週刊READING LIFE vol.165

咲かないサクラと、最後のおはぎ《週刊READING LIFE Vol.165「文章」の魔法》


2022/04/11/公開
記事:篠田 龍太朗(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
厳しかった冬の寒さが和らぎ、ようやく春がやってきた。
待ちに待った、暖かい春だ。
 
僕と妻は、二年前と同じあの場所に、シダレザクラを見に出掛けた。
 
桜は、咲いていなかった。
 
咲かないサクラと、あの木の下で味わった暖かな甘み……。
僕の胸には、ある想い出が蘇っていた。

 

 

 

この国には、多くの「サクラの名所」と呼ばれる場所がある。
僕が住む名古屋の街にも、そんな場所はたくさんある。
 
尾張徳川家の二代目・光友(みつとも)が築いた、「徳川園」もその一つだ。
 
園内の広大な敷地の中では、見事に手入れされた木々や草花の四季の姿を眺めることができる。春は牡丹、夏はアジサイ、秋はキキョウにヒガンバナ。そして見事な紅葉。冬の雪景色も、温暖な名古屋では珍しいが格別なものであるという。
 
そんな徳川園の春の主役が、二種類の桜である。
桜といっても、最も有名なソメイヨシノではない。
ここで咲き誇るのは、トウカイザクラと、それからシダレザクラの二種類である。
 
徳川園は有料の庭園になっているが、今年も園の外の広場で、いちめんにトウカイヒガンザクラが咲き誇っていた。ソメイヨシノが「ふわり」なら、トウカイヒガンザクラは「ぶわっ」という感じであろうか。斜め上に向かってまっすぐ伸びていく枝という枝に、ソメイヨシノのそれよりも少し濃い色のピンクの花びらが、塊のようになって咲いている。
 
「おお、今年も満開だ!」
 
確か二年前も、妻と花見をしようとこの場所にやってきた。
そしてあのときも同じように、一面の花を眺めたり、写真を撮ったりしたんだった。
 
こうして、一通りトウカイヒガンザクラの景色に満足すると、僕たちは庭園の中に入った。
中央の池に沿って、のんびり春の徳川園を歩いていった。
 
澄み渡った、春の空が美しい。暖かい陽射しと、まだ少し肌寒い風を交互に感じながら、僕たちは庭園の奥へと進んでいった。
 
そして、お目当てのシダレザクラのところまで来た——、はずだけど。
 
「あれ……、咲いてない……?」
 
確かにここのはずだった。去年はここでシダレザクラが満開で、一通りはしゃいだあと、木の下でお弁当を食べたはずだった。
 
どんなに見渡しても、シダレザクラの花は見当たらなかった。
 
「まだなのか……?」
 
去年と同じくらいの時期にきたつもりだったが、今年の冬の寒さはほんとうに厳しかったので、きっと花が咲くのはまだこれからなんだろう。
 
桜は、咲いていなかった。しばらくがっかりしながら、花も蕾もない、さびしい枝を眺めていた。
 
そしてもう一つ、すごく大事なことを思い出した。
 
——「一昨年、ここで”おはぎ”を食べたっけ……」

 

 

 

多くの人には、「おふくろの味」というものがあるはずだ。
僕の場合はカレーかもしれない。たまに実家に帰ると、カレーが食べたくなる。
 
ところで、僕にはもう一つ、「おふくろの味」みたいなものがあった。
「ばあさんの味」、といったところだろうか?
 
母方の祖母は料理が本当に上手で、祖母の家に出かけると、いつも豪快なご馳走を振る舞ってくれたものだ。
とんかつ、エビフライ、ちらし寿司、鶏と卵の煮込み……。
いつもものすごい絶品で、僕も妹も、祖母の家でご飯を食べるのが大好きだった。祖母はとんでもない量をつくってくれるので、いつも食事のあとは満腹で、苦しくて動けなかった。
 
そんな祖母の、とびっきりの自慢の逸品が「おはぎ」だった。
 
豪快な祖母らしく、一つ一つがなかなかに大きい。
よく煮たあんこが、優しく黒く照っている。
口に入れると、しっかりとした、でも柔らかな噛み応えと、何とも言えないほどよい甘さ……。
 
祖母の、いやばあさんのつくるおはぎは、どこのお店で売っているものにも負けないくらい美味しかった。
 
——そうだ。
 
去年の春は、わざわざ祖母がクール便で遠く離れた名古屋まで、わざわざおはぎを送ってくれたのだ。それを弁当代わりに持ってきて、しだれ桜の木の下に腰掛けて、妻と花見をしながら花見を楽しんだのだった。
 
——桜は、咲いていなかった。
 
——そして、あのおはぎはもう、食べられない。
 
言葉にこそ出さなかったが、僕の胸には決して小さくない感情のうねりが押し寄せていた。

 

 

 

祖母にはもう、永らく会っていなかった。
2020年の正月に最後に帰省したあと、新型コロナが猛威を振るったからだ。
 
僕の地元、山陰地方のコロナ対策は特に厳しかった。
「県外者」のみならず、「”県外者”と接触した人」へ接触した高齢者は、2週間ほど重症化を危惧して病院に行っても院内で診てもらえず、車の中で診察を待たされるという決まりができた。
これでは祖父母にも迷惑がかかるし、万が一都会からウィルスを持ち込んではいけないという判断で、もう地元には帰れなくなった。
 
それからあっという間に1年半が過ぎ、2021年夏。
 
母から、「最近、おばあちゃんの調子が良くなくてね……。」と聞かされた。
この夏は、特別暑かった。お年寄りは暑さに弱い。それに祖母はもう八十五だ。けれども二回ほどガンに打ち克って復活してきた、強い人だ。
 
だからたまにはそういうこともあるだろう、それぐらいのつもりだった。
 
祖母に電話すると、「また調子が良くなったら、おはぎ、送ってあげるけんな」と少し弱ってはいたが、ほとんどいつもの調子だった。
 
僕はまたおはぎが食べたいな、とそれぐらいの気持ちだけで電話を切った。
 
それから涼しくなって、11月。
 
とうとう、祖母が入院したと聞かされた。
原因は分からないが、あんなに食べることが好きだった祖母はどんどん食べられなくなっていき、ある朝息苦しさのあまり近所の病院に行ったという。そして近所の病院では手に負える状態ではなかったらしく、救急車で大きな病院に運ばれたというのだ。
 
それでも僕は、しばらく休んだらまた祖母は元気になるだろう、そういう気持ちでいた。
元気がない祖母の姿が、想像もできなかったのである。
 
そして、それから二日後。
母からきた連絡は、祖母がもう永く生きられないということ。そして、今ならまだ電話ができるので、病室にいる祖母に電話をしておいてほしい、ということだった。
 
信じられなかった。
 
——あんなに元気だった祖母が、死んでしまう。
 
僕は想像だにしない事態の展開に戸惑いながら、祖母に電話した。
8コールほど待つと、祖母は出た。
 
「……もしもし。」
電話口から聞こえる祖母の声は、まるで別の人であるかのようだった。しわがれ低く、生気のない声だった。
「元気? ご飯食べとる?」
「……もう、疲れたわ……。」
「……なあんも、いらん……。」
 
返ってきた返事は、それだけだった。
食欲のない祖母なんて、みたことがない……。
 
そのあと、どうかゆっくり休んでまた元気になってねと告げて、僕は電話を切った。

 

 

 

そこからのことは、本当にあっという間だった。
翌朝には祖母が危篤になったと連絡があり、その3時間後にはもう祖母はこの世から去ってしまっていた。
 
入院から、わずか3日ほどのことだった。死因は「心不全」。テレビで著名な方が高齢で亡くなると、死因は「心不全」と聞くことが多い。それがどんなものか想像がつかなかったが、気力と体力を使い切ったお年寄りは、このように急に亡くなってしまうこともよくあるのだという。祖母は二回の闘病で、力を使い果たしていたのだと思われる、祖母の主治医の先生は、そうおっしゃっていたのだと聞いた。
 
あまりに急な展開で、悲しむ暇もなかった。

 

 

 

それから慌てて地元に帰り、祖母と別れを告げ、僕と祖父と母の三人、ようやく一息ついたころのこと。
 
「あ、あんた、これ。バタバタして忘れとったわ!」
ふいに母が思い出したように冷蔵庫を開けると、何やらタッパーが出てきた。
 
——タッパーの中身は、祖母が僕たち孫に届けようと2週間ほど前につくってくれていた……、おはぎだった。
 
しばらく日にちは経っていたが、どこからどう見ても、ばあさんのおはぎだった。
一目見ただけで、なんだか涙が出てきた。葬式で、あんなに泣いたというのに。
 
早速おはぎを電子レンジですこしだけ温めると、一口。
 
口の中に、あの甘さが広がった。ほっこりとする、いつもの優しい甘みだった。
 
もう、このおはぎは、二度と食べられない。
 
数々の祖母との思い出が、脳内をよぎる。
 
あの柔らかかった、二の腕と大きな耳たぶ。
家にいくと、必ず「リュウちゃん!」と元気よく微笑んでくれたこと。
学校や仕事のどんな話をしても、「すごいなあ」と褒め、励ましてくれたこと。
そしてあの食卓に並ぶ、見事なご馳走の数々。
里芋やかぼちゃの煮物やおせち料理の、甘めで優しくて、でも箸が止まらないあの味付け。
 
ああ、もう、これでばあさんのご飯は、最後だ。
 
僕はおはぎを大切に大切に味わいながら、少し涙ぐんだ。

 

 

 

今年のシダレザクラは、まだ咲いていなかった。
二年前にサクラの木の下で頬張った祖母のおはぎは、もう食べられない。
 
そんなこと切ないことを思い返しながら、僕と妻は徳川園をそっと後にした。

 

 

 

天狼院書店に通って毎週のように文章を書き始めて、もうすぐ1年になる。
毎週のように原稿を書きあげるのは決して楽ではないし、むしろ苦難の連続だ。
そんなことを知った人からは、良くこんなことを聞かれる。
——「そんな面倒くさいこと、なんでやっているの?」と。
 
最初は分からなかった。ただ単に、何となく文章を書くことが好きだからだと思っていた。
 
それでも、約1年書き続けてきた中で、ようやくわかってきたことがある。
 
「文章は、自由に書けて、しかもずっと残せる」のだ。そして読み返せる。思い出したことがあれば、新しく書き足したっていい。忘れてしまったり分からなかったりして埋められない記憶と記憶の間は、想像でストーリーを紡いだっていい。
 
そうだ。もうあの祖母のおはぎは食べられないけれど、こうやって文章に書いて冷凍保存ししておけば、また色褪せることなく味わうことができる。何度も何度も、脳内であの甘みをよみがえらせることができる。
 
——祖母も祖母のおはぎも、咲かなかったサクラも、全部全部、僕の中に生きている!!
 
文章を書くこと、それは自分の大事なものを確かめ、取り出し、そしてそのまま残せるという素晴らしい魔法なのだと思う。写真が残っていなくたっていい、本人がこの世から去ってしまってもいい。
 
僕は自分の中の大切なものを残し伝えるために、これからもずっと書き続けたいと思う。そうすれば、きっと大事な人やものに、また何度だって会えるから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
篠田 龍太朗(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

鳥取の山中で生まれ育ち、関東での学生生活を経て安住の地・名古屋にたどり着いた人。幼少期から好きな「文章を書くこと」を突き詰めてやってみたくて、天狼院へ。ライティング・ゼミ平日コースを修了し、2021年10月からライターズ俱楽部に加入。
旅とグルメと温泉とサウナが好き。自分が面白いと思えることだけに囲まれて生きていきたい。

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2022-04-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol.165

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