メディアグランプリ

言葉は言った本人が思いもよらないとろこに着地しているかもしれない


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記事:Seiko(ライティング・ライブ東京会場)
 
 
あの時の夫の言葉は、その後10年は私に効き続けていたと思う。
 
結婚当時から夫の仕事は出張が多かった。そのため、平日はほぼ不在で、帰宅をするのは週末だけというのが当たり前の生活になっていた。
結婚した翌年には娘が生まれ、私と娘の平日二人暮らしが始まる。
子育ては初めての経験だっだけれど、日々試行錯誤しながらも、
新米母の私はその生活をなかなか楽しんでいたと思う。
新生児の頃の娘は、おっぱいを飲んで寝る。泣いて起きておっぱいを飲んでまた寝る。
その繰り返しだった。授乳の間隔の短さと、夜中もそれが続くという大変さはあったけれど、
あとから思うと、あれはあれで私にとっては平和な時間だったような気もする。
おっぱいを飲んでいる時以外は、娘はほとんど眠っていた。
 
少し成長してくると日中起きている時間が長くなる。
そして起きている赤ちゃんがいつもご機嫌でいるわけでもない。
泣いた時、大抵は抱っこすれば良かったのだけれど、どうしても抱っこも何もできない時間があった。
それは入浴時。
娘との二人だけの生活で、困ることは入浴の時間だった。
小さな娘が自分でつかまり立ちができるようになるまでは、私が急いで先にシャワーを浴びて、
それが済んだら娘を部屋に迎えに行くということをやっていた。
娘が静かにしている時やひとりで遊んでいる時を見計らい、そーっと部屋を抜け出すのだけれど、
なぜか私がいなことに気づくらしい。
ほぼ毎日、浴室まで娘の泣き声が聞こえてきた。
「あ、泣いてる。早くしなくちゃ」
もう既に急いでやっているのだけれど、どんどん大きくなる泣き声にさらに気が急く。
早く、早く。
この、娘をひとりで泣かせたままにしておく時間は、私を落ち着かない気持ちにさせた。
仕方がないといえば仕方がないけれど、申し訳ないような気持ちになる。
だから、夫が家にいる週末はありがたかった。
いつものように泣き声が聞こえても、
「夫がいるからだいじょうぶ。きっと抱っこしてくれている」
そう思うと、安心だった。
入浴だけでなく、家事もそうだった。
週末しか家で過ごさない夫は、娘の面倒を見ながら、娘と一緒に過ごす時間を大切にしていた。
だから私は、授乳時など私でないとダメな時以外は気楽に家のことができて、
週末は気持ちも体も楽だった。
 
娘がさらに成長し、2才になる少し前、イヤイヤ期と言うものが始まった。
こちらが何か言うと「ノー(No」)と言うようになった。
「ごはんだよー」
「ノー!」
「ノー!」と言いながら椅子に座って食べ始めている。面白い……
はじめは可愛く「ノー」だったのが、そのうちに「ノーノー」になり、
さらにしばらくすると「ノー! ノー! ノー! ノー! ノーーーッッ!」になった。
小さな体で、しかもまだオムツをしている、まるでドナルドダックみたいなお尻をして、
「ノーーッッ!」って大威張りしている~。ように見える。
愛するわが子でも、話しかける度に「ノーーッッ!」と全力で言われ続けるとゲンナリしてくる。
なんでもかんでも「ノー、ノー、ノーーッッ」と反抗する娘と過ごす毎日に私は辟易していた。
夫が帰宅したその週末も、娘は変わらず「ノーーッッ!」と、何に対しても言い続けていた。
「うわっ、どうしたの? 最近いつもこんななの?」と夫は驚いていたが、
私は「うんそんな感じ」と言いながら、その状況を共有できる人がいることで、気持ちが楽になっていた。
夫のいる土日に充電ができて、気持ちも新たにまた娘と楽しく過ごそうと思っていた。
 
月曜日の朝、出張先に向かう夫が言った。
「この週末は本当に大変だった……あんなに大変だとは思わなかった……
正直、こうして仕事に行ける僕はラッキーかもしれない。
キミはまた子供と二人きりになってしまうけれど、ごめん。
でも、キミが子供の面倒を見てくれているから、僕は安心して仕事に行けるよ。
本当にありがとう。子供をよろしく頼むね」
 
週末、いつも通り娘の相手をしていたけれど、夫も大変だと思っていたのか。
あの大変さを感じていてくれたのか。私の辟易する気分を理解してくれているんだ。
気持ちがフッと軽くなるのを感じた。
「今の私の状況を理解してくれている」
その後も私のひとりでの育児は続き、しばらくしてから二人目の子供も生まれるのだが、
この時の夫の言葉があったから、私はやり続けることができたのではないかと思う。
ひとりだったけれど、気持ちがひとりじゃあなかった。
物理的には夫のサポートを得られない時間の方が断然長かった。
でも、大切なのは実際のサポートだけではないのだと思う。
自分の状況を理解してもらえている。家庭の状況を共有できている。
目に見える何かに換算できない育児や家庭のこと。
それを理解してもらえたような、そんな気持ちだったのかもしれない。
この時夫の言った言葉は、長い間ずっと私の中で生き続けていた。
 
 
 
 
***
 
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2022-03-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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