週刊READING LIFE vol.155

優しさだけでもアインシュタインになりたい《週刊READING LIFE Vol.155 人生の分岐点》


2022/1/31/公開
記事:宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
仕事帰り。夜空に輝く月を見上げて、私は気がついた。
 
「人として優しさが足りない」
 
他人から言われたら、転んで膝を擦りむいたときのような鈍い痛みがいつまでも続きそうだ。相手が恋人だったりしたら、痛みをいつまでも引きずるかもしれない。けれども、自分で気がついてみたら案外あっさりしていた。
もしかしたら一年前の激痛が原因で、痛みへの感覚が麻痺しているのかもしれない。
 
15年以上前からしばしば寝起きの腰痛に悩まされてきたが、一昨年末、今までにない激痛が背中から腹部にかけて襲った。下半身はほとんど動かせなくなった。
脊髄の腫瘍だった。
幸い腫瘍は良性で、5時間の手術で切除した。手術は成功だったものの、術前の状態は悪く、執刀医からは今後、車椅子生活を覚悟するようにいわれた。
 
ところが、病院で毎日リハビリを続けていくうちに歩けるまで回復し、三ヶ月半ほどで退院できた。元通りの身体からはほど遠いけれども、歩けないことを覚悟するように言われた状態から比べたら驚くほどの回復。執刀医からは「神様に感謝してください」と言われるほど奇跡的な回復だった。
 
退院してから毎日、街中を歩いた。
鈍った身体を日常生活に慣らし、仕事に復帰するための体力をつけるためだ。
しばらくは杖なしに歩くことが不安だった。特に、駅や商店街、スーパーの店内といった人混みの中を歩くのはまだ怖かった。路上に駐められた自転車、ちょっとした段差、スマートフォンを見ながら向かい側から歩いてくる人は怖かった。脳から直接つながる脊髄という中枢神経が鈍くなっているため、人混みの中での不意な変化に対して瞬時に身体が対応できないのだった。
対応するには以前よりもはるかに多くのエネルギーを使う。ただ歩いているだけなのに滝のように汗をかき、持ち歩いていたハンドタオルは毎日ぐっしょりだった。
 
運動神経の鈍った身体であったが、鋭くなった感覚もあった。
街中には、杖をついて歩く人、足を引きずって歩く人、そして車椅子で移動する人が、これまで自分が認識していた以上に多いと気づいた。不自由でも、ゆっくり、笑顔で街を歩いている姿をみて、自分も頑張ろうと勇気づけられた。
 
ちょっとした社会の気遣いに気づき、嬉しく感じることもあった。
地下鉄のプラットフォームのベンチには、杖を立て掛けるための穴が空いている。自由に街中を歩けていたときには、目にとまらなかった。初めて気がついた社会の小さな工夫が嬉しくて、子供が遊ぶように、何度も杖をたてかけて便利さをかみしめた。
 
「気づき」というものは、とれたて新鮮、金目鯛の刺身のようだ。
それ絶対に美味しい! 食べる前からわかっている。
けれどもその美味しさは、どんなに上手な食レポを見聞きしても、わからない。
実際に食べてみて初めて、その美味しさがわかる。
 
私たちは誰でも、病気や事故、怪我や老化、さまざまな理由で身体が不自由になることはわかっている。しかしその不自由さは、見聞きしただけではわからない。
体験して初めてわかる、不便さや違和感、ありがたさや嬉しさがたくさんある。
 
ほんとうに世の中、体験し、目を向けるようになってはじめて気がつくことばかりだ。

 

 

 

目を向けていない物事に、人間は気づくことができない。
体験し、目を向けてきたことだけが、自分の人生に存在する。
 
この人生観は、「量子」の性質にもとづいた世界観と一致する。
 
量子は、物質を構成する最小の単位、物質の根源となるものだ。目には見えないけれども、私たちの身近にある。というよりも私たち自身が量子そのものだ。
 
量子の物理法則を応用した技術は、目に見えるかたちで私たちの生活に浸透している。たとえば、自宅にあるエアコンや炊飯器といった家庭電子機器、インターネット、銀行ATM、鉄道・航空機などの管理システムといった社会インフラ、私の病巣を見つけてくれたMRIのような医療機器。私たちが生活するいたるところで「量子」が活躍している。
 
だが、量子を身近に感じられる人は多くないだろう。
量子は、肉眼では見えないし、理解には難解な数学が必要だし、観測には超高度な技術が必要になる。これだけでも知りたくなくなる要素として十分だろう。
 
さらにイヤになる要素が、量子がもつ不可解な性質だ。
私たちの感覚では別ものである「波」と「粒子」という二つのものの性質を、両方備えている。
そして、量子の存在する場所は、私たち人間が観測するまで特定されない。
私たちが目を向け、見ようとしなければ、量子はこの世に存在しないことになる。
 
この世界はすべて、量子でできている。
だから量子の存在と同じように、世界の物事も、見ていなければ、関わっていなければ存在しない。
人生のどこにも存在しないことになる。

 

 

 

そんな不可解な世界観を私はすっかり当たり前のものとして受け入れている。
これまで私は科学の道を歩んできた。学生時代も含めれば、25年以上が経つ。
量子化学は、自分の研究における重要な道具の一つになっている。
仕事とプライベートの間にほとんど境がないように、科学と日常の間に世界観の違いはほとんどない。
量子の世界観と同じように、自らの人生を見ている。
 
自分が関わらなかった人、物事は存在しないと。
人生に分岐点はないと。
 
分岐点と思えるようなときが自分の過去になかったわけではない。
進学、就職、転職、結婚。
いくつかの選択肢があって、そのなかから一つを選び、人生を進めようと決断したときだ。
けれども、そのときに選択しなかった人生は、自分の過去のどこを探しても存在しない。
 
分岐点と思えたところは、「ずれ」だ。
これまで歩んできた人生の道を横切るように亀裂が走り、横に縦にと道がずれたところがある。
この時、私の生活スタイルや考え方の “これまで”と“それから”とが変化している。
 
もし人生の道がずれていなかったら。
もし違う向きにずれていたら。
そんな「もし」の人生は、存在していない。
歴史にIfはない。
同じように、「人生のif」も存在しない。
人生は分岐することなく、ただ一つの道として自分の過去に伸びている。

 

 

 

手術とリハビリで半年近く仕事を休んだ。
間違いなく、私の人生に大きな「ずれ」が生じた。
以前と比べてちょっと不自由な身体にはなった。
それでも仕事には復帰することができた。
 
仕事帰りの夜道は、足もとが頼りない私にとって少し怖い。
だから毎晩、下を向いて歩きがちだった。
それに気づいたある晩、私は意識的に空を見上げてみた。
夜空に輝く月が美しかった。
 
「私が見ていなくても月は確かにあるのです」
むかし、どこかで読んだアインシュタインの言葉が頭に浮かんだ。
 
アルベルト・アインシュタイン。
 
「天才の代名詞」といえるほど有名な20世紀の物理学者だ。
目を丸く見開き、舌を大きく垂れたコミカルな顔写真は彼のアイコンとなって、多くの人の記憶に残っているだろう。
 
アインシュタインは、量子が粒子と波の両方の性質を備えているという仮説をたて、この仮説に基づいて「光電効果」を説明した。光電効果は、太陽光発電やデジタルカメラのような光を電気やデジタル情報に変える機器に応用され、現代の私たちの生活に普及している。この光電効果の業績で1921年にノーベル物理学賞を受賞した。
 
量子という存在を自ら生み出しておきながら、量子の性質にもとづいた物の存在観をアインシュタインは死ぬまで認めなかった。
 
そこまで自らの考えを曲げなかったのは、なぜだろうか?
 
アインシュタインにとっての物理法則は、私たち人間の存在に関わらず存在しなければならない「真理」であった。だから、人間が関わらないと存在できないような物理法則は、理論としてまだ不十分なものである。だから受け入れなかった、といわれている。
 
だが、物理法則としての是非以外の、もっと人間的な理由があったのではないだろうか?
 
「君は,君が見上げているときだけ月が存在していると本当に信じるのか?」
 
私はこの言葉にどこか人間的な寂しさを感じる。
 
見上げたときだけ月が存在するなら、人間もまた目を向けたときだけ存在する。
目を背けた途端、その人間は存在しない。
意図的に、いとも簡単に、人間を消せてしまう。
 
人の存在を容易に消すことのできる世界観を提示してしまう科学を、人類は認めてしまって平気なのか? とアインシュタインは疑問を投げかけたのではないだろうか。
 
人間の存在を消す行為は、残念ながら、日常生活になくはない。
学校のクラスメイトや職場の同僚を無視し続ける。
そんな行為を人は誰しも、いじめやハラスメント、非人道的だと知っている。
 
アインシュタインは知っているだけではなかった。
気づいていたはずだ。
 
ユダヤ人であるアインシュタインは、ナチス・ドイツによるユダヤ人に対する迫害、非人道的な扱いを体験している。一方で、広島と長崎に住んでいた多くの人々の存在を一瞬で消した原子爆弾の開発を、アメリカ大統領に勧める書簡に署名したことがある。
第二次世界大戦の最中、消される側にも消す側にも立つ体験をしたアインシュタインは、人間の存在を消す行為の残忍さに、気づいていたはずだ。
 
だから、絶対に認めるわけにはいかなかったのではないだろうか。
人の存在を消してしまうような法則、世界観を。
科学が、人間の存在を容易に消してしまうような非人道的な考え方を根底にもち、人類の生活に深く浸透していくことを。
たとえ、量子によってこの宇宙の現象を説明できるとしても。

 

 

 

21世紀になり、アインシュタインが生きていた頃より広く深く、科学は人間の生活に浸透した。
だが幸い、まだ量子の世界観までが私たちの価値観、思考に深く浸透してはいない。
多くの人は、今でも人生の分岐点をかえりみる。科学的に無理だと言われるタイムマシンができないものかと考えたりする。もしあのとき〇〇だったなら、と物語を紡ぐ。
人間の想像力は今でも、科学をはるかに凌駕している。
それもそのはずだ。
科学の原動力は想像力なのだから。
 
人生の分岐点を想像する。
それは、人生において選択肢にはあったが、結果として選択しなかったことで、自分が関わるはずだった人たちの存在、起きただろう出来事の存在を消したくないからではないだろうか。
 
人生の分岐点に想いをはせる。
それは、人間の存在を決して消してはならないという、人間がもつ「優しさ」なのだ。
目には見えない相手の気持ちを思いやることと同じように。
人間の優しさの原動力もまた想像力なのだ。
 
足もとを見て歩いている間にも、頭上で輝いている月に思いをめぐらせる。
人生のIfに目を向け、自分が関わっていたかもしれない物事を考え、そこに関わっていたかもしれない人たちの顔を思い浮かべる。
 
そんな優しさが私には足りない。
 
月を見上げ、アインシュタインの言葉を思い出して、私は気がついた。

 

 

 

気づきは、これからやがて優しさに変わるはずだ。
 
子育ての苦労や社会的問題に初めて気づいたのは、子供が生まれ、子育てをするようになってからだった。それからは、些細なことかもしれないが、子供連れの方に手を貸すようになった。
たとえば駅の階段でベビーカーを運ぶ母親を見かけたら必ず声をかけるようになった。遠慮されたり、下心があると思われないように、「息子や娘を連れていたとき、自分も何度も助けてもらったので」と言葉を付け足して声をかけた。言葉の受け取り方は人それぞれなので、できるだけ受け入れてもらえる言葉を選んだ。
子育ての経験を通して初めて、私は以前より優しくなったと思った。
 
いま私は、身体がちょっぴり不自由になった。
子育てに奮闘する方を、体力で手助けすることは難しくなった。
だが一方で、私のように、あるいは私よりも、体に不自由を抱えている方々へと目を向けるようになった。
さらに、これまで意識することのなかった人間のもつ優しさに目を向けるようになった。
 
「これからきっと、優しくなれますよ」
 
病院でのリハビリの最中、ベテラン理学療法士にかけられた言葉だ。
きっと、これまでとは違うかたちで、私は優しくなっていくに違いない。
 
身体が不自由になった経験は、優しさの分岐点になる。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

現役理工系大学教員。博士(工学)。専門は生物物理化学、生物工学。バイオによる省エネルギー・高収率な天然ガス利用技術や、量子化学計算による人工光合成や健康長寿に役立つ分子デザインについて研究している。

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2022-01-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.155

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