週刊READING LIFE vol.139

怒りの二進数と未知との遭遇《週刊READING LIFE vol.139「怒り」との付き合い方》


2021/08/16/公開
記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
時々、私は自分の心のキャパシティーの狭さに悲しくなることがある。
成人後に知り合った人々からは、「緒方さんは穏やかで朗らかな人ですね」とお褒めいただくことの方が多いが、実際は違うのである。
家族や昔なじみの友人たちはこう言うだろう。
「昔は、あんなに凶暴だったのに、大人しくなったよねぇ~。まぁ、今も目はギラギラしてるけど」
そう、私も大人になったのだ。良い意味でも悪い意味でも、表面上は取り繕うことができるようになった。幼少期から十代の時のように、口と手が同時に出るようなことはしなくなった。
だが、人間というのは、すぐには自分を変化させることはできない。友人たちといると、それを思い知らされる。
私の友人たちの多くは大人しく、とても人間ができている。輪廻転生が何周目ですか? 菩薩様ですか? と思わず聞きたくなるくらいに、おおらかでやさしい。野生児のような私を慕ってくれるのが、未だに不思議でならない。
 
数年前の福岡で開催されたビール祭りでも、私は一人震撼していた。その日、高校生時代の友人とその彼氏さんたちと集まって、にぎやかにビールとドイツ料理を楽しんでいた。
笑顔もかわいい癒し系の友人Aが、彼女にしては珍しい、鮮やかな文様が描かれている革の財布を手に持っていた。私は好奇心でつい、彼女に尋ねてしまった。
「かっこいい財布! Aさん的には珍しい、メンズなデザインやね」
すると、Aは財布をなでながらにこやかに私に言った。
「いいでしょ~! これ昔、誕生日プレゼントに元彼がプレゼントしてくれたやつ~」
「んが!?」
私は、ジュースの入ったグラスを落としそうになった。とんでもないことを聞いてしまった。Aの隣には、Aの彼氏さんが座っている。私は、目を泳がせながら声を落とす。
「わ、なんかごめん!」
「え、何で? 昔のことだし、ねぇ?」
Aが彼氏さんに振り向きながら言うと、彼も笑顔でこともなげにうなづく。
「い、いいの!?」
私は、動揺を隠せない。
恋のペーパードライバーの私には信じられなかった。
私の知っている限り、愛の破局というのは、修羅場である。口喧嘩では収まらず、暴力に発展し、裁判の泥沼にまで及ぶ、と、昼のワイドショーやバラエティー番組で放送されているのを幾度となく見てきた。
しかし、全員が全員そうではないのかもしれない。どういった経緯で、Aと元彼が別れるに至ったのかはわからないが、恐らく穏便な形で恋人という関係が終幕したのだろう。今の彼氏さんも、特に嫉妬する風でもない。
なるほど、Aと今彼さんはお似合いの、おおらかカップルだった。
もう一つ、私は、腑に落ちないことがあり、また彼女に質問してしまう。
「でもさ、元彼のプレゼントって、持っとくの嫌、じゃない?」
Aが目を丸くして、首をかわいらしく傾げる。
「何で? 物には罪はないでしょう。デザインも気に入ってるから私は気にならないよ?」
私は、ゴクリと喉を鳴らしながら、眉をしかめる。
「いや、なんか元彼の生霊じゃないけど何か、思い出しちゃうやん? 私なら、燃やしてお焚き上げしちゃう」
途端、Aと今彼さん、友人たちがドッと笑う。
「やだ~、気にし過ぎだよ! まなさんったら、あいかわらずおもしろいなぁ~」
手を叩いて笑う友人たちを見ながら、私はほんの少しの疎外感を感じた。
 
そうか、気にしすぎなのか。そうか、そうなんだ。
 
どうやら私の考え方は少数派のようだ。
私なら、元彼の遺物を持ち続けるなんて、円満に別れるなんて到底無理だ。破局を迎える時に穏やかな心境でいられる自信がこれっぽちもない。
きっと、何かしらの傷をお互い負うことになる。
本当に、プレゼントを燃やすだろう。
 
だって、私の怒りは二進数だから。
 
私は理系ではないので、詳しくは説明することはできないが、コンピューターや電子の世界は二進数で構築されている。
すなわち、0か、1だ。
0は、「ない」。1は、「ある」を意味する、らしい。電子の世界は、その0と1からなる膨大な配列で作られた集まりだ。なので、西暦2000年、IT業界の人々は大きな局面を迎えていた。1999年から2000年に切り替わる瞬間、電子機器が一斉にリセットする恐れがあるというのだ。二進数には2という数字が存在しない。1の次は、0なのだ。数字の配列がすべて0に並び替われば、リセット、「ない」になってしまう。実際にそれが起こったら、世界中がパニックになる。重要な電子機器が作動しなくなれば、世界の終わりのような状態になるかもしれなかった。
だが、世界中のIT業界の精鋭たちのお陰なのか、その事態は回避された。
世界は無事に2000年の新しいステージの幕を開けたのだ。
 
私の心のキャパシティーは、狭い。好きだった人が、そうでなくなったとしたら、耐えられない。携帯電話の履歴や電話番号の登録情報、プレゼントや思い出の品を処分する可能性がおおいにある。
1の次は、0だ。まるで彼がいたことも、過ごした時間も存在しなかったことのようにリセットするだろう。
恋愛関係だけではない。
友人との関係も同じようにリセットしたことがある。
 
友人にBという子がいた。
彼女は、完璧主義で、真面目で、不思議な価値観を持っている人だった。
「あの子、変わってるよね」
Bを知る人は、口を揃えてそう、評価した。
私も彼女といると「え?」と思うことが多々あったが、私は受け流し続けていた。
だが、その関係は突如終わった。
私が、過労で仕事を辞め、療養生活に入っていた時のことだ。買い物に行こうと誘ってくれたB。二人で、他愛のない時間を過ごした。その帰り道のことだった。
Bは、沈黙に耐えられないが、あまり自分から話題を振るということができない人だった。無言のバスの中、意を決したように、Bが私に話しかけてきた。
「最近、体調はどう?」
私は、苦笑いを浮かべながら頬をかいた。
「あ~、不眠症がまだ治ってなくて。あんまり寝れてないんよね」
そこに間髪入れずにBが応える。
「あはは、そうなんだ!」
 
え?
 
私は驚いて、Bの横顔を見た。物憂げな感じの「……そうなんだ」ではない。
「ちょっと食べ過ぎちゃって!」
「あはは、やだもう~そうなんだ! 気をつけなよ?」
ぐらいの、軽い返し、というか、笑っている。人が深刻に悩んでいるのに、だ。
私の頭の中が「?」でいっぱいになる。笑われた意味が、理解できなかった。
その後、どのような会話をしてBと別れたのか覚えていない。
自室に戻り、一人、ぐるぐると考える。
 
え? 何、あれ?
どこに笑う要素があったの?
私、何で笑われたの?
 
は?
 
意味がわからない!!
 
困惑から一転、燃えるような怒りに変わった。
 
なんなの?
どういうことなの!?
 
家族や、他の友人に吠えるような調子で、私はそれらの話を伝え、答えを求めた。だが、誰も答えることはできない。みんな困惑した顔で、苦笑いをする。
「まぁ、Bだからね。深い意味はないんじゃない?」
「そうそう、あの子、変わった子だから」
みんな眉を下げながら、私に「許してやれ」と諭す。
 
しかし、私にはそれができなかった。
人間としての経験値も浅く、体調不良でいっぱいいっぱいだったのもいけなかった。
友人たちの心の広さを例えるなら、広くて凪いだ海。当時の私の心は、子どもたちが夏に使う、ビニールプールぐらいだっただろう。
ちょっと揺らしただけで、大きな波がたってしまう。
ザブン
とうとう、波打った水は、プールから溢れ出してしまったのだ。
 
それから、私は小さな抗議行動をとった。Bからの誘いに一切乗ることはなかったし、私から誘うこともしなくなった。
頭の中で、何度も喧嘩や和解のルートも考えた。が、解決できるとは思えなかった。同じことを繰り返す未来しか思い描けなかった。
無邪気なBと、それを母親のように辛抱強く笑って我慢してあげる私。
 
もう、無理。
 
今までBとの関係で、だましだまし我慢していた小さなことが、ポイントのように貯まっていた。
カチリカチリと1の配列が、オセロがひっくり返るように0に変わっていったあの日々。
カチリ
ほんの小さな出来事で、ついに、0だけになってしまったBとの関係。
あれから、もう十年以上経ってしまった。
部屋を掃除していると、昔の写真が出てくることがある。学生時代の集合写真、笑顔で写るみんなの中に、Bを見つけると、今でも胸が痛くなる。
私もBも子どもだった。
もっとうまく私が立ち回れたら、あの時、笑って許せたら、同じように隣り合って笑っていた未来もあったのかもしれない。
そう後悔の気持ちが押し寄せるけれど、どうしても、Bのあの時の行動が腑に落ちない。
Bのことがわからない。
Bも同じだ。
突然関係を断絶した私の行動が理解できなかっただろう。
今だって、きっとそうだ。
夜寝る前、信号で止まっている時、ふとした拍子に、時々思い出してしまうのだ。
 
社会人になると、学生時代とは比べ物にならないくらいの出会いがあった。老若男女、さまざまなバックボーンを持ち、それぞれの思想が頭の中に広がっている。
その交友関係の中で、「は?」と思うことが多々ある。
私の中での、その人のステータスが揺れ動く。
カチリ
1が0になっていくのを必死に、抑える。私も人間だ。その日の精神状態によっては、普段なら我慢できたことがあふれることもある。
その場では、グッと堪え、自宅に返り、怒りと自己嫌悪でのたうち回る。
 
Bの時のようにはなりたくない。
でも、許せない。
苦しい、辛い。
そんな思いまでして付き合う理由はあるの?
 
私、人間社会に向いてないのでは?
 
段々と対人関係に臆病になっていく。予防線を張って、相手に超えさせないように、私自身も踏み込まないように、互いを守るようになった。
 
「仕方がないわよ、宇宙人なんだから」
「うちゅう、じん?」
二十代後半、ふらりと立ち寄った雑貨屋。そこは、天然石やパワーストーンブレスレットを扱うお店だった。そこの店主は、職業柄占いの心得がある女性だった。纏う雰囲気といい、服装といい、魔女、と表現したくなるキャラクターが強めなその人に「あなたに占いを教えるわ。あなたはそれで人を救う力があるのよ!」と引き止められ、私は魔女見習いとなった。
複数の占いを操る魔女は、私の打ち明けた悩みにあっけらかんと答えた。
「六星占術では、火星人、木星人といった風に、六種類以上の属性・性質があるの。そして、互いに相性がある」
「はい」
先日習った内容に私は、うなずく。
「そこに、その人が今まで育ってきた環境や経験が重なっている。同じ属性でも、人によって違うのよ」
十二星座占いなら十二種類と、占いの種類によってさらに細分化されていくこともある。それにしっくり当てはまると、自身で感じる人もいれば、ピンとこない人もいる。
「人って、自分自身のことが一番わからないものなの。だから、精神科にカウンセリングに行ったり、占いで自分が何者か探ろうとするのよ」
「なるほど」
真剣な顔をする私に、魔女は笑いかける。
「それなのに、他人を100%理解しようなんて無理だと思わない? だって、生まれも育ちも性質も違うのよ。考え方が違うのは不思議じゃないわよ」
魔女が目をやわらかく細める。
「理解できなくていい。でも、お互いを尊重するの。違うからって喧嘩しなくていい。『あの人はこういう考えなんだ』って受け流しなさい」
あなたは真面目すぎたのよ、そう言って微笑む彼女を見て、私は目を見開いた。
魔女が私の手をそっと握る。
「みんな違う、だから世界は成り立っている。あなたも私も宇宙人! 私の常識、あなたの非常識よ!」
「私の常識が、誰かの非常識になる?」
 
ストン、と心の中で何かが落ちた。そして、しっくりと、あるべき場所に収まった気がした。
 
「過ぎてしまったことは仕様がない。反省はしてもいいけど、悔いるの今日で終わり。ね?」
「はい、はい、そう、ですね」
私は、涙を堪えながら何度もうなずいた。
 
私にもBにも、それぞれに正義があって、言動に理由があった。
予期せぬことに、間違った行動を起こしてしまうこともある。
占いや心理学を勉強する内に、もう一つわかったことがある。
怒りは、悲しみと不安の裏返し、ということ。
 
どうして、そんなことをするの?
なぜ、私のことわかってくれないの?
私のこともっと大切にしてよ!
あなたのことがわからない!!
 
そんな気持ちが、凝り固まって噴出する負の感情だ。
私は、無意識の内に、私の信じる正義を、Bや他人に押し付けていたのだ。
相手の行動がきっかけにせよ、激情にもがき苦しんでいたのは私の事情だった。
 
あ~、私、本当に自分勝手だった!
 
今でも思い出すと、顔を覆いたくなる悔しさが押し寄せる。
違うのが当たり前。それに、憤り攻撃するのは間違いだ。
「ほぉ、あなたはそう思うのですか!」
そのくらいの気持で、面白がった方がお互い気が楽で、ずっと楽しい。
どうしても、気が合わない時は、しばらく距離を置いて休憩する。
そして、お互いの心身が健康な時に出会えば、今までにない新しい景色がお互い見えるだろう。
占いなどの師匠たちが言うには、必要であれば出会うし、そうでなければ自然とその人とのご縁はなくなるという。
Bとも違った形でまた出会えるかもしれない。
十年、お互い色んなことがあっただろう。どんな話をしようか、楽しくたくらんでいる。
 
人間関係を0か1、白か黒かで割り切らなくていい。
カチリ
新しく2が加わることも、さまざまな色が混じって虹色になることもあるかもしれない。
私という小さな枠をぶち壊して、朗らかに柔軟に人との関係を楽しんでいこう。
心が傾きそうになったら、まず深呼吸して、師匠の魔法の言葉を心の中で唱える。
 
私の常識、あなたの非常識。
私たちは違う星に生まれた宇宙人。
 
異星間交流、愉快に交わして行こう!
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。カメラ、ドイツ語、占い、マヤ暦アドバイザーなどの多彩な特技・資格を持つ「よろず屋フォト・ライター」。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。

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2021-08-16 | Posted in 週刊READING LIFE vol.139

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