週刊READING LIFE vol.139

ドロドロした怒りが教えてくれたこと《週刊READING LIFE vol.139「怒り」との付き合い方》


2021/08/16/公開
記事:田盛稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
気が長いか、短いかと聞かれれば、私は短いほうの人間である。
といっても、なんでもかんでもすぐキレてしまうような、キレ体質というわけではない。
怒りのコントロールというのは、職種によって違うのではないかと私は思っている。
 
私は人材サービス業界で約10年、営業兼コーディネーターを行っていた。
コーディネーターとは、人材派遣会社に登録される方と面談して、今までの職務経歴を深堀りする。書類には書かれていない、その方独自の特徴を知るために。
そして、そのスタッフの方に合うと思われる仕事を今ある案件から探し出して、電話やメールで紹介する。
その時点で、「はい、やります」と二つ返事でお受けいただけることはほぼないと言ってよい。
「自分の経験で、はたして大丈夫でしょうか?」
「その会社って、あんまりいい評判を聞かないんですよね」
「そもそも、私の希望している仕事と違うんですけど……」
そんな言葉を聞くことも少なくはない。
こちらとしては、今までの経験を活かして、さらに一段階ステップアップしていただきたい、きっと成功体験の一つとなるはずだ。そのためには、その職種経験と性格がこの会社に合うであろうという先まで考えて紹介している。
長く業界にいた中で、私はあえて他のコーディネーターが実践していないであろうことを、実は行っていた。
それは、「この派遣先で働くことのメリットとデメリットの両方をお伝えする」ということである。
同業他社の中は、とにかく一人でも多く人材をその会社で受け入れてほしい、だから少々手荒な真似(耳なじみの良い言葉を並べて、この会社しかないと思わせる)をしてでも紹介して、就業後はあまりフォローをしないということがある。
実際、私も派遣社員として働いている経験があるからよくわかるのだが、その手荒なパターンで長く仕事が続いた試しはない。
どこかでひずみが出てきて、ある日突然、トラブルが発生するからである。
 
私もこの業界に慣れない頃、痛い思いをしたことがある。
当時はまだ人材サービス業界も依頼が多く、取引先から次々とやってくる新しい案件を目の前にして、成果ばかりが気になっていた。
顧客満足度よりも焦りが先にたち、派遣スタッフが就業前に感じる多少の不安を払拭できないまま、ある派遣先へ紹介した。私よりいくつか年上で、人柄もまあいいし、派遣先での業界経験もあるから、きっとやっていけるだろうと思ったのだ。
スタッフには「何かあったら、必ず私に連絡してくださいね」と連絡先を添えて、頑張ってくださいと送り出した。
すると、一週間も経たないうちにそのスタッフは無断欠勤をして、出社しなくなってしまったのである。
携帯電話にかけても、メールを入れても一向に返事が来ない。
「なんでよ! なんで連絡してくれないの?」と、ふつふつと怒りが湧いてきた。
まだLINEなどの通話アプリがなかった頃の話である。ゆえにメールが「既読」なのかどうかもわからないまま、ただ時間だけが過ぎた。待っているほうはたった5分でも、30分以上に感じられるほどだった。
派遣先の会社は当然、カンカンに怒っている。
私は一報を聞いてその会社へ飛んでいき、責任者にお詫びをした。
さすがに土下座まではいかなかったが、腰を痛めてしまうほど平身低頭の状態で、ただただ謝るしかなかった。
「どういうことだ!! こっちは人手が足りないほど忙しいんだぞ!」
「大変申し訳ありません! 私どもも連絡できる手段はすべて使っているのですが、如何せん本人と連絡が取れない状況でございまして……」
この派遣先だけでなく、他の案件もたくさん抱えているのにどうしよう、と困惑と怒りが混ざって、ドロドロとした気分になってきた。
そして、昼を過ぎた頃、スタッフからようやく電話がかかってきた。
「あの、電話もらっていたみたいで。寝てて気づかなくて……」
 
その言葉を聞いて一瞬、固まった。
私は携帯電話を持ったまま、震えながら声を出した。
「は? 寝ていたってどういうことですか? 今、何時だと思っているんですか?
私、メールもしましたよね?」
すると本人は、悪びれた感じもなく
「ええ、朝起きたら具合が悪くって。さっき起きたんです。でも朝、一応派遣先の会社には連絡を入れておいたんですけど……」
派遣スタッフには、もし休む際は派遣先と派遣元である私の会社にも必ず連絡入れておくように伝えていた。しかし、私には今朝その連絡は来ていない。
本当に連絡したのだろうか? とつい本人を疑ってしまった。
その状況を大急ぎで派遣先に伝えても、
「ちゃんと連絡が入っていたら、こんなことになっていないだろう!!」
とまたしても先方の怒りをかうばかりだった。
もう、どちらが本当のことを言っているのかわからない。
具合が悪いと言ったスタッフにはとりあえず1日休んでもらい、私はぐったりして会社へと戻った。誰もいなくなったオフィスで、泣きながら深夜まで顛末書を作った。
 
後日詳細を確認したところ、派遣先の別の社員が休みの連絡を受けていたことが判明した。
その職場はシフト制だったため、どうやら申し送りがきちんとできていないまま、来るはずのスタッフが来ないということでトラブルに発展したのだった。
さらに、その派遣先の部署内で休みの申し送りができていなかったことについては、こちらへのお詫びは一言もなかったのである。
数日後、一方的に先方からの契約解除が求められて、またしても困惑と怒りに悲しさまでが上乗せされ、絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたようなどす黒い色が私の中で渦巻いた。
最終的には、本人も私に連絡していなかったことを反省し、契約解除も問題なく受け入れてくれた。
「今回はいいご縁となりませんでしたが、また違う職場でご経験を活かしてくださいね」
怒りの感情がまだくすぶったまま、少し冷たく。そう言って私は別れた。
そのスタッフとはそれきりの付き合いになってしまった。
 
「どうして、いい歳して連絡の一つもしてくれないんだろう」
「どうして、先方も悪いのに謝ってくれないんだろう」
「どうして、私がこんな思いしても上司は何も助けてくれないんだろう」
「どうして、私のつらい気持ちをわかってくれないんだろう」
 
自問自答していて、ふと気づいた。
私、いつの間にか「くれない族」になっている……。
自分が説明やフォローをきちんとできていないことに目を背けて、他人にばかり責任転嫁をしていたのではないか。
人のために仕事をしているつもりが、いつの間にか「仕事を紹介してあげている」という上から目線で、スタッフに接していたのではないか。
本当に相手の気持ちになって考えていられたら、もしかしたら、このトラブルも大ごとにならなったかもしれない。思い上がっていた自分自身を反省した。
 
それ以来、私は「この会社で働くことのメリットとデメリットの両方をお伝えする」ということを、少しずつやってみた。
初めは「デメリットなんて最初に聞いたら、この会社では働きたくないですという声が増えるのではないか」という声も社内ではあった。
しかし、耳なじみのいい言葉ばかり並べられるほうが信憑性に欠けるという違和感を、仕事の説明をしている私自身が感じたからである。
実際、来社したスタッフにこの両方を説明すると怪訝そうな顔をする方もいた。
「そんなこと言って、実はもっと言えないデメリットがあるんじゃないですか?」
「デメリットを言うなんて、かえって怪しい」
しかし、私はその言葉に「怒り」を覚えることはなかった。
 
きつく言ってくる方にはできるだけ温厚に、ゆっくりと話しかけた。
「たしかに、私はその派遣先で一日中一緒にお仕事をしているわけではありませんので、存じ上げないこともあるかもしれません。
ただ、私どももプロです。
派遣先のご担当者の特性や社風、今までその会社でお仕事をされてきて、長く続いている方と短期間で終了した方の性格や仕事ぶりは詳細に伺っております。
だからこそ、今お伝えできることは隠さずにお伝えしたうえで、お仕事を受けていただけるかどうか、じっくり考えていただきたいと思っています。
ここでの職歴があなたの今後の財産となってほしいからです」
 
ただ、目の前にいるこの一人が、新しい仕事を通して少しでも「楽しい」とか「やってみてよかった」とか前向きな気持ちになってもらえたら、それでいいと思っていた。
その気持ちが通じたのか、
「ちゃんとデメリットまで初めに教えていただいたので、よかったです」
と感謝してもらえることも増えてきた。
いつの間にか、怒りや焦りを表面に出さずにスタッフと向き合えるコーディネーターの一人になれたことは、私にとっても財産だと思っている。
 
人材サービス業界から身を引くことになった時に後悔はなかった。
私自身の中で、十分にやりきったという思いがあったからである。
辞める前にすでに退職した派遣スタッフさんから
「せっかく紹介してもらったのに、長く続けられなくてすみません」
と言われたこともあった。
それでも構わなかった。ここで派遣スタッフとして働いたことが、先々の人生でプラスとなっていれば、それだけでいい。
「こちらこそ、お仕事してくださってありがとうございました。〇〇さんのお仕事への取り組み方、私も勉強になりました」
「また違う職場でご経験を活かしてくださいね」
あのトラブルで、一人泣きながら顛末書を書いた時とは全く違う感情で、にこやかに同じ言葉を発している自分がそこにはいた。
慣れない時期に、ドロドロでぐちゃぐちゃな「怒り」と真正面から向き合ったことで、私は新しい「怒り」との付き合い方を知ることができたと思っている。
もちろん、今でも仕事上で「怒り」の感情にぶつかることはある。
きっと一生、この感情とは付き合っていくことになるだろう。
そんな時に、ドロドロした気持ちでいる自分よりも、1秒でも早くすっきりした気持ちに変えられる自分でありたいと常に思いながら、過ごしていこうと思っている。
ふと見上げた空のように。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
田盛稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)

長崎県生まれ。福岡県在住。
天狼院書店の「ライティング・ゼミ冬休み集中コース」を受講し、ライティングの技術を学び、READING LIFE編集部ライターズ俱楽部に参加。
主に人材サービス業に携わる中で人間の生き様を面白く感じている。自身の経験を通して、一人でも笑顔になる文章を発信していきたいアラフィフの事務職。

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2021-08-16 | Posted in 週刊READING LIFE vol.139

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