肌から伝えるI love you.
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:赤羽かなえ(ライティング・ゼミ超通信コース)
「なんで人間は進化の過程で毛皮を捨てたんだと思う?」
白い髪を無造作に束ねた彼がにやりと笑いながら私に問いかけた。
その姿は仙人のように見えた。
静かに投げかけられた言葉は聞いている人の間をゆっくりと通っていった。その言葉を聞いて、その場にいた人たちが一様に戸惑った空気を吐き出す。
「寒い時には毛皮がついていた方がいいだろう? 身体を外敵から守ることだってできるし、服も着る必要ない。なんで肌をむき出しにしたんだろう?」
分かりやすく言い換えられても、困ったように目を泳がすことしかできなかった。そんなこと考えたこともなかったから。これが人間の姿でそんなのは当たり前なことだと思っていた。
「僕はね、人は毛皮を捨てて、触覚を取ったんだと思うんだよ。触覚というのはそれだけ大切な役割を持っていたんじゃないかな」
人が肌に触れるということ、それが人にとってはすごく大事なことじゃなかったんだろうか、そう思っているんだ。だから、僕らは、身にまとうものにこだわりたい。
彼は、女性の下着や腹巻など肌に身に着ける下着やマスクなどを制作、販売している小さなメーカーの経営者だ。夫婦で素材にこだわり、シルクや綿などの自然素材を草木で染めて商品を作っている。そのどの品も肌心地がなめらかで、一度身につけたら手放せないと言っても言い過ぎではないくらい気持ちがよい。
こだわりを持って大事に商品を作り、世の中に送り出していることが伝わってくる。
「『書経』という古い中国の書物に、草根木皮、これ小薬。鍼灸、これ中薬。飲食衣服、これ大薬という言葉があります。飲用する薬や鍼灸よりも、食べ物や身にまとう服が何よりの薬だという意味なんだ。最近の人達は、ファーストフードを好むようになり、安くておしゃれだったり機能的な服ばかり選ぶようになったけれど、食べる物、身にまとう物が薬だとするならば、何で作られているかという素材を無視することはできないと僕は思う」
食べるものが身体を作るということをいうことは時々聞くけど、着るものが薬ということは初めて聞いた。
「身にまとう物が薬って言うのはよくわからないけど、素材がいいと気持ちいいというのは、わかります。でも、人間が毛皮を捨てた理由は全然わからない、そんなに触覚って大事ですか?」
思わず彼に問いかけてしまった。
「触覚はね、愛だよ」
ますますわからない、という表情が伝わったのだろうか、彼は再びニヤリと笑ったまま、それ以上は何も言わなかった。
その言葉が正しいかどうかはその時には全くわからなかった。
でも、最近、その言葉の意味がなんとなくそうなのかもしれないと思えるようになった。
ちょうど梅雨時になると、子供達が虫に刺され始めてかゆいと訴える。かゆみというのは、痛いのとは違うけどしんどい。常時かゆいわけではないのだが、夕暮れ時とお風呂上りに、まるで狂ったのではないかと思うほどジタバタとかゆがり、身体をかきむしる子供達に戸惑いを隠せないことも、イライラが募ることもある。ボリボリと爪を立てる音がストレスになって自分の心が少しずつすり減る。
いつ病院に行くべきか、これをいつも悩む。ステロイドは使いすぎるとあまりよくないという話を聞いてしまうと使う頻度をためらうし、かといってそのままにしておけば傷だらけ。誰かがその傷を見て可哀そうだと言うと、自分が責められているようで苦しい。
かいたところが傷になり、かさぶたになっていたにまたほじくって血が出る。シーツや服に血が付くこともしばしばだ。
朝になると少しきれいになるが、夕方になるとひどくなったりもする。どうすべきか途方に暮れてしまう。
自分ができることと言えば、夜寝る前に子供達を仰向けに寝かせて、かゆいところにクリームを塗ってあげることだけ。日々の生活に追われているとどうしてもやっつけ仕事になりそうなところをぐっとこらえて丁寧にやさしくなでていく。
すると子供達がとても幸せそうに顔が緩んでいくのがわかり、こちらも肌のぬくもりが手のひらからあがってきて一緒に気持ちが穏やかになるのだ。
髪の毛がある頭をなでるよりも、肌の方がより直接自分の体温が子供達に伝わる。傷があっても子供の肌はみずみずしい。手のひらに吸い付くような質感、全身を撫でると生まれた頃よりも大きくなったな、としみじみ実感する。一人たった5分くらいでできることなのになかなかこんな時間を取ることができなかったな。
皮膚のかゆみはアラームなのかもしれない。余裕をなくして愛を伝えることを忘れているよ、と子供達が身をもって教えてくれているのかもしれない。
ある時、いつものようにクリームを塗ってあげていたら、不意に記憶の引き出しから鮮明な映像が出てきた。
『肌がツルツルしていて、うらやましいなあ』と言いながら、若かりし頃の母が小さい私の頬を手のひらでなでてくれた記憶。
働き者の母の手は少し固めだったけど、その手が頬に触れた時にくすぐったかったこと、顔から首をつたって腕まで来て、そのまま手をぎゅっと握ってくれるところまで、リアルな肌感覚として思い出したのだ。
とても厳しい母だったけど、触覚に母の愛が刻み込まれていた。
本当だ。触覚は、愛だ。
反抗期にこじれた私がそれでも母の愛を信じていたのは、この原体験が記憶の底に沁みついていたから、かもしれない。
そうやって辿っていくと、母の手、父の手、夫の手、子供達の手。全員の手の感覚を私はちゃんと覚えている。母や父の手はもう長く触れていないから変わっているかもしれないけど、思い出そうと意識したら手のひらの上に当時の感触がリアルによみがえる。
ああ、私はいろんな人に愛されている。
親に愛してもらい、夫に愛してもらい、そして子供達に愛してもらい。
こんな贅沢な人生があるだろうか。
まだまだ、間違うことも沢山ある。
余裕がなくて、彼らを追い立ててしまったり、傷つけたり、窮屈な思いをさせているかもしれない。
だからせめて、触覚だけは沢山の愛を注いでおこう。
彼らが愛されて育ったという自信を肌の下に残していこう。
肌から伝えるI love you。
そのために、人間は毛皮をなくすという進化をしたのだから。
***
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