週刊READING LIFE vol.165

マッドサイエンティストは、文章で世界征服を目論むだろうか《週刊READING LIFE Vol.165「文章」の魔法》


2022/04/11/公開
記事:石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
例えば、マッドサイエンティストは文章で世界征服を目論むだろうか。
 
文章は、道具だ。人は何かを伝えたい時に、言葉を紡ぎ、文章をしたためる。何かに対する情熱や、やるせない寂しさを一文字一文字、言葉に起こす。その連なりが文章だ。
だから、道具としての包丁が見事な千切りを作ると同時に、人を殺すこともできるように、言葉や文章も人を元気づけることも、傷つけることもできる。
やっかいである。
文章が、もっと人畜無害であったなら、SNSでの誹謗中傷は問題にならなかっただろう。そこらの落ち葉や雲のように、これといって被害を被らないものだったら、あんなに芸能人が病んだり、自殺したりといった悲しい事件は起きなかっただろう。(落ち葉や雲に悩まされている人がいたら、ごめんなさい)
 
言葉は、文章は、怖いものだ。
この一年、ライティングの門を叩いて、肌で感じる日々だった。
でも、だからこそ、人を惹きつける「魔力」がある。
 
 
それは、日本刀のような艶をもっている。
大陸から伝わってきた真っ直ぐな刀が、より多く、スムーズに人を切れるように滑らかな流線形を成していったことに似ている。大陸の直剣にはない、流れるようなカーブと、鏡のような刀身の美しさは、権威として技術としての魅力と同時に、殺傷能力を高めるために苦心した鍛冶屋の拘りだ。
 
マーベル制作の映画『エターナルズ』の中に印象的なシーンがあった。
地球の創成期から、影で人類を支えてきたエターナルズのメンバーには、さまざまな能力がある。
その中で、卓越した技術や開発力で人類の科学技術の発展を後押ししてきた、ファストスという男だ。
彼は進化の中で欠かせなかった火や蒸気など、道具や科学の面で人類をサポートしてきた人物だ。様々な科学的知識を、彼は人類に伝えてきた。
彼はその時、焼け野原で大きなキノコ雲を見つめて、さめざめと泣いていた。
1945年8月のシーンだった。
 
アメリカが日本に落とした原子力爆弾。
それがもたらした焼け野原を見つめて彼は泣いていたのだ。
こんなことなら、人間に原子力の知識など与えなければよかったと。
このシーンは、アメリカ制作の映画の中で原爆投下が過ちとして描かれた数少ないシーンだった。彼はその科学技術を兵器に使用した人間を責めるのではなく、自身の過ちを後悔していたのだ。
 
しかし、そこで思う。
技術は、科学は、それ自体に罪はあるのか、と。
 
 
様々な技術は、利便性や生産性を求める中で生まれてきた。
より少ない労力で、早く移動したいと考えたから、自転車が生まれた。
自転車を漕ぐエネルギーを他で代替出来ないかと、燃料を使って動くディーゼル車やガソリン車が開発された。
 
 
僕の名前、石綿、もそうだ。
石綿、つまりアスベストは、近年ではその粉末の吸引と肺がんの発生率に密接な関係があるとして、使用は限定されている。
しかし、その耐熱性・耐久性の優秀さと安さから奇跡の鉱物と呼ばれ、建築資材としてだけでなく、様々な用途で用いられてきた。
東洋のエジソンと呼ばれた、発明家・平賀源内も、石綿を使用した燃えにくい布「火浣布」(かかんぷ)を発明している。
殆どが木造建築だった江戸時代。火や火事というものが、現代よりももっと恐ろしかった世の中において、燃えにくいというのは、大きな技術革新だったに違いない。

 

 

 

子供の頃、鮮明に覚えている光景がある。
朝食の席でのことだった。親父が新聞を広げながらトーストをかじっていた。
しかし何か様子がおかしい。母の料理ならなんでもうまいうまいと言って食べる親父だ。なのになぜか眉間に皺を寄せ、険しい様な淋しいような顔をしている。パンを焼きすぎて苦かったのか、それか体調でも悪いのか。
小さなため息のあと、親父はポツリと呟いた。
「なんにも、悪いことしてないのになぁ」
広げられた新聞の一面には「石綿被害、拡大」とデカデカと書かれていた。
後にも先にも、あんなに寂しそうな親父は見たことがない。
 
 
文章は、道具であり、そこには目的がある。
何か目的を達成するために、道具や技術は存在するものだ。
出ている釘を打ち込むためにトンカチが存在し、効率よく洗濯をするためにドラム式洗濯機は開発された。
「石綿」も、道具だった。火に強い、燃えにくい素材として、安心安全な建物を目指して、建築素材として採用された。結果としてそれは病気を引き起こしてしまう要因になってしまったが、それはある意味、石綿という鉱物について解明しきれていなかった、人間の未熟さゆえである。
ということは、原子力も道具である以上。何か問題を解決するために存在しているはずだ。人間の生活を豊かに、効率的に、よりよくするために用いられるはずだった。
それが残念なことに人間を殺すための爆弾に使用されてしまったのは、きっと道具としての原子力ではなく、それを利用した人間に罪があるのだと思う。
 
つまり道具は、常に便利で有用であるが、常に危険と隣り合わせなのである。
 
包丁もトンカチも、それで人を殺すことは簡単だ。
多くの人を魅了する、老舗の街中華の大きな中華鍋でも、殺そうとすれば簡単に人間など殺せるだろう。
使用する人間が間違えなければ、それは恐怖ではなく、多くの幸せを生み出すことができたというのに。
だからきっと「言葉」にも、そうやって人を傷つける力がある。人を幸せにする力があるのと、ほとんど同じように。

 

 

 

「自分がこんな人間になるなんて、考えもしなかった」
喫茶店で向かい合う、妻が一言、漏らした。妙に感心したような、落ち着いた真剣な目をしているが、唇の端には微かな微笑みが見て取れる。人間は自分の想像以上の喜びを感じた時、無表情になるらしい。
今年の5、6冊目になるだろう。妻が目の前で一冊の分厚い小説を読み終えた。愛おしそうに装丁を見つめ、余韻を逃すまいとしているかのようだった。
長い沈黙の後、訥々と内容について話し始める。その口ぶりには、加速度的に熱がこもってくる。
まるで母親に嬉々として語る小学生のようである。
それもそのはずだ。
妻はこれまで、30年以上の人生で、数冊しか本を読んでこなかったらしい。
妻の読書量が爆発的に増えたのは、ここ数ヶ月のことなのだ。
 
 
それはある本との出会いがきっかけだった。
以前から、本を読めるようになりたいと願ってきた彼女から、映えある“専属読書ソムリエ”を拝命してから、はや数年。僕の選書はことごとく、彼女の琴線には触れなかった。僕が学生時代に夢中になった小説や、最新のビジネス本。彼女の好きな女優のエッセイ本まで。
彼女が飽きることなく読める本を探しては勧めたが、いっこうに読める気配がない。読み出したはいいが、数日で飽きて本棚の端に居を構えることになってしまう。
その日も、ひとり大型書店をぶらつきながら平積みになった本を物色していた。
僕のお目当ての本は買うことができた。しかし、彼女の触手がどの本に反応するかが、わからない。半ば諦めを感じながら、本屋を縫うように歩いていた。
 
今話題のビジネス本が並ぶ中に、目立つ黄色い表紙の本を見つけた。元々この棚に置かれていた本ではないようだ。誰かが違うところで手に取ったが、気持ちが変わり、ここに置いたのだろう。
『もうあかんわ日記』(岸田奈美著、ライツ社)という本だった。
妻は大阪出身の、コテコテの関西人だ。
(関西弁の女性のエッセイか。買ってみるか)それぐらいの軽い感じでこの本を手に取った。何やらnoteでの連載を書籍化したものらしい。
まさにそれが、彼女の“晴天の霹靂”となったのだ。
 
その本を一気に読み終えた彼女は、以降、貪るように本を読み始めた。
まるで何日も絶食していた人間のように、湯水のように文章を摂取していった。本屋に行き、面白そうな本を手に取っては買ってくるようになった。元々僕は読書好きだが、妻も同じく読書好きになったことで、想定を超えて我が家の本棚は急速に膨張を始めた。
それも、嬉しい誤算である。
一冊、本を読み終えるごとに、妻はため息をつきながらこう漏らす。
「はぁ〜こんな世界があったんだねぇ」
その時、妻は確実に「文章」に魅了されている。
その「魔力」は、僕を含めて、確実に人間を幸せにする力を持っている。
 
 
マッドサイエンティストは、世界征服に「文章」を使うだろうか。
どれだけその科学者の研究が世のため人のため有用かはわからないが、彼はきっとその成果を世に知らしめるために「言葉」を、「文章」を使うだろう。
それがどれだけ側から見たら異常な研究だったとしても、その科学技術の本質や、それが伝えられる時に用いられる「文章」に、きっと罪はない。
そこに人を惹きつける“魔力”はあるが、その「文章」そのものには、前も悪もないのである。あるとしたら、それを伝えようとする人間のうちにこそ、それは存在するだろう。
 
この天狼院書店を通してライティング、文章というものに触れて、一年が経とうとしている。
確実に、「文章」の魔力に魅了され続けた一年だった。
またこの一年も、僕はきっと「文章」を書くことでその魔力に触れ続けるだろう。
末端ながらその魔力を使用するものの一人として、用法要領を守って正しく使わなければと、改めて思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
石綿大夢(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1989年生まれ、横浜生まれ横浜育ち。明治大学文学部演劇学専攻、同大学院修士課程修了。
俳優として活動する傍ら、演出・ワークショップなどを行う。
人間同士のドラマ、心の葛藤などを“書く”ことで表現することに興味を持ち、ライティングを始める。2021年10月よりライターズ倶楽部へ参加。

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2022-04-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol.165

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