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週刊READING LIFE vol.139

「犬に怒りを剥がれた日、即ち自分の本音を知った日」《週刊READING LIFE vol.139「怒り」との付き合い方》


2021/08/16/公開
記事:珠弥(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「繊細さん、HSPってタイプなんじゃない?」
 
え……、っと思わず私は、職場の休憩室で首を傾げてしまった。
 
HSP。ハイリー・センシティブ・パーソン。感性が豊かで、他者の感情も自分に起きたことのように共感できる人をそう呼称するらしい。
 
新卒で、団体職員として働き始めたてて三ヶ月。早々に私はつまずいた。
前任のT先輩はとても素敵な方で、業務面は私の指導役としてよく面倒を見てくれた。今振り返ると異動後だったのに、本当に優しい先輩だった。
 
けれど、人間関係については、残念ながらどうしようもなかった。
いわゆる“お局さん”と言われる方のご機嫌取りが、とても大変だったのだ。ここに関しては、むしろT先輩の方が苦戦していたようにも思える。
 
「私もTちゃんもそんなに気にしないタイプだけど、貴方は気が付けるタイプなんじゃないかなって」
 
対面しているのは、T先輩の同僚でもあるK先輩。彼女も他部署でありながら、異動にならなかったこともあり、よく相談に乗ってくれた。
 
K先輩曰く、先輩二人に共通しているのは、図太いこと。口論や嫌な態度を取られても臆しないし、長期戦になっても仕事だと割り切れる。時には、適度に褒めて相手の機嫌を直してしまうこともできてしまうし、何より仕事が終われば感情を切り替えて休日を過ごせる。だから、私が“苦戦している”ように見える様子も、意外と苦じゃないのだと言う。
 
私が二人と違う点は、人の機嫌を気にし過ぎてしまうことで、更に職場での感情を、仕事後にも持ち越してしまっている部分らしい。
お局さんの機嫌がほんの少し悪くなるだけでも察知してしまい、何とか衝突を回避しようと気をまわし続けた積み重ねの結果、疲弊してしまうのではないかということだった。
 
「要するに、考えすぎ、ということですかね?」
 
先輩がスプーンでカレーの最後の一口を掬い取り、頬張る姿をぼんやり眺めながら質問する。先輩は、目を少しだけ見開きながら、暫くカレーを味わう為に沈黙を保っていた。
 
悪気がないことはよくわかっている。
実際、お局さんとの関係性は指摘された通りだ。
 
お局さんは私のことをそんなに嫌っていなかったように見えるし、私も意地悪をされまくったわけでもない。ただ、お局さんが誰かに八つ当たりする様子や、上司に部下の悪口を大きな声で伝えて、恐怖政治の如く支配しようとしている様子がどうしても嫌だった。
 
仕事をしろ、なんて怒りに任せて怒鳴ってしまえたらと思う日もあったが、先輩達のように本当にはっきり伝えることはできなかった。バチバチとした敵対心むき出しの感情を今後取られ続けるのも嫌で、当たり障りのない距離感を保つことに必死だった。そうこうしていると、なんだか自分が怒っているのか、お局さんの機嫌に触発されているのか、よくわからなくなってしまうのも悩みの一つで、K先輩に相談してしまった。
 
カレーを平らげた様子のK先輩は、私の手元を見て、更に目を大きく見開いて、慌てて口を開いた。
 
「ごめんね、こんな話じゃ食欲もなくなっちゃうよね。楽しい話しよう。あのさ、今度このお店行ってみない?」
 
本当に申し訳なさそうに謝りながら話題を変えたK先輩の言葉で、ようやく私は自分達の食器を見比べて気が付いた。
K先輩のお皿は、可愛い花柄が底の部分までくっきり見えていた。カレー以外も綺麗に完食していたのだ。対する私は、ほんの数口手に付けただけで、箸さえも握っていなかった。

 

 

 

新社会人として働き始めてから一年半ほど経った頃、唐突に一つの動画と巡り合った。自閉症の少年を宥める、ネコの動画だ。
SNSで沢山のいいねと共に拡散されてきた二分にも満たない動画に、釘付けにされた。
 
(私と愛犬の関係に、そっくりじゃん……!)
 
自閉症の少年は、何らかの理由で苛立って、癇癪を起していた。
行き場のない怒りを彼なりに発散しようとした結果が、うつ伏せの状態で手足を乱暴に振りながら叫ぶことだったのだろうか。物や人に暴力の矛先を向けることはなく、ひたすら床に打ち付けている手足が少し、痛々しく、それから寂しそうにも見えた。
 
泣き喚く声が響くなか、慌てたように白猫が画面端から駆け寄る。その様子が、自分と愛犬の姿に重なり、思わず自身のスマートフォンを凝視してしまったのだ。
 
白猫の毛並みがほんの少し指先に触れた途端、少年はすぐにそちらの片腕のバタつきを止めた。連動するように、ゆっくりと、残った手足と喚き声もスローダウンして脱力していく。怒りに身を任せていても、猫と少年はお互いが大切な存在であることを視聴者が知るには、十分な行動に見えた。

 

 

 

「今日もお局さんが、パートさんに意地悪しててさあぁ!」
 
帰宅して早々、仕事の愚痴をリビングで吐き続ける私とそれを聞き流す両親。
話をして発散されている頃は良かったのだが、その頃は蓄積されていくばかりの時期だったかもしれない。吐き出しても吐き出しても、すっきりすることがなく、何故だか怒りのボルテージが上がっていくばかり。
蒸し返して怒り始めると、語気も強まり、愚痴をこぼす声が大きくなっていく。
 
愛犬は見計らっていました!と言わんばかりに、いつも絶妙なタイミングで私の膝元に擦り寄ってきた。
 
ほんの数センチ、縮められただけの距離感。
けれど、とびっきりの笑顔と愛嬌付きで私のペースを乱す愛犬の姿に、癒されるのと同時に、はっとした。そんな時は愚痴を終わりにして、笑顔で愛犬を褒め称え、撫でまわすことにしていた。
 
「あっはは! うちの子は一番可愛くてお利口な、優しい子だね!」
 
そうやって過ごしていると、一日中むかむかしていたことが、瞬く間にどうでもよい出来事に変わって、関心も薄れていく。
 
(行き過ぎた怒りは、何らかの形でガス抜きをする必要があるんだったな……)
 
少年と白猫の動画を見たことで、私自身を客観的に眺める必要があることに気が付いた。
 
愚痴を溢して切り替えられるうちは、誰かに聞いてもらうだけでもいいのかもしれない。けど、それでも発散できなくなってしまったら?
 
今までの小さな苛立ちや、察知して先回りして、お局さんに気を遣っていた行為を振り返る。
もしかしたら耐え切れなくならないよう、自衛も兼ねて動いていた部分もあったのではないか?
 
私は、お局さんや周囲から察知した感情ではなく、自分の感情や行動の理由を、動画の白猫や愛犬のような立場から、過去の出来事を振り返って眺めてみることにした。

 

 

 

自分で自分をあやすように、幼児に聞くように問いかける。
何が嫌だったの?
どうして嫌なのに合わせてしまったの?
本当はどうしたかったの?
なぜ苛々していたのか?
私自身を、一体何から守りたかったの?
なぜ、最終的にお局さんの機嫌を取る選択をしたの?……

 

 

 

突き詰めて苛立ちの感情を分析した結果、本当はどうしたくて嫌だったのか、ようやく自分の気持ちを発見することができた。
 
“もっと違うことで悩み、仕事に打ち込み、成長したい。こんな小さな言い争いに時間を割きたくない”
 
自分の本音を自覚してからは、とても早かった。劇的に行動力と意欲があふれたようだ。
 
結局、複数の理由も重なり、私は転職へ踏み切ることにした。
俯瞰して自分の気持ちと状況を見ることを学んだ結果、企業選びや面接もスムーズにできたような気がする。特に聞かれる転職理由については、一貫性を持って面接官に伝えることができた気がする。
 
転職活動を始めて三ヶ月ほどが経つと、無事に内定を貰うことができた。
T先輩にはもちろん、他部署ではあったがK先輩にも、異動の通知よりも先に、直接自分で伝えることにした。
 
「K先輩に色々聞いてもらえたおかげもあって、他人に気遣ってばかりだった私ですが、自分の本音にも気が付くことができました」
 
御礼と共に伝えると、K先輩は笑顔を見せながら、目を見開いていた。
 
「実は気にしていたけど、それならよかった。怒りの感情を原動力に、行動に移せたのは凄いことだと思うよ」
 
お局さんには、苦い思いでしか蘇ってこないけれど、新卒の自分には、いい学びと経験に昇華できた職場だったように感じられる。
そんな風に振り返られる程度には、転職に踏み切れたことにも満足している。
 
怒りの絶頂持続時間は約6分程度らしい。そこから2時間も経てば、かなり鎮まるものでもあるらしい。
 
確かにそうなのかもしれない。
けれど、何日何年経っても許し難く、最早“怒り”よりも“恨み”に近い怨念になってしまうことだってあるのかもしれない。そこまで到達してしまったら、理性や自分の本音も失ってしまうのかもしれない。
 
あの動画に出会うこともなければ、私だって、知らない間に負の感情をどんどん蓄積されて、いつか爆発してしまったのかもしれない。
 
一時の感情に支配されてしまうことは、多々ある。
他者の機嫌でも、時々感情を乱されてしまう自身が、“繊細さん”に該当しているのか否かは、正直よくわからない。けれど、大事なのはカテゴライズすることではなく、自分の本音を自身がきちんと発見してあげることではないかと思う。
 
感情の起伏は、自分の本音を発見し、環境や関係を修復するきっかけにもできる。
まずは感情の波を一歩引いて眺めて、怒りの根底にある本音を発見してあげること。
 
そんな付き合い方ができるのであれば、怒りの感情も、大きな行動を起こすための小さな契機に充分なり得ることを、忘れないようにしたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
珠弥(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

法学部卒。二年ごとに転職を繰り返し、団体職員からIT系営業部に転身。働く傍ら、日常体験を軸に執筆修行中。心を温められるような、記事を届けられるようになりたい。2020年12月~天狼院書店で受講開始。

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2021-08-16 | Posted in 週刊READING LIFE vol.139

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