私が期待していた夫は、私自身だった話
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記事:久保田真凡(ライティング・ゼミ 平日コース)
「残念ながら、ひとつも不満はないんよな。そもそも期待してないからじゃない?」
2年ほど前、仕事と育児と家事のバランスが上手くとれなかった頃、私は、夫に不満ばかり抱いていた。そして、その不満を解消するために、夫に文句ばかり言っていた。やれ食器が出しっぱなしだ、洗濯物が出てないだ、あーしろ、こーしろ、どうしてこうしてくれないのか、もっとこうしてくれたら、そんなことばっかり言っていた。
気持ちが悪かった。不満ばかり押し付ける私に対して、夫は私に不満を言うことが無かった。私ばっかり不満を押し付けていて、フェアじゃない。私は自分ばかり悪者になっているような気がして、気持ちが悪かったので、夫に聞いた。
「あなたは、仕事から帰ってきてご飯が無くても、洗濯物が溜まりに溜まって収拾がつかなくなってても、リビングが散乱してても、あれが出来てないこれが出来てないなんて一切言わないし、やれとも言わないよね。私はやれあーしろ、こーしろって言ってるのに。何にも思わないの? 不満があるなら言ってよ?」
その返答が「不満はない、そもそも期待してない」だった。
私は、なんて自分は残念なんだろうと思った。
夫が妻である私に期待をしてないというのか? 家に帰って夕飯の支度がされてなくても、そんなもん。洗濯物が溜まりに溜まって、毎日履くビジネスソックスをギリギリで回していても、そんなもん。家が片付いてなくて、子供のおもちゃや荷物が散乱してても、そんなもん。期待されないなんて、夫にとって、私はその程度の妻と思われているということなのか? 疑問符で頭の中がいっぱいになった。
夫の言葉には続きがあった。
「期待してないから、それ以上もそれ以下もないんよね。だから不満に感じることが、まずないんだろうね。多分これからも、怒ることはあっても嫌いになることはないんじゃないかな。だから結婚したと思うし。分かんないけど……」
「ふーん、すごいね」
当時私はこの言葉の意味をちゃんと理解できず、なんてことない返答しかすることが出来なかった。
期待していない、の後に続いた夫の言葉があまりに印象的だったので、ある時、私は知人にその事を話した。すると彼女はこう言った。
「夫はあなたのありのままを受け入れている。ありのままのあなたを受け入れてないのは、あなた自身よ。あなたは自分のありのままを拒否している」
ぐうの音も出なかった。
私は夫に過剰な理想を抱いていたのだ。彼女の言葉を借りると、それは気の利いた行動をする夫、妻のお願いに快く動いてくれる夫、仕事も家庭もスマートにこなす夫、適材適所を心得ている夫である。
そして、それは私だった。
気の利いた行動をとれる私、夫や子供のお願いに快く対応する私、仕事も家庭もスマートにこなす私、適材適所を心得ている私。
私は、夫の前でそんな妻でありたいと思っていた。子供の前でそんな母でありたいと思っていた。だから、そうなろうと、誰に頼まれたわけでもないタスクを自分に課して、等身大以上に見せようと頑張っていた。その結果、理想に届かない等身大の自分を受け入れることが出来ず、自己嫌悪に陥ることを繰り返していたのだ。
私が不満を押し付けていたのは、夫ではなく、私だった。足りない自分を許すことが出来ないから「私はこんなに頑張っているのに」と、夫の不足を責めずにはいられなかった。
それに気づいてから、改めて思い返してみると、私は一切咎める事の無い夫に、いつも謝っていた。
「ごめん、今日ご飯が出来てない」
「おうち片付いてなくて、ごめんね、気が休まらないでしょ」
「ごめん、洗濯物が溜まってて……靴下まだ1足あったと思うけど……」
今思えば、そうやって謝ることで、自分を納得させようとしていたんだと思う。
夫は自分に優しい。失敗したり、時に出来なかったり、ミスした自分をきちんと受け入れられている。そして、私にもそういう部分があって当然と理解しているから、私を咎めたりすることがないのだろう。
「期待していない」の後に続いた夫の言葉は、いかなる状態にあっても「私」であるということに変わりはない、ということだった。結婚式の時に牧師が話す聖書の言葉のように、良い時も悪い時も、富める時も貧しい時も、病める時も健やかなる時も、夫にとって私は愛し慈しむ存在であり、それ以上でもそれ以下でもないということだった。
分かっていたはずのことが、改めて身に沁みる。当然のことだと思う人もいるかもしれないが、自分ばかり見ていた私にとって、これは大きな気づきだった。
以降、気分のムラはあるものの、私は随分と自分に寛大になったと思っている。夕飯の支度が出来ず、出来合いの惣菜を買うことに罪悪感を感じることは無くなった。リビングが散乱していても、どういう理由で自分は掃除しないのか、掃除してないのかを自覚している。
夫は「今日はそういう日なんだね」と言ってくれ、子供たちも機嫌が良い。
何より、そういうプレッシャーの無い中で生活できるということが、私自身とても心地が良い。
おかげ様で、今は夫への不満はほぼ無いに等しい。もちろん、むっとすることはあるけれど、それもそれ、と受け入れることが出来ることが増えた。
当時は妻が夫に期待しないなんて、考えられもしなかったが、今なら言える。私は夫に期待していない。
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