町の自転車屋さんでかつ丼で
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:南部利江子 (ライティング・ゼミ4月コース)
「これは、そうとう激しく何かに衝突してるよね? 」
自転車屋のおじさんは、後輪タイヤを交換する手は休めず、
ギョロリとした目だけをこちらに向ける。
確かに自転車の前かごは奇妙な形にぐにゃりと変形している。
しかし、思いつかない。なにしろこの自転車の横にたたずむ息子のだ。
そして、その本人が黙ってる。母親の私は返事はできない。
息子は片道25分はかかるであろう学校に自転車通学をしていた。
ギリギリまで寝ていて朝食もそこそこに自転車に飛び乗り、
そのままサドルに座ることなく立ちこぎダッシュ。
おそらく約15分少々で予鈴チャイムと共に学校到着。
(成績表に遅刻の記録がなかったことから推測)
もしかしたらその道中なんらかのトラブルとか……。
息子が黙っているから余計に心配事が勝手に頭を駆け巡る。
しかし、これまでも黙っている息子を差し置き、私が先走り話し始め
事態を悪化させることが多々あった。要は過干渉なのだ。それは自覚している。
だから、この場も口を開かないと決めた。息子が話すのを待てばよい。
今日は息子の春休みに乗じ、近所の寿司屋でランチ。
その表向きの誘いにかこつけ、実は息子を自転車の整備に連れ出したかった。
手入れもせず雨ざらしになっている自転車が気になってしかたなかった。
途中でパンクして学校に遅れようと、本人に全て返ってくると
わからせれば良いことなのだが。
春休みで母子で家にいるとなると、途端にまた世話を焼きたくなるのである。
「学校帰りに河原の土手で激しく乗って遊んだ時の? 」と、
息子に同意を求めようと横をむくが彼はそこにはいない。
数歩先で下をむき携帯をみている。
「そんな壊れ方じゃないよ。これは」と、自転車屋のおじさん。
たった今交換したタイヤをシャーと勢いよく回しながら強く言い放つ。
ゴツゴツと節が目立つ指。
その指のしわには自転車油が黒く染み入っている。
この手にかかれば、自転車の車体のどこがゆがんでるかわかるし、
普段どんな乗り方をしているのかもわかるといわんばかりだ。
そして、真実を知っているが自白を待つような口ぶりで、
こちらの表情を探るようゆっくりと見上げる。
その瞳に油をさすわけないのに
ギラギラと油膜がはってぎらついているようみえる。
黙秘だ。
「被告人は不利になるような質問に答える必要ありません」
私の横に即席架空イケメン弁護士がたたずみ私に耳うちをする。
(って、私はどうして被告人?と己をつっこむのも忘れない)
要はくたびれて溝がなくなった後輪タイヤを交換し、お金を渡せばよいことなのだ。
そうすれば、自転車を境にして過去の何かをさぐるような瞳とその空間、
つまりこの取り調べ室からは解放されるのだ。
大体ここは町の自転車屋さんであって、
取り調べ室でも過去を告白する懺悔室でもないのだ。
それなのに痛くもない腹をさぐられるようなこの感覚は何なのか?
私はなにをビクビクしているのか?
おじさんは後輪タイヤをシャーシャーと何度もまわす。
調整中を装いわたしの心にさらにゆさぶりをかける。
「お代、こちらにおきますね 」
私はお金を払う。
おつりのいらない丁度のお金があることに何故か安堵する。
速くこの場を去りたい。
おじさんは息子に何か声をかける。
息子は小さな声でお礼を言うや否や、ひらりと自転車に飛び乗る。
私には一瞥もくれず当然がごとく家の方へとこぎだしていった。
私はその後をゆっくり追うように自転車の向きをかえた。
「ちょっと待ってよ。お母さん」
やはり納得のいく答えを聞かないと帰してくれないのか。
振り向かずとりあえず足をゆっくり止める。
これ以上、何を言えばよいのか。
そして、何を問いただされるのか?
「お母さんの自転車の後輪も溝がほぼないよ」
そっちか。私の自転車。まあ、タイヤはツルツルね。
子供のことばかりで自分のことは二の次三の次。
ここは潔くきっぱりと。
「そうですね。では替えてください」
おじさんは当然といわんばかりに、先刻と同じ手順でタイヤを又外し始める。
ところが、ふと手が止まる。
「あれ!? 」
今度は何? 買って3年よ。無事故。無違反。
ダッシュ乗りは年齢的に無理。
立ちこぎは骨盤底筋の関係でもっと無理。前かご変形なし。
何?
「スポークが1本ないね?どこに落としたの? 」
黙秘。
ではなく、知らない。
後輪タイヤの針金が1本欠けていようが、自転車として前へ進めれば問題なし。
「すごく重要だよ。これは」
ああっ。私は自転車屋のおじさんの質問に
さっきから何ひとつ答えられない。
取り調べ室で机の上に物証をつきつけられて
うなだれるばかり。
せめて、かつ丼でもでてくればと昭和の刑事ドラマの1シーンが脈略なく浮かぶ。
長い尋問。当然腹が減る。そこに熱々のかつ丼。出汁のいい香り。小さな器の沢庵。
なんとも抗しがたい。(さっき寿司屋で中トロ丼食べたばかりだけど)
しかし、これはドラマの世界だけで実際の取り調べ室でかつ丼をだし、
答えを誘導したら後々色々とまずい問題に発展するとその業界の方
(知り合いの警察関係)が言っていた。
そうだろうよと素人ながら思う。かつ丼は反則だよ。うますぎるんだよ。
そば屋にいってメニュー見て
蕎麦かうどんかじゃなくて、蕎麦かかつ丼か、
はたまたそのセットかと50歳過ぎても迷うもの。
おじさんは刑事よろしく、うまらない調書にイライラしながらもタイヤ交換をする。
とりあえず今日は証拠不十分で釈放。
スポークがないことが不服ながらも、
今回はタイヤ交換だけで許してもらえそうだ。
今度こそ家に帰れる。
「ちょっと! それスポークがないじゃない!
それで帰しちゃだめよ。
危ない。いつ走れなくなるかわからないのよ」
満を持したように自転車屋のおばさん登場。
「春のキャンペーン中。今なら新車三千円引き」
空の青に春霞がかかったような水色の車体。
これに合う色は春咲くミモザの卵黄色。
そんな色の前かごカバーを付ける。
なんて春欄間で素敵。
おじさんの長いぼやきも、執拗な尋問も、タイヤ交換のその労力も、
春一番的な大きな強風、
つまりこの自転車屋のおばさんの営業トークに一蹴され吹っ飛ぶ。
私は卵色の前かごカバーのまぶしさに目を細めサドルにまたがる。
かつ丼のよう卵色。
かつ丼はやっぱり誰かにおごってもらうものでなく、
自分で買うものだよねと一人ごちる。
息子の春の学費に続く出費なのになぜか気分は高揚する。
おじさんは他のお客に引き続き尋問を続ける。
多分、「タイヤに空気入れていいですか」と聞いただけのお客に。
おばさんは、売上を確認すると私に
「ありがとうございました」を省略し、
隣の家のおばさんと世間話を始める。
そして、大きく高らかに笑う声だけが私のこぎ出したペダルの背中越しに響いた。
***
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