことだけ考えなさい」
「それに、あんたが合格して家を出ていくときは、お母さんも、この家を出ていくよ。おばあちゃんとおじいちゃんには、もっと残業して学費を稼ぎたいから、会社の近くに住むって、言うつもり」
「だから、お願いだから、この家から出ていって。」
初めて聞く、母の本音だった。
姉と私と同じように、母もまた、私たちの大学進学だけが、この家から脱出できる、唯一のチャンスだと思っていたのだ。父が死んでから、決して私たちに弱音を吐いたり、愚痴をこぼしたりしなかった母の本音は、強烈な力で私を奮い立たせた。ダウン寸前のボクサーが、セコンドから力強く両頬を叩かれ、再びリング中央へと進むように、私は受験という戦いに挑んでいった。
楽な戦いではなかった。スタート時点で半周どころか、一周以上みんなから遅れているし、塾や予備校に頼る、金銭的余裕もない。学校で行われた夏の模擬試験の結果は、E判定。合格確率20パーセント以下。
でも、不思議と不安はなかった。母の未来をも背負っているんだという、プレッシャーもなかった。
「お母さんだって、家を出たい。自由になりたい」という母の本音は、子どものためだけに、耐える人生との決別宣言だった。
「お母さんだって、お母さんの人生を生きていきたいの」という、母の切実な願いの吐露だった。
だから私は気づいた。
母は私たち姉妹のためだけに、生きているわけじゃない、ということに。
私のためだけに毎日働いて、ごはんを作って、掃除をして、洗濯をして、祖母の嫌味に耐えて、祖父の沈黙に、傷ついているわけじゃない、ということに。母には、母だけの人生があるのだ。
だから、私は気づいた。
「私も私の人生を生きなくちゃ。合格しようが、失敗しようが、それは私の人生であって、お母さんの人生とは関係ないんだ」ということに。
親は、子どもの親としての、子どもは、親の子どもとしての、人生を生きているわけではない。自分だけの人生を生きている。失敗も挫折も、成功も栄光も、全部自分ひとりで引き受けて、生きていかなければならない。誰かのためだけに生きることも、誰かのせいにして生きることもできない。
人生は孤独だけど、自由だ。
母の本音が、私のこころを自由にしてくれた。
不安もプレッシャーもなく、自分のためだけに、リングの上で戦い続けることをゆるしてくれた。
高校3年の3月末、私は県外の公立大学に進学し、家を出た。
一週間後、母も家を出て、職場近くのアパートで独り暮らしを始めた。
数年後、頑なに籍を抜かない理由を、母に尋ねた。
「だって、籍を抜いたら、お父さんと同じお墓に入れないでしょ」
母はずっと、母だけの人生を歩いていたのだ。父と一緒の、母だけの人生を。
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