【自分のために生きる勇気】白木夏子さんの講演を聴いて、「自分以外」のためにも、「自分」のために生きようと思った。《川代ノート》
こんにちは、天狼院スタッフ川代です。
大学三年の夏。就職活動の前段階のイベントで、「有名企業内定者が語る、就活必勝セミナー」というものに参加したときのことです。
某就活人気企業、超狭き門の外資系大手企業などに20社以上内定をもらった人たち数人が登壇し、まだ就活について、何から始めればいいのかもよく分かっていない大学三年生たちに、どのように就活を進めれば有名企業に入れるのか、彼らが就活時に気をつけていたこと、心がけていたことを教えてくれるというものでした。席は定員をはるかにオーバーし、立ち見の就活生予備軍たちは、満員電車のように人に埋もれながらも、必死でメモをとっていました。
そのセミナーで、こんな質問が出ました。
「自己分析って、いつから始めて、いつまでやればいいんですか?」
その質問に、その大手企業何十社に内定をもらった先輩は、こう答えました。
「なるべく早くから始めた方が、他の就活生より早くスタートを切れると思う。でも、自己分析は就職活動が終わるまでは続けていった方が賢明だと思うよ」
ふーん、終わるまでは続けろ、ねえ。
うんうんと頷きながら一生懸命話をきく学生たちをよそに、私はなんだかピンと来ないまま、ぼんやりと違和感を覚えつつ家路につきました。
自己分析っていきなりはじめたりやめたりするものなの?
これが私の抱いた疑問でした。
「自己」を「分析」することって、一生かけてしていくものであって、自分について考えることは生きているなら当たり前ではないのか。面接を通過して人気企業に入るために自分のことを知る、って、どんな生きている意味があるのか。自分のことを知ったうえで、自分のために、人気企業に入りたい、ならわかるけれど。そう思ってしまったのです。
しかしそもそも、「有名企業内定者が語る、就活必勝セミナー」というタイトルのイベントなのだから、有名企業に入りたい人が集まるのは当たり前。あくまでも「自己分析」というワードを、みんな便宜的に使っているだけであって、意識していなくても、ちゃんと自分のことを考えているのかもしれないのに。
私、なんだか斜めに構えてしまっているなあ、とも思ったのですが。
きっと私は、その優秀な先輩にこう言ってほしかったのでしょう。
「自己分析って、いつから始めるとか、やめるとか、そういうことじゃなくて、一生かけて自分を知っていくことだよね。きっと今わの際になっても、自分のことを完璧に分析するのは無理だと思う。でも、今までそういうことにあまり意識したことがなかったなら、この就活を期に、人生を振り返ってみて、自分が何をしたいのか考えてみると、意外と面白いと思うよ」、と。
面接に受かるための自己分析。面接に使えそうなエピソードだけ抽出する自己分析ではなく、自分の本当にやりたいことを見つけるための自己分析。それが正解だ、と思いたかったのです。
もちろん、若干21歳の段階で、自分の本当にやりたいことが見つかるなど、ほとんどありえない話ですが、周囲のみんなが当然のように、「自分が本当にやりたいことが出来る会社」よりも、「みんなにすごいって言われる会社」に内定をもらうことに重きを置いているように思えてしまって、なんだか居心地悪く感じてしまったことも多かったのです(もちろん、就活を進めていくうちに、みんながみんなそうではないと分かりましたが)。
「自分のために生きる勇気」。
そんな、約一年前のことを思い出しながら、昨日、白木夏子さんのお話をきいていました。
はじめに、本を読む前、「自分のために生きる勇気」というタイトルを聞いたとき、正直言って、あまりしっくりこなかったのです(白木さんすみません!)。
「自分のために生きるなんて、普通のことじゃないのかなあ。自分の人生だし、勇気なんてなくても自分のために生きられる」、と思ってしまっていました。
けれど、本を読んで、実際に白木さんにお会いし、講演を聴いて。「ああ、自分のために生きるとは、なんて勇気がいることなのだろう」、と、タイトルを安易にとらえて勘違いしてしまった自分を恥じました。
この今の社会で、知りたくないことも勝手に知らされてしまう社会で、「自分のために生きる」とは、本当に難しいことなのです。みんな、気付かないうちに、自分自身の意思よりも、他人からどう思われるか、社会からどう思われるか、そういうことに振り回されて意思決定をしてしまうことが、あまりに多い。
何故なら、他人が評価してくれる選択をすることは、確実であり、安定しているからです。リスクもないし、世間から嫌われる必要もない。「出る杭は打たれる」というように、人と違うことをする人間は、必ず苦労をする。
けれど、世間から評価される道を行けば、最大限の幸せは得られないかもしれないけれど、七割五分くらいの幸せは、確実に手に入る。
白木さんや、多くの起業家さんたちのように、自分の好きなことを追究するという生き方は、成功すれば100%の幸せが手に入るかもしれないけれど、失敗して無一文になったら、1%の幸せも手に入らないかもしれない。すべてが自己責任で、白木さんも講演でおっしゃっていたように、「明日食べるパンも買えないかもしれない」という不安を常に抱えながら生きていかなければならないのです。
それならば、親や、友人や、世間の人たちみんなが、「いいね!」と確実に言ってくれるような道を選ぶ方が、充実した人生を送れる。
だから、「自分のために生きる」というのは、本当に勇気がいることなのだと、強く実感しました。
白木さんの本にありました。「やらない理由を探していませんか?」と。
自分を振り返ってみると、「やらない言い訳」したこと、何度もありますし、今もしょっちゅうしてしまっています。
周りの人に心配かけるから。
お金がないから。
まだ早いと思うから。
遊ぶ時間がなくなるから。
こうして、「いつかやればいいや」がどんどん積み重なっていく。
どうしても、未来の自分に期待してしまって、後回しになる。
写真ではなく、本物の白木さんの、キラキラ輝く瞳と、生き生きとした笑顔を見て、そのことに気付き、ドキッとしてしまいました。
「自分以外のなにか」のために、やりたいことを我慢する、と都合のいいことを言うのは、むしろ、傲慢かもしれないと思ったのです。そうやって我慢することは、本当に「自分以外のなにか」のためになるのでしょうか。
自分のために生きて、明るいエネルギーをどんどん世界に還元していくことの方が、よっぽど「自分以外のなにか」のためになるかもしれない。
白木さんのブランド、HASUNAのように。
ひとつひとつのアクセサリーが、力強いエネルギーを湛えて、世界中、ありとあらゆる人を幸せにしているように。
実は、私は今でも、自分が本当に何をやりたいのかということは、見つかっていません。
好きなものはたくさんあるけれど、今やりたいこと、目の前にあることをこなしているだけで、将来のビジョンはかなり霞がかっていて、どの島を目指しているかも分からない状態で、なんとかぼろぼろのコンパスだけを頼りに、沈没だけはしないように進んでいる、頼りない船なのです。
でも、「自分のために生きる勇気」を持つことが、結局は「自分以外」の幸せにも繋がるのかもしれないし、「自分のために生きる」権利は、誰にでもあるのだと確信して、だから、何が「自分のため」なのかは、今わの際まで追及し続けよう、そして、そのための行動を起こし続けようと、強く、強く思いました。
自分のために、世界のために、地球のために、宇宙のために。
「大丈夫、そんな簡単に死にはしません」
にっこりと笑ってそう言う、白木さんが、本当に素敵でした。
白木夏子さん、本当に、ありがとうございました。
自分の本当にやりたいことを見つけるヒントがたくさん得られます。
川代が多くの気付きを得られた、白木夏子さん著、「自分のために生きる勇気」(ダイヤモンド社)は、天狼院書店でもお買い求めいただけます。