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年齢からの自由に向けて


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記事:イシイミチコ(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
気がつけばどこに行っても最年長になっている。いや、正確に言えば、気が向くままに出かけて行くと、そこに集まっているのは自分より若い人ばかりという状況になっているのである。同い年か少し年上だろうと思った人も年下だとわかって内心驚く。最近では「たいていの人は年下と思え」と自分に言い聞かせている。
 
長年、年齢は気にしていなかった。
しかし、生物である以上、肉体の老化は年齢とともに当然進行する。最初に感じた老化現象は白髪である。白髪を見つけたのはまだ30になったばかりの頃だった。時々白髪が1本見つかるようになり、その都度抜いていたのだが、ある日、髪をかき上げると1本どころではなく何本も白髪があるのを発見した。母の遺伝であろう、私は若白髪なのだった。しかし白髪は染めてしまえば隠せるから、さして気にすることもなかった。
 
40代も後半になると、基礎代謝が落ちて来て太りやすく、やせにくくなって来た。次第にウエストゴムのスカートやズボン(パンツとは言わない世代である)を選ぶようになり、いつしかウエストに締めるベルトがタンスから消えた。
 
それでもなお、まだまだ若いつもりだった。学生時代の友人たちに会えばお互いに「全然変わらないね」と言い合った。自分も友人も10代やハタチに見えるわけはないのに、「変わってない」というのは実感だった。
 
50代以降はかなり個人差が出てくる。50代でも60代でも40代に見える人もいたりする。
私の場合は50代で容姿の劣化を感じ始め、60代になってから、さすがに老けてきたな、と思うようになった。自分も友人も老化しているのが目に見えて来た。いつのまにか「変わってないね」と言い合うことはなくなった。皆、口には出さないが「お互い老けたね」と思っているにちがいない。
 
しかし、身体の老化と気持ちのありようは比例しない。肉体の老化を感じつつも、気持ちは全然変わらないのだ。肉体は50歳なり60歳なりの変化があっても、50歳や60歳なりの気持ちというものはない。万年青年という言葉があるけれど、ほとんどの人間は青年時代のその人のままなのではないかと思う。それがその人らしさと言ってもいいかも知れない。生活や仕事をしていく中で表には出さないとしても、心の底には誰しも年齢とは関係ない一貫したその人らしさを潜めているのではないだろうか。
 
今年、67歳になった。長年、年齢は気にして来なかったのだが、実は67歳というのには参っている。あまりにも重みがあり過ぎる年齢だと思うのだ。
67歳といえば、高齢者に分類される年齢(つまりれっきとした老人)であり、あと3年で古希になる。そのイメージはリタイアしたサラリーマン、社会の重鎮、会社の社長、会長、大学の名誉教授、そういう役をやるベテラン俳優、家庭ではじいじ、ばあば(独身の私には子も孫もいないが)といったところであろう。そういう存在に刻まれているような年輪が自分にはない。矢の如く過ぎていく年月に追いつけず、年齢相応の重みを備えて来なかった私がここにいる。
と、こんなことを書いている67歳、若い人たちはどう感じるのだろうか。
 
まだ若かった頃、自分は大人から見たら何もわかっていない青臭い存在なのだろうと思っていた。茨城のり子の詩にあるように「大人になるというのはすれっからしになるということだ」と思い込んでいた。「でも、私はいくつになっても今のこの自分の思いを持ち続けたいのだ」と強く思っていた。若い自分を青臭いと思っているであろう大人に抵抗する気持ちだったのかも知れない。
 
あの頃から何十年も経った今、歳を取り忘れたような自分がここにいる。未だに青臭い自分。
待てよ? 私は若い頃に望んでいたとおりになっているんじゃないか?
そう思うとじつに感慨深い。そして年齢相応の重みがなくたっていいじゃないかと思える。単に人間として成長していないだけなのかも知れないが。
 
私は未だに10歳も20歳もそれよりもっと年下の人たちとも同じような気持ちでいるつもりだ。それは歳をとっても気持ちは若々しくありたい、という意志によるものではない。
自分を年上の存在だと思っていないというのだろうか、年下の人たちと対等なつもりだし、対等に接してもらいたいと望んでいるのだ。だから今の年齢を言うのにとても抵抗を感じるのだと思う。
 
年齢によって育った背景にある社会環境や文化は異なる。流行や雑誌、テレビ番組など、異なる世代の人たちと共有できないものは多い。そういう意味では、話が合わないことが多いのだが、それでもなお若い人と気持ちは変わらないと思っている。
 
歳をとっているゆえに自慢できることがあるとしたら、たとえばビートルズやローリング・ストーンズの新曲をリアルタイムで聴いていたことだとか、今リバイバル人気らしい昭和の喫茶店(サテンと呼んでいた)が日常生活の中にあったことだとか、anan(アンアン)、non-no(ノンノ)が創刊された当時に愛読していたとか、そんなことだろうか。
 
そういった生きた年月の長さから違いもあるが、生きて来た国や地方によっても違いはある。生きた時代による違い、国や地方による違い、どれも人が持つ引き出しのひとつなのだと思う。そういう意味で長く生きた結果、引き出しは増えているが、それは年輪といえるようなものでもない。
 
アメリカに行ったことはないが、米国在住経験のある人たちから聞く話によれば、アメリカは年齢にかかわらず人と人がフラットにつながっている社会のようだ。日本ではどうしても年齢による上下の序列観念から完全には自由になれない気がする。しかし、そんな観念から自由になろうという意志さえあれば、自分の年齢を重く感じることもなくなるだろう。これからもっと歳をとって行くし、確実に老化は進む。それを自然の摂理として受け入れつつ、年齢にまつわる固定観念から自分を解放していけたら!
 
私は最近、どこに行っても最年長である。当然ながらこの世に67歳の私よりも歳をとっている人がいないわけはない。つまり私が自然に選択しているのは自分より年下の人たちが集うところなのである。すなわち私は気が若いということだ。あるいは私の本心は年齢の枠を超えているということだ。あとは自分の中にある年齢に関する固定観念を解き放つのみである。
 
 
 
 
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2021-06-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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