週刊READING LIFE vol,117

時計が隠していた話《週刊READING LIFE vol.117「自分が脇役の話」》

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2021/03/01/公開
記事:ユウスケ(READING LIFE編集部ライダーズ倶楽部)
※この物語はフィクションです。
 
 
その時計はずっと父の書斎の棚に置いてあった。埃をかぶって、少なくとも私が物心ついてからは、動いているところを一度も見たことがない。ティッシュ箱くらいの四角い木製の置き時計で、装飾は特になく、中央にギリシャ数字の文字盤がついている。文字盤は針も含めて金色だったが、月日を経たためか、かなりくすんでいた。手に取るとその時計は妙に重量感があった。
父は去年亡くなった。享年57歳、心臓発作。突然の若すぎる死だった。
私は実家を離れて一人で東京に住んでいたが、葬儀のために数年ぶりに帰省した。葬儀の後、母から「父の遺品整理を手伝ってほしい」と言われたため、そのまま数日残った。二人で父の書斎を片付けているときに、その時計が目に留まったのだ。
「ねえ、この時計っていつからあるの? 僕が子どもの時からここにあるけど……」
私が尋ねると、母はその時計に一瞬目を止めた。瞳の中に不思議な光が映ったが、それはすぐに消えた。
「さあ……。私にもわからないわ。結婚する前からお父さんが持っていたものだと思うけど」
母はそういった。
私はしばらくその時計を見つめていた。それはなんの変哲もない時計だった。にもかかわらず、心の奥底の何かが、その時計に惹かれていた。
「この時計って動くのかな?」
「さあ。もう何年も止まったままよ。多分電池で動くと思うけど……。もう壊れちゃってるかもしれないわね」
「……ねえ、この時計、もらってもいい?」
そういうと、母は困惑したように押し黙ったが、少し微笑んでこう言った。
「いいわよ。どうせ捨てるものだし」

 

 

 

実家の片づけが終わり、スーツケースにその時計をしまい込んで、私は東京に戻った。戻るとさっそく時計を取り出し、濡れ布巾で丁寧に磨いた。付着していたほこりを落とし、金の文字盤と針を磨くと、少しはましになった。調べてみると裏側に単三電池を四つ入れるスペースがある。母が言った通り、電池で動くみたいだ。
私は家を出てコンビニで電池を買って、その時計にはめ込み、ねじを巻いて時刻を合わせた。すると時計は、かちっ、かちっと、時を刻み始めた。何十年振りかわからないが、その時計はまた命を与えられた。おかしなところもなく、壊れてはいないみたいだった。その時計は生き返ったことを喜んでいるかのように、小気味の良いリズムで、秒針を進めている。私は満足して、枕元にその時計を置くと、シャワーを浴びて、歯を磨き、床に就いた。

 

 

 

それは床に入ってうとうとし始めた時のこと。いきなり部屋の中で音楽が鳴り響いた。それはオルゴールのメロディーだった。物寂しい音楽、このメロディーは……そうだ、『グリーンスリーブス』だ。
半分眠った頭を起こして部屋の電気をつける。どうやら音楽は父の時計から鳴っているらしい。
しばらく時計を眺めていたが、音楽が鳴りやむ気配はない。すると、時計の前面部分が前倒しにぱかっと開いて、中から円形の台座に乗った二体の人形が出てきた。男と女の人形で、男はイギリスの衛兵みたいな軍服を着ていて、女は白いレースのドレスを着ている。二体の人形は向かい合っていたが、二人の間を白い筒のようなものが隔てていた。二体の人形はしがみつくみたいな恰好で、その白い筒に両腕を回して手を取り合っていた。
しばらくすると、メロディーに合わせて台座ごと二体の人形がゆっくり回り始めた。その姿はどこか滑稽だった。何か不思議な儀式をしているようにしか見えない。その白い筒が違和感を与えていた。
ふと気づいて、私は人形の間から白い筒を引き抜いてみる。やはり思った通り、簡単に外れた。二人を隔てていた筒が取り除かれて違和感が無くなり、『グリーンスリーブス』に合わせて二体の人形が向かい合って、踊っているような形になった。
間もなくメロディーが鳴り止み、台座の回転が止まった。そして人形は時計に戻っていき、時計が閉じ、またかちっ、かちっと、何事もなかったかのように再び時を刻み始めた。時計は午前0時を指していた。

 

 

 

白い筒は入れ物だった。卒業証書を入れる筒の縮小版みたいなもので、蓋が外れるようになっている。中には一枚の写真が入っていた。
それは若い男女の写真だった。白いコテージのテラスで、男が後ろから覆いかぶさるようにして女に抱きついている。二人とも二十代前半くらいだった。男性は真っ赤なアロハシャツを着ている。それが私の父だった。カメラに向かって、満面の笑みを浮かべている。
父の腕に抱かれている女性は真っ白なワンピースを着て、麦わら帽子をかぶっていた。最初それは母かと思ったが、まったくの別人だった。黒髪を胸のあたりまで伸ばした女性。瞳は黒くて大きい。私はその女性を知らない。記憶をどんなに探っても、思い出せなかった。この女性はいったい誰なのだろう? 写真の裏にはこう書かれていた。
『1985年7月16日 S県A市 レストランロベリアにて』

 

 

 

「写真の女性は誰なのか?」その思いはずっと私の頭の中から消えなかった。その女性が亡霊のようにつきまとっているかのようだった。
母には写真のことは黙っておいた。なぜだか教えないほうがいい気がしたからだ。もしその女性と父の関係が不純なものだったとしても当の本人は亡くなっているから時効と言えるのかもしれない。それでも、ためらわれた。
「レストランロベリア」については、ネットで調べたらすぐにみつかった。田中誠という人がオーナーをしていて、まだ現役でやっている。
もちろん、何かがあるというわけではないだろう。写真が撮られたのは大昔の話だ。
しかし、相変わらずあの写真が頭から離れない。父の満面の笑みと、父の腕に抱かれた、私の知らない女性。
私はレストランロベリアに行ってみることにした。

 

 

 

三月初旬のまだ寒い季節だった。私は東京から特急と私鉄を乗り継いでS県A市へと向かった。ロベリアは駅から少し歩いたところにある海沿いのレストランだった。そのあたりは夏だったら海水浴客でにぎわうのかもしれないが、オフシーズンであるせいか、街の雰囲気はどこか閑散としている。
ロベリアは写真で見た通りの白いコテージだった。アメリカの西海岸に同じ建物があっても違和感はないかもしれない。入口の前にはテラスがある。写真よりも少し外観がさびれていたが、かといってくたびれた感じはなく、長い期間よくメンテナンスされているようだった。
店内はダークブラウンのカウンターと、同じ色のテーブル席が4,5席あったが、客は誰もいない。
カウンターの奥では、六十代くらいの男性が椅子に座って暇そうに新聞を読んでいた。その人がオーナーの田中誠だろうか? 頭をスキンヘッドにして、四角い黒縁メガネをかけている。メガネの奥の瞳は黒く、顎髭は白髪交じりの黒色だった。
男性は好きな席に座るように言った。私は窓辺のテーブル席に座った。そこからはテラスがよく見える。注文を聞かれ、私はオムライスを頼んだ。

 

 

 

料理を待っている間、かばんの中から写真を取り出し、窓から見えるテラスと写真のテラスを見比べた。やはり間違いない。写真が撮られたのはここのようだ。数十年前、父とあの女性はこのお店に来たのだ。恋人同士だったのだろうか? ここへはデートで来たのだろうか? 様々な疑問が頭の中に湧き起こってきた。けれど、それを確かめる術は今のところ見つからない。
「お待たせいたしました。オムライスです」
しばらくして、先ほどの男性が料理を運んできた。まあ、考えても仕方ない。料理を食べよう。そう思って私はテーブルの脇にその写真を置いた。
カウンターに戻ろうとした男性はふと、私が置いた写真に目を止めた。しばらく動きが固まる。そして、狼狽した様子でこう言った。
「お客さん。その写真を……一体、どこで?」
「え? これ、ですか? 父の遺品を、整理していたら見つけたんです」
「じゃあ、あなたは、ひょっとして……康之くんの、お子さん?」
康之とは父の名前だった。私はそうだと答えた。
「そうですか。いや、こんな形でお会いするとは。『遺品整理』って仰いましたが、康之くん、亡くなったんですか?」
「そうです。先月……。心臓発作でした」
「そうか、まだ若かったろうに。残念だ。もう一度、会いたかった」
男性は私をまっすぐに見ていたが、その目は少し潤んでいて、ここではない、どこか遠い昔を見つめているようだった。しばらく沈黙が続く。その痛々しさに耐えられず、私は尋ねた。
「あの……この写真の女性、どなたかわかりますか?」
しばらく男性は優しげな表情でその写真に目を落としていた。店内は静まり返っていて、遠くからさざ波の音がかすかに聞こえてくる。
「もちろん、知っています。よかったら、少しお話しませんか?」
そういうと男性は入口まで歩いていき、OPENの表示をCLOSEにした。そして、私の向かいの椅子に座って、話を始めた。

 

 

 

*******
その男性がやはりオーナーの田中誠さんで、彼が1985年の夏、ロベリアを開業した。オープン当時、彼は男性一人と女性二人をスタッフとして雇った。男性スタッフが私の父の山本康之、そして女性スタッフの一人が田中和美。田中誠さんの妹で、父の当時の恋人だった。その頃、父と和美さんは大学生で、アルバイトとして誠さんの店で働いていた。
それは幸せな時代だった。バブル景気が始まるころであり、店はオープンしてすぐ軌道に乗った。一方、父と和美さんはすでに婚約していた。二人でアパートを借りて同棲を始めていて、大学卒業後に結婚する予定だった。順風満帆な日々はずっと続くと信じられていた。
 
それはロベリアがオープンしてから一年が経った頃だった。その日、父は休みで、和美さんが店で働いていた。その夜は閉店直後からぽつぽつと雨が降りだした。
「雨が降り出したな……和美、車で送っていこうか?」店を閉めた後、田中さんは和美さんにそう聞いた。和美さんはバイクでいつも店まで通っていた。雨の夜道はバイクでは危ないという配慮だった。
「うーん。どうしようかな? でもいいや。まだぽつぽつだし。今帰れば、本降りになる前に帰れるとおもう。それに、バイク置いてくと面倒だもん」和美さんはそう言った。
「そうか、でも気をつけて帰れよ」
「わかってるって!」和美さんはそう言った。
それが、兄妹で交わされた最後の会話になった。
帰り道の途中で運悪く、雨が本降りになった。彼女は海沿いの国道を走っていたが、途中でバイクが不具合を起こし、ブレーキが効かなくなった。そして、カーブに差し掛かった時、曲がり切れずにガードレールを突き破り、崖から海へと落ちていった。
帰りが遅い和美さんを心配した父が車で店に向かう途中、事故現場を発見した。時刻は午前0時だった。
その後捜索が行われ、数日後、和美さんはバイクの残骸と一緒に、遺体となって発見された。
*******

 

 

 

「それから、私も康之くんもずっと悲嘆に暮れていたんだ。でも、悲しんでばかりもいられない。残された人間で生きていくしかなかった。私は、この店を守らなきゃならなかったし、康之くんも自分の人生を持っていた。その後も、人生は続くんだ。残された人間はね」田中さんはメガネを取って、潤んだ瞳をぬぐった。
私も写真を見つけた経緯を田中さんに話した。書斎の置時計の話。その中のからくりについて、そして、二つの人形が写真を持っていたこと。
「そうか。あの時計は結局康之くんが持ってたんだね。それは私が和美に成人の祝いでプレゼントしたものだよ。そうか。今でもちゃんと動くのか、あの時計は」田中さんの表情に少し明るさが戻った。
「あの、私がその時計を持っていてもいいのでしょうか? もしよろしければ、お返ししますよ」
「いや、君が持っていてくれ。邪魔じゃなければ。そしてできれば、君のお父さんにそんなストーリーがあったことを覚えていてほしい」
最後に田中さんはオープン当時にスタッフ全員で撮った写真を見せてくれた。田中さんと三人のスタッフが、ロベリアの前で写っている。
「ほら、ここに君のお父さんと、それから若い頃の私。このころはまだ髪があったな。それから、これが和美だ。みんないい笑顔だろう。あともう一人、当時女の子を雇っていたんだ。この子。なんて名前だったかな? 忘れちゃったけど、でも当時落ち込んでいた君のお父さんをずいぶんと慰めてあげていたことを覚えているよ。よく、閉店後も店に残って二人でいろんな話をしていた。結局その後、康之くんが大学卒業後に店を辞めて、しばらくしてから、その子も卒業で辞めちゃったな。時間が経つのは早い。どんどん、みんなこの店を通りすぎていく……」
私はその写真に写ったもう一人の女性を眺めた。その女性はよく知った人だった。
「東京からだったら、少し遠いかもしれないけれど、また遊びに来てくれよ。夏にでも」
帰りがけに田中さんはそう言ってくれた。

 

 

 

私は東京に帰って何日か経った後、母に電話を掛けた。三月の終わり、夕方のことだった。
その時は田中さんと会ったことは黙っておいた。またいずれ話す時がくるだろう。
「そういえば、この間もらった時計、電池入れたら動いたよ」
「そう、良かったわね」
母はそう言った。
「ねえ、母さん……本当に、この時計のこと何も知らないの?」
私はそう聞いた。
母はしばらく黙っていた。そして、こういった。
「さあ、覚えてないわ」
電話越しに、母のくすっと笑った声が聞こえたような気がした。
しばらく話した後、電話を切った。そして私は部屋の空気を入れ替えようと窓を開けた。まだひんやりとしている春の初めの風が部屋の中へと入ってきて、私は少し肌寒さを感じた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
ユウスケ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県生まれ。東京在住のサラリーマン(転勤族)。人生模索中。
山と小説と酒が好き。

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2021-03-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol,117

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