膨らんだパンの種は焼けばいいのか
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記事:籾山尚子(ライティング・ゼミ日曜コース)
私は会社員だ。
勤続十数年、転職もせず、ずっと同じ会社で働いてきた。
真面目に生きていると思う。
自分の真面目さには自信があった。
でも今、私の胸はざわざわと騒いでいる。
きっかけは、久しぶりに読み返した高校時代の日記だ。
ひと通り読んだ後、自分の中で確実に何かがむくむくと発酵中のパンみたいに膨らんでいる。
日記の中の自分は自由だった。
例えば、ある日の日記では、お弁当の時間に「これからは、みんなと食べたい日は一緒に食べるけど、ひとりで食べたい日はベランダで食べる」と宣言している。
強気なのかと思いきや、ひとりで食べていて寂しくなって途中から「やっぱり一緒に食べたい」とすんすん泣いて戻ってきている日もあったりする。
大したことではないかもしれない。
何か派手な遊びをする訳でも校則を破る訳でもない、むしろ普通の平穏な生活の中で、自分の感情を確実に拾っては行動に移しているだけだ。
でも、それが私には自由に見える。
部活をやめた日には、「部活の最中とか、終わった後の雑談がしんどい。その時間は図書館で本を読むことにしたい」とわざわざみんなに発表している。
そんな理由で部活をやめるのも、それをわざわざみんなに言うのも、今の自分からは考えられない。
特に見せつけられたのは、高2の春、文化祭を運営するとある委員会の委員長に立候補したときのことだ。
この時のことは、何となく覚えていた。
でも、日記を読んで改めて当時の心の動きまではっきりと思い出した。
うちの学校は中高一貫の女子校で、文化祭も合同だった。
高校2年生がいくつかの委員会の委員長を務め、運営していく。
毎年、委員長は選挙で選ばれるのだが、そこでは候補者が「私が委員長になったあかつきには」という話をする。
それが定番というか、毎年、委員長選挙の演説はその決まり文句から始まっていて、「あかつきには」の後にどれだけ良いことを並べるか、というところで競われていたように思う。
私も一応、その線で原稿を考えていたようだ。
しかし、行き詰まる。
「あかつきには」の後が何も思いつかない。
考えた末、気づいた。自分が、ただ単純に委員長をやりたいだけだと。
全くリーダーシップなどない私であったが、中学1年からずっと委員をやっていて、最後の文化祭でどうしても委員長をやりたかったのだ。
日記には書いてあった。
「良い文化祭にしたい訳じゃない。私が文化祭を楽しみたいだけ、それだけだ」
私は原稿を書くのをやめた。
当日、他の候補者が「あかつきには」を述べる中、私は言った。
「私が委員長になっても、皆さんにとって良いことは特にないと思います。素晴らしい文化祭にもならないでしょう。でも私、どうしても委員長やりたいんです。私の経験として。だから私に委員長をやらせてください。お願いします」
正直に気持ちを言った。
別に良い文化祭にするためになりたいんじゃないよ、自分の満足のためだよ。
でも、本当にやりたいんだよ。
それを伝えたかった。
聞いているみんなが笑っているのが見えた。
「でも、本気だよ」と私は思った。
結果、私は当選し委員長の座に納まった。
読んで、自由だな、と思った。
でも、同時に「よく頑張ったな」とも思った。
こんなに我が我がと主張するような演説で、みんなから総スカンを食う可能性だってあったのによく頑張った。
気ままという意味での自由では全くなかったと思う。当時の自分は自由だという意識はなかったし、むしろ、自分の感情を無視できない生真面目さが苦しかった。
3年間の日記に書かれていたのは、周りにどう思われても自分を表現する以外に選択肢を持たない一本気な自分だった。
一生懸命自分を表現しようとして、一生懸命自分だけの自分を生きていた。隙を見つけては自分をねじ込んでいた。
そこに私は心を打たれた。
真面目に生きるというのは、真面目に仕事をすることじゃない、みんなに合わせて上手くやることじゃない。
私は今、たぶん真面目に生きていない。
大学を卒業して会社に入ったとき自分に課したルールがあって、それは「みんなと同じようにやる」だった。
世間知らずだった私は、そのままの自分が会社で通用するか不安で、とにかく周りの人に合わせよう、と心に決めていた。
そして、それが意外と上手くできてしまって、その上手くやれている自分がちょっと好きだった。
自分が本当はどうしたいかとか考えたこともなかった。
文化祭の直前、顧問の先生に「そんな生き方をしているといつか痛い目に遭うよ」と注意された。
中学生の頃の担任でもあった、私をよく知っている先生だった。
そうなのかなぁ、大人になったら私、痛い目に遭うの?
よく分からないまま、文化祭は終わった。
でも先生、今のところまだ私、痛い目には遭っていません。
会社に入るとき、みんなに合わせておんなじようにやろうって決めたから。
そしたら、それが思いのほか上手に出来たの。
出来た自分が誇らしかったの。
でも、私たぶん痛い目に遭ってもよかったかもしれない。
今、膨らんでいるパンのようなこの何かは、このままでは食べられない。
でも、焼いたらきっと絶妙な味だ。そんな予感がぷんぷんする。
大人になって、何度も痛い目に遭いそびれてしまった私は、今、そのパンの種を胸に抱えている。
これをどうするのか。
あとは焼くだけだ。
今から痛い目に遭うのは正直恐い。
せっかく自分が守ってきたルール、自分をここまで守ってくれたルールが無意味なものになってしまうかもしれないのだ。
上手くやれてるんだからいいじゃん、という気持ちと、絶品のパンを食べたい気持ちの狭間で、私は今、揺れに揺れている。
***
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