まだ見ぬ自分に出会うためのゲーセンのお作法《週刊READING LIFE Vol.147 人生で一番スカッとしたこと》
2021/11/15/公開
記事:黒﨑良英(READING LIFE編集部公認ライター)
ゲームセンター! それは舞台。
暗闇に灯る絢爛豪華な照明、科学の粋を凝らした映像美。筐体(きょうたい)の一つ一つから流れる音楽は、時に勇壮に、時に可憐に、我々の心を奮い立たせる。多くの機体から流れる音の洪水。それらが渾然一体となってフロアに満ちる様は、さながら『ゲーセン上のアリア』!←うまいこと言ったつもり。
ゲームセンター! それは戦場。
数多の強者たちが、己の力を誇示せんと、日々戦いに身を委ねるバトルフィールド。ここでは男も女も、老いも若きも犬も猫も関係ない。強い者が勝つ。ただその事実のみが支配する、究極にシンプルな空間。時に孤独に、時に戦友とともに、己の戦闘本能を解き放つ場。
ゲームセンター! それは紳士淑女の社交場。
戦いを後にした人々に生まれるのは、もはや怨恨でも因縁でもなく、友情のみ。紳士として、淑女として、礼を尽くしながら会話に花を咲かせる。時にゲームの話をし、時に普段の日常の話をする。しかし、深いところまでは踏み込まない。場合によっては長い付き合いでありながらも、本当の名前を知らないこともある。それでよい。それがよい。その当たり障りのない関係が許される社交界。
以上がゲームセンターである!
そう、スカッとした話をするならば避けて通れないのが、このゲームセンター、通称ゲーセン(またはゲセン)である。
ゲームオタクならずとも、ゲームで勝ったときはスカッとするものである。
ゲームは良いものだ。
ゲームの前ではすべてが平等。年齢、性別、人種、国籍……そんなものは大した問題ではない。
「eスポーツ」と昨今では呼ばれる通り、すべての人が、スポーツのように平等に取り組める競技、といった面も持つ(ただ視覚障害だったり手指の障害だったりを持つ人には必ずしも平等ではないかもしれない。真に平等となるゲームの出現を切に期待する)。
私なんぞは世界の全人類がゲームをすれば、世界平和に一歩近づくのではないか、とも半ば本気で思っている。
ま、それはともかく、ゲームで勝つということには、現実ならずとも相当の快感が得られる。
特に大技で勝ったときや、ギリギリのところで勝った場合などは、スカッと感が違う。
例えばこうだ。
ロボット同士の対戦ゲームで、直線に照射される大型レーザーが当たった場合。このレーザーは直線にしか進まないので、当る部分(当たり判定という)が狭い。しかしこれは、あらかじめ逃げる相手の先に「置く」ように撃つと当たるときがある。
相手との読み合いに勝ったとき、相手はこのレーザーの元に轟沈する。
もう、快感である。
例えばこうだ。
城攻めのシミュレーションゲームで、お互いほぼ互角。目視ではゲージの過多が分からないくらい。
そして、戦闘時間が終わり、結果が出る。その差は、0.1%の差でこちらの勝利。
もう、快感である。叫びたいくらいだ。
私にもいくつかのの戦歴があった。
残り数秒がすべてを決めた試合。
ある一手がすべてを決めた試合。
とある偶然が、全くの偶然がすべてを決めた試合。
今もまぶたを閉じれば、涙とともにあふれてくる。
もちろん逆も然り。
コンマ数パーセントで負けた試合。
コンマ数秒で負けた試合。
ほんのちょっとした不注意が招いた敗北。
とてもではないがいたたまれない。
さて、ではここでイメージしてほしい。
あなたが叫びたくなるような快勝を得た場合、その後どうするか?
本能のままにその喜びを声にするか?
あるいは体で表し、ガッツポーズの一つもしたりするか?
思い出してほしい。
ゲームセンター、そこは紳士淑女の社交場である。
騒音にも似た音の洪水の中とは言え、大声をあげるのはNGだ。ガッツポーズくらいは、とも思うかも知れないが、これもあまり推奨しない。隣にいる人にぶつかったりしたら目も当てられないし、なにより、過度な勝利の誇示は、対戦相手の不快を招き、リアルファイトへ移行しかねない。
最も、現代はネット対戦が隆盛で、全国のゲームセンターにいる相手と戦うことが主流になっている。
しかし、対戦格闘ゲームなど、まだ店内対戦が一般的なゲームも数多くある。
ただ、どうあれ、勝利の誇示というのは、気持ちは分からないでもないが、やはり紳士淑女のやることではないだろう。ここは一つ、うんうん、と自分で納得するように何度か頷くのが妥当であろう。あくまで一個人の感想だが。
そして何より、「対戦ありがとうございましたの精神」、通称「対ありでした」の精神を忘れずにいたいものである。対戦者にはプレイヤーとして誠意をこめて戦い、礼を尽くして接する。それがゲーマーの心得というものである。
そう、ゲームセンターは紳士淑女の社交場。この心構えこそ、半ば真面目に言ってもいいくらい、大事なことであると思う。
一つゲームの例を挙げよう。
「ガンダムVS(バーサス)」というゲームのシリーズがある。
名前通り、あのロボットアニメ、「ガンダム」の歴代の機体が出てくるゲームである。
プレイヤーは、歴代ガンダムに出てくる機体を操り、戦いを繰り広げるというものだ。
特徴的なのは、コスト制を採用していること。機体にはコストがあり、高コストの機体になるほど強い兵装がそろっていたり、パラメーターが高く設定されたりしている。ただし、自軍の持ちコストは1000であり、機体が破壊されるたび、このコストが削られる。すなわち、高コスト機体は、高性能な分、倒されたときのリスクが大きい。逆に低コストは、使いにくかったりパラメーターが低かったりするが、落とされても被害は少なく済む。自分の腕と、相方の機体との相性を見て、悩むところである。
そう、このゲームのもう一つの特徴は、2on2の対戦であることである。自分が強くても、相方が何回も落とされては負けてしまう。つまり、チームワークが大事になってくるのだ。
このゲーム、今でこそネットワーク対戦が可能で、つまり全国のゲームセンターのプレイヤーと対戦可能なゲームなのだが、以前は店内対戦が基本であった。そしてそれ故に、プレイするときの暗黙のマナーが生まれたのである。
まず、1対1で双方相方がコンピュータである場合、戦局を見て、劣勢なプレイヤーが負けそうになったとき、すかさずコインを投入し、参戦する。戦闘は仕切り直しとなり、ゲージも最初に戻る。これで優勢だったプレイヤー1人と、劣勢だったプレイヤー+自分、という体制になる。
実質1対2という状況だが、これですぐに相手方にもプレイヤーが参戦とはならない。なぜなら、相方をコンピュータにしておいて、自分一人で戦った方が強い場合もあるからである。もちろん猛者の域なのだが、少なくとも、戦局を再び見てから、相方として参戦する場合が多い。
そして対戦で勝った場合、特に何を言うでもない。何せ見知らぬ相手であり、また紳士でもある。大丈夫、声や視線、態度に表さなくとも思いは同じだ。時として、参戦してくれた相手に「あざっす」くらいは小声で言ってもいいかもしれない。どちらにせよ、過度な反応は禁物だ。
一方負けたペアはどうするか? こちらは、明らかに相方のミスで負けた場合も、手のひらを立て小声で「サーセン」と軽く謝する。これは挨拶のようなものでもあるし、相手のミスを「気にするな」と一蹴する心配りでもある。お互いがこの「サーセン」をすることで、そこに奇妙な友情が生まれる。
どこの誰とも、当然名前も分からない。しかし、ともに戦場を駆けた仲である。友情を育むに、これ以上の理由はない。
時には、軽い反省会をその場で開くもよいだろう。アドバイスをしたり、受けたりするのもよい。
これこそが、紳士淑女の社交場たるゆえんである。
このゲームを例に挙げたのには理由がある。
実はこのゲーム、不本意ながら、ゲームセンターの数あるゲームの中で、最もプレイヤーのマナーが悪いゲームとしても認識されているのである(もちろん場所によってそうではない)。
曰く、大声で叫ぶ。曰く、筐体を叩く、蹴る。曰く、リアルファイトに突入しやすい。などなど。
確かに、私の行きつけのゲームセンターでも、何だか大声で騒いでいるな、と思ったら、このゲームをプレイしている人であった。
ネットワーク対戦となった現在、リアルファイトに突入することも少なくなったが、とにかく負けたことへのやり場のない怒りを、表に出す人が多いのである。
ゲームでスカッとすることは、実はイライラが募ることと表裏一体なのだ。
気分転換にゲームをしたら、負け続きで余計ストレスが溜まった、など、「あるある」の話である。
にも関わらず、我々がゲームをするのは、単純に楽しいからである。ゲームそれ自体が楽しいのだ。
すなわち、負けることも、そのゲームの要素の一つである。
そもそも、簡単に勝ち続けられるゲームというのも、それはそれでつまらない。
知恵と技術と経験を積み上げ、試行錯誤の果てに会心の一手を放つ。勝利とはかくあるべきではなかろうか。
無論、時代が時代とて、こういった考えがすべてのプレイヤーに賛同されるとは思わない。
修行の果てに強くなるというのは、いわゆる「俺TUEEEE」(=主人公が最初から最強すぎるライトノベルやアニメのタイプ)が好まれる時代には、あまりそぐわないのかもしれない。
しかし、それでも、私はゲームセンターに光を見る。
そこは社交場でもあると同時に、「修練」を教えてくれる修行場でもあるはずだ。優れた猛者に教えを請い、仲間同士で試行錯誤する、成長の場であるはずだ。
一人で悶々と攻略方法を探すのではなく、コミュニティの中でこそ得られるものがある。そうやって得られるものは、あるときは戦友だったり、あるときは好敵手だったりするだろう。そういったものは、一種独特なコミュニティの中で成立する仲であると思われる。
長年一緒にプレイしているが名前を知らない。
度々遭遇するが、目配せするだけ。しかしお互いのプレイを見てはその腕を認めている。
ゲームは、多少の例外はあれど、基本的に実力がすべてである。だからこそ、実力だけではない、様々な素顔を見せてくれるのが、ゲームセンターなのであろう。
ただ、昨今のトレンドはソーシャルネットワークゲーム、通称ソシャゲである。高価なゲーム機本体がなくても、また、わざわざゲームセンターにいかなくても、手軽にゲームを楽しめるものが人気である。
それはよいのだが、このゲームその集金形態からして、「課金すると強くなる」といったような、自分の技術や努力だけではどうにもならない要素も出てくる場合がある。さらに、ここでの快感は、もっぱら「ガチャ」とよばれるランダムなアイテム取得のところに集約されてしまう。
ご存知の通り、お金をかけてランダムなクジ(みたいなもの)を手に入れ、そこでレアリティの高いものが当たれば快感でスカッとするし、そうでなければイライラは募る一方だ。
結局、「廃課金」(ガチャなどにお金をかけすぎる人)や、高額をかけて何百回もガチャを回す動画、などというものが出現してしまう。
もちろん、ガチャもゲームの楽しみの一つではあり、個人個人のこととて何も言われる筋合いもないとは思う。しかし、ゲームの楽しみ方が何か違うベクトルに向かっているな、と昭和の人間は感じてしまう今日この頃なのである。
そう感じてうなだれたとき、私はまたゲームセンターに行くだろう。
昔のような、不良たちのたまり場という感じは、ここ十数年くらいで払拭されてきたように思う。親子連れだって来ているし、子ども向けのゲームもたくさんある。
あの手この手でイベントを開催し、新たな客層を引き込もうとしている店もある。
ゲームセンター、それは紳士淑女の社交場であり、友との成長を促す修練場でもある。
家でネット対戦をするだけでは味わえない対戦が、ここにある。
一人で悶々としているならば、今週末はゲームセンターに行ってはいかがだろう。
まだ見ぬ戦友が、きっとそこにいる。
まだ見ぬ自分が、きっとそこにいる。
さあ、本能を研ぎ澄まし、しかし心は冷静で紳士的に、いざ、戦場を駆け抜けろ!
□ライターズプロフィール
黒﨑良英(READING LIFE編集部公認ライター)
山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。好きな言葉は「大丈夫だ、問題ない」。
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