トイレで聞いてしまったこと《週刊READING LIFE vol,98「 私の仮面」》
記事:射手座右聴き(天狼院公認ライター)
フィクションです
「やばいやばい。もう1時じゃん。いそがなきゃ」
「どうしたの?」
二人の男がトイレに入ってきたようだ。
「陽一先輩がさー、来るんだよ、仕事ないかって」
「えー。もう辞めたじゃんね」
「もうさー、辞めて2年経つんだよ。なのに、まだ俺、後輩扱い」
「たまんねえな」
え、俺のことか。
「辞めなきゃいいんだよ、後輩に頼るくらいならさ」
「もうさあ、言っちゃえよ。頼らないでくださいって」
この声は、坂田と、中西か。
「言えねえよ。さすがに。もめたくないじゃん」
「お前も弱気だなあ。あははは」
二人の足音が消えて、100数えてから、俺は個室トイレをでた。
足の震えが止まらなかった。
俺は、そんな風に思われていたのか。
新入社員の頃から可愛がっていた後輩の坂田に。
「先輩、ごちゅうってなんですか」
おんちゅう、も読めなかった坂田が、一人前に企画書を
書けるようになったのは、誰のおかげだと思ってるんだ。
12時57分、このテンションで、坂田に会うほど
図々しくはなれなかった。
受付には行かずに、ビルをでて駅へ向かった。
坂田から、電話がなった。どう出たらいいんだろうか。
彼の本心を聞いてしまった後、どうしたらいいか、わからなかった。
電話が切れるまで、スマホの画面を見つめていた。
ショックだった。月並みだが、頭を鈍器で殴られたような思いだった。
「陽一先輩、いつも助けてくれて、ありがとうございます。
やっぱり先輩のアドバイス助かります」
打ち合わせするたびに、坂田は私にこう言ってくれた。
それを間に受けていたのだ。
「今回も助けてくださいよー」
と電話してきたのは、坂田だった。私はいそいそと打ち合わせに来て
さっきのトイレの会話を聞いてしまったのだ。
落ち着け、自分。
昼の新橋は、秋でも強めの日差しだった。細い路地に入った。
休業、廃業の張り紙が目立った。
左隅に空いているカウンターの居酒屋を見つけた。
「ビールください」
目がうつろな店主は50代だろうか。
「申し訳ないけど、先に入り口で消毒してね」
店主が言う。
そうか、そうだよな。素直に入り口に戻り、アルコールで手をふいた。
何度も何度も拭いた。手首の端まで拭いてみた。
「はい。ビールお待ち」
ビンとグラスがでてきた。
泡だらけにしながら、クーっと一杯飲み干す。
少し落ち着いた。
コンサルファームをやめて2年。
独立して、自分なりにやってきたつもりだった。
昔と違って、自分のペースで働いてきたつもりだった。
会社時代は、深夜2時の帰宅があたりまえ。
朝は8時から働いていた。
今は、朝5時に起きるが夜は21時には寝る、規則正しい生活だ。
土日も休み、キャンプや釣りも毎週楽しんでいる。
その上、仕事も途切れず、後輩の役にも立っている。
フリーのコンサルタントとして、勝ち組だ。
という自覚もあった。
ところが、どうだ。実は後輩からみたら、厄介者だったのか。
ここ2年間の仕事を思い出してみた。
そういえば、ひとつ、気になることがあった。
企画書の相談は受けても、
その結果については詳しく教えてもらえなかったのだ。
「その後、どうなった?」
坂田に聞いても、はぐらかされた。
「ああ、先輩の企画書をベースに、あとはこちらでやっておきます」
もしかしたら、あのとき、既に自分の企画は使いものになってなかった。
そう考えれば、坂田の反応は納得がいった。
そうか。もう、自分は通用しないんだ。
なんでそんなことに気づかなかったんだろうか。
「元ブレインファームの陽一さん」
誰と飲んでもそんな紹介のされ方をした。
「ああ、ブレインファームから独立されたんですか。すごいですね」
みんなに、すごい、と言われていた。
誰と名刺交換しても、そうだった。
「今度、相談してもいいですか。でも、ギャラが高いんじゃないですか」
そんなことを言われて、得意になっていた。
銀座のクラブでも、就活中の女子大生から相談された。
「どうしたら、そんな大手のコンサルに入れるんですか」
そんなことを言われるたびにSWOT分析をコースターに書いたりして
説明していた。そのたびにまた、ほめられて、シャンパンをあけた。
また、スマホが鳴った。
坂田からの着信は、これで10回めだった。
相変わらず、出る気がしなかった。
「ビール、もう一本ください」
「はいよ」
「あの、大将は、何歳でこの店、始めたんですか」
「それ聞いて、どうするんだよ」
「いや、ちょっと気になって」
「48の時かな」
「48っすか」
「それまでは、商社にいて、サウジアラビア勤務なんかしてたよ」
「へー。また、どうしてやめたんですか」
「親父が居酒屋やってたから、いつか居酒屋やりたくてね」
「いいですねえ」
「日本戻ってきて、暇を見つけて、料理を習ったり、お酒の勉強したり、
で、やっと48で開店したんだ」
「へー。怖くなかったですか、商社辞めるの」
「怖くはないよ。やりたいことだったからね」
「そうなんだ。俺もがんばらなきゃ」
思わず私は言った。
「お客さんも、会社辞めたのかい。こんな時間から飲んでるってことは」
「そうです」
「なんかやるのかい」
「いや、それが」
言葉に詰まった。
「どうしたんだい」
「独立してやれてると思ったんですが、全然ダメでした」
「というと?」
「後輩がお情けで仕事をくれてたんです」
「そうか。化けの皮が剥がれたか」
「化けの皮って。せめて、仮面くらいにしておいてくださいよ」
「仮面とはハイカラじゃないの。まあどっちでもいいけど、
剥がれてよかったじゃないか」
「は、はあ」
私はちょっと遅れて返事をした。
「俺なんか、会社やめて、すぐに仮面を剥がされちまったよ」
「どういうことですか」
「会社の連中は、やめたら冷たいもんだ。誰も見せにきやしない」
「ひどいっすね」
「いや、ありがたかったよ。会社のやつらに来られたら、こんなカウンターの店、ほかの客はきやしない。いつまでも、元商社の仮面が剥がれなかっただろうよ」
「なるほど」
「元商社を意識した居酒屋の店主なんて、あんただって嫌だろう。居酒屋の店主は居酒屋の店主らしい、お面でなきゃ」
「たしかに」
「だからあんたも、どこの会社か知らないけど、早く仮面とやらを脱ぐことだね。早く新しいお面を見つけることだ」
「そうですね。人生何歳からでも始められますね。なんか元気でました」
「そうだよ、何歳からでも始められるさ」
「私もやってみます!」
「そう、その感じ。何歳からでも、だ」
「何歳からでも、ですね。乾杯」
私は思わず、店主に乾杯を誘った。
「おっと、たしかに、何歳からでも、始められるけどね」
「始められるけど、なんですか」
私は息を飲んだ。
「何歳からでも、裸みたいにひっぱがされることもあるぜ。今回みたいに」
は、そうか、今お店は苦しい時期だろうな。
「はい。何歳からでも、裸で頑張る覚悟をします」
仮面が脱げたら、顔つきが変わったのが自分でもわかった。
□ライターズプロフィール
射手座右聴き(天狼院公認ライター)
東京生まれ静岡育ち。広告会社を早期退職し、独立。クリエイティブディレクター。再就職支援会社の担当に冷たくされたのをきっかけにキャリアコンサルタントの資格を取得。さらに、「おっさんレンタル」メンバーとして6年目。500人ほどの相談を受ける。「普通のおっさんが、世間から疎まれずに生きていくにはどうするか」 をメインテーマに楽しく元気の出るライティングを志す。天狼院公認ライター。
メディア出演:声優と夜遊び(2020年) ハナタカ優越館(2020年)アベマモーニング(2020年)スマステーション(2015年), BBCラジオ(2016年)におっさんレンタルメンバーとして出演
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